12月29日(月):銀の音の惜別日
とある世界では今日は「古き良き歌を愛でる日」や「伝説の喫茶店が幕を下ろした日」だそうだ。アルメリアでは、年末の強い西風に乗って、一年分の「小さな音」が風車丘に吹き溜まるといわれる<銀の音の惜別日>である。
年末も押し迫った月曜の朝。フレイメル家の男たちは、妙に張り切っていた。
父のアストルと、長男のレオンが、玄関先で物々しい装備を整えている。
「いいかレオン、今日の西風は強い。これはチャンスだぞ」
「うん! ボク、大きい袋持ったよ! これで『伝説の歌姫の声』も『竜の咆哮』も取り放題だね!」
「おうとも。なんたって今日は『銀の音の惜別日』だからな。父さんの『高感度・集音キャッチャー(試作型)』があれば百発百中だ」
アストルが手にしたのは、釣竿の先に巨大なラッパと蓄音機を合体させたような、奇妙な道具だった。
台所からルミナが顔を出す。
「ちょっとあなたたち、遊びに行くなら大掃除の手伝いは?」
「遊びじゃないさルミナ! これは研究資料の収集だ! 風に乗ってくる『幻の美声』を録音できれば、ギルドで高く売れるんだぞ!」
「そうだよお母さん! すごい音を拾って、初灯の御馳走にするんだ!」
ルミナは呆れてため息をついた。
「はいはい。じゃあ、夕飯までには戻ってらっしゃい。……怪我だけはしないようにね」
「行ってきます!」
男二人は勇んで飛び出した。
目指すは町外れの高台、「風車丘」だ。
徒歩20分ほどの道のりを越え、風車丘に到着すると、そこは猛烈な風の通り道だった。
ヒュオオオオ! と冷たい風が吹き抜け、巨大な風車が唸りを上げて回っている。
この日だけは、町の喧騒や、誰かの歌声が風に乗ってここまで届くと信じられている。
「スイッチ・オン!」
アストルが道具の柄にあるボタンを押すと、ラッパ部分がブルブルと震え出した。
『ザザッ……ザザザッ……反応アリ! 南西方向、美声度B!』
「来たぞレオン! 美声度Bだ!」
「うおー! 行っけー!」
二人は風に逆らってラッパを向ける。
蓄音機の針が動き、レコード盤に溝を刻んでいく。
「録れた! ……再生!」
期待に胸を膨らませて再生ボタンを押すと、ラッパから流れてきたのは――。
『……ハックション!』
「……くしゃみ?」
「誰かのおじさんのくしゃみだな……」
「むぅ、センサーの調整が甘かったか。大きな音なら何でも拾っちまうな」
気を取り直して再開するが、その後も集音機が記録するのは「カラスの鳴き声」「ドアが軋む音」「誰かが鍋を落とした音」といった、生活感あふれるラインナップばかりだった。
気が付けば、レコード盤には「年末の雑音コレクション」だけが溜まっていく。
「おかしいなあ。伝説の『セイレーンの歌』とかないのかなあ」
レオンが鼻を赤くして座り込む。
「現実は厳しいな。……おっ、また反応だ! 今度こそデカいぞ! 『美声度S』反応!」
アストルの叫び声に、レオンが飛び起きる。
センサーが狂ったように回転し、風車の真下を指している。
そこから、朗々とした、それでいて力強いハミングが聞こえてくる。
『フフフーン、フンフフーン♪(曲名:愛の讃歌らしきもの)』
「こ、これだ! 腹の底から響くソウルフルな歌声!」
「すごいよお父さん! きっと有名なオペラ歌手だよ!」
二人は風車の裏へ回り込む。
そこにいたのは――厚手のコートを着込み、両手いっぱいに荷物を抱えたパン屋の店主マリだった。
「あら、アンタたち。こんな所で何してんだい?」
マリは歌うのをやめて、豪快に笑った。
「マ、マリさん!?」
「いやあねえ、風が気持ち良くてつい歌っちまったよ。昔、王都の酒場で歌ってた頃を思い出しちまってね」
マリは懐かしそうに目を細める。
「あんたたちが聞いてたのかい? 恥ずかしいねえ。……そうだ、口止め料代わりにこれやるよ」
マリは荷物の中から、包みを二つ取り出した。
「試作品のミートパイさ。少し形が崩れちまったけど、味は変わらないよ」
マリはそう言うと、パイを二人に押し付け、「内緒だよ!」とウィンクして丘を降りていった。
アストルとレオンは、吹きっ晒しの丘に残された。
手の中には、温かいミートパイ。
そしてレコード盤には、マリの豪快な鼻歌が刻まれている。
「……父さん」
「……なんだ、レオン」
「これ、すっげーいい匂いする」
「……そうだな」
二人は風車の陰に座り込み、パイにかぶりついた。
サクサクの生地の中に、肉汁たっぷりの具が詰まっている。寒さで冷えた体に、熱が染み渡るようだった。
「うめえええ!」
「あの歌声より、こっちの方がずっといいや!」
結局、二人が持ち帰った「銀の音」は、マリの鼻歌レコードと、お腹の中の満足感だけだった。
夕方、家に帰るとルミナが仁王立ちで待っていた。
その後ろでは、スノーが呆れたように羽繕いをしている。
「おかえりなさい。……で? 高く売れる『幻の美声』は?」
「い、いやあ、音は売れなかったけど、すごいご馳走をもらってさ……」
「言い訳はいいから、その泥だらけの服を脱ぎなさい。洗濯が増えたじゃないの」
アストルがしゅんとして洗濯場へ向かう。
居間のテーブルに置かれたレコードからは、微かにマリのハミングと、それを聞きながらパイを食べる二人の「うまい!」という咀嚼音が再生されていた。
スノーがそれを片目で見て、短く喉を鳴らした。
「一番いい音ってのは、遠くの空より、案外近くの食卓で鳴ってるもんだぜ。」




