第七十五話
石の剣が輝きを帯び、その振り抜く瞬間に大いなる力が引き出される。直下に向かう光の刃、都市群にも見える構造群の一画を吹き飛ばす。
「スラスター出力の限界を解除! 限界までふかせ!」
全身から噴き上がるのは虹色の風。ベーシックが加速を得て上昇してくる岩塊を回避。無重力環境において岩塊は減速せず上昇。その回転するさまが奇妙な空間感覚をもたらす。
土煙の中に青の光。シートウェイトの操作で瞬時に回避行動。レーザーが肩部パーツをあぶる。
持続的な光条。宙に浮き上がった岩塊を砕き、遥か上空まで焦がすサーチライトのような眺め。スラスターの出力でメインフレームまでがきしむ。
集中しろ。やつはこちらを確実に狙う。光の動きを察知して動け。ベーシックの五感を己の五感に置換しろ。
「スラスターのリミットを解除したか、厄介なことを」
イオンスラスターの最大推力は一基あたり140キロとされている。しかしベーシックゆえの設計思想か、スラスターの最大推力はその10倍だ。
その総推力、実に60トンを超える。
右腰と左膝のスラスターが爆散する。オートでの姿勢制御が一瞬遅れる。
「ぐっ……ダメージ箇所を表示」
むろん、そんな推力でスラスターが耐えられるのは数秒だ。だが。
「花咲き乱れ罪過を癒やす」
爆散してチリとなったスラスターが戻って来る。飛来する短剣のようにベーシックに突き刺さり、瞬時に復元。マエストロが拳を戻し、眉をしかめるのが見えた。
「癒やしのまじないの連続使用か、羽虫のあがきにしても見苦しい」
知ったことか。マエストロ、お前をここで討つためならば――。
「ならばこちらも繰り出そう」
視界の端。ビル群の中から突き出す影がある。
一見すればそれは直立する棺桶。次の瞬間には黒い外殻が爆破され、中にいたモノがマエストロへ向かう。黄金の美青年が飛び上がり、飛来する影がそれを飲み込むまで一秒。
現れるのは異形。4本の腕にそれぞれ剣を二振り、盾を二枚持つベーシック。昆虫のような、あるいは地獄に住まう骨だけの怪物のような。
「ベーシック・マハーカーラ……やはり待機させていたか」
「太古の時代。星皇銀河に超高速文明圏が形成されるよりも前。人類が、その発祥の地である一個の惑星に留まっていた時代の神の名だ。その名の意味するものは死、あるいは、時を超越せしもの」
やつからは盾を一枚ぶんどったはずだが、やはり二枚持っている。やつが巨人の遺物をいくつ確保しているのか、あまり想像したくない。
「ナオ少尉、以前にした話を覚えているか」
「何のことだ!」
「マハーカーラについてだよ。私はどう説明した?」
――覚えている。
やつとの会話は忌々しいものだが、僕はもう言葉をやり過ごしたりしない。
「……かつて存在した星皇発祥の星。思惟の力にて無限の力を引き出すこの星の理、その環境に最適化された機体」
「その通り……」
スラスターをふかしながらの空中戦。マハーカーラの二本の剣は奇っ怪な軌跡を描いてアグノスを狙う。鼻先をかすめるのは石の切っ先。
こちらの攻撃はまるで城門に立ち向かうかのようだ。二枚の石の盾は上下左右からの攻撃に対応する、あまりにも重厚な防御。
「……星皇発祥の地とは、つまり、この星、ヒラニア・ガルバ」
「その通りだとも、ナオ少尉」
――待て、それはどういうことだ。
星皇は時間を遡ってこの惑星に至り、ヒラニア・ガルバと融合した。
ヒラニア・ガルバは写し身を作り出し、時を超越して星皇銀河に至った。
星皇は竜皇となり、竜皇は星皇となった、だと。
「お、お前は、どこから、始まっている」
「遥かな時の彼方から」
警告音、これは火器管制反応! アグノスが盾を繰り出す瞬間に有線誘導弾が火を吹く。盾の向こう側で炸裂する巨大な爆発。アグノスが下方の大地に叩きつけられる。
「平伏せよ。私は始まりであり終わりであり、この世のすべてである」
目の奥に火花が散る、慣性レジストが衝撃を殺しきれていない。
続けざま、全方位モニターに爆発物反応。投下されるのは47ウェイト地殻地雷!
