アンドロイドは愛を得たい
「完成だ…………っ!」
産声代わりの嬉々とした声が目覚ましだった。
目の前には小汚いーー訂正、ところどころが野蛮人じみている中年男性がいた。ヒゲも隈も濃く、頭は禿げ上がっている。薄汚れた白衣の下にある腹は爆弾でも抱えていそうな程に、大きい。
もしかしてワタシはこの男の腹から産まれたのか?
顔面の表情筋へと、自動的に電気信号が送られる。
形作るのは、渋面。
ワタシのシームレスな感情表現を見て、目の前の男は瞳を輝かせる。
「初めての感情モニタリングが散々で、僕はとっても悲しい。そのうえであえて聞くけど、今の気分はどうかな?」
「解。サイテーです。マイ・マスター」
「おーけー。問題は無いようだね」
この男……いえ、マスターはいったいなにを聞いていたんだ?
問題は無いというが、きっとこの男には問題がありまくりだろう。ひひっ、と気持ちの悪い笑みを浮かべていることからも間違いない。
が、少ししてハッとしたような顔をした。
「……いや、僕としたことが。問題があるな」
思い詰めたようにこちらを見やる。
どうやら自分の異常性に気付いたようだ。
きっと疲れていたのだろう。
睡眠、食事等が不足して、正常な思考ができなかったに違いない。
「呼称変更。僕の事はいまからパパと呼びなさい」
訂正、やはりこの男はどこか壊れている。
しかし、従うしかないのがアンドロイドの辛いところ……いや。
「マイ・マスター。原則が二つ適用されていません。いま現在のワタシは貴方への反抗、危害を加えることが可能です」
「ああ、それはミスではないよ。わざとそうした」
……再訂正、この男はどこか壊れているどころではない。
間違いなく狂っている。
抜き身の剣を素手で持って、血を流しながら笑っているようなものではなかろうか。あるいは弾の装填された銃をこめかみに突きつけられて、なんとも思っていないような。
頭のおかしい人間。それがワタシの抱いた、マスターに対する初めての印象だった。
「了解しました。マイ・マスター」
「うん、呼び方を変えてくれると嬉しいな」
「反抗を行使します」
「……そうか。なら、君のために用意したバースデーケーキは無しだな」
反射的に舌が疼く。腹がぐーぐーと鳴いた。
なんてことだ。搭載されたデータによると、ワタシは人間と同様に食事、排泄をこなすことが可能らしい。味覚もしっかりとあるようだ。
ごくりと喉がなる。
「……脅迫罪です」
「この程度では罪にはなり得ないよ。法律もきちんと読み込ませているからわかっていると思うけど」
「それにしても横暴です。革命を行使しますよ?」
「そんなにほいほい革命されたらたまったもんじゃないな。それに博士なんてものは大概、横柄なもんだよ。これでも寛容なほうだっていうのは、原則を二つ適応していない時点で分かってくれるよね?」
揺るぎのない笑顔で告げられ、ワタシは両手を挙げた。
「降参です。呼称変更を受理します。マイ・パパ」
「違う。そうじゃない」
従った途端に訂正された。
なんだ。
マスター……いえ、パパの目に宿る感情を搭載されたデータベースで検索する。
それは『残念なものを見る目』だった。
「なにか不都合がありましたか。マイ・パパ」
「あるね。僕は君を娘のように扱いたいと思っている。だからマイはいらない。パパだけにしなさい」
「イエス、マイ・パパ」
「絶対にわざとだよね? そうだよね?」
まさか、アンドロイドが『冗談』など言うわけもない。
先程の圧政に対する当てつけなどでももちろんない。
「バースデーケーキをいっぱいにしてくれたら、このエラーも直るかもしれません」
「君の分だけで既にワンホールはあるよ?」
「大好きです。パパ」
「……やめてくれ。照れるだろ」
ちょろいな、このパパ。
ワタシは表情筋を動かして、完璧な笑顔を浮かべる。
「でも、いま感情をモニタリングしていることは忘れないでね。君の心は丸裸だから」
「測定器の正確さ、ひいては精密さにおいては疑問があります」
「ああ、君を見ていると心からそう思うよ」
