第七十六話
ざざ、と地に滑り込むように倒れる。
僕はマハーカーラが倒れるところを見られない。生身で使うまじないがこれほど気力を奪うとは。体がからっぽになってしまうような虚脱感。失われた片足の痛みすら遠い。
手応えはあった。確実にマハーカーラのコックピットを断ち切る一撃を撃てた。
光の粒が見える。
空気中を舞うほこりにも見えるが違う。それぞれが高速で飛び回っている。それは僕の手を突き抜け、体を突き抜ける宇宙線のような光。
光の粒が手を通過する瞬間を意識する。すると光の粒は僕の体の中に留まって、体の中で飛び始める。熱を感じ、血の流れを感じ、視界に色が戻ってくる。何かを食べたあとのような気力の回復。
「レオの言っていたことだな……この土壇場で、ようやく見つけられた」
世界には光が満ちている。
濃い光と薄い光、意識することで僕の中に留まる。
「花咲き乱れ罪過を癒やす……」
足の痛みが消える。頭の傷も、全身に絡みついていた疲労も。
なんという豊かな力だろう。無限の生命がこの手にあるかのようだ。
この力を自由に操る竜皇は、なぜ滅びなど求めたのか。人の世界のドラマなど求めたのか。宇宙にはこれほど豊かで輝かしい力があるのに……。
「……! そうだ、ココの無事を確かめないと」
ウィルビウスはかなり離れた場所にある。僕が投げた生体ゲルを使ってくれてるといいが……。
「艦船のみんなも無事だろうか。ああ、そうだ、もうすぐシールも来るはず……」
踏み出そうとした足を止める。
足は治っている。もはや違和感すら無く、歩くのに何の問題もない。
立ち止まったのは地震のためだ。大地が細かく震えている。
それは勢いを増し、都市に似た構造体ががらがらと崩れていく。星を突っ走る巨大な鎖が大蛇のように暴れ、重厚な金属音を奏でる。
「何だ、この揺れは……」
【人間よ】
……! 頭の中に、声が。
【愉快な戯れの時間だった。だが、もう用はない】
そう明確な言葉が聞こえたわけではない。感情のようなジェスチャーのような、意味だけが直接頭に流れ込んでくる。
「マエストロ、お前なのか」
【何も変えられはしない、最初から決まっていたこと】
マエストロは言った、自分はすでに何百年も前にヒラニア・ガルバとの融合を果たしていると。
やはりそれは本当なのか。写し身が討たれ、やつは行動を起こそうとしている。この惑星なみに巨大な竜を動かそうと。
【人間どもよ、その卑小なる抵抗の褒美として、苦しまずに死なせてやろう。その場で動かずにいるがいい】
やつは僕たちを消そうとしている。腕の一つでも動かして、蚊でも潰すかのように。
「……」
それが、どうした。
僕は揺れる地面を走ってアグノスへのほうへ、その脚部に手を触れる。
「花咲き乱れ罪過を癒やす」
胸に刻まれた十字の傷も、おそらく大破していたCエナジージェネレータも完全に治す。できるとは思っていた。この場所は特に光が濃いのだ。おそらくはマエストロが力を使いすぎた余波だろう。
やることはハッキリしている。
剣のまじないでこの構造群を吹き飛ばす。そして、どこかにある竜皇の本体を消す。
おそらくヒラニア・ガルバは名前を持たない状態、自我のない状態になっている。竜皇が兜のまじないで乗っ取ったなら、僕にできない道理はない。
そうだ、誰かがヒラニア・ガルバと融合して、この惑星を守らねばならない。巨竜は眠り続け、殻は永遠に割れることなく、地表に住む人々は永き安寧を得られる。
それほど長い話でもあるまい。この惑星が赤色巨星と化した太陽に飲み込まれるまで、50億年ほどうとうとして過ごすだけのこと。
「シール……君がやろうとしてたことはこれか」
竜皇に代わり、ヒラニア・ガルバとの融合を果たす。分かってみれば自明の理。
ならば僕がやろう。
星皇と竜皇、始まりであり終わりであったもの、怪物であり人間でもあったもの、その最期を僕の手で。
「いいえ」
全方位モニターに割り込む影。その人物は、いつかのように優しく笑う。
「シール……来たのか」
「はい」
アグノスの前に降り立つのはベーシック・リサナウト。さらに二機のベーシック。
「シール、君が何をしようとしてるかは分かっている。だが、その役目は僕が務める」
「ナオ様、プランは複数用意しておくものですよ」
シールは胸部ハッチを開ける。僕も同じようにした。彼女は最初に会った時から変わらない。優しげな笑みに色素の薄い肌。印象は敬虔なる村の巫女。およそ荒事などに縁が無いように見える。
「プランだって?」
「私はこの二年間、あらゆる手段で情報を集めていました。私もたくさんのドワーフと一緒にいたのですよ。彼らは見事に再現してみせました」
がしゃ、と右大腿部の爆薬倉が開く。そこにあったのは水筒ほどの大きさのメカニズム。
「それは?」
「ストリングシフト兵器です。竜都には何度か忍び込みましたが、このデータを手に入れるのは本当に困難なことでした」
何だって?
