第七十三話
ウィルビウス、その名が示すものは森の神。
その身を覆うのは紙と木の鎧。優美な曲線により構成され、千万の葉が茂るような豪華さを持つ鎧。ドワーフたちが糊で何百枚もの紙を貼り重ねて作ったものだ。
防御力ではさすがに浸潤プレートに及ぶべくもない。だがその姿は無骨でシンプルなベーシックという枠組みを脱却し、異なる文化圏の機動兵器にも見える。
それが回転。
右足一本に重量を預け、倒れ込むような動作の起こりから生まれる回転。勢いが胴体から腕、腕から拳、拳から薙刀、さらにその先端へと鞭のように伝わる。
「ふっ!」
ばあん、と空気の弾ける音。地面すれすれをかすめる薙刀が音速を超える。石粉を巻き上げる。竜皇は影だけを残して後方へ。
ベーシックから見れば虫のように小さい的を捉える連撃。振り抜いた勢いがそのまま次の攻撃に。
「華麗なことだ」
竜皇はどんな目をしているのか、残像すら見えない薙刀をわずかな移動で回避している。あるいは黄金の砂を手に集めて防ぐ。
粘液のようにも煙のようにも見える砂。薙刀に絡みついて動きを止めんとした時、ウィルビウスは薙刀を捨てて竜皇に迫っている。全重量を乗せるような拳。
竜皇は回避か防御かの逡巡をしただろうか。砂の固定を解除して後方に行かんとする。
「喰らいな!」
右拳、続けざまに左。竜皇は紙片の舞うごとくかわす。薙刀がウィルビウスの足元に落ちる瞬間、膝関節のあたりに触れ、ウィルビウスは足でそれを跳ね上げ、回転を。
ざん。
竜皇の頬を刃がかすめる。重量300キロを越える特大の薙刀。むろん切り傷ではすまない。頬の皮膚と顔面筋と、歯と顎の骨を砕いて散らす。
今の動きは奇妙だ。ウィルビウスは腕を振っていない。腕の動きと無関係なタイミングで薙刀が飛んだ。
おそらく、としか言えないが、ウィルビウスが振りかぶって背中を見せた瞬間、薙刀を鎧の装飾の一部に引っ掛けたのか。
「なるほど、戦士だ」
常人なら即死してもおかしくない傷。だが、僕の見る前で頬の傷は一瞬で埋まり、逆再生のように皮膚が復元する。
あれは鎧のまじない。原理としては石板の隷属と、微小機械の支配にも通ずるもの。己の肉体すら支配下に置くまじないだ。
剣のまじないが破壊の極致なら、あのまじないはまさに創造の極致。複数の生物を一つにまとめ上げることすら実現する。
「ち、やっぱり回復するのかい。脳を吹き飛ばさなきゃ駄目だね」
「やってみるがいい」
竜皇が仕掛ける。手刀を振るう瞬間それは光を帯びる。ベーシックの倍ほども大きい武器が振るわれる感覚。かるがると床を吹き飛ばす。
頭上からの閃光。天井面を埋め尽くす映像から青い光が放たれ、この空間をストロボのように照らした。
仕掛けているのはリヴァイアサン。その半透明の胴体にて青白い水晶片が集まり、組み合わさって首長の竜となり、それをシールたち三機に向かって伸ばす。口腔から放たれるKBハドロンレーザーの光。
三機が同時に反応する。シールが盾を構え、他の二機はその影に滑り込む。盾が光を散らす瞬間にその二体が飛び出し、光条竜の頭部を切り落とす。
装備しているのは石の剣ではない。ベーシックの装備の一つ、破壊工作用のハンドアックスだ。
「あの動き……」
さらに数本の首が生えてくる。三体のベーシックをそれぞれ数本の首が狙う。持続的に放たれるレーザーが壁面の都市を粉砕し、破局的な勢いを得た瓦礫が下層のあらゆるものを粉砕していく。三機のベーシックが岩雪崩の中を下降している。
「シャッポ、キャペリン、見えてるか」
装備しているインカムに呼びかける。
「ベーシックのカメラ越しに見とるで、あいつらとんでもない練度やな。シール以外のパイロットを2人も育成しとったなんて」
「いいえ違います。ナオ様、あれは半自動操縦ですね」
シャッポは気づいたか。長くベーシックに乗ってる僕ならば分かるが、シールに同行している二機の動きは人間の操縦とは違う。
「あれは息が合いすぎてる。おそらくシールが3人分動かしている」
例えば作戦行動中の僚機が、何らかの理由でパイロットを欠いた場合、同行していた人間がベーシックを持ち帰る必要がある。そのためにベーシックは遠隔操縦も可能な仕様がある。
だが、それは単純な行軍動作を行えるに過ぎない。高速で飛行しながらレーザーを回避し、接近戦をやってのけるとは。
