第七十二話
「妙な街だね、建物に窓もないし、日が出てなきゃ畑もやれないよ」
光源は一応ある。積み木のような建物の上部四隅が光を放っているのだ。その光源の位置のせいで建物には影ができない。輪郭だけの街に立体感が狂わされる。
「シャッポ、入口のある建物を見つけた、これから侵入する」
「お気をつけて」
それは街の中央、丸く平たい建物である。兵士たちの共同墳墓を連想する眺めだ。
入り口は大きく、スロープがついておりベーシックでも入っていけそうだ。マニュアル通りのクリアリング動作を行いつつ坂を下る。
天井の高さを意識、およそ16メートル。剣の取り回しに問題はない。
竜が。
黄金に輝く竜。小さくまとまった手足と翼、煌星竜だ。
それはホール状の空間の中央、翼で己を包むような姿勢で伏せている。
「客人か」
視線を伸ばす。誰かいる。
気高い印象を示す黄金の髪、筋肉質ながら透明にも思える白い肌、彫像のような細面。
およそこれほど美しい人間を見たことがないと思えるほどの美青年。それが白く簡素な椅子に座っている。
その人物は一枚の布だけを腰に巻きつけており、巻きスカートのように裾を自然に作っている。
奇妙な印象を持ったのは目のせいだ。その人物は目の色素まで薄く、黒目までも白に近いほど薄いのだ。
「……あんたは誰だ」
「竜の皇帝、人はそのように呼ぶ」
竜皇、この人物が。
「客人として歓迎しよう。その巨人から降りてはどうだ」
「降りるわけがないだろう」
石の剣を抜く。灰色の切っ先で竜を示す。
「心配なら無用だ。其なる竜の魂はすでに世を去った」
何だって。
竜皇を名乗った人物はゆるりと立ち上がって僕たちに近づく。
煌星竜の鼻すじに触れると、それはざざざと崩れていく。
頭も首も、翼も手足も、胴体も尾も、コインを絶妙なバランスで積み上げた置き物のように。
「もう役目を終えた。肉のつながりをほどき、魂を解き放った」
「……」
ぷしゅ、というエアハッチの動作音。ココのウィルビウスがハッチを開いたのだ。
「ココ」
「ここまでされて降りないわけにいかないさ。ナオは乗っててもいいよ」
少し悩んだが、いざとなればベーシックに音声命令も出せる。ベーシックを乗降姿勢にしてハッチを開いた。
「ふむ、ヒト族と鬼人の娘か。何故にこのような場所まで来た」
「決まっているだろう。ヒト族と鬼人に対する徴兵をやめろ」
竜皇は武装していないが、余分な脂肪がなく締まった体をしている。僕は白兵戦を意識する。ブラッド少尉との組手を何度か行った程度だが。
「徴兵は気に入らぬか。ヒト族には特に過酷な労働を強いているわけではないが」
「そうじゃない。男手のほとんどを奪っている。あれではヒト族が子孫を残せない」
「そのような段階はもう過ぎている」
竜皇はその場にかがみ込み、煌星竜が崩れてできた砂山を手でいじる。特に何の意味もなさそうな、子供っぽいとも言える動きだ。
「そのような段階?」
「ヒト族は滅びない。男女が交わって系譜を繋ぐ段階はもう終わっているのだ」
「何を言っているんだ」
「星の竜、名をヒラニア・ガルバという。黄金の胎児という意味だ」
竜皇は視線を床に伸ばす。その床石の奥にあるものを見ようとする。
この大地そのもののような巨竜、ヒラニア・ガルバ……。
「多くの世界と道を繋ぎ、知性と能力を取り込む竜。奇妙なものや苛烈なるもの、その中に生命を制御する力もあった。砂を操りて虫を、獣を、人を創造する力だ。このような竜もな」
「……」