「ナオ様、覚えておられますか。あなたがこの惑星に落ちてきた日。跳躍の光は小惑星を覆い尽くすほど大きかった」
「何の話をしているんだ」
「ですから」
背後では「腕」が立ち上がろうとしていた。樹木のような、ねじれた縄のような異形の腕。長さにして数キロもの腕が、僕たちを押しつぶそうと。
「ここには5体のベーシックがある。それならプランBが可能という話です」
光が見える。
リサナウトが蓄えているCエナジーは桁が違う。おそらくジェネレータに手を加えたのか。機体のすべてが黄金の光に包まれている。
「これもご存知ですか? 本来ベーシックのCエナジー貯留量はカタログデータの100倍はあるのです。隊長機のみがそのリミッターをカットしている」
「それは知っているが、だから何を」
「ナオ様、胸部ハッチを閉じて……。ココさんは息があるようですね。緊急コードを使って外に出ていただきます。すぐにドワーフさんに回収してもらいましょう」
水筒サイズの機械が光を放つ。
一瞬で目も眩むほどに、さらに数秒で目に炎を突っ込まれるような光量に。
この光は、どこかで見覚えが。そうだ、あの日に――。
目を開ける。
閉じていたつもりはない。魂というものがどこかから飛んできて、いま体の中に入ったような感覚。
全方位モニターには宇宙の闇。上も下もない完全な宇宙漂流。
「ここは――」
「星皇軍の数値では私たちの惑星からおよそ1000天文単位。1500億キロメートルの位置です」
すぐ近く……それでも数百キロ離れているが、ヒラニア・ガルバもいる。鎖の巻き付いた腕を伸ばし、角と牙が虚空に輝く。
奇妙な姿だ。まるで毛糸玉のような。無数の腕を全方向に生やしており、足はおろか顔もない。口腔らしき裂け目や、歯列らしき白い岩塊が不規則に生えている。
「多次元干渉生命体。ヒラニア・ガルバは多くの世界から力あるものを呼び寄せ、交わって肥大していく怪物です。やがては集めに集めた力によって自重で潰れ、別次元に旅立って宇宙の種になるそうですよ」
「君はそんな情報を、どこから……」
やつは敵意を向けているようだ。生えてくる腕は何百本か何千本か。それらは宇宙のスケールの中でゆっくりと、時速数千キロという速度で近づきつつある。
「あの個体はあまりに弱すぎた。知性を身につける前に兜のまじないによって乗っ取られてしまった。哀れなことですが、放置するわけにもいきませんね」
「……ち、ちょっと待ってくれ、まさか君は」
ベーシックの観測したデータによれば、直径およそ16000キロ。質量にして10京トンを超える。
「あれを討つ気なのか!?」
「そうです。リサナウトを含めた3機では不可能でした。でも今ならば可能です」
「馬鹿な、そんなことをしたら星が空洞になる、重力に異常が」
リサナウトが剣を抜く。その剣で遠くを示す。
そこに浮かんでいたのは蒼白い星だ。この恒星系にある惑星か。
「ストリングシフト兵器を使い、あの星を私たちの星の核として送り込みます。重力源として丁度よい大きさです。もちろん大小無数のケアが必要ですが、すでにドワーフたちがプランを立てています」
「む、無茶苦茶な……」
それに、あのヒラニア・ガルバを討つだって? いくら剣のまじないでも、あの大きさは。
「ナオ様、ご協力いただけますか」
「協力、って……」
「難しくはありません。私にすべて委ねてください。あなたの心がアグノスにも伝わります」
……。
シール、どこまでも底が知れない。
彼女は二年もかけてこの準備を。いや、たった二年でこれだけのことを。
「わかった、やってくれ」
「その名をかざせぬものは伏せよ!」
即座に全方位モニターを覆うメッセージウインドウ。コントロール権の移譲だが防衛プログラムは働かない。ベーシックは抵抗せずにまじないの力を受け入れている。
脚部パーツが離断。腕も、頭部も、衝突実験用のダミー人形にも見えるベーシックの体が丁寧にほぐされていく。
控えていた二機のベーシックも、ココを降ろしていたウィルビウスも分解され、リサナウトのもとに集まっていく。
そして僕の目がそれを見つける。彼方より飛来するのは石の剣だ。
他にも盾に兜、紋様を刻まれた無数の石板も。あらかじめこの宙域に浮かべていたのか。
全方位モニターには何かの図面が描かれる。分解されたベーシック五体分のパーツが組み合わされ、巨大な腕に、頑健なる脚部に、胴部に、そして頭部に。パズルのように組み合わされていく。
