『最後の奉仕』
掲載日:2026/06/07
彼女の名はイリス。
館に仕える唯一のメイドであり、そして最後の生き残りでもあった。
この屋敷は、数週間前からおかしな出来事に取り憑かれていた。
主人の家族は、一人、また一人と姿を消し、最後に残ったのは病床の主人とイリスだけ。
夜、廊下には足音が響く。
誰もいないのに、扉の影から視線を感じる。
それでも彼女は、メイドとしての務めを放棄しなかった。
「ご安心ください、旦那様。私が最後までお仕えいたします」
その夜、主人の寝室で蝋燭が揺れた。
暗闇の中、影が長く伸び、天井に絡みつく。
主人の息は浅く、目だけが恐怖に見開かれている。
イリスは淡々と、水差しを手に取った。
しかしその手元には、冷たく輝く小瓶が握られている。
瓶の中には、彼女が屋敷に来る前から密かに持っていた“薬”。
「……これは救いですわ、旦那様」
そう言って、彼女は微笑んだ。
その笑顔は慈悲にも見え、また処刑人の仮面にも見えた。
翌朝、屋敷は完全な沈黙に包まれていた。
主人も、そして影も、もう存在しない。
ただ、きちんと整えられた寝室と、窓辺に立つ黒髪のメイドだけが残されていた。
イリスはエプロンを整え、振り返ることなく館を後にした。
新たな奉仕先を探すために——
彼女の「最後の奉仕」は、まだ終わってはいなかった。




