8月5日(水):呼び車降り口の日
とある世界では今日は『必要なときに人を迎え、行きたい場所まで運ぶ車と、その仕事を支える人へ目を向ける』日。アルメリアでは『呼び車降り口の日』として、迎え場所だけでなく、降りる場所と荷を下ろす側まで乗る前に決める日。
朝食のあと、フィオナは台所脇で乾かしていた二本の蜜取り棒を確かめた。花印も葉印も木目に湿りがなく、触れても冷たさが残っていない。花の棒は花印の紙包みへ、葉の棒は葉印の紙包みへ戻し、夏休み課題封筒の横へ離して置く。
それから玄関へ回り、昨夜届いた呼び車の到着札を外した。町の呼び車へ、迎え場所と行き先、乗る人数、荷の数を伝えるための札だ。
『朝。フレイメル魔具修理店前。二人。部品箱一つ。行き先――職人街』
「降りる場所がありません」
フィオナが言うと、アストルは工房から木箱を運んできた。到着札に『部品箱』と書いたものは、七月に清拭して作業卓の下へ戻した持ち出し用小工具箱だった。今日は交換部品を探すため、摩耗した真鍮歯車、青銅の軸筒、曲がった留め輪を見本として入れている。
「職人街まで着けば分かる。ギルド市場のいつもの入口だ」
「人だけなら南口でも入れます。でも、箱を持つなら東荷口の方が近いでしょう」
職人街のギルド市場には、人の出入りが多い南口と、部品箱や材料を受け渡す東荷口がある。『職人街』だけでは、呼び車がどちらへ回るか決まらない。
レオンが到着札を覗いた。
「乗る場所は店の前って細かく書いてあるのに、降りる方だけ町区の名前なんだね。帰りに箱を持つなら、下ろす側も決めた方がいいと思う」
「ひがしで、おりる。はこも、ひがし」
クリスが札の空いた下半分を指した。
アストルは、荷台から持ち上げやすいようにと細い革紐を箱の蓋の持ち手へ通した。試しに箱を持ち上げる。中の金属が重さを移した瞬間、右の留め金がわずかに浮いた。
フィオナはすぐ箱の底へ手を添えた。
「待って。蓋で中身を持っています」
店先へ来た町の呼び車の係も、箱を下ろして金具を見た。
「このまま荷台へ載せると、降ろすときに蓋が引かれます。今日は東荷口へ回るとしても、箱は先に直した方がいいですね」
「悪い。ひと鐘ぶん、遅らせられるか」
「次の呼びを先に回します。そのあと、もう一度こちらへ来ます」
係は到着札へ『再迎え』の短札を重ね、呼び車を朝の通りへ戻した。
工房では、ルミナが黒い床布を広げた。フィオナは見本部品を一つずつ出し、歯車、軸筒、留め輪を別の浅皿へ置く。詰め布も、部品へ触れた面を内側にして畳んだ。
アストルが右の留め金を外す。ねじ穴の縁には古い圧痕があり、今朝、蓋の持ち手へ革紐を掛けて斜めに引いたことで、金具が浮いていた。
グレゴールは箱の底を指でたたいた。
「重さを受けるのは蓋ではない。胴と底だ。持ち手を増やすなら、重さの通り道へ付けろ」
まず穴の木屑を細い刷毛で出す。乾いた細木を穴へ合わせ、短く切って打ち込む。飛び出した分を木肌へそろえ、錐で元より細い下穴を開け直した。留め金を戻し、左右のねじを少しずつ交互に締める。
次に、アストルは幅の広い古革を箱の底へ通した。ルミナが四つの角へ当て布を入れ、革が木口へ食い込まないようにする。革は箱胴を一周し、左右に手を差し入れる低い輪を残した。蓋の持ち手へ通した細紐は外す。
フィオナは紙片へ『ここを持つ』と書き、左右の輪の付け根へ結んだ。蓋の持ち手には『空のとき』と短く書く。
「箱を直すだけじゃなく、間違った持ち方も残さない」
レオンは空箱で試した。左右の輪へ手を入れ、低い腰掛けを呼び車の荷台に見立てて載せる。前金具を東側へ向けたまま、同じ側へ下ろした。
「ぼくは空箱だけ。重い見本を入れたあとは、お父さんと係の人が持つ。輪を持てば、蓋の留め金へ重さが掛からない」
部品を戻す。いちばん重い歯車は底の中央。軸筒は横へ寝かせ、留め輪は別の布包みに入れる。隙間へ詰め布を置き、箱を少し傾けても金属同士が触れないことを確かめた。
アストルとフィオナが左右の輪を持つ。箱は水平に上がり、右の留め金は浮かない。腰掛けへ載せ、東側へ下ろす試験を二度繰り返した。
フィオナは到着札へ書き足した。
『降り口――職人街のギルド市場・東荷口』 『荷下ろし――車の右側。箱の前金具を荷口へ向ける』 『戻り――フレイメル魔具修理店・工房口』
同じ内容を小札へ写し、箱の蓋ではなく胴革へ差した。
呼び車が戻るころにも、朝の影はまだ店先に残っていた。ルミナは二人へ帽子と飲み水を渡す。
「見本三点の寸法札を確かめる役はフィオナね。用事が済んだら、寄り道をせず戻ってきて」
「はい」
町の呼び車の係は書き足された札を読み、車の右側を工房口へ寄せた。アストルと係が胴の輪を一つずつ持ち、前金具を右へ向けて荷台へ載せる。蓋の持ち手には触れない。
フィオナとアストルが座ると、呼び車は朝の灯路を町中心へ進んだ。荷車通りの手前で速度を落とし、照り返しの強い広場を避けて職人街へ回る。フィオナは曲がり角ごとに胴革と箱の向きを確かめた。
ギルド市場では、呼び車が南口へ回らず、東荷口の影へ止まった。フィオナが先に降り、足元と荷口までの幅を見る。アストルと係が右側の輪を持ち、箱を前金具からまっすぐ下ろした。持ち替えも、蓋を引く動きも要らなかった。
合同ギルド支部の受付で、三つの見本部品を寸法台へ並べる。受付は歯の幅、筒の内径、留め輪の厚みを札へ写し、同じ寸法の候補がそろう日を記した。見本部品と寸法札を箱へ戻し、帰りも東荷口から同じ向きで載せる。
家へ着くと、今度は工房口へ箱の前金具を向けて下ろした。到着札に書いた三つの場所が、最初から最後まで変わらない。
フィオナは『呼び車降り口札控え』へ記した。
『迎え場所と行き先だけで終えない。降り口、荷を下ろす側、箱の向きを書く。重い箱は蓋ではなく胴を支え、載せる前に降ろす向きで試す』
控え札は玄関小棚の『外歩きと安全』へ入れた。持ち出し用小工具箱は見本部品と寸法札を収め、工房の作業卓下へ戻す。胴革の輪が棚板へ挟まらないよう、左右を箱の上へ折らず、横へ沿わせた。
片づけが終わるころ、灯路番所から翌朝の静刻札が届いた。鐘が一つ鳴るあいだ、工房の金属音を止め、戸口の灯りを伏せるための町札だった。
フィオナは静刻札を、工房の朝当番表のいちばん上へ置いた。忙しい仕事のあとへ差し込むのではなく、最初から止める刻として空けておく。
スノーが梁の上から、胴革の輪と朝当番表を見下ろした。「運ぶってのは、着く名だけ書きゃ済む仕事じゃねえ。持つ場所と降ろす側まで決めろ――明日の静けさは、余った隙間じゃなく朝の先頭へ置け」




