1月5日(月):盤読みの日
とある世界では今日は『線の交わりを眺め、先を読みながら一手を置く』日。アルメリアでは『盤読みの日』として、灯路の石畳を区切って眺め、弱い光を見つけたら番所へ届けて、町の足元を守る日。
昨夜、願い石を撫でた帰り道。灯路の光がまだらになった区画が、フィオナの目の端に残り続けていた。柔らかいはずの光が、そこだけ、冷たい紙の裏みたいに薄い。見ないふりをして眠れば、きっと忘れる。けれど、忘れた場所から滑るのは足ではなく段取りだ。
夕餉の片づけが終わり、家の灯りが落ち着いたころ。フィオナは玄関脇の籠へ、紙、鉛筆、短い紐、布切れを入れた。戸口の札は整っている。手袋も並んでいる。それでも、胸の奥の一枚が裏向きのままなのは、今日も変わらない。
「番所に行くのか?」とアストルが聞いた。 フィオナは頷く。「うん。あの区画、記録に残ってない気がする」 「残ってないなら、残すのが仕事だ」アストルは軽く笑って、外套を肩に掛けた。「一緒に行く。夜道は、勝手に勇者が増えるからな」 レオンが靴紐を結びながら口を挟む。「ぼくも行く。ひかり、みる」 「今日は家で見張り」ルミナが即座に言い、レオンは口を尖らせた。「じゃあ、かえったら聞く」 「二つ約束して」ルミナが指を二本立てる。「走らない。石を踏まない」 「わかった」レオンは一文で止めて、代わりに胸を張った。
梁の上で、スノーが片目を開けた。「番所は暖かいぞ。だが暖かい場所ほど、言葉が溶けて消える。固めて持って行け」
外へ出ると、空気は硬く、息は白い。灯路の光は普段より控えめで、静火が明けた町の夜は、少しだけ現実へ戻っている。 フィオナは問題の区画で立ち止まり、石畳の縁の目地を指先でなぞった。目地は格子。格子は盤。盤なら、読める。
彼女は紙を一枚、石の上に置き、布で軽く押さえた。鉛筆を寝かせて、目地の盛り上がりを写し取る。線が浮かび上がり、区画が紙の中に生まれる。 「ここが薄い」フィオナは小声で言う。解析眼が、光の揺れの癖を拾う。揺れは四つに分かれ、右上が一拍遅れる。 アストルは覗き込む。「格子で見ると、分かりやすいな」 「数字にすると、もっと分かる」フィオナは頷き、区画に小さく印をつけた。印は丸ではなく、角。あとで札に写すためだ。
番所は灯路の交差点にある。石畳の修繕道具が並ぶ小屋と、受付の窓口が一つ。戸布の向こうから、乾いた紙の匂いがした。 「灯路番所の相談です」とアストルが声を掛けると、窓口の向こうで「番所の事務係」が顔を上げた。年の頃はルミナより少し上。指先に墨が残り、目は疲れていない。
「区画番号は分かりますか」と事務係は言った。「灯路台帳は区画番号で照合します。異常の種類は、明滅、減光、色ずれ、温度ずれ。報告札は三枚つづりです」 言葉が速い。フィオナの頭の中で、まだ格子が揃い切っていないのに、番号が降ってくる。焦りが先に立つ。 「減光、です。たぶん」フィオナは言い、すぐ息を飲んだ。「でも、ただ暗いんじゃなくて、揺れ方が……」 「揺れは明滅分類です」事務係の鉛筆が止まらない。「減光と明滅は別欄です。場所は、番所の柱から何歩ですか」 「えっと……」フィオナは、昨夜の足跡を思い出そうとして、思い出の方が崩れるのを感じた。
アストルが咳払いをした。「娘は現場の見え方から話す癖がある。順番を作ってやる」 フィオナは、籠から短い紐を取り出し、紙切れを三つに裂いた。裂いた端を布で軽く撫で、けばを落とす。魔法では直さない。手触りを整えるだけ。 その場で札を作る。小さく、読めるだけの大きさで。
一枚目の札に「現象」。二枚目に「場所」。三枚目に「時間」。 フィオナは自分の呼吸を一つ数え、札を机に並べてから話した。 「現象。四区画に分かれて揺れます。右上が一拍遅れます。減光もあります」 「場所。番所の柱から、北へ十八歩、東へ七歩。灯路の縁の欠けがある角です」 「時間。昨夜、願い石のあと。今日、同じ時刻に確認して同じでした」
事務係の目が、初めて紙から離れた。「その順で書いてください。台帳は、現象から入れます」 フィオナは写し取った格子の紙を差し出した。「区画の写しもあります。目地の格子です」 「これは助かります」事務係が頷き、台帳を一枚めくった。「番号がずれている。去年の敷き直しで、区画札の貼り替えが一列だけ遅れていました」
フィオナの背中が、少しだけ軽くなる。自分の見たものが間違いではなかった。間違っていたのは、照合の仕方。 事務係は三枚つづりの報告札を差し出した。「交換石は明後日搬入。巡回灯路番を一人、今夜だけ回します。あなたの札の並べ方、番所でも使わせてください」 「はい」フィオナは頷き、喉の奥にあった刺を、静かに飲み下した。
帰り道、ひつじ雲ベーカリーの窓がまだ明るかった。焼き上げの匂いが風に混じり、フィオナの足が一瞬だけ遅れる。 「パン、買うか?」アストルがわざと軽く言う。 「今日は……」フィオナは答えかけ、結局首を振った。棚の上の裏向きが、外套の内側にまで付いてくる気がしたからだ。
家に着くと、ルミナが戸口で待っていた。「どうだった?」 フィオナは札を一枚、差し出す。「順番を作ったら通った。番所の区画札がずれてた」 ルミナは札を受け取り、指で端を撫でた。「よかった。あなたの順番は、町でも役に立つ」 レオンが居間から飛び出してくる。「ひかり、なおる?」 「明後日、石が来る」フィオナは一文で答え、レオンは満足そうに頷いた。「じゃあ、まつ」
フィオナは自室の机へ行き、番所でもらった控え札を、机の引き出しの札入れにしまった。引き出しの奥に、学院の封筒が一つ紛れている。今朝届いた、三学期の短札課題の知らせ。紙の角が、まっすぐで、まぶしい。 宛名を書かない封筒は、今日も机の端にいる。表に戻す日は、まだ決められない。けれど、札の順番だけは、今日から作れる気がした。
梁の上で、スノーが羽を畳み、低く言った。「盤を読むのは先のためじゃない。今夜の足元を滑らせないためだ。次は、その裏向きも読めよ」