「とっ……跳べ!」
薬圧サスペンションによる膝の爆発的伸長。数十トンのエネルギーを受けた機体は砲弾のように飛ぶ。そして元いた場所には百メートルもの火柱が打ち上がる。
頭部に凄まじい衝撃。全方位モニターが明滅するのは電気系の異常か、それとも意識が飛びかけたのか。
1秒後に状況認識。大地に突き出た柱のような構造物。これはヒラニア・ガルバの指だ。それに当たって止まったか。
どろりと、顔に生暖かいものが流れる。頭を打ったか。
ベーシックを包む薄桃色の光。機体のダメージを鎧のまじないで癒やす。頬の内側を強く噛んで意識を失うまいとする。だが僕の肉体には反映されない。僕自身はまじないを使えないからか。
「そろそろ限界だろう? ナオ少尉」
マハーカーラは悠然と歩いて近づく。
どうする、どうすればやつを討てる。
白兵戦の能力も、武装も、まじないの力もやつのほうが上だ、どうすれば……。
「お前はよく戦った。何も恥じることはあるまい」
それは本当にそう思っているのか、あるいはこれ以上の抵抗を鬱陶しく思ってのことか、マエストロが頭を撫でるような声を出す。
「お前は作戦をよくこなした。本来の実力以上の力を出した。それで負けるとしてもお前の責任ではあるまい」
腕が震える。
やつの言葉を聞いてしまいそうになる。負けても仕方ないのだと――。
「どうすればいい」
がん、とコンソールに頭を打ち付ける。開いている傷に激痛が走る。
「どうすればいいんだ! どうすれば!」
探求者は立ち上がり剣を構えるが、それが精一杯の虚勢なことは明らかだった。マハーカーラは少しだけ距離を取り、どうやって仕留めるか思案するかに思える。
「やつが! やつが悪魔だとしても、負けられない! 倒れるわけにいかない、どうすれば……!」
――悪魔すら出し抜ける。
はっと気付いた瞬間、景色が変化している。
すべての音が遠くなっている。全方位モニターに映るのはどこかの荒野。
音のないリラクシーヴィジョンを見ているような。水中にいるようなふわふわとした感覚。モニターに映るのは女傭兵。
「悪魔すら出し抜けるのよ」
「そういう話をしたいの、生産兵さん」
ワイナリーが何かを話している。
これは、いつかの作戦行動の時の記憶。
僕はハッチを開ける。女傭兵は嬉しそうに微笑む。
「悪魔を出し抜くって、何の話だ」
「もちろん、知恵を絞るって話よ」
「ワイナリー、何の話をしているんだ? 星皇陛下を悪魔呼ばわりなんて、軍法会議ものだぞ」
「違うってば。奇妙なことはそこらじゅうにある。星皇銀河に漂う説明のつかない違和感。この宇宙が始まったときからあるんじゃないかと思えるような不可思議さ。この世の不条理。私が悪魔と呼ぶのはそういうもの」
ワイナリーは星を振り仰ぐ。無限に広がる星空。野営の焚き火の煙がゆっくりと天に登っていく。
「いつか私達はそれに衝突する。私かもしれないし、生産兵さんかもしれない、それに直面した時、どうやって立ち向かうかって話よ」
「どう立ち向かうんだ?」
「人生の最大化」
ワイナリーは椅子代わりの岩に腰を下ろし、指先で手招きをする。
「悪魔に立ち向かうには知恵が必要。知恵を支えるのは経験。でも一人で蓄えられる経験には限界がある。だから私達は話をする。話をして互いの人生を交換しあう」
「会話で交換できる情報なんて高が知れてるだろう」
「そうでもないわ。情報とはものの見方、見方が変われば自分の経験にも違う意味が生まれる。ブラッド少尉の動きを見たことあるでしょ。あの動きが実在すると知っているだけで訓練の濃度も変わってくる、そういうものよ」
僕はコックピットを降りてワイナリーの向かいに座る。彼女は僕の腕を掴むと、なぜか僕の隣に座り直す。
「いい心がけよ、生産兵さん」
「ようするに話をしたいだけなのか……? 早く眠らないと明日の作戦行動に影響が」
「まあまあ、こんな話を知ってる? どこかの都市で七色に光る円盤が飛んだの、別の都市では目には見えず、鏡にしか映らない大きな鳥が……」
コックピットにとどろく警告音。
「!」
行動は起こせている。25ミリチェーンガンの連射を回避、無意識の動きだった。
「今のは……」
過去の記憶? いや、あんな会話はなかった。
幻覚か? 血を流しすぎたのか?
