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1月28日(水):写し札の日

 とある世界では今日は『同じ言葉を、同じ形で渡して、迷いを減らす』の日。アルメリアでは『写し札の日』として、家の段取りを札に写し取り、玄関と備え袋に行き先をそろえておく日。


 卓上灯の火は、昨日より落ち着いた息をしていた。


 フィオナは台所の机に肘をつき、油瓶の口金をそっと指でなぞる。赤い糸の縫い目が目印の札袋が、瓶のくびれに結びつけられている。紐は、ほどけないように。けれど、指が急げるように。


「結び目って……文字より先に、手が覚えるのね」


 札袋の中には、替え紐の束と、乾いた空札と、昨夜レオンが書いた小さな覚え書きが一枚だけ入っている。『枠があると目が楽になる』。昨日の「合図旗の日」の名残が、今日の机の上へ移ってきた。


 机の端には札用の紙が重ねてある。玄関に掛ける分。備え袋へ入れる分。学舎と園へ持たせる分。ひとつの手順が、町の冬を渡るための縄ばしごになる。


 フィオナは、一番上の紙にまず正本を書いた。


 助け鈴—扉—外—合図—集合。


 線の太さも、丸の大きさも、同じにしたい。けれど手は正直で、わずかに揺れる。かじかんだ指のせいにしてもいいし、気持ちの急ぎのせいにしてもいい。


 正本を見ながら二枚目を書き始めたところで、違和感が立った。同じ言葉なのに、同じ形にならない。書いた本人が読めても、急いだ目には別のものに見える。


「写す……写して、そろえる」


 フィオナは引き出しから薄い透かし板を取り出した。透明な板に木枠をつけた簡単な道具だ。町の書記が帳面の端をそろえるときに使う。借りたまま返しそびれていたのを、今日こそ役立てる。


 ところが冬の光は薄く、台所の窓から入る明るさだけでは線が見えにくい。卓上灯へ近づければ火が近い。火に近づけば紙の端だけ先に乾き、波を打つ。


 その「ちょうど」が、冬はいつも意地悪だ。


 フィオナは息を整え、紙の端を押さえた。正本の字の上を、葦のペン先でそっとたどる。線が走り、次の角で手元がわずかに滑って、はらいが長くのびた。


「……違う」


 小さく言った声が、机の木目に吸い込まれた。


 違う、が怖いのは、見た目が崩れるからじゃない。


 違う、で、誰かが迷うかもしれないから。


 扉の外へ出てほしい札が、別の場所へ戻れと言ってしまう。そんな読み違いが、冬の訓練には要らない。


 戸口の方で、戸鈴が鳴った。


「おはよう」


 テオくんが、籠を抱えて立っていた。湯気の残るパンの匂いが、硬い空気をほどく。


「……ちょうどよかった。昨日の粉、ありがとう」


 言うと同時に、フィオナは自分の頬が熱くなるのを自覚した。礼は礼なのに、礼以上のものが混ざると、言葉は少し遅れる。


 テオくんは机の上の紙の山を見て、声を落とした。


「写しを作ってるの?」


「うん。玄関の分も、子どもたちの分も、同じ札じゃないと困るでしょう」


 テオくんは籠を置き、指先で一枚の札を持ち上げた。字の端の揺れを見ても、笑わない。むしろ揺れの理由を探るように眺めた。


「パン屋でも札を何枚も作る。忙しい日ほど、字が転ぶから」


「……だから、枠を使うの?」


「うん。枠があるだけで、目が迷わない」


 テオくんは籠の底から、小さな木片を取り出した。角に削り跡がある。文字を刻んだ版木ではない。ただの枠だ。


「これ、貸すよ。札の端をそろえる枠。あと、これも」


 小袋が差し出された。細かい打ち粉だ。


「紙に少しはたくと、手の湿りが線をにじませにくい。冬は指先が冷えて、逆に汗が残ることがあるから」


 フィオナは瞬きした。粉は糊のためだけじゃない。離れるためにも使える。


「ありがとう……こういうの、いいね。文字じゃなくて、形だけを写す」


「形がそろうと、読む人の目が楽になる」


 テオくんの言葉は、いつも料理のように余計な飾りがない。それなのに、口の中でしばらく温度が続く。


 フィオナは紙に粉をひとつまみ落とし、指で軽くはたいた。透かし板の上に枠を置き、正本を中へ収める。白い紙を重ね、卓上灯の少し外へ灯りを寄せ、線をなぞる。


 さっきより手が落ち着いた。


 枠が「ここまで」と告げてくれる。


 灯りは揺れても、枠は揺れない。


 一枚、二枚、三枚。


 同じ言葉が、同じ場所に並ぶ。けれど筆圧の癖は少しずつ違う。雪の結晶みたいに、似ていて、同じではない。


 フィオナは札を乾かしながら、置き場を決めていった。玄関の釘に掛ける札。備え袋へ入れる札。レオンの学舎用に折らずに挟む札。クリスの園には、ひらがなだけの短い札も添える。


「助け鈴、ひもひく。とびら、でる。そと。あいず。あつまる」


 声に出して読むと、段取りが体の中へ落ちる。


 最後の一枚は、少し大きく書いた。家の見取り図だ。扉、窓、助け鈴の柱。そして集合の場所だけ、丸を二つ。


 その右下に、あえて白い余白を残した。


 余白は空白じゃない。


 まだ書かれていない「行き先」のための場所。


 フィオナはその白を見つめ、知らない雪原を思った。町の外。南のさらに向こう。地図の端の、白い白。


「……いつか、ここにも札が要るのかしら」


 言葉は誰に向けたのでもない。けれど卓上灯の火が、かすかに揺れて返事をするみたいだった。


 梁の上で、スノーが尾をゆっくり揺らした。 「写しは雪だ。白は似るが、印だけは揃えろ。」


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