表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/24

1月17日(土):備え鈴の当番日

 とある世界では今日は『備えを確かめ、助け合いの手順を思い出す』の日。 アルメリアでは『備え鈴の当番日』として、角ごとの助け鈴の柱と家々の備え袋を見比べ、迷わず動けるように札と段取りを整える日。


 夕方の光は薄く、灯路の石畳は昼の白さをもう手放していた。戸布の向こうで風が鳴るたび、家の中の火の音が少しだけはっきりする。


 フィオナは卓の端に、備え袋を置いた。厚手の布袋で、口を結ぶ紐が二本ある。一本は締めるため、もう一本は迷子防止のため。


 中身を一つずつ並べる。 乾いた布。細い紐。結び目を切る小さな刃。温石を包む替え布。灯り文を書くための短い紙片。鉛筆。蝋引き紙。昨日テオにもらった替え紐と、札の上に挟むための蝋紙の束。


「お姉ちゃん、その袋、ぼくも持つ」 レオンが胸を張って言った。上着の紐はちゃんと結んであるのに、気持ちだけが先へ走っている。


「重いものは入れてない。けど当番の人が持つの」 フィオナが答えると、レオンは眉を上げた。


「じゃあ、当番って、助け鈴が鳴ったら、ぼくが先に鳴らし返していい?」


 言い方が、いかにもレオンらしい。けれど、そこに混ざった「鳴らし返す」が、フィオナの指先を止めた。


 ルミナが鍋を火から外し、静かに言う。 「鳴らし返さない。助け鈴は、必要なときに引く。引いたら、戻す。鳴っている理由を増やさない」


 アストルも頷いた。 「当番は、走る権利じゃない。迷わないための役割だ。助け鈴が鳴ったら、衛兵所が動く。俺たちは、通り道を空けて、必要な人に手を貸す」


「て、かすって、なに?」 クリスが椅子の上で足を揃えた。目は真剣で、声はまだ小さい。


 フィオナは並べた道具を指で数え直し、言葉を選ぶ。 「転んだ人の手を取る。戸布を押さえる。水を運ぶ。道の石の粉雪を払う。呼び名を間違えない。そういうこと」


 グレゴールが毛布を肩に掛けたまま現れ、眼鏡の奥で卓を見下ろした。 「言葉の整理が含まれているのが、実に人間的だな。危ないのは“鈴”そのものではなく、“鈴が何を指すか”の混同だ」