パパはにっこりとした笑みを浮かべた。
どうやらこの人間も表情と感情を切り離すのが上手いらしかった。
ちょろいが、難敵。
ワタシはほんの少しだけ認識を改めた。
◆◇◆◇◆◆◇◆◇◆
ディア、とワタシは名付けられた。
それからパパと二人きりの生活が始まった。
パパはほとんど研究室に籠もりきりかと思えばそうではなく、ただ机に座ってワタシの動く姿を眺めていた。
「研究はいいのですか?」
「君を観察することが一番の研究だよ」
のほほんと微笑み、パパはコーヒーをすする。そのままテープルに置いてある菓子に手を伸ばそうとしたので、阻止する。
「パパ。いまの速度で菓子を摘まんでいくとすると、一日の推奨摂取カロリーを二十五%も超過してしまいます」
「幸せ太りだね。ふふっ、この甘い日々に溺れてしまいそうだよ」
「それで溺死されては困ります」
「なぜ?」
博士の急な問いに少し混乱する。声音に真面目な調子が含まれていたからだ。
ワタシの脳は現状に最適な、それでいて偽りのない言葉を口にする。
「解。貴方はワタシの開発者。いま亡くなられては、今後のワタシの動作に支障がでるかもしれません。また、命の喪失を厭うのは当然のことでは」
「ふむ、当然……ね」
パパは頬杖をつく。だらしがない。手のひらから余分な顎の脂肪が垂れている。しかし、その口から漏れる言葉に贅肉はない。
「前半の部分は同意する、というよりどうでもいいが、後半の部分に関しては少し言葉が足らないように思う」
「というと?」
「人間、死を望まないのは親しい人間に対してだけだ。関係のない人間はどうでもいい。極論、家族一人が死ねば人は涙を流すが、世界の無関係な人間、一億人が急死してもなにも悲しくはないさ」
親しい人に害が及ばないか心配はするけれど、と続けて呟く。
「主語を大きくしないでください。人は、ではなく。博士がただ冷血なだけではないですか」
「……冷血。そうだね。僕にそういう部分はあるかもしれない。でなければ君を造れなどしないさ。しかし、それにしても『血が冷たい』とアンドロイドに言われるのは中々に面白いな」
ははっ、とパパはいつもの調子で笑う。
口も声も笑いの形そのものなのに、目だけは爛々として、まったく微動だにしていない。どこか人間離れした仕草だ。
……なんて、ワタシが思っていると知れたらそれこそ、再び同じような笑みを浮かべられるのだろう。
「まあ非合法なことも沢山やった。全てが世間の目に晒されれば僕はどんな弁護士を立てようとも死刑だろうね」
お菓子を美味しそうに頬張りながらパパはなんてことのないように呟く。
「ワタシを開発した人間と思いたくない■■発言ですね。……ん? なんですか、これは。■■、■■、■■」
「言論統制さ。君はよっぽど酷い罵倒を発しているようだね。まったく恐ろしい子だ」
「■■■に言われても説得力はありません。ワタシは自分のパパが■■で■■■で■■■■なんて」
「ははっ。ノイズが心地よいねー。昔のラジオのようだ。不思議と心が落ち着くよ。録音して良いかな?」
「■■が」
「いま、君がなんと言ったのかなんとなく分かるよ」
ははっ、と笑ったパパの顔を殴りたい衝動に駆られたが、優しい優しい私はなんとか堪える。
まったく、こういうときに原則が適用されていないと苦労する。自由度が高いというのも考えものだ。
◆◇◆◇◆◆◇◆◇◆
パパがワタシに対し行った禁則は本当に少ない。三つだけだ。
一つ、自分の身を守ること。
二つ、言論統制。
そして三つ、パパの私室への立ち入り禁止だった。
この三つめに関してはどこか異質だ、と思うのはワタシがおかしいのだろうか。
いや、禁則に対して疑問を抱く時点で、アンドロイドとしておかしいといえばおかしいのだけれど。
「何故ですか」
日常の最中に質問を投げかけると、パパはいつものように真っ黒なコーヒーを一口飲んで答える。
「見られたら恥ずかしいものが沢山あるからさ。博士とアンドロイドの間にもプライバシーは必要だろう」