「ヒト族は私が生み出していく。種の滅びを迎えた獣であろうと、太古の生物であろうと生み出せる」
「だから問題はないと言う気かい」
ココが言う。竜皇は僕とほぼ同じ身長、ココは見上げるほど巨大に見えるだろうか。
「ふざけるんじゃないよ。ヒト族もあたしたちも竜皇の奴隷じゃない。あたしらには愛し合って子を産む権利がある」
「そんな権利を与えた覚えはないが」
瞬間、ココの二の腕が膨らむかに思えた。
竜皇の顔面を殴り飛ばすのをすんでで思いとどまったようだ。まだ竜皇には言うべきことがある。
「問答は無用だよ。今すぐ竜都にいる人らを解放しな」
「ふむ」
竜都は眉毛をわずかに寄せる。ココの目を見て、しばらくの沈黙。
それは感情のない表情だった。パズルゲームに取り組むような、どう言えばこの生物に理解させられるのか思案しているような顔。
「竜使いを見たことはあるか」
「何度か見たがね、それが何だって言うんだい」
「竜と物理的に融合する者もいれば、竜を従順ならしめて騎乗して操る者もいる」
「知ってるよ」
ココは会話を苛立っている。竜皇は毛ほども気にしていない。
「星の海には機械の文明がある。か弱き生物が機械の獣に乗る、あるいは機械をおのが肉体として操る。行っていることは竜使いと変わらない。生命と機械は基準によっては同一のものだ。さらに言うなら、生命とは機械の部分集合に過ぎない」
機械は究極的には生物との差が無くなる。そういう考え方は星皇軍にもあった。素材に有機物を使用したロボットは存在するし、煌星竜のような機械とも生物ともつかない竜もいる。
それに煌星竜とは、僕たちの時代から数百年後の存在であるとも……。
ココは頭をがしがしと掻く。
「それが何だって言うんだい」
「大地を見よ」
その白く長い指を真下に向ける。表情は乏しく、あくまでも涼やかな声で。
大地……。それは、この巨大な竜のことか。ヒラニア・ガルバとかいう……。
いや。
待てよ。
「まさか……!」
「ヒラニア・ガルバは我が肉である」
この都市。
この積み木細工のような、窓も入り口もない銀色の構造物。走行するパイプワーク。エネルギーの循環。
星を覆う鎖。
これはまさか、コックピット。
「ありえない! こんな巨大なものを!」
「ヒラニア・ガルバに張り巡らせた鎖は神経である。我が意志は光の速度で全身に伝わる」
直径16000キロ。惑星サイズの生物。
それを人間が操るというのか。
ココも事態を認識したのか、厳しい表情は変えないものの、目の奥に揺らぎが見える。
もし竜皇の話が本当ならどうなる。レジスタンスの活動は、竜都に連れ去られた人々は。
この惑星に住むすべての生物は。
どうにもならない。星そのものとも思える巨竜を相手に何ができる。もはや抵抗とか反発などという言葉が意味を持たなくなる。
僕は己の想像が制限なく膨らむのを感じる。それを振り払うように声を出す。
「こ、この竜を操ってどうしようと言うんだ」
「より強く強大な存在となる。それは目的であり手段ではない。ヒラニア・ガルバと同化した我に目的など意味を持たない」
「まさかこの竜を動かすと言うのか! 地上にいる人々はどうなる!」
「問題はない」
一瞬の、顔のほころび。
竜皇が、そこで初めて感情らしいものを口の端に見せる。
ごく薄い、こらえきれぬような一瞬の笑み。
圧倒的というにも足りない力の差、大きさの差を噛み締め、ついこぼれ落ちたような笑い。嘲りの影。
「生物は、いつでも生み出せる」
こいつ――!