がこん、とシートが急上昇。どこへ行くのかと思えば開けたコントロールルームだ。隣の席にシールが座っている。
「複座型だって……? コックピットを新たに作ることも可能なのか」
「はい、ベーシックの頭脳が自動で組み上げ方を考えてくれます」
部品を寄せ集めて作られたとは信じられない見事な全方位モニター。工場出荷直後のような物理パネル。
すなわち今のベーシックは身長14メートル。体重8トン近い機体になっている。頭身がかなり上がり、もはや別の世界の機体のようだ。
そして武器は大剣。複数の石の剣が鋼材によって四角柱の形にまとめられている。まるでプラモデルのランナーのよう。およそ刃物としての意味はないが、今の僕になら見える。複数の石の剣に光が循環していることを。
「これは終焉を告げる巨人です」
シールが言う。手を動かして何かの操作をしつつ、語り部のように朗々と語る。
「すべての戦いを終わらせる巨人。すべての敵に眠りを与え、新たなる目覚めをもたらす。世界の黄昏を見届け、黎明を待つ巨人。その名は」
「ベーシック・ラグナロク」
剣を振り上げる。黄金の竜巻に包まれるようなエネルギーの奔流。それは収束し増幅し、回路のような立体格子の中を循環する。
ヒラニア・ガルバが迫る。無数の腕を伸ばし、異形の体で僕たちを押しつぶさんとする。
「さあ、ナオ様」
「――やろう」
中央のレバーに手を添える、それにシールの手がかぶさる。
さようなら、マエストロ。
偉大なる星の神になれたはずなのに、天より堕ちてしまった悲しい俗物。
「あらゆる竜を断つ光を!!」
宇宙が、裂ける。
空間に生まれるのは膨大なるエネルギー。ベーシック・ラグナロクのおよそ数億倍に達する三日月の刃。宇宙の虚無を照らす太陽のごとく。
ヒラニア・ガルバはそれを見て何を思ったか。無数の腕が薙ぎ散らされ、星を断ち割っていく数分間の中で。己の長い長い、永遠とも思える循環する時間の終わりに何を思っただろうか。
光は突き進む。それは切断であり消滅。星一つの質量を根こそぎ消し去る神秘の輝き。
そして。
宇宙の果てに光が去っていったとき、もはや何も残ってはいなかった。残骸と呼べるほどのものも。
「なぜ、力など求めたのでしょう」
シールもさすがに玉の汗を浮かべている。虚脱感に覆われた表情で呟く。
「力を求めなければ、安寧の中で一生を終えられたのに。不完全な神となり、不完全なことに苦しむこともなかったのに」
天から堕ちたる巨匠。
堕ちたのはいつからか。
星皇の身分を捨てた時か。人間の精神のままヒラニア・ガルバと融合した時か。それとも時の扉をこじあけ、再び星皇銀河に写し身を送り込んだ時か。
登り続けた神は、実はただひたすら堕ちていただけかも知れない。あいつの辿った永い時間が、その結末が、今は少しだけ哀れにも思えた。
ベーシックは剣を放り投げる。
鋼材部分が朽ち果てて、複数の剣に分離した状態。盾も、兜も宙を漂う。
「捨ててしまうのか?」
「まじないの力は武具を起点としています。単純に言えば、武具の総数がまじないの強さ、思惟の力の濃さに比例するのです」
なるほど、空中を流れる光の粒、それはだんだん薄まってると感じる。武具は遠ざかっていき、やがて恒星系の重力にとらわれて彗星となるのか、それともどこかの小惑星に落下するだろうか。
「巨人族ザウエルのまじないは強すぎるのです。もう少し私たちが成熟するまで、石の武具はこの宙域に眠っていてもらいましょう」
「……そうだな」
「ありがとうございます、ナオ様」
そんなことを言う。
「私一人では、この結末には至れなかったかもしれません」
「……たらればの話はいいさ、これからの事を考えよう」
ベーシック・ラグナロクはスラスターをふかして飛ぶ。目指すは白い惑星。
あれをストリングシフト兵器で飛ばす、か。彼女の発想力と行動力には本当に驚かされる。
「あの星を転移させて星の核にする……本当に可能なのか?」
「ナオ様、私ができない事をできると言ったことがありますか?」
やれやれだ、一度は敵対したのに、今は長年連れ添った相棒のような顔をする。
僕は最初から最後までシールに勝てなかったし、振り回されっぱなしだった。
でも今は、ひとまずの終わりを噛み締めよう。
そして祈ろう。
神になれなかった、哀れな巨匠のために。




