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2月14日(土):ころころ菓子の日

 とある世界では今日は『好意を、手のひらに乗る大きさへ整えて渡す』日。アルメリアでは『ころころ菓子の日』として、小さな甘い玉を転がして粉をまとわせ、ありがとうと照れを同じ包みにしまう。


 台所は朝から湯気が薄く漂い、鍋の中の蜜が静かに色を深めていた。雪解け水の季節は、床の冷えがほどける代わりに、空気の湿りが家へ入りやすい。甘い菓子は、その湿りのほうに先に負ける。


「レオン、粉をふるって」ルミナが言った。「こぶが残ると、ころころが割れる」 「わかった。ぼく、ふるい係」


 レオンは棚から粉ふるいを下ろした。木枠に細い網が張られた道具で、麦を炒った匂いがほのかに残る。紙を敷き、粉を入れて、腕の力を抜いて揺らす。


 最初の一振りで粉は落ちた。次の一振りで、網の上に粉が止まった。


 レオンは手を止めた。力を増やせば通りそうに見える。けれど力は、通り道を直さずに粉だけを押しつぶす。昨日の札写しで学んだ「失敗は起こる前に止める」が、指を引っ張った。


「母さん、詰まる」 「詰まりは、粉と網と湿り。分けて見て」


 レオンは粉を器へ戻し、網の裏を覗いた。網目に、軽い粒が一つ噛んでいる。窓の開閉で入ったマナ・ポーレンだ。刷毛で端へ寄せて外す。粒は取れたが、粉の落ち方は戻らない。


 次に木枠の角を指で押すと、わずかに沈んだ。網の張りが弱い。湿りで木が膨らみ、溝が開き、網の縁が浮いている。浮けば、粉は網目へ素直に並べない。


「網が、たるんでる」


 フィオナが台所の端から近づいた。包み紙の束を乾き布に挟んだまま、指先だけで折り目を点検している。顔は静かだが、目は忙しい。


「直す?」 レオンは喉が乾いた。約束の包みは午前中に渡す。台所の空気にも、その言葉が張り付いている。 ルミナが鍋の火を少し落とした。「怖いなら、手順を先に言って。言えたら手が迷わない」


 レオンは息を吸って、指を折った。 「1 分解する。2 木枠を乾かして形を戻す。3 網を張り直す。4 粉の乾き場所を作る。5 落ち方を試す」


 アストルが戸布の向こうから顔を出した。 「段取りが聞こえた。押さえ役が要るなら呼べ」


 ふるいは溝に網の縁を押し込んである。レオンは爪を立てず、薄い木べらで少しずつ縁を浮かせた。フィオナが反対側を押さえ、アストルが木枠を支える。外れた縁に、切れた糸が一つ見つかった。


「ぼくが切った?」 「揺らしただけで切れるなら、もう弱ってた」フィオナが言った。「責めるより戻す」


 ルミナが乾いた布を二枚置く。木枠の水気取りと、網の仮置き用だ。 「木は急に熱を当てない。布で吸わせて、押さえて、落ち着かせる」


 レオンは木枠を布で包み、押さえ板の下に置いた。締めるのではなく支える圧。反りが止まれば、溝が揃う。


 問題は網の替えだった。道具箱にある網は目が粗い。粉が抜けすぎる。 レオンは窓を見た。台所の小窓には、マナ・ポーレンよけの薄い網が張ってある。目が細かい。


「窓の網を、少しだけ使っていい?」 フィオナが即答しない。代わりに言った。 「切るなら、窓の後始末も先に決めて」 「当て布をする。外から見えない端を切る。切り口は糸で押さえる」


「よし」とルミナが言った。「守るところを先に言えるのは強い」


 レオンは外から目につきにくい端を選び、必要な大きさだけを切り取った。切り口には細い糸を沿わせて縫い止める。引っ張らない。ほつれを止めるだけの縫い目。


 木枠が落ち着く間に、粉の乾き場所も作る。ルミナが小さな木箱を出し、底に乾き布を敷いた。 「粉は空気の湿りと仲がいい。だから粉だけの部屋を用意する」 器を入れ、ふたは少しだけずらす。逃げ道を残す。フィオナが温石を布に包み、箱の外側へ添えた。熱で乾かすのではなく、冷えの差を小さくする。


 木枠を取り出すと、角の沈みは戻っていた。レオンは新しい網を溝に置き、四隅から順に均一に押し込む。対角線で決める。片側だけ先に入れると張りが偏る。


 組み上がったふるいを指の腹で軽く叩くと、網はたわまず戻った。


 白い紙を敷き、粉を入れる。レオンは揺らし方を同じにして、二回だけ試す。落ちた量が揃う。こぶは残らない。


「いける」 「じゃあ、ころころを作ろう」ルミナが言う。「声は小さく。鍋が聞こえなくなる」


 蜜でまとめた小さな塊を、フィオナが指先で三つに割り、レオンが手のひらで丸める。クリスが椅子の上で身を乗り出した。 「わたしも、まるめる」 「クリスは三つ」とルミナが言う。 「さんつ」


 丸めた玉を粉の盆へ転がし、盆を小さく揺らして粉をまとわせる。待つほど、玉は自分で丸く落ち着く。


 包み紙は昨夜のまま乾き布に守られていた。フィオナが折り目を確かめ、箱に並べる。箱の隅には乾き袋を一つ入れた。湿りが入りやすい日は、入れる場所を作る。


「午前のうちに行ってくる」フィオナが言った。 ルミナがすぐ返す。「レオン、一緒に。泥で滑ると困る」 「ぼく、足を選ぶ」


 外へ出ると、路地の溝は水で太い。石の表面は冷たく、踏む位置を間違えると靴底が泥を抱える。レオンは箱を胸に抱え、フィオナの歩幅に合わせた。急がない代わりに、確実に運ぶ。


 ひつじ雲ベーカリーの戸鈴が鳴った。粉と火の匂いが、頬の冷えをほどく。 「いらっしゃい」テオくんの声が作業台の奥から返ってくる。手は粉まみれで、目だけが笑う。


 フィオナは箱を差し出した。 「ころころ菓子。約束どおり、渡しに来た」 テオくんは両手を布で拭いてから受け取った。段取りが、受け取る前に並ぶ。 「ありがとう。箱の角が崩れてない」 「ふるいを直した。湿りが来てたから」 「粉は通り道が整うと落ち着く」テオくんが言って、少し笑った。「直したの、レオン?」 「ぼくも。窓の網を少し使った。窓は当て布で戻した」


 テオくんは頷き、工房の奥から小さな袋を出した。 「じゃあ、返礼。小粒パン。ころころに似た大きさ」 袋を渡すとき、フィオナの指先に温度が一拍だけ触れた。フィオナは顔を上げずに言う。 「……ありがとう」 テオくんが短く「うん」と返し、視線を外した先が、たまたまレオンの手元だった。


 帰り道、レオンは袋の底の香りを吸い込んだ。甘さは、守った手順の分だけ素直に届く。


 家へ戻ると、台所の小窓の当て布が軽く揺れていた。外の空気が速くなっている。雪解けの水が増える日の風は、次の泥を連れてくる。


 梁の上でスノーが羽をたたみ、窓のほうを見下ろした。 「菓子は丸めれば丸くなる。だが気持ちは押すな。通り道を直してから渡せ。穴を空けた網は、風が先に見つける」


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