「我の肉体と、制御装置には補修が必要となる。そのためにヒト族も必要となる。必要な分を必要なだけ生み出せばそれでいい」
どうにもならない。
ベーシックでも、巨人のまじないでも及ばない。大きさが違うという、ただそれだけでも絶望的な。
「まだだよ」
真横にいたココが、声とともに姿を消す。
真後ろに飛んだのだ。そこには乗降モードになっていたウィルビウス。ココは後ろを見ることなく膝の部分に飛び上がり、吸い込まれるようにコックピットに。
「あんたをこの場で殺せばいい、違うかい」
「ふむ、確かにそうだ」
竜皇が返すのはやや疑問の色が混ざった言葉。そんなことを言い出すとは思っていなかった、という様子。
一見すると今の竜皇は隙だらけに見える。なのに何故だ、ベーシックと対峙していながら何一つ揺らぐ気配がない。
僕も走る。ベーシックに乗らねば。
がくん、と足が止まる。
何かが絡みついている。これは、金色の砂。煌星竜の残骸。
「鬼人の娘よ、それは戦士としての果たし合いか」
「ただの暗殺だよ、あんたが果たし合いにしたいならそれでもいい」
「ならば受けよう。そしてヒト族の戦士よ」
僕は足を抜こうともがく。だが抜けない。固まったコンクリートのようだ。
「何だ!」
「今、直上に二人の侵入者がいる」
天井が消える。
そう思ったのは映像に切り替わったからだ。この巨大な天井全体が液晶になったかのように。
それは都市だ。縦穴の中に築かれた縦方向に広がる都市。縦穴の中には梁のような通路が無数に渡され、あるいは床が作られて竹の節のようになっている。壁面のあらゆる場所をビルが埋め尽くし、まるでレンガで組まれた井戸のようだ。モザイク画のような大量の映像がそれを伝える。
「竜頸都市ナーガラージャ。かつては数億のドワーフが住んでいた。星を筒となして最大居住を果たした崇高なる知性。この世界に渡り、大半のドワーフは散らばったが、その統一された意志、真なる集合知のみが彼らに残った」
鎚妖精、彼らもまた別の世界から呼ばれた存在か。あの縦穴は彼らの住居であり、惑星に最大数の居住を果たすための立体構造……。
そこを下降する影。
三機のベーシック。一機は剣と盾、石板の鎧と兜を装備している。あれはシールの機体、ベーシック・リサナウトか。そして僕たちの基地から奪った二機のベーシックも。
それを追跡するものがいる。青白い繭のような体。いくつもの首を伸ばした異形の竜、リヴァイアサン。
「我が見届けようと思っていたが、眼が足りぬ。お前が見届けよ」
何だと、こいつ……。
いや、そんなことより、竜皇はここからどうする気なのだ。
ココは本気でお前を……。
「潰れな!」
ココが踏み込む。相手が人間であろうと一切の躊躇はない。ハガネを打ち伸ばした薙刀を振り下ろす。
「ふむ」
ざく、と土を掘るような音。
僕は目を見張る。ココの斬撃が止まっている。
竜皇の手の先には黄金の砂が。金色のもやのように見える砂が薙刀を止めている。
あれは、石板を操る力。
石板を鎧となし、生物を作り変える力にも通じるもの。細胞に訴えかければ傷を癒し、生命を、無人機を生み出す力か。
煌星竜は紋様の刻まれた微小機械の集合体。竜皇はそれを操るのか。
竜皇が跳ぶ。体重など無いかのように軽やかに、黄金の髪を空気になびかせて、手刀を振り上げて。
「何だって、まさか手刀でウィルビウスを」
「ココ! よけろ!」
ウィルビウスが急旋回。振り下ろす手刀が空を切り。
瞬間、強烈な光が生まれ、円弧となって石の床を爆散させる。オーロラの光が前後に突っ走る。
あとに残るのは深々と刻まれた亀裂。石とも金属ともつかない床材がえぐられている。
「剣のまじない!」
「時空の彼方より集めたる力の一つ。巨人族はこれをまじないとして行使した。世界の法則として刻みつけたのだ」
そうか、まじないが言葉を必要とするのは、巨人族がそのように「加工」して力を取り込んだから。そして歴史上で何人か、素手でまじないを行使した人物もいたという。
あれが本来の力、竜皇は息をするようにまじないの力を振るえるのか。
頭上でも動きがある。リヴァイアサンがいくつかの首を生やし、それが青い閃光を放つ。
大気を焼き、縦穴を光で満たすKBハドロンレーザーの光。壁面の都市を破壊し、数千トンもの瓦礫がシールへと降り注ぐ。
剣の一閃。リサナウトが回転すると同時に放つ剣のまじない。瓦礫を蒸発させるような一撃。凄まじい威力が出ている。
始まろうとしている。この惑星の命運を決めんとする戦い。
たとえ、その命運がすでに尽きていたとしても――。




