12月27日(土):影解きの遊日
とある世界では今日は「大人にならない少年が影を取り戻しに来た日」だそうだ。アルメリアでは、冬の魔脈が浅くなり、足元の影が持ち主から離れて少しだけ自由に遊ぶといわれる<影解きの遊日>である。
年末のアルメリア商店街は、新年を迎える準備でごった返していた。
石畳の下を流れる魔脈が、寒さで収縮し、地上への魔力供給が不安定になるこの時期、町では不思議な現象が起きる。
「おねえちゃん、待ってー! あ、わたしの影、またあっち行った!」
「こら、クリス! 走らないでって言ったでしょ!」
人混みの中、フィオナが妹の手を引いて歩いていた。
彼女のもう片方の手には、昨日きれいにラッピングした「クッキーの小箱」が握られている。
(昨日はお店まで行ったのに、テオくん配達中で会えなかったし……。今日こそは、渡さなきゃ)
フィオナは唇を引き結んだ。
昨日の夕方、勇気を出してパン屋へ行ったものの、テオは配達に出たばかりですれ違いだったのだ。店主のマリに預けることも考えたが、やはり直接「ありがとう」と言って渡したかった。
だから今日は、年末の買い出しついでに、配達中の彼を見つけて渡そうと意気込んで来たのだが……この人混みでは見つけるのも一苦労だ。
そんなフィオナをよそに、クリスの足元から伸びる「影」は、実に自由奔放だった。
本来なら主人の動きに合わせて動くはずの黒い影が、勝手に露店のキャンディに手を伸ばす形になったり、石畳の継ぎ目でぴょんぴょん跳ねたりしている。
これが「影解き」の現象だ。子供や魔力の高い人は、特に影が浮かれやすい。
「もう……あんたがはしゃぎ過ぎるから、影まで調子に乗っちゃってるじゃない!」
フィオナがため息をついた瞬間だった。
パチンッ!
静電気のような音がして、クリスの影が「プツン」と足元から千切れた。
「あ!」
クリスが声を上げるのと同時に、黒い影法師は人混みの中へ脱兎のごとく駆け出した。
まるで、物語の中の「空飛ぶ少年」のように軽やかに。
「ま、待ちなさい! クリスの影!」
フィオナは慌ててクリスを抱え上げ、影を追いかけた。
影を失くしたままだと、クリスは「影なし」として体が少し透けて軽くなってしまう。夕方までに捕まえて縫い付けないと、風に飛ばされてしまうかもしれない。
影は、おもちゃ屋のショーウィンドウをすり抜け、広場の噴水を駆け上がり、やりたい放題だ。
「待ってよー! わたしもあそびたいー!」
クリスが腕の中でジタバタする。
「あんたが遊ぶと影も遊ぶの! ……あ、あそこ!」
影は、広場の中央にある時計塔の、低い手すりの上に止まっていた。
そこから商店街を見下ろし、どこか得意げに腰に手を当てている(影だけど)。
「捕まえるわよ……!」
フィオナが杖を取り出し、捕獲魔法の構えを取る。
だが、その時。
人混みの向こうから、見慣れたパン屋の馬車が通りかかるのが見えた。
御者台には、テオの姿がある。
(あ、テオくん!)
フィオナの心臓が跳ねる。今、声をかければクッキーを渡せる。
でも、目の前には逃走中の妹の影。
テオの馬車は角を曲がろうとしている。影は反対側の屋根へ飛び移ろうとしている。
(どっち!? いや、考えるまでもない!)
フィオナはクッキーの箱をポケットに押し込み、時計塔へ駆け出した。
「逃がさないわよ!」
彼女は魔法を使わなかった。力ずくで捕まえれば、影が傷つき、本体のクリスも傷つくかもしれない。
フィオナは手すりの下まで行き、大きく息を吸って、影に向かって叫んだ。
「いい? そっちは寒いでしょ! こっちに戻ってきたら、温かいココアと、特大のマシュマロを入れてあげる!」
影がピタリと止まった。耳をそばだてるような仕草をする。
腕の中のクリスも目を丸くした。
「マシュマロ? ほんとう?」
「本当よ! だから、あの影に戻っておいでって言って!」
クリスはこくりと頷くと、精一杯の大声を出した。
「おーい、かげー! かえっておいでー! マシュマロだってー!」
フィオナも畳みかける。
「それに! 今夜はお父さんが『空飛ぶ絵本』を読んでくれる約束よ! ここで逃げたら、結末が聞けないわよ!」
これは「交渉」だ。
ただ戻れと命じるのではなく、戻るべき「居場所」の魅力を提示する。
影はしばらくゆらゆらと迷っていたが、やがてスルスルと壁を降りてきた。
そして、大人しくクリスの足元に滑り込み、ピタリとくっついた。
「……ふぅ。確保」
フィオナはその場に座り込んだ。
ふと通りを見ると、パン屋の馬車はもう見えなくなっていた。
ポケットの中のクッキーが、少しだけ重く感じる。
「おねえちゃん、ありがとう。……テオくん、行っちゃったね」
クリスが申し訳なさそうに言う。
フィオナは妹の頭を撫でて、苦笑した。
「いいの。大事なのは、あんたが飛ばされないことだから」
それに、とフィオナは思う。
影は自分の一部だ。
自分の気持ち(影)があっちこっち向いていたら、きっと相手にも届かない。
今日は「家族を優先した」という自分の選択に、嘘はない。
「帰ろっか。さっき約束したココア、作ってあげるから」
「うん! マシュマロふたつね!」
二人が手を繋いで帰路につくと、時計塔の上から白い鷹が舞い降りてきた。
スノーは、フィオナのポケットの膨らみを一瞥し、呆れたように、でもどこか優しく嘴を開いた。
「影ってのは正直なもんだ。本体がふらふらしてりゃ逃げ出したくもなる。……ま、地面に足をつけて歩くうちは、まだマシか。」