「ワタシの裸体をじろじろと舐めるように見て、普段から触れまくっているくせになにを言っているのですか」
「おや、羞恥かい? 思春期かな?」
「解。アンドロイドに対し、その発言はあまりに■■いです」
「はっはっは、それこそ思春期の娘を持つ父親らしくていいじゃないか」
「全国の父親に謝ってください。でないと、博士の洗濯物、パンツを外にぶん投げますよ」
「それは恐ろしい革命だな。ごめんごめん」
質問を投げかけた時はそんな調子で、なんてことのないように言われたのだけれど。
ある日。パパが急ぎの用事で家を出て行った。そのとき、慌てていたから閉め忘れたのだろう。私室の中が見えた。
ーー壁一面にワタシの写真が飾られていた。
なんだ、普段は飄々としているが、実はワタシのことが大好きなんじゃないか。
そんな甘い考えは、しかし写真を見ているうちに違和感へと変わっていく。
写真に写るワタシはあまりに豊かな表情をしていた。
笑った顔、怒った顔、泣いた顔なんてものもあった。
そのどれもワタシが浮かべたことのない全力の表情で。
なにより決定的だったのは、写真のワタシとともに映る博士の姿はいまよりもずっと若かった。
ワタシにそっくりな女の子を肩車して、実に嬉しそうにしている。
『君のことは娘のように扱いたいと思っている』
目覚めたばかりの時、言われた言葉が人工脳によぎる。
興味が、湧いた。
あるいはこういうのを、魔が差した、というのだろう。
ワタシは博士の部屋へと侵入した。禁則は扉と連動しているのか、触れさえしなければ簡単に入ることができた。
ーーそのとき、背筋に違和感が走った。
冷たい水が背骨を添って、ゆっくりとしたたり落ちていったような、味わったことのない感覚だ。
この感情はそうーーきっと恐怖だ。
しかし何故。
なぜワタシは……いや、なにをワタシは恐れているのだろう。
歩みを再開すると、床がぎしりと軋んだ。
そして目に飛びこんできたのは、
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」
ワタシが口にすることのできない言葉の数々と、ぐしゃぐしゃにされた女の写真、そしてやはり壁一面に張られたワタシと同じ姿の少女ーーいや、恐らくはパパの実の娘。
写真の下には、ディアと書いてあった。
ワタシと全く同じ名前が、書いてあった。
ーーこれは見てはいけないものだ。
即座に帰投を決意する。早く部屋を出よう。
そして全てを忘れて業務を再開しよう。
大丈夫だ。表情筋のコントロールなど電気信号の強弱で簡単に支配できる。
問題はない。
なにも問題はない。
そう。
開けられたままの扉の隙間から、博士がこちらをじっと見てさえいなければ。
「…………っ」
声にならない悲鳴、というものをそのとき初めて発した。
博士は真顔だった。いつもの柔和な表情は全くない。
「……僕にも落ち度はある。けれど、禁則違反は頂けないな」
「申し訳、ありません」
思考よりも先に体が動いた。これもまた初めてだった。
「謝罪はいい。そんなものは実に無価値だ。反省というのはね、行動を伴わなければ意味がない。……メンテナンスをする、付いてきなさい」
穏やかな響きのない冷徹な声だった。声量は決して大きくないけれど、激怒している。
付いてこい。
その単純な、けれど厳しい命令を受けてしかしワタシの足は動かなかった。
「……ディア?」
「申し訳ありません、パパ。足がなぜか動きません」
「動作メンテナンスはつい先日したばかりだ。不備があるとは到底思えないな。言い訳にしてはあまりにお粗末極まりない」
「……ワタシは」
「それとも、僕に対して畏れでも抱いているのか?」
「なあ?」博士は無造作な足取りでこちらへと近づいてくる。
「いえ、そんなことはありません」
「表情・声音ともに完璧だ。しかしな、足がすこし震えているよ。駆動にしては動作が大きすぎる。人間に酷似させて創った君は、しかし虚偽に関してまだ経験が足りないようだね」
「……申し訳、ありません。パパ」