 フィオナは、小さく息を吐いた。自分の中にも混同がある。 備え鈴の当番日。助け鈴。戸鈴。鈴玉。 同じ金属の音が、役目だけ変えて、暮らしの中に散らばっている。


「じゃあ、いまの質問を、ほどこう」 フィオナはレオンを見る。 「レオン。『鳴らし返す』って、どれを想像した?」


 レオンは一拍考え、指を鳴らす真似をした。 「助け鈴が鳴ったら、ぼくも鳴らして、みんなに知らせる」


「知らせは、もう終わってる。鳴った時点で、衛兵所へ飛ぶ。ここから先は、音じゃなくて手順」 フィオナが言うと、レオンの肩が少しだけ下がった。


 アストルが優しく追い打ちをしない声で続ける。 「助け鈴は一つの合図。紐は一本。戸鈴は店の来客。鈴玉は家の内側。備え鈴は当番の合図。混ざると、どれも遅れる」


 レオンは唇を尖らせたあと、真面目に頷いた。 「……じゃあ、混ざらない目印、いる」


 その言葉に、フィオナは机の端の小袋を取った。鈴札。分ける印。 三角は、いま危ない。丸は、あとで相談。 縁の小さな切り欠きは、手袋越しでも指が迷わない。


「これを、今日のうちに増やそう」 フィオナは言って、蝋引き紙を小さく切った。濡れてもほどけにくい。結び目が固くなりにくい。


 夕刻、家族は灯路へ出た。雪は細かく、靴の縁で音を立てずに崩れる。角に立つ助け鈴の柱は、黒く細く、紐だけが白く浮いている。


 フィオナは柱の根元の霜を指で払った。紐が凍っていないか確かめ、引かずに戻る動きを手でなぞる。引くのは、必要なときだけ。


「ぼく、見張る」 レオンが柱の横で胸を張り、すぐ周りの灯路を見回した。


「見張るなら、足元も」 フィオナが言うと、レオンは自分の靴の先を見て、赤くなった。


 そのまま、ひつじ雲ベーカリーの前へ回った。店先の戸鈴は、風に揺れないよう短く結ばれている。厚手の戸布の内側には、もう一つ小さな鈴玉が隠れていた。


 戸を押すと、鈴が小さく鳴る。


 その音に、レオンがぴくりと肩を跳ねた。 「いまの、鈴!」


「戸鈴だよ」とフィオナが言うより早く、レオンは一歩踏み込んだ。


「当番です! 来ました!」


 声が大きかった。 粉の匂いが弾ける。作業台の上で、刷毛が止まる。


 テオが振り返り、目を丸くした。 「……当番? どうした」


 フィオナは喉の奥が熱くなった。昨日の“読み違い”が、まだ尾を引いているのに、今日は別の場所で、別の読み違いを起こした。


「テオくん、ごめんなさい。戸鈴を、助け鈴の合図みたいに……」


 レオンが、ぱっとフィオナを見た。ようやく、自分が混ぜたことに気づいた顔。


 テオは粉のついた手を布で払って、戸口へ来た。声は落ち着いている。 「大丈夫。冬は戸布が厚いから鈴玉を足してる。戸鈴が、助け鈴みたいに聞こえることがある」


 ルミナが頭を下げた。 「当番日だから、敏感になっていたのね。驚かせてしまった」


 テオは首を振る。 「むしろ、いい機会です。今日のうちに札を掛け替えませんか。戸鈴と助け鈴と備え鈴、見える形にする」


 その提案が、フィオナの胸の熱を少し冷ました。責められないと、言葉がきちんと並び直せる。


 フィオナは備え袋から、鈴札を二枚出した。三角と丸。触れる縁。 「……店先は、どっちがいい?」


 テオは戸布の下から外を見て、考え込む。 「戸鈴は丸。危険じゃないから。助け鈴の柱は三角、迷ったら形で決める」


「まるは、あとで、そうだん」 クリスが小さく復唱した。指で切り欠きをなぞり、形の違いを覚えようとする。


 レオンが唇を噛んで、言った。 「ぼく、さっき、丸の鈴を、三角のつもりで鳴らした。……ごめん」


 テオは笑って、レオンの頭を軽く撫でた。 「間違えたなら、直す。ヒーローは、そこからだ」


 レオンの耳が赤くなる。 「……うん」


 フィオナは蝋引き紙を細く裂き、結び紐を作った。濡れてもほどけにくい。結び目が固くなったら、温石で少しだけ戻せる。


 丸の鈴札を、ひつじ雲ベーカリーの戸鈴の横へ掛けた。見える位置。手が届く位置。文字は短く。 『戸鈴 まる あとで相談』


 次に、店の裏口の内側へ、鈴玉の札を掛ける。こちらも丸。 『鈴玉 家の中だけ』


 テオが紙片を見て、頷いた。 「短い。これなら迷わない」


 フィオナは頷き返しながら、自分の頬が温かいのを自覚して、視線をいったん札へ落とした。


 アストルが余計なことを言いそうな気配を出し、ルミナに肘で止められる。止められたアストルは、なぜか勝った顔をした。


 作業の最後に、フィオナはテオへ一つだけ約束を置いた。 「テオくん。明日、巡回そりの日だよね。夕方、札の具合を見に来る、濡れてたら替え紐も持ってくる」


 テオは少しだけ目を細めた。 「待ってます。来るなら、備え袋に入る小さいパンを一つ焼いておきます。甘くないやつ」


「……助かる。ありがとう」 フィオナは素直に言い、すぐ言い過ぎたかもと思って、咳を一つだけした。


 家へ戻る道で、雪精が石畳の溝に小さな輪を描いた。白い輪はすぐ崩れる。けれど、いま見えたことだけは残る。


 台所で、備え袋の中身を元の位置へ戻す。紐は束ね、紙片は乾かし、鈴札は一枚だけ残して棚の見えるところへ置いた。


「あしたも、とうばん?」とクリスが聞く。 「明日は巡回そりの日。今日の当番は今日で終わり。でも、今日作った札は明日も役に立つ」


 レオンが腕を組み、真剣に宣言した。 「ぼく、丸は丸。三角は三角。混ぜない」


 グレゴールが湯気の立つ椀を持ち、淡々と言った。 「区別は、賢さではない。優しさだ。迷う人の足を止めない」


 梁の上でスノーが羽をすり合わせ、灯りの下の札を見下ろした。 「鈴の音を増やすより、意味を減らす。……人間は遠回りが好きだ。だが明日の巡回そりが滑る前に、その遠回りを終わらせたなら、まあ上出来だ」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