リヴァイアサンから何かが射出される。黒い線を曳いて飛ぶミサイル。
有線誘導弾か。あの狭い空間で。
もちろん内部の炸薬は戦艦を損傷せしめる威力。あの縦長の空間を火炎が埋め尽くすだろう。どこに逃げる。
リサナウトが盾を突き出す。ミサイルが迫る。脇を抜けて二体のベーシックが上に。シールの盾にミサイルが触れる刹那。
何も。
何も起きない。ミサイルは盾にぶち当たって砕け、破片だけが砂時計のように落ちていく。
「何や今の、不発したんか?」
「……違う、おそらく盾のまじないだ」
炎を打ち消し、あらゆる燃焼現象を抑え込む盾のまじない。それをミサイルが爆発する瞬間に使った。おそらく炸薬に点火する瞬間のスパークプラグを沈黙させたのだ。
そして飛び出した二体が、リヴァイアサンの胴を一撃。ジッパーを開くように薄膜を切り開く。
光条。生まれかけていた竜の頭が光を放つ。収束していない目くらましのような光、突撃をかけていた二機のベーシックの表面を焦がす。
一瞬動きが止まる所に四方からの光。リヴァイアサン自身が傷つくことも厭わない攻撃。ベーシック二機が粉砕され、小爆発を起こしつつ落下。
シールが。
リサナウトが飛翔。リヴァイアサンに肉薄し、鎧のように連結されていた石板が、奇妙な磁力的つながりを見せて広がる。恒星と惑星の関係のように一定間隔で展開する刹那、その内部を薄桃色の光が満たす。
二機のベーシックが再生する。完全に砕けていた機体が復元され、駆動系も電気系も一瞬で取り戻し、イオンスラスターをふかして三方に散る。いくつかの光条竜の首を切り落としてリヴァイアサンが咆哮を上げる。
「鎧のまじないか、すさまじい……」
切断と防御、そして復元。巨人のまじないと、ベーシックの操作系を完全に使いこなしている。三機同時の操作であの連携。星皇軍のエースパイロットでも不可能だと断言できる。
特に驚愕すべきは有線誘導ミサイルを盾のまじないで防いだことだ。まじないの展開がほとんど目視できなかった。一秒の何分の一かという精度で、ミサイルの爆発するタイミングを見切ってまじないを行使している。
「祈りの力を最小限に抑えるためか。しかも見たところ、鎧のまじないによる再生が異様に早い、ほとんど一瞬で……」
がきん、と皮膚が震えるような音。
戦場で何度か聞いた、ベーシックの浸潤プレートが破断する音だ。
ウィルビウスの右腕が吹き飛ばされている。回転しながら滞空する腕が僕の網膜に焼き付く。
「ココ!」
「まだまだあ!」
薙刀を左腕一本で振るい、離断面からスパークを散らしながら速度を上げる。黄金の砂が薙刀の切っ先を弾く。
「ココ! まじないを使って腕を治せ!」
だがココは止まらない。薙刀の隙間を縫って飛ぶ光の手刀、ウィルビウスの右腰をえぐる。傷は浸潤プレートまで届いている。
なぜ直さない。いや、それでいいと判断したのか。
ベーシックの腕一本、浸潤プレートの数枚、重量にして200キロあまり、その重量を取り除きたいと。
ウィルビウスの手首が回転。薙刀の切っ先がツバメのように踊る。
ざざん、と音が重なって聞こえる。竜皇の周囲で砂が散らされる。
あれは、手首の360度回転。機動兵器であるベーシックにしかできない動き。それを技に組み込んでいる。
いや、肩も、肘も、回転の力が速度となって薙刀の先端に伝わる。
僕はそれらを観ている間も、満身の力を込めて足を抜かんとしている。埋まっているのは右足、くるぶしから下だ。
「くっ……この足が」
抜けない。まるで鉄塊に溶接されたかのようだ。ココに加勢せねばならないのに。
「なるほど、武というものか」
竜皇がつぶやく。ココの連撃は一秒に数回という速度、今にも防御を抜きそうな速さ。
部屋全体が波打つような錯覚
黄金の砂の大部分が竜皇へと集まっている。それらは一個の生物のように連動し、伸び上がり、竜皇の全身を覆い隠すような黄金の城塞が。
イオンスラスターが噴気を上げる。七色の暴風が空間に吹き荒れる。ウィルビウスのギアがきしみ、その腕が一瞬で最高速に達する。
轟撃。
横薙ぎだ。およそベーシックに生み出せる最速の一撃。
動作の起きる瞬間に音速を超えている。それは防御の砂を突き抜け、摩擦の火花を散らし、築かれていた黄金の城塞を完全に両断する。
竜皇は。
「!」
いない!