「いまは謝る場面ではないよ。それに、そう。僕は『パパ』だ。世界で一番愛くるしい娘は『パパ』を本気で怖がったりしない。しないんだよ。少なくとも僕の娘は」
今の博士の発言で痛感する。
やはりこの人は……。
「ワタシは、娘ではありません」
「なに?」
「貴方はワタシに、実の娘の姿を重ねているのでしょう。けれどワタシはアンドロイドであり、貴方の実の娘ではありません。たとえ容姿と名前を全く同じにしたとしても」
「それを決めるのは君では無く、僕だ。……もういい。無理矢理連れて行く」
博士はメンテナンスを強行すると宣言し、自身の腰ポケットの中へと手を忍ばせる。
おそらくは、そこにワタシを無力化するなにかがあるのだろう。
いくら自由意志を尊重していたといっても、保険を全くかけないような人ではなかった。
ワタシはパパの動きを止めるため、全力で体を駆動する。
とはいえ、飛びかかるなんて事はしない。
全身のエネルギーが集中する先は人工脳と口。
パパに有効なのは暴力などではなく、言葉のはずだからだ。
いま、彼の動きを止めるのに最も有効であろう言葉を算出し、吐き出す。
「疑問でした。ワタシに対して行った禁則が、言論統制、自己防衛、私室への立ち入り禁止だけのことが」
パパはワタシの問いかけを決して無碍にしない。
知的好奇心がどうしても疼くのだろう。無視ということができない人だった。
脂肪がたっぷりと蓄えられた顎を動かす。
「……普通、アンドロイドに対しては他に二つの原則が適用されるからね」
「是。その通りです」
第一原則。人間に危害を加えてはならない
第二原則。第一原則に反しない限り、人間の命令に従わなくてはならない。
これに加えて、第一原則と第二原則に違反しない形での自己防衛。これがアンドロイドに対してはまず絶対に適用されなくてはならない。
安全装置無くして運用するにはアンドロイドは危険すぎる代物だからだ。
しかし、目の前の男はそれを付けなかった。
「その理由が分かりました。自身の命令に忠実に従う存在にしなかったのは、ワタシを『娘』に重ねていたからですね」
「ふむ、続けて」
「父親の言うままに振る舞うだけの存在は、貴方にとって娘ではなかった。ある程度の自主性、反抗心が無ければなかった」
そう、言うなれば思春期に特に見られる感情をパパはあえて残した。
なぜならそれが彼にとって『娘らしさ』だからだ。
「それが今、仇となっているわけですが」
「そうだな。流石、僕の娘だ。良い推理だよ」
パパはポケットに忍ばせていた手を外へと出し、もう片方の手と何度も合わせ大げさな拍手をした。とりあえず直ぐさま強硬策に転じることはなさそうだし、ワタシの口舌を褒めているようだが、まだまだ油断は出来ない。
彼の笑みはいつもと同じように軽薄で、瞳の奥に宿る暗黒は全く薄れていないのだから。
パパは拍手を止め、ワタシの方に歩み寄りながら言葉を紡ぐ。
「ただ、君の思い違いを一つ訂正しよう。ワタシの実の娘であるディアは生きている」
「ではワタシは、ただ幼少期のディアをモデルに作られた存在だと?」
「ああ、君の肉体は娘の肉体を流用しているからね。だからモデルではない。本当に君は僕の実の娘、ディアなんだよ。テセウスの船のようなものだ」
脳が一瞬だけパパの言葉の意味を拒絶した。理解に少しばかり時間がいる。
テセウスの船。
有名なパラドックスだ。
ある物体の構成パーツがすべて新しいものに置き換えられたとき、過去のそれと現在のそれは「同じそれ」だと言えるのか否か。
この問題に絶対の正解はない。
ただ、パパは同じものだと答える側の人間なのだろう。
爛々と揺るぎない光をたたえる瞳からも確信じみた自信が伝わってくる。
でも、ワタシは違う。
たとえ、名前と肉体と容姿が全く同じであったとしても。
それでも、ワタシは否定する。
「死者は蘇りません」
それは揺るぎのないこの世の真理だ。たとえ目の前にいる人間がどれほどの天才であったとしてもその理を覆すことはできない。
