【第57話:ユアの選んだ道】
宿を取りシャワーを浴びたユアは、少しだけのつもりがお昼まで寝てしまった。
病室に戻りカーニャと交代し、カーニャにも寝てもらうこととしたユアは、小さな椅子に座っている。
アミュアの眠るベッドの横で、腰かけてただそっとアミュアを見つめている。
看護婦さんにも協力してもらい、先ほどアミュアも拭いて綺麗にしてあげた。
カーテンを閉めた少し薄暗い午後の病室。
おだやかで風もない室内に、ユアはアミュアの呼吸が聞こえないかと耳を澄ませていた。
微かな吐息が静けさを満たしていくようなちいさな寝顔。
見つめる中でユアの中には、アミュアの声や姿が何度も浮かんでは消える。
元気なアミュア、少し歩幅が小さく、ちょこちょこ動くアミュアだ。
そのなかで同じように繰り返される悔悟の念。
(そもそもあの日アミュアを連れ出したのはあたしだ)
あの泉のそば、静かな森、白い祠の前で出会った二人。
今となってはユアの中で、アミュアはアミュアでありラウマさまとは別の一人。
そう間違いなく自覚している。
(あの無垢でくもりのない瞳…)
初めてみたアミュアは、そのまっすぐな眼差しでユアだけを見ていた。
(きっとあたしが失くしてしまったもの)
赤子のような純粋な心。
しなやかで美しいが、時に儚く容易に傷つくやわらかさ。
(アミュアは最初赤ちゃんみたいに見えたのにな)
何時からだろう、じっとこちらを見る瞳に確かな意思を感じるようになった。
(アミュア、お願い早く起きて)
祈るように丁寧に手を組み、うな垂れるユア。
その組んだ手が少し震えている。
(早く元気な声を聴かせて)
ただ思いだけが募っていくのだった。
春の日は少しづつ明るさを失っていくのだった。
夜になり、カーニャが戻った。
もう少し寝てきたらいいと言うユアに、食事をちゃんと取り寝るよう言いつけるカーニャ。
少しお姉さんみたいにユアを送り出してくれた。
病院をでて宿に向かいながらユアは、様々な感情が自分の中にあることに少し戸惑っていた。
町には様々な音が溢れているのに、今のユアには遠く耳には残らない。
カーニャの思いやり、アミュアへの思い、自分が悪かったのでは?という疑い。
それらが渦巻き、上手く気持ちが整理できない。
(もうこれ以上何も失いたくないよ…)
思っただけだったのか呟きだったのか、その言葉はユアのしなやかな心の真ん中にズキリとした痛みを伴い突き刺さっていた。
ユアは沢山の大切な人を失い、そのたび痛みにさらされてきた。
新たに知ることで得た痛みすらもあった。
ラウマの奇跡で得る左手の痛みもあった。
様々なことを我慢し続けたユアには、ぎゅっと力を入れて耐えることに慣れがあった。
こらえていれば痛みは去るのだと学んでしまったのだ。
宿に着いたユアはカーニャの優しい気遣いを思い出し、少しでもと食事を取り部屋に戻ったのだった。
(ただ待って祈るしかできないの?)
ぐるぐるとした思考の中でふっと浮かぶ問い。
部屋に戻ったユアは誰にも怒られないのをいいことに、服を脱ぎ散らかしシャワールームにはいった。
シャワーを浴びながらも気持ちは揺れ続ける。
ーーーどうしてアミュアに撃たせたのか、人を。
それは今一番の後悔だった。
熱いはずのシャワーのお湯すら一瞬冷たく感じるほどドキッとする自責の念。
シャワーを浴びたユアは衣服をつけるのも面倒なのか、そのまま髪も乾かさずベッドに倒れこむ。
身体は確かに消耗していたが、それ以上に思考のループに疲れてもいた。
眼を閉じても考えは止まず回り続けていた。
(ただ待つだけでいいの?)
その思考は偏り、誤ったまま固まっていくのだった。
今夜は月も無い暗い夜空。
風もささやかない頼りない夜が横たわり、ユアを押しつぶそうとしていたのだ。
翌日の午後もおそくに、椅子に座りながらうとうとしてアミュアのベットに伏したカーニャが、ぱっと目を覚ます。
「やだ、寝ちゃってた」
予想外の状態に戸惑い、抑えつつも声が漏れてしまった。
そっとアミュアを覗き込み、変わりがないと安堵したり、変わっていなかったとがっかりしたり。
カーニャの心も乱れまくっていた。
少し考え時間を確認したカーニャは、ユアが戻っていないことに不審を覚えた。
ユアを送り出して半日以上もたっている。
ユアの性格と鍛えられた戦士の体。
この時間経過は不自然だと気づいたカーニャは、すっと立ち上がりアミュアに告げる。
「ごめんね、少しだけ待っててね。看護婦さんに居てもらうからね」
すこし焦りながら病室をでるカーニャであった。
眼に入った看護婦に銀貨を握らせ、「あの子のそばにいてあげて」と頼み病院を後にするカーニャ。
だんだん嫌な想像が確信へと変わり、最後は走り出していた。
駆けこむように宿の部屋に戻ったカーニャ。
「ユア!どこにいるの!ユア!!」
いつも控えめに落ち着いているカーニャには珍しい激しい呼びかけ。
部屋中をトイレやシャワールームまで確認し、寝室にもどる。
不在を確信したカーニャはベッドサイドの小さなテーブルに折りたたまれた紙を見つける。
いつかおそろいで買った木製ピアスが重しになっている。
無言でピアスを取り、大事そうにそっと胸にしまう。
紙はユアの置手紙だった。
カーニャへ
字がへたでごめんね
アミュアをよろしくおねがいします
そばにいてあげて
どうしてもアイギスにいさんをみすてられません
アミュアをこれいじょうつれていけない
めがさめたらつれてかえってほしい
あと
大事なピアスだからもっていてほしい
かならずとりにいくから
ユア
短い手紙はたどたどしく、とても読みづらかったがカーニャの心を激しく揺さぶった。
もっとちゃんと見てなくてはいけなかった。
あれほど大事にしていたアミュアを置いていった。
大事だと書きながらピアスを置いていった。
兄の話をあんなに大切に話してくれた。
アイギスをたった一人残った家族だと言った。
なにより一番近くでユアとアミュアを見ていたのに。
後悔がカーニャの額に深い皺を刻む。
経過しただろう時間、不安定な今のアミュア。
優秀なカーニャには追いかけるという選択は取れなかった。
少しづつ傾いた日差しがつくる影たちが、四角い光を床に封じ込めていた。




