1月22日(木):香り昼餉の日
とある世界では今日は『冬の学び舎で、子どもたちが同じ香りの煮込みを食べ、けんかの手を止めた』日。好き嫌いがあっても、湯気の香りが広がると、気持ちは少し同じ方向へ向きやすくなる。
アルメリアでは『香り昼餉の日』として、冬の昼に体をあたためる香りを選び、学舎の昼餉へ回す。香りはぜいたくではない。冷えでにぶる指を守り、頭を動かすための助けになる。
朝、昨日直った湯守り鍋が、台所でしっかり働いていた。ルミナが豆と根菜の残りをあたため直すと、ふたのすき間から湯気がまっすぐ上がる。フィオナが笑って言った。
「ちゃんと、朝まで温かったね」
「鍋が働いてくれてる。助かるわ」
レオンは椀を抱えて、湯気に鼻を近づける。
「今日、学舎で香りの煮込みが出る日なんだって。みんな、同じ香りになるって、給仕係が言ってた」
「みんな同じ香りになるのは困るね」
梁の上のスノーが、意地悪そうに嘴を鳴らした。
「スノーは香り、好きじゃない?」
クリスが首をかしげると、スノーは羽を一枚だけ震わせる。
「好き嫌いじゃない。匂いは、隠したつもりのものまで外へ出す」
その言い方のあと、スノーは一瞬だけ窓の方を見た。まだ誰も外を見ていないのに、風の向きが変わったのを知っているみたいだった。
アストルが笑って、レオンの頭を軽く撫でた。
「香りが出るなら、台所の道具も忙しいだろう。もし何かあったら、学舎の人は店に寄るかもしれないな」
その言葉は、すぐ本当になった。
朝食の片づけが終わるころ、フレイメル魔具修理店の扉が開いた。初等学舎の給仕係が、息を切らせて入ってくる。厚い前掛けの上に、白い粉が少しついていた。
「すみません、急ぎで。香挽き箱が回らなくなってしまって」
香挽き箱は、香りの粉を細かくする道具だ。横の小さな取っ手を回すと、中の歯が動いて粉をそろえてくれる。学舎の台所では、香りの煮込みの日に欠かせない。
給仕係は箱を両手で差し出した。木の縁が冷えて、少し白く見える。
「朝から回していました。途中で急に重くなって、引っかかる音がしました。子どもたちが覗き込み始めて、台所が落ち着かなくて」
レオンの目が光る。ちょうど登校の用意をしていたところだった。
「ぼく、持って行く! ぼくの学舎だし、給仕係の人、困ってる」
ルミナはうなずいた。
「目的がはっきりしてるなら、行っておいで。フィオナ、途中まで付き添える?」
「私も行く。学院へ行く前に、学舎の台所で少しだけ見よう。戻ったら遅れないようにする」
こうして、フィオナとレオンは香挽き箱を抱え、学舎へ向かった。
初等学舎の台所は、昼餉の支度で熱い。でも足元の石は冷たい。窓の近くの香挽き箱のまわりに、子どもが数人集まっていた。給仕係が止めようとしているが、見たい気持ちは止まらない。
「ぼくがやる!」
「ぼくが先だ!」
声を張り合っているのは、同じ学年の二人だった。いつも校庭で走り比べをして、勝ち負けで顔をこわばらせる相手同士だ。今日も同じ調子で、取っ手を取り合いそうになっている。
レオンは一歩前に出かけて、止まった。昨日、鍋を直したときのことが頭に残っている。急ぐと手順が乱れる。台所も同じだ。
フィオナが小さな声で言う。
「レオン、まず見よう。力で回す前に、どこが引っかかってるか」
レオンはうなずいて、二人の間に割って入らない位置に立った。
「取っ手、今は回さないで。壊れたら昼餉が遅れる。みんなのお腹が怒る」
「ぼくのせいじゃない!」
「ぼくだって、まだ回してない!」
二人の言い分が跳ねる。給仕係が眉を寄せた。
「朝の途中までは回っていました。途中から急に重くなって、粉が引っかかるみたいな音がして」
