【第54話:地下室のささやき】
雪月の山裾に広がる広大な樹海。
木々の濃い森の奥に、打ち捨てられ忘れられた古代の城があった。
ルイム・ザニカ・ザヴィリスブルク城、遥か数百年前にあった小国との国境にある砦だ。
外壁も城塞もふるびた石で、所により蔦に覆われ森に沈み込んでいた。
その地下にある一室。
かつて戦時には捕虜の尋問にでも使っていたのか、悍ましい器具や拘束する設備がある。
その片隅にある牢に、入口の鉄格子をくぐり女が一人入ってくる。
「どうかしら?少しは弱ったのですか?黒ずくめ」
スレンダーな肢体をぴったりした衣装で覆い、目元も銀のマスクで覆われている。
その視線の先には鎖に両手を繋がれた男が座っている。
連絡の途絶えていたアイギスだ。
僅かの間にボロボロになっている。
乾いた唇から声が漏れる。
「見ればわかるだろう、もう好きにするがいい」
そう言うアイギスの目にはまだ光がある。
腕を組み片手をあご先に持っていく女が言う。
「まだまだ元気みたいね。私たち影が人間の能力まで奪うには、最後の誇りまで折らないと奪えないのですよ」
ニヤリと赤い唇がゆがむ。
「あなたの能力は魅力的ですアイギス。是非私がいただきたいです」
またアイギスの目に力が戻る。
「お前に力を与えるくらいなら、死すらいとわぬ。恩人より禁じられていなければ自死もいとわぬ」
すっと下を向き吐き捨てるアイギス。
「去れカルヴィリス。忌まわしい貴様を見たくはない」
厳しいセリフにも動じず、すっとまた近寄り声をささやきに変えるカルヴィリス。
「酷い言い草ですね、かつて共に殺しの技を磨き合った同胞ではないですか」
アイギスの耳元まで口を寄せるカルヴィリス。
「東方暗殺ギルドは忘れてはくれませんよ、普通に生きようだなんて…」
すっと離れるカルヴィリスの衣服。
それはどこかアイギスの巡礼服に似た作りであった。
二人は旧知であったため、首領たるダウスレムに頼み込み捉える事となったのだ。
殺さずに。
牢を出ようとしたカルヴィリスの前に影が伸びる。
はっと気配を察したカルヴィリスは、膝をつきすっと拝礼する。
コツコツと石畳に足音がひびき、大きな人影が鉄格子の向こうに現れた。
「ダウスレム様、こんな所までお運びにならずとも…」
跪き顔を上げたカルヴィリスに、鷹揚にうなずくダウスレム。
アイギスを超える長身に、無駄のない鍛え上げられた体を黒いマントが覆う。
マントの中にははち切れそうな筋肉を持つ戦士の衣装。
黒鉄の帷子に部分鎧、歴戦の雰囲気が漂う。
表情は2本の角を持つ兜が影になりうかがえないが、整った顔をしていることは判る。
「よい、少しその男と話したいのだが」
それだけで察しカルヴィリスは礼をし、音もなく消える。
影の中に消えていったのだ。
二人になったダウスレムは、牢に入ることもなくアイギスを見つめている。
アイギスもただ事でない気配を察し、目を上げていた。
「少し貴様の記憶を読ませてもらった。われら影の力は、向き合い視線を合わせるだけで記憶を読めるのだ…まあこの力は既に薄まり我の他は数名と使えまいがな」
心を読んだと言われ動揺が走るアイギス。
「貴様もあの場所に居たのだな」
じっと見つめるダウスレムから哀愁の気配が漏れた。
「我らが王ヴェルドラグ様の最後の戦場に…」
はっと顔を上げるアイギス。
「我が息子もその戦場で果てたと聞く。我は立ち会えなかったのだよ王の最後に」
アイギスは答えない。
ぐっと唇を引き結び睨みつける。
「…まあいい。貴様によい事を教えてやろう。我と同じ力を持つ女がいてな、そ奴はお前のよく知る娘たちと会ったようだぞ?」
アイギスの体がはじかれたように前に出て鎖でとどめられる。
「ユア達に何かしたのか?!」
弱り切った風に見えていたアイギスの思いがけない力。
引き延ばされた鎖がギシギシとうなっている。
ついに動揺を引き出し満足したものかダウスレムは振り向き去ろうとする。
背中に言葉だけ残した。
「セルミアという達の悪い女がおる。そ奴はスリックデンの工房を狙っておってな。思い当たらぬか?」
チャリっと鎖が落ちアイギスは元の姿勢に戻る。
視線も外し下向いた。
またコツコツと靴音を響かせダウスレムは去っていく。
重々しい扉の音がして気配が消えた。
気付けばいつの間にかアイギスの横にカルヴィリスが戻っている。
その目はダウスレムが去った方向にじっと向けられていた。
暫らくの後にやっとカルヴィリスが口を開く。
「セルミアの部下は人に取りつくそうよ、おそろしいわね?無垢なものの痛みが好物だとか」
にやりと意地の悪い笑みを浮かべ、またアイギスの近くによる。
先ほどの鋭い動きを見ていないのか、気にしないのか。
遠慮はなく顔を近づけ囁く。
「セルミアは長い時間見つめることで配下を人に忍ばせるわ」
それだけを告げ不安を煽りまた煙のように影に消えていく。
後にはうな垂れたアイギスだけが残ったのだった。
湿った風もない地下にあちこちに焚かれた獣脂のランプだけがジジジと音を立てていた。