両断されて形象を失う砂の中に人影がない。だが陽炎のような、揺らぎが。
がうん、と、破滅的な音が。
光が視界の端に、ウィルビウスの機体が、上半身がずり落ちるような。
「ココ!」
竜皇はそこにいる。手をさっと払えば血糊が地に落ちる。
胴部を大きくえぐられたベーシックが力を失う。それは、中にいる鬼人と同じく――。
迂闊だった。光を歪ませる能力。
太母が熱圏を創り出す能力の応用。この星――ヒラニア・ガルバが集めた能力の一つ。
「ナオ様、聞こえますか」
「シャッポ、ココが」
「聞いてください。その右足を抜く方法があります。ベーシックには生体ゲルが5単位搭載されて……」
背後のベーシックを見る。探求者は乗降モードのまま待機している。
竜皇はごく僅かに呼吸を早め、再生したばかりの頬を指で拭う。
「優秀だ。姿を消す力まで使わせたことは賞賛するべきだろう。だが想像を大きく超えるものではなかったな」
やつは頭上を見る。映像の中ではリヴァイアサンが四散しつつあった。三機のベーシックが全方位から襲いかかり、その巨体に確実なダメージを与えていく。
「あの乗り手も優秀そうだ。どうやら決着は目前の」
竜皇がこちらを見る。不思議に思っているのだろう。僕がベーシックに乗り込んだことに。
そして砂を見て察しただろうか。残されてるのは大量の血痕とブーツだ。
「うむ……なかなかに腹が据わっている。己の足を切り飛ばしたか」
星皇陛下から下賜されたテクト・セラミックのナイフ、まさか最初に斬るものが自分の足になるとは思わなかった。
今は感謝すべきだろう。骨すらもクッキーのように切り裂く鋭利さに。
むろん痛みは消せない。脂汗を垂らしながら奥歯を噛みしめる。
僕らの艦船に残っていた生体ゲルは多くはない。使用には技術が必要なので、アグノスが5単位だけ持っていた。足首から下を再生できるきりぎりの量。たとえ量が足りなくても切断面に当てれば分化すべき細胞を察知し、迅速に肉となって傷口を防ぐだろう。
だが。
外部射出スロットを開く。歩兵に物資を手渡すためのシステムだ。狙いあやまたず、射出されたものはウィルビウスの胴部の穴に吸い込まれる。
「! ナオ様! だめです!」
「ココ、通信が生きてたら聞いてくれ、そのゲルを傷に塗るんだ。ぎりぎりで命を繋ぎ止められるかもしれない」
コックピットの救急スロットから止血帯を取り出す。震える腕で膝の下を強く縛る。
「ナオ様! せめて1単位だけでも自分で使ってください! その出血は止血帯では止めきれません!」
心配いらない。このぐらいでは死にはしない。星皇軍には負傷時のメンタルコントロールのマニュアルもある。
そう言ってやりたかったが、先ほどココに呼びかけた声からして震えていた。強がりも言えそうにない。鼓動と同じリズムで激痛が走り、今にも意識が消し飛びそうだ。
それに自分で使う分の生体ゲルなど無い。すべてウィルビウスに投げてしまった。
竜皇は天井を見ている。もし即座に手刀で攻撃されていたら回避は不可能だった。やつは僕の状態を測りかねているのか、それとも興味もないのか。
頭上では青い滝のような眺め。リヴァイアサンの腹部に蓄えられた青い水晶片が落下している。リサナウトを含む三機はもはやそれには目もくれない、イオンスラスターをふかして下方へと加速をかける。
シールに干渉されるわけには行かない。ここでケリをつける。
「……システム更新。右のフットペダルを半自動操作に。イオンスラスターを高機動モードに。アイカメラ追従操作、補正を最大に」
全身から噴気が生まれる。ベーシックの巨体が浮き上がり、閉ざされた空間に砂埃が舞う。
もはや歩けない。
だが、ベーシックは戦える。イオンの風を操って飛べるのだ。
ならば僕も、この命が尽きるまで――。