フィオナは、触らずに目で箱を見る。木の継ぎ目に白い粉がつまっている。台所の湯気を吸って少し湿った粉が、冷たい木にくっついて固まり始めていた。
「粉が湿ってる。台所は湯気がある。箱は冷たい。そこで固まったのかも」
レオンがすぐ拾う。
「冷えが敵だ」
スノーの言い方をまねたつもりで言うと、給仕係が少し笑った。
「そうかもしれませんね。じゃあ、温めれば」
「温める前に順番がいる。先に粉を外へ出す。次に中を乾かす。最後に油を一滴だけ」
フィオナは落ち着いて言い、給仕係を見る。給仕係はうなずいた。
「布と、温かい湯を用意します」
レオンは、争っていた二人へ向き直った。
「役割を分けよう。ぼくは布を持ってくる。きみは粉を受ける皿を持つ。きみは札を書く。誰が先かは、今じゃない」
「札?」
「箱に貼る札。『乾いた粉』『湿った粉』って書く。混ざったら、また固まる」
二人は少し不満そうだった。けれど給仕係が「お願いします」と頭を下げた瞬間、動いた。勝ち負けの顔が、仕事の顔に変わる。
フィオナは香挽き箱を開け、つまった粉を皿へ落とす。固まりは指でこすらず、木べらで外す。木を削ると粉がもっと湿る。内側を布でふき、窓際から離して温かい場所へ置く。
「今は、乾かす時間」
レオンが布を持って戻ってきた。
「布、あった。札の紙も」
紙には、きれいな字が並んでいる。片方が書き、もう片方は皿を支えていた。さっきの張り合いが、手元ではちゃんと役に立っている。
給仕係が温かい湯を布にふくませ、箱の外側を包む。木が少しずつゆるむ。
「取っ手は、今は触らない」
フィオナが言うと、二人は同時にうなずいた。待つことが、台所でも大事だと分かり始めている。
少し経って、フィオナが取っ手を指先で試す。抵抗がほどけた。回る。回るけれど、速く回してはいけない。最初はゆっくりだ。
「回すのは二回だけ。中の歯が粉をかんで、すべりが戻る」
レオンが数える。
「いち。に」
給仕係が、ほんの一滴だけ油を落とした。多いと粉が湿る。少ないと木がこすれる。冬は加減がむずかしい。
箱は静かに働きを取り戻した。二人の子どもは、貼った札を見て、少し誇らしそうに胸を張る。
「ぼくが書いた」
「ぼくが皿を持った」
「どっちも必要だった。だからできた」
レオンが言うと、二人は一瞬だけ黙り、互いを見た。それから視線をそらし、同じ方向へ向き直った。
昼餉の鐘が鳴るころ、食堂には香りが満ちた。湯気が立ち、子どもたちの声が少し柔らかくなる。勝ち負けの話は、食べ終わってからでいい。
レオンは席に着く前に、給仕係から小さな紙片を受け取った。さっき貼った札の余りだ。
「これ、持っていってください。明日も使います。引き出しに入れ忘れると、また混ざります」
給仕係は続けて、小さな布袋も差し出した。香りの粉を入れる香り袋だ。袋の口は紐で結べる。
「明日はこの袋に粉を分けて入れます。札があると助かります」
レオンはうなずき、札の紙片を香り袋と一緒に、きちんと自分のかばんへしまった。
「明日の朝、机に入れておく。忘れない」
夕方、家へ戻ると、ルミナが鍋のふたを開けていた。昨日の鍋は今日も働いている。食卓に湯気が上がる。
「学舎、どうだった?」
「香挽き箱、直った。札もある。明日は香り袋に貼る」
「えらいね」
ルミナにほめられて、レオンは少し照れて椀を抱えた。
フィオナは玄関で靴ひもを結び直し、学院へ向かう時間を思い出して笑った。
「朝のうちに間に合ってよかった」
梁の上のスノーが、最後に低く言った。
「勝ち負けで腹は満たせん。手元を整えた奴が、冬の昼を守る」




