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1月7日(水):七彩のスープの日

 とある世界では今日は『七つの若菜を刻み、胃と心を休ませて、明日の暮らしへ段取りを戻す』日。アルメリアでは『七彩のスープの日』として、静火の三日間の甘さや塩気をいったん脇へ置き、湯気の向こうで“明日”の形を作り直す日。


 台所の鍋は、まだ竈に火を入れていないのに、もう湯気の予感がした。白粒米を研いで水に浸し、布巾を畳み、刻み板を拭いて置く。フィオナの手は、動けば落ち着く。


「若菜、これでいい?」 ルミナが卓に置いた束は、冬の色をしていた。白っぽい根、細い葉、まだ春の匂いは薄い。


 フィオナは指先で束をほどき、種類を確かめた。せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ。七つを声に出すと、舌が少しだけ温まる。


「ちゃんと七つある」フィオナが言うと、レオンが身を乗り出した。 「ぼくも言える。せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ」 「早口だと混ざるわ」ルミナが笑って、束の根を少しだけ切りそろえた。


 居間から、クリスが紙を抱えて走ってきて、ルミナに止められた。 「走らない」 「わたし、しゅくだい、みせる」


 冬休み最終日。レオンは初等学舎の宿題を終えても、まだ“明日”をいじりたがる。フィオナも同じだ。明日から三学期。家の時間割が、また少し変わる。


 その“変わる”が、鍋の縁から湯気みたいに立ち上がった瞬間があった。


 戸口の内側の鈴玉が、控えめに鳴った。受け箱に連絡札が差し込まれた合図だ。戸鈴ではない。店先の灯り文箱とも違う、家だけの小さな知らせ。 「連絡札だ」アストルが言い、外套の紐を解きながら受け取ってきた。


 封は薄い青。学院の紙だ。 フィオナの胸が、きゅっと縮む。昨日から青は“提出”の色になったばかりで、目が勝手に緊張の方へ寄る。


 彼女は札を開き、文字を追った。 『明日、始業。集合は8時10分。提出は青札。下書きは赤札。相談は緑札。提出箱は――』


 湯気が、まだ出ていないはずの鍋から、出た気がした。 “8時10分”。“青札”。“提出箱”。 頭の中で、数字と色が同じ棚に雪崩れ込んでくる。七草の七が、八と十に押しつぶされそうになる。


「フィオナ?」 ルミナの声が、布巾の手触りみたいに柔らかく届いた。 フィオナは返事をする前に、札を一度机に置いた。置いて、離す。離すだけで、文字が少しだけ小さくなる。


「読めてる。でも、つながってる」フィオナは言った。言い方が自分でも変だと分かる。 アストルが肩をすくめる。「つながってる? 鎖みたいに?」 「鎖じゃない。……絡まってる」


 ルミナはすぐに、昨日の壁札へ目を向けた。青=提出、赤=下書き、緑=相談。三枚が、玄関脇にまっすぐ貼ってある。 「じゃあ、今日も分けましょう」


 フィオナは頷いた。分ける。昨日できたことは、今日もできる。


 彼女は札用の紙を三枚切り、机の中央へ置いた。端を布で撫で、指に引っかからないようにする。 一枚目に「時間」。二枚目に「持ち物」。三枚目に「提出先」。


「時間」には、出発の目安と集合の時刻だけ。 「持ち物」には、鞄、手袋、筆記具、青札、赤札、緑札。 「提出先」には、先生の箱、クラスの箱、学院の図書室の箱。


 書く内容を短くすると、息が戻る。書いた札が増えると、見渡す目が増える。


 レオンが覗き込み、指を一本立てた。 「ぼくのは、初等学舎の箱だよ」 「そうね。レオンは初等学舎。フィオナは学院」ルミナが言い、さらにもう一本指を立てた。「クリスはほいくえん。迎えの時刻も札にする」


 フィオナは“迎え”の小札を一枚足した。今日のルールを増やすのではなく、明日の動きを増やすための札。


「焦る人は、札が少ないと焦るのよね」ルミナがぽつりと言って、すぐ笑った。「だから多すぎない程度に増やす」


 アストルが鍋を覗き込みながら言った。「鍋の段取りも同じだ。若菜は今刻む。白粒米は柔らかくしてから。順番が逆だと、味が絡まる」


 フィオナは頷き、刻み板を手前に寄せた。


 すずなは小さな蕪で、薄く切ると白が透ける。すずしろは大根で、芯の水気が冬の甘さを持っている。せりの茎は香りが強いから最後に。なずなは茎を短く。ごぎょうとはこべらは葉が散りやすい。ほとけのざは、混ざると姿が分かりにくい。


 包丁を動かしながら、フィオナは自分の頭の中でも同じことをした。混ざって分からなくなるものは、先に分ける。


「わたし、はこべら」クリスが言い、葉を一つだけつまんだ。 「指でちぎる。包丁はまだだめ」ルミナが即答した。 「わかった」


 レオンは刻み板の端に、紙をそっと置いた。 「ぼくの札、書いていい? 出発のやつ」 「二行で」フィオナが言う。 「うん。二行で勝つ」


 白粒米が柔らかくなってから、若菜を鍋へ入れる。だしで薄くのばした鍋は、粥というよりスープに近い。色が一瞬だけ鮮やかになり、すぐに白へ溶ける。湯気の匂いは草とだしと白粒米。静火の三日間の甘さが引いて、舌が静かになる。


 食卓に並べると、グレゴールが眼鏡を押し上げた。 「胃を休めるのは、実験でも重要だ。燃料を入れ続けると、機構は誤差を出す」 「じゃあ、うちは今日は機構の日だな」アストルが言い、ルミナに睨まれて声を落とした。「……いや、褒めてる」


 フィオナは一口食べて、肩から力が抜けるのを感じた。焦りは、空腹と似ている。満たすと、形が変わる。


 食後、フィオナは壁札の横に“迎え”の札を貼り、玄関の籠へ鞄を一つずつ並べた。青札は学院用。初等学舎の札束は、レオンが自分で確認して結び直す。


 最後に、机の端の宛名なし封筒が目に入った。触れない。代わりに、別の小さな紙を一枚取る。


 灯り文。


『昨日、掃きに混ぜてもらって助かりました。明日の朝、店先に短く寄ります。』


 文は短い。嘘はない。余計な飾りもない。


 外は冷えていたが、灯路はきれいに道を作っていた。番所の方角で、人の足音と荷の気配がする。交換石が届いたのだろう。巡回灯路番が立ち止まる気配も混じっている。例の区画の光は、まだ薄く揺れている。


 フィオナはひつじ雲ベーカリーの店先の灯り文箱へ、受け口から紙を滑り込ませた。戸鈴は鳴らさない。夜の町は、静かに通す方が似合う。


 戻ると、台所ではルミナが鍋を洗い、アストルが戸口の札を掛け直していた。レオンは自分の札を壁に貼り、クリスは虹の紙を棚へ置いた。


 フィオナは、玄関の籠を見て息を吐く。明日の形が、今夜のうちに並んでいる。並べたのは札と鞄と、ひとつの小さな約束。


 梁の上で、スノーが羽を揺らし、嘴を鳴らした。「七草は胃を休ませるが、頭の湯気は自分で止めろ。明日は早いぞ」


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