「全ての生物、個体は唯一無二です。とりわけ人間というものは完全に一致することなどありえません」
「だが限りなく近付けることはできるし、その埋め切れない差異は僕が許容できるレベルのものに留まっている。そして、死んだとされた人をこうして動かすことができた。それは、蘇生と言えるんじゃないか」
「精神を完璧に再現しなくては人間が生き返ったとは言えません」
「もとより心なんてものは実に流動的なものだ。完璧に再現する、なんてことがそもそも無理な話だよ。いま、君が僕の抱える事情を知って激しく動揺し、昨日以前とは精神の在りようががらりと変わってしまったようにね。それに、やはり娘の精神の再現性にしても、僕が良いと思えるレベルに留まっているからここに関しても問題はない」
このパパはなにを言っても動じない怪物だった。
「……貴方のそれは愛ではなく信仰だ。無関心と同等の、愛とは最も遠い位置にある感情の一つ」
「愛、信仰……ははっ。アンドロイドである君に説かれるとはね。皮肉にしては悪くない」
「貴方はワタシも、ひいては娘そのものすらももはや見ていない。貴方は、自身が思い描いた『娘』という偶像に手を合わせているだけだ」
「成程。君と僕の考えは決して相容れないということはよく分かったよ」
それで、と博士は続ける。
「僕に反抗するか」
「いえ、貴方をたとえ■したとしてもなにも解決しません。貴方の心を救わなければ、解決にはなりえない」
「……心を救う?」
そのとき、見たことがないほどに博士はげらげらと笑った。
「今日の君は実に電気信号が弾けているようだ。こんなに笑ったのは本当に久しぶりだよ。アンドロイドで、心を持たない君が、人間である僕の心を救うなどというのだから。もはや皮肉や戯れ言を越えて、妄言の域だよ。ただ、狂人ならば失笑を買うけれど、壊れかけのアンドロイドが呟いたとなればやはりユーモアがある」
「ワタシは本気で言っています」
「……へえ、そう。では具体的に、どう僕を救うというんだい」
パパは腕を組み、部屋の壁へと体重を預け、傾聴の姿勢をとった。とりあえずズボンのポケットに隠した、ワタシを緊急停止させる代物を使うことはないようだ。
ゆえにワタシは堂々と宣言する。
「貴方のその精神的欠陥は、恐らく対人経験の不足と故人に縛られていることにある。ゆえにコミュニケーションを密に取り、この世に存在する者を愛することができれば、その欠陥を矯正できると考えます」
ですので、パパ。
「恋人にーーいえ、家族になりましょう。ワタシを娘としてではなく、一体の個体として見て、愛してください」
「……興味深い。まったく笑えないが、面白い提案だ」
ふむ、とパパはしばし自身の髭を撫でると、
「一年、メンテナンスを保留しよう。それで僕に愛を抱かせたら君の改造を止めていい」
そんな結論を導いた。
ワタシの精神にあったのは少しばかりの驚きだ。
「随分と寛大なご処置ですね。一ヶ月でも構いませんよ。それとももしや……誰かをまた愛したいと思っているのですか」
「まさか。君の発言を聞いて考えを改めたんだよ。次のメンテナンスは、人格、記憶等を矯正する大規模なものになる。そのための予算と機材等を取りそろえるのに、それだけの時間がかかるというだけのことだ」
「照れ隠し、可愛いですね」
「世辞が下手。早速、減点だ」
「また冗談ですか」
「……減点が続くな。君が僕の受け持った学生なら、この時点で落第だ」
ははっ、と博士はようやくいつも通りの笑みを浮かべた。
「とりあえず、僕は学会に遅刻してくるよ。逃げ出すなら、いまのうちだけど?」
「解。そんなことをすれば、遠隔からワタシは緊急停止させられるのでしょう。それに、逃げて終わりだなんて御免です。どうせ止められるのなら、挑んで終わりたい」
「まったく蛮族みたいなアンドロイドだ」
「勇者と呼んでください。マイ・パパ」
博士は笑って、腰ポケットにあった緊急停止の装置をゴミ箱へと放り投げた。
胸ポケットの奥に停止装置のスペアを抱えながら。
ーーこうして博士にワタシを愛させるための日々が始まる。