第七十四話
ベーシックに装備されてるイオンスラスターは標準で48基、虹色の風を噴いてベーシックが離床する。
「あらゆる竜を断つ光を!」
剣を抜くと同時にまじないを発動。抜き放つ動きが光の弧を描き、屋根を一息に吹き飛ばす。
プロジェクターが破壊される瞬間の電磁波、スパークする電線。竜皇がわずかに眉をしかめる。
「ナオ少尉、お前は終幕にふさわしくない」
「あ前の基準など知ったことか!」
探求者が飛び上がる。視野の向く先に転舵し加速。大きく弧を描いて加速する。加速度が僕の脳にハイをもたらす。焼けるような足の痛みはそれでも消せない。
竜皇に向かいつつ剣のまじないを発動。やつは身を伏せて横薙ぎを回避。
やつの操る砂は煌星竜を構成する微小機械。竜を斬り裂くまじないは防げないはず。
そしてやつから攻撃はさせない。高速で飛びながらヒットアンドアウェイで攻める。
直上へ加速。機体が風斬りの音を放つ。ホップアップからの急降下。剣のまじないを発動させ、斬る!
ぎん、と、凄まじい衝撃。機体が数メートルもスライドするほどの。
アグノスは肩を地面にぶつけつつも素早く転回、体制を立て直す。竜皇が見せるのは光を纏う手刀。
「まじないを……まじないで受けた!」
そうか、剣のまじないはすべてを斬り裂く、ただし、同じまじないの光だけは例外なのか。
だ、だが、2.4トンあるベーシックが高速起動下でかけた斬撃をいなすなんて。
やつの腕に青い光。
「!」
動物的な直感。脚部の薬圧サスペンションを作動させて横に飛ぶ。建物のいくつかを半壊させる。空間を突き抜ける青い光条。
「KBハドロンレーザー……!」
「光条竜という竜は生物でありながらそれを行使した。竜皇軍が生み出した竜でもあるが、これもまた異界の存在。ヒラニア・ガルバにより集められた力だ」
それを……それを生身の人間が使うというのか。巡洋艦の複合装甲すら撃ち抜く出力を!
「ナオ様、そちらの戦いを光学認識できました。援護いたします」
全方位モニターからシャッポの声。直後に数本の光が竜皇のいた建物に突き刺さる。
重水素レーザー、X線レーザー、対デブリ用の武装。
瞬間、レーザーがほぼ直角に打ち上がる。鏡に反射するように。そして遥か上空で岩盤の内側に衝突する。無重力に近い環境では岩が落ちてくることはない。
「……光を曲げる力」
それは自明か。こいつは太母のように姿を消してみせた。太母にできたことが全てできるなら、レーザーを曲げることも可能なのか。
「シャッポ! 畳みかける! 僕に当たることも厭わず撃ち続けてくれ!」
こいつがどれほど強かろうと関係ない! 今ここで! どうしても滅さねばならない!
石の剣と盾を構え、探求者が仕掛ける。足の出血はなお激しさを増す。戦意を高めて意識を繋ぎ止める。
竜皇がすべての竜の力を持つとしても、この星の頂点の強さとしても、ヒラニア・ガルバを己の肉体にしようとしていても。それでも――。
趨勢は、170秒後に決した。
「がっ……」
アグノスは全体の三割をえぐられ、スパークと黒煙を吐いている。
シャッポからの通信は途絶した。距離を置いているとはいえほんの数キロ、竜皇から放たれるKBハドロンレーザーを防ぐすべはない。ノチェの乗るフルングニルも応答しない。大破したのか、パイロットが意識を失ったのか。
そして竜皇は、退屈そうに肩をすくめる。
「哀れなものだ、巨人族ザウエルには遠く及ばぬ」
腕を組み、直上に視線を伸ばす。シールの到着を待っているのだろうか。数百キロもの縦穴を下っているはずの彼女を。
「お前……」
意識が消えかけている。
すでに鎧のまじないは何度も使った。アグノスに残っているCエナジーも尽きてしまった。
これほどに容易く、圧倒的に蹂躙されるのか。
これが竜皇、これが星の頂点。
これが……。
「お前、マエストロだろ」
僕の言葉に、最初は沈黙だけが返る。
