【第64話:温泉の後のおはなし】
病院で仕入れた情報に、近場にある秘湯があった。
町から一日程度の距離だが、山が険しくなかなか訪れるのは難しいとも。
今そこへ風のように向かう影があった。
馬ではあり得ない速度で、鳥のように跳ねる巨大な獣。
アビスパンサーの夜霧である。
「ひゃっほーーーう!!」
「あわわわわ」
夜霧が跳ねると、楽しそうなユアが声を上げる。
ユアの腕の中にすっぽりのアミュアは何か話したいのか口を開くが、風圧で話せないようだ。
「口あけてると舌かんじゃうわよ!」
とはユアの後ろから手綱を握るカーニャであった。
3人の中で乗馬が一番得意なカーニャが手綱を持っていた。
昨日アイギスの持つ情報とユア達の話、それらを考察し念のためカーニャに奇跡を使ってみることとなった。
アイギスから使役の指輪を借り受け、夜霧で駆けてきたのだった。
さすがに町中でアレをやったら大騒ぎになるだろうと。
郊外に行こう。
どうせなら温泉だ。
とここにきているのだった。
ユアとアミュアには奇跡を一度見ている安心感があるが、カーニャには実感がないため、楽観できないのだった。
岩山の合間にある露天の温泉は、さすがに秘境といった感じで人の気配はなかった。
それでも時々は整備もされているのか、最低限入浴できる設備になっている。
いつものキャーキャーわいわいイベントをクリアして、入浴したのだった。
「ここは熱くなくて、きもちいいです」
少し湯温は控えめで、アミュアにも丁度いいようだ。
3人で入るには少し小さめの温泉は、少し人口密度が高かった。
「カーニャの背中すべすべだ」
「ちょっとくすぐったいから!」
などと騒がしく入浴したのだった。
いつの間にかカーニャの不安も影をひそめていた。
「なんか私が落ち込んでると、いつも温泉に入れられてるような」
ふとカーニャの独白に、ユアとアミュアはにこりと笑顔になる。
「カーニャスタイルいいし、見ごたえあるよね」
ユアのノンデリなセリフにちょっと離れようとするカーニャは、今度はアミュアにくっついてしまった。
「ほんとだ、すごいやわらかい」
「アミュアちゃんダメそこおさないで!!」
こうして弄ばれながらカーニャは癒されていたのだった。
風呂上がりに、ちょっとだけ横にあった平地にテーブルセットを出してくつろいだ。
今日は浴衣もバスローブも持ってこなかったので、バスタオル巻きの3人であった。
しとしと雨は降っている残念な天気だが、ほてった肌にはむしろ気持ちよかったのだ。
「スリックデンに戻ろうと思う」
真剣な顔のカーニャ。
二人は無言ですぐうなづいた。
「ごめんね。アイギスさんもまだ回復しきれてないのに」
少し申し訳なさそうにカーニャは続けた。
「アイギスさんの言葉に甘えて、夜霧を借りていく。馬車は自由にしていいわ」
すでに何度か話し合った事ではあったが、カーニャは宣言したかったのだ。
「ユアもアミュアちゃんも絶対無理せず、ルメリナに戻ってね」
本当は心配で一緒に戻りたいのだが、セルミアがスリックデンを狙っているとまで言われては、放置する選択肢はなかった。
カーニャは優秀なハンターであった。
「ルメリナまで戻れたら連絡ちょうだいね」
これでカーニャが言いたかったことは全てだった。
温泉のあった岩山の頂上に、それなりに大きい広場があった。
そこまで夜霧に運んでもらい、日のあるうちにと奇跡を試すこととなった。
真ん中にカーニャが立ち、左右から囲むように手で輪になったユアとアミュア。
ふたりの腕の中にカーニャがいる。
「じゃあ行くよ」
短く宣言したユアと二人は目線でうなづき合う。
すっと目を閉じたユアとアミュアの左手から金色の光が漏れてくる。
スリックデンの時のように、互いの左手から相手の右手を通して光が流れ込む。
この時点で3人を囲むように腕の輪の外に大きな金色の輪が現れる。
眼を閉じている3人には見えないが、外側の輪は天使の光輪のように輝いていた。
やがてカーニャの頭の上に煙りのように影が漏れだす。
ミーナの時のように話し出したり、逃げないのは潜伏期間の差なのか。
大きな動きも無くすうっと影は浄化された。
ユアとアミュアには左手に手応えがあったので、事が済んだのが判ったのだった。
ユアがカーニャを見ると、カーニャも目を開けつぶやいた。
「なんだか、何も変わらない気はするけど…これでいいのかな?」
ふとユアは思いついて、アミュアの左手を離しカーニャの左手を取った。
すぐアミュアも気づき、カーニャの右手を取る。
いまだ左手に光を宿し、外側の光輪も輝いていた。
ちょっとびっくりしたカーニャも、思い直し二人の手をぎゅっと握った。
不思議な光が満ちたり、さらなる奇跡が起きたりはしない。
もちろん3人もそんなことは望んでいなかった。
ただ静かに奇跡の終わりを3人で迎えたいと願ったのであった。
輝いていた山頂の光もおさまり、再び山々の間に静寂が満ちていくのだった。
少し傾いた夕日は、少しづつ温度を下げていった。
ほてった3人の頬を冷ますように。