「生産兵どの、次が来るぞ」
! 声に反応してレバーを引く。半身に避けたところを銃弾がかすめる。
マハーカーラの肩部にて小爆発。生み出されるのは有線誘導弾。あっさりと音速を超えて迫る。コックピットに漂うのは煙草の煙。紙巻き煙草をくゆらす傭兵の気配。
「有線誘導弾は何回となく使ってきただろう? 接敵から爆発までのタイミングをよく思い出すんだ。盾のまじないの発動範囲はおよそ150メートル。猶予時間は0.3秒ってところだな。冷静になればミスりようがない」
「炎の厄災は盾の前に散る!」
盾から広がる不可視の波動。あらゆる燃焼現象を抑え込む力。盾を直撃した弾頭は砕け散り、周囲に散乱する。
「スモーカー……!」
コックピットの中を見回す。あいつの声が聞こえた、なぜ。
マハーカーラがスラスターをふかしている。遠距離攻撃は不毛と見たか、二つの腕で剣を、二つの腕で盾を構えつつ飛んでくる。
「不細工な姿だねえ、そう思うだろう? 生産兵の兄さん」
「! ブラッド少尉……」
声だけではない、ブラッド少尉がすぐそばにいるように感じる。僕の肩に手を置き、レバーに無骨な手を添える。
「人間とは完成されたデザインだ。浅はかな知恵なんか及びもつかない。腕の数が多ければ強い? 失笑ものだねえ。そら来たぞ、何のことはない、左右に回り込めば剣は一本しか届かない」
水平移動。やつの剣を打ち落としつつ回り込む。
「いいかい生産兵の兄さん。二つの剣だけならともかく、二つの盾を持ってることが致命的なのさ。あの盾は剣の動きを大幅に制限する。何よりパイロットの処理が追いつかない。あの盾を利用するのさ。盾の影に隠れるように動くんだ」
見える、マハーカーラの動きが。
変幻自在と思えた剣技はよく見れば不自然さが見え隠れしている。盾が邪魔でカバーできない範囲が生まれている。
また、誰かの声が。
「忘れないで、すべての攻撃にまじないが乗っているわけじゃない。ベーシックなら物理打撃なんかで破壊されない。耐えられる攻撃のほうが多いんだ」
「ベア少尉まで……」
大柄で心の穏やかだった人物。彼の感覚が僕に伝わる。どの攻撃を盾で受けるべきか、どの攻撃は浸潤プレートで受けても問題ないのか。
肩への一撃。だがまじないは乗っていない。不自然な角度での斬りつけは浸潤プレートを切断するに至らない。
スラスターをふかす。体重をかけて踏み込む。やつの盾の間に体をねじ込む一瞬。剣のまじないを発動させる。
ざん、とやつの腕の一本を切り飛ばし、さらに斬り上げようとした刹那に機体を打つイオンの風。
マハーカーラが後ろに飛び、そして腕も復元している。
「悪あがきをするものだ。力の差が分からないのか」
「それほど差は大きくないぞ、マエストロ」
理解できてきた。これはやはり僕の記憶。
これまでに積み上げてきたもの、思い出そうとしたもの、想像したもの、それが人格となって囁いている。
他者と交わった経験。
軍人だった頃は重視していなかった、取るに足らないと思っていた。そんな僕の中にすら、こんなに――。
「マエストロ、お前が星皇であり竜皇だというなら、なぜ星皇軍でベーシックを作った、なぜ竜皇軍で衛竜を作った」
「……」
「分かっているぞ、お前は巨人こそが人間の進化した姿だと考えた。最も素晴らしいと感じた姿なんだ。それは恐怖の裏返しでもある」
「黙れ」
「巨人族ザウエル、彼等を滅ぼしたくせに、その輝きを求めてやまない。だがどれほど巨人の模倣を作っても足りない。巨人族ザウエルの持っていた精神性が理解できないから。お前にはないものだから!」
「黙れ!!」
マエストロ、こいつはやはり、どこまで行っても人間。
退屈だとか、滅びを望むだとか、すべてを裏から操るだとか、言葉は大層なものだが、小悪党さがにじみ出ている。神とすら呼べる力を手に入れながら、やることは人形遊びか。
今ならわかる、こいつがなぜ記録に執着したのか、写真や映画を求めていたのか。
こいつは、自分が持っていない精神性を求めていた。
だが、人間を見下していたお前には、何も手に入れられなかった!
マハーカーラが迫る。感情の高ぶりのためか、二つの剣を背につくほど振りかぶっている。
「さあ、今よ生産兵さん。怒りに染まった神様はただの獣に過ぎない」
囁くのは酒杯を仰ぐ魔女。ワイナリーが僕の背中に手を添える。
まじないを剣に宿す、目の前の地面を斬り、大量の土砂を無重力環境に巻き上げる。
「目くらましなど!」
クロスする二つの刃。見事にベーシックを斬り裂いたと感じただろう。やつの会心の手応えが僕にも伝わるかのようだ。
「はっ……」
敵を仕留めた一瞬、いくらやつでも油断が生じる。笑いが漏れる。
だが忘れたかマエストロ、ベーシックには背面にも緊急ハッチがあることを。
崩れかけるアグノスの体を足場にして飛ぶ。僕が握るのは星皇軍のナイフ。
「ベーシックは僕たちの新しい体。名前を与えられたもう一つの自分」
「力を意識せよ、空間を飛び回る光の粒を、それこそがまじないの力だ」
共に飛ぶのは二人のレオ。金巻毛のあどけない印象の人物と、歴戦の武人。
「ベーシックがまじないを使えるのは邪念がないからだ。ベーシックは純粋な心で世界の光を感じている。ベーシックにできることは、君にも必ずできる」
「目を凝らせ、すべての力の流れを見よ、世界にあふれる光を我がものとするのだ!」
そう、今なら。
多くの人と出会い、様々なことを経験した今ならば。
探求者である僕ならば。
マハーカーラが僕に気づく。だが振り抜いた剣をすぐには戻せない。腕が邪魔で盾を持ち上げられない。そして僕は、腕の隙間からやつに肉薄――。
「あらゆる竜を断つ光を!」
ナイフから放たれる光。それはマハーカーラを斬り裂き、大地を斬り裂き、オーロラとなって世界の隅々にまで届くかに思えて――。