竜皇は僕を無視しようとしている。
「竜皇のフリをして……何をやってる。それともお前が実は竜皇だったとでも言うのか」
答えは返らない。
だが見えている。やつの眼輪筋が苛立たしげに震えていることを。やつの思い浮かべる「劇的なる」場面にノイズが生まれている。
「姿を現さなかったのはそのためか。万一にも自分がマエストロだと見抜かれたくなかったからか」
「無粋だな、指摘するにしてもタイミングを考えろ」
吐き捨てるように言う。
「私はなるべくなら舞台に上がりたくなかった。私の予想ではこの場所に最初に辿り着くのはシール嬢であり、私と華々しく戦うはずだった。ナオ少尉、お前にも見せ場は用意していた。リヴァイアサンとベーシック・マハーカーラこそがお前の戦う最大の敵だったはずなのだ」
「……? 何を、言っている」
「あきれた男だ。というより本当は見抜いてすらいなかったな。漠然と口に出してみただけか」
なぜ竜皇にマエストロを感じたのか、言語化は難しい。
強いて言うならわずかに漏れていた感情だ。
弱者を見下すような、それでいてつぶさに観察するような目。すべてを貪欲に見届けようとする目。会話を劇的なものに演出しようとする言葉遣い、立ち振る舞い。
他にも理由はなくもない。リヴァイアサンがあまりにあっけなく敗北したこと。マエストロの駆るベーシック・マハーカーラの姿が見えないこと。
だがやはり、結局は勘だ。僕の魂のどこかが奴を感じ取った。
なぜこの場において、それを指摘したのかもよくわからない。僕がドラマの登場人物ならば、本来は言葉で説明すべきでないことを説明したのだ。竜皇は蔑みの視線を投げる。
「いつから……成り代わっていたんだ」
「時空間移動。すべての因果を覆す究極の技術。星皇銀河を統べる星皇という人物は、銀河質量の4%というエネルギーを用いてそれを実現した」
「……」
「多次元干渉生命体、ヒラニア・ガルバを乗っ取った星皇は悠久の寿命と強大な力を得たが、精神はいまだ人間だった。巨大な時の流れは彼に退屈を与えた」
星皇……星皇陛下だって。
「彼はすべての経験を欲し、その中には己の滅びすら含まれた。写し身としての肉体を作り出し、元の時間軸に自らを送り出した。星皇軍に対抗すべき組織を生み出し、太母の力を造兵の技術として与え、自空間跳躍の技術をストリングシフト兵器として与えた。青き旗の元に集いし賢者たちも理屈は分かっていなかった。ただ星皇が時空移動を果たしたことだけは理解させた。過去へ向かったと思わしき星皇を討つため、同様の力を一度だけ再現させた。そのドラマの中で星皇軍の一人が重要な意味を持った。その人物は貴族の血脈でありながら道楽のように軍人を務め、青旗連合に内通し、技術と資金を横流ししていた人物でもある」
「……! お、お前……!」
「作戦は決行された。小惑星にて行動中だった小隊メンバーをストリングシフト兵器によってこの時代に送り込んだ。数十年という間隔をおいて様々な場所と境遇が彼等を襲った」
その話は。
それはもはや、人間の尺度を超えている。
こいつの語っている言葉が、その物語がもし本当なら、こいつは。
あらゆる場所にいる。
「彼等の生き様は私に様々な経験を与えた。実に有意義な時間だったが、不満もなくはない。竜狩りの巨人は素晴らしい才能の持ち主だが、あまりに慎重すぎて物語が進まなかった。スモーカーは素行が悪かった。領主を殺してその地位につくなど英雄の資格なしとしか言えない。ブラッドも、ベアも、レオも、ブルームも、ワイナリーも、それぞれの物語を生きたが、星の中枢に向かおうとする者はいなかった。レジスタンスには期待もしたが、やはり力不足だったな」
こいつは、この世のすべて。
こいつの言葉が本当なら、竜皇も、星皇も、星の神をけがした存在も、青旗連合も。過去と未来を渡る銀河の物語も。
すべて! こいつ一人の手のひらの上だというのか!
地の底の悪魔。
人間世界など問題にならぬほどに、悪意の桁が違う。
「そう絶望することもない、ナオ少尉」
希薄な感情で、淡々と語る竜皇の声。
「私は経験してみたかったのだよ、己を倒しに来る存在というものを。少し長い寄り道だったが、ようやく当初の計画に戻るだけだ」
「お、お前……もう、とっくの昔に」
「ヒラニア・ガルバとの融合のことか? 達成しているとも。私の主観時間では何百年も前のことだ」
ココは、それを阻止しようとして倒れた。
ココの決死の覚悟すら、こいつの退屈を慰撫する一幕に過ぎないと言うのか。
「最後の退屈しのぎもこれで終わりだ。私は間もなく生まれる」
竜皇は、マエストロは頭上を示す。
「星の殻を割り、一個の生命として宇宙を渡る。お前たちには大した問題ではない。私の体を清める生命としての人間は生み出し続ける。人間もそうだろう。その皮膚には一兆個もの常在菌を飼っているのだ」
言葉が。
言葉が生まれてこない。
何を言おうとしてもそれは砂のように手からこぼれてしまう。
戦う、逃げる、屈する、抗う、もがく、謙る、立ち向かう、強がる、意地を張る、勇気を示す、ただひたすらに策を練る……。
何一つ意味を持たない。僕とベーシックにできることは何もない。
すべては最初から決まっていたこと。僕たちがこの星に送り込まれたことも。様々な出会いを経てきたことも。巨匠の戯れに過ぎないのか。
ワイナリーの言っていたこと、悪魔の求めるものは何か。
星皇陛下はその権勢の果てに何を求めたのか。
それは、文字通りすべてをコントロールすること。
寿命も、力も、巨大な時間軸での栄枯盛衰すらも……。
膝をつく。もはや姿勢を制御できない。
僕の手は紙のように白く、視界は霞んでいる。気力が失われるとともに、僕の生命まで手からこぼれていく。
「そこで見ているといい。次は竜狩りの巨人との戦い。この星で最後の有意なる物語だ。果たしてこの写し身を打倒せしめるか。多少は興味が引かれる」
シール。
その名が、遠ざかる意識の中で響く。唇が意識せずにその名を繰り返す。
「シー、ル……」
シール。
シール。
何度も。
何度も呟いて。
「シール……」
なぜか、胸に去来する思いがある。
それは肯定的なものではない。
言ってみれば不安。
胸がざわめく。横隔膜がせり上がるような、不気味な未来を畏れる感情。
形を持たない予感がある。僕は雲のかけらを集めるようにそれを言語化する。
「……だめだ」
石の剣を頼りとして立ち上がる。ベーシックの各部からオイルが流れている。
「……ふむ? 何がだめだと言うのかね」
「分からないのかマエストロ、彼女は天才だ。自分一人の力で運命を切り開いてきた」
「ある程度は見てきたよ、彼女は実に優秀だ」
「その彼女が、お前の正体を察していないと思っているのか。何の策もなく竜都に攻め込み、縦穴を下っていると思うのか。なぜ彼女は二年も待ったのか。なぜ竜都に攻め込んだ直後にはすでに縦穴にいたのか。お前の予想よりも彼女は多くのことを識っている」
マエストロの視線がこちらを見る。鬱陶しいものを目で消さんとするような視線。
「何が言いたい」
「彼女はなぜ僕たちに敵対したのか、なぜ何もかも自分一人でやろうとしたのか」
人並みの幸せを見つけてほしい、彼女はそう言った。
だがもし、彼女が竜皇の正体に気づいていたなら、竜皇がいずれ星の殻を破ると知っていたなら、戦いから遠ざかったとしても人並みの幸せなどあり得ないと分かるはず。
なのに彼女はレジスタンスと協力しようとしなかった。二年近くも、各地で竜使いを打倒するのみだった。
彼女には時間が必要だった。そして今、その刻が満ちたのだとすれば。
「シールは、お前を倒す手段を用意している」
「……」
「お前は言った。ヒラニア・ガルバと融合しても精神は人間だったと。つまりお前の精神も知性もただの人間。本当の天才には及ばない」
「惑星に等しい私をどうやって打倒する」
「かつて巨人族は滅ぼされた。星の竜、ヒラニア・ガルバに滅ぼされたんだ」
竜皇がぎしりと歯を鳴らす。言葉が逆鱗を探り当てようとしている。
「それは滅ぼす必要があったからだ。巨人族ザウエルの力は、巨人のまじないは、星の神にすら届きうる。ならばベーシックもだ。ベーシックが石の剣を操るとき! その力は神にも届く!」
竜皇が腕を突き出す。一瞬で形成される竜の頭部。口腔の奥に青の光。
「薬圧サスペンション最大!」
脚部が爆発するような衝撃。それは錯覚ではない。ベーシックの足はもはや最大出力の跳躍に耐えられなかった。
アグノスは数十メートルの高さに飛び、回転する。無重力環境に近い世界で僕は上昇を続ける。
「飛び上がった……? 時間稼ぎにすらならんぞ」
竜の口を構えるのは金色の美青年。狙い撃ちにするつもりだろう。
そうだ、狙える。宙に浮いている僕なら。
僕たちの仲間ならば。きっと。
彼方からの光条。
青の槍がベーシック・アグノスの肩部を撃ち抜く。
舞い散るは薄片。紋様を刻まれた光線撹乱材。
銀色の嵐に包みこまれる瞬間、再度の光がベーシックを撃つ。
それは撹乱されると同時に濃密なエネルギーの大気となり、Cエナジージェネレータがそれを吸収。瞬時にタンクを満たす。
「花咲き乱れ罪過を癒やす!」
叫ぶのは鎧のまじない、ベーシックのすべてのパーツが迅速に再生、形状を取り戻していく。
「……狙撃手が生き残っていたか。無駄なこと、何度でも打ち砕くまで」
分かっている。お前はまさに星の神。
だが、それでも、シールに委ねることはできない。
彼女が選択する未来、彼女が到達する結末には不安がある。それだけは拒絶する。
いくぞマエストロ、これが最後だ。
「あらゆる竜を断つ光を!」




