第七十一話
極小の時間、石の剣が光を帯びる。オーロラの軌跡を描く。
世界の裂け目から溢れ出る光の洪水、積もっていた岩塊を霧のように吹き飛ばす。
頭上から光条。巡洋艦のX線レーザーだ。縦穴に張り出していた岩を蒸発させる。
「ナオ様、ココ様、先導はお任せいたします。我々は10000メートル以上離れて降下いたします」
「分かった。ココ、剣のまじないに巻き込まれないよう注意して」
「あいよ」
姿勢を制御しつつ降下していく。この下は以前、ブラッド機と戦ったコロシアムのような場所。そこは戦いの余波で崩壊し、さらに大地下へと続く穴が空いたはず。
その時の深度は確か30000メートル超、僕たちはあっさりとその深度を超える。
「見なよナオ、ドワーフたちだ」
こんな大地下にも鎚妖精がいる。崖っぷちに腰かけていたり、荷物を満載したカゴを背負っていたり。彼らはどこにでもいて、どの個体もあまり変わらない。
深度10万メートル、15万メートル、同じ景色の中を降下していくことに空恐ろしさがある。縦穴を落ちてくる小さな滝。コケを捕食している亀のような生き物。
そして建物の瓦礫のようなものも見える。堕天蝶と呼ばれる由来が不明な遺物だ。だが今なら分かる。あれは様々な「世界」から集められたものなのだろう。
センサーに感。
暗闇の中、翼をはためかせて来る影。大きい、その翼長は30メートル以上。
「不意打ちのつもりかい!」
ウィルビウスが薙刀を抜きつつ回転。闇の中で鉤爪を回避し、一撃を叩き込む。ごくん、という骨が砕ける音。そいつは高周波の絶叫を上げて壁面に激突した。
「大きなコウモリみたいな竜だな……ココ、今のは何という竜?」
「分からないね、あんなのは見たこともないよ」
全方位モニターのシャッポを見るが、彼女もまた首を振る。
シャッポですら知らない竜か、他に何が潜んでいるか分からない、気を引き締めなくては。
深度40キロ。
深度80キロ。
徐々に加速、深度350キロを超えてさらに下方へ。僕たちは音速すれすれの速度で降りていく。
「縦穴が……」
段々と穴の直径が広がっている。今は軽く1キロ以上ありそうだ。
時おり竜が襲ってくる。コウモリのような竜。蛇のような竜。それを見守るのは横穴にちょこんと腰かけたドワーフたち。
深さ、1200キロ。
「深い……信じられない。これほどの大空洞が存在するなんて」
そして気温も異常だ。これほどの深度なら地熱がすさまじく上昇するはず。だがベーシックのサーモセンサーで見ても、壁は地上のようにひやりとしている。
ふと、レバーに届く感覚が変わる。僕は無意識の操作で機体を立位姿勢に。
「ナオ、どうしたんだい」
「重力が消えた……」
重力子を観測できるセンサーは装備されていない。だが間違いなく消えた。イオンスラスターを解除すると、空気抵抗によって慣性エネルギーが減少していく。
重力がない。これは一般的には存在しえない事象だ。なぜなら1200キロ上空には惑星の岩盤があるのだ。もしこの星が完全ながらんどうだったとしても、真上に向かう重力が発生するはず。
むろん、この地点が星の真芯で、全方位からの重力が釣り合っているわけでもない。まだそれほど深くへは潜っていないはず。
今、ベーシックは上下左右どこからの力も受けていない。宇宙空間でも現実的にはありえない。どこかの恒星系、銀河系からの重力を受けているからだ。
「そういえば壁もなくなってるねえ」
ココがライトで照らすが、何もない。縦穴を抜けたのか。
「……太母は重力を捻じ曲げて光を曲げることができた。なら重力を打ち消して完全な無重力状態を作る竜も存在するのか……?」
真下にレーダー波を飛ばす。数十キロ下方に何かある。とても大きな、球体のようなもの。
「ココ、ここからはゆっくり降りていく。ライトは消してセンサーをサーチエネミーに切り替えて」
「やってみるよ」
少し操作にもたついていたが、ココのウィルビウスも僕に遅れてついてくる。僕らの艦船はずっと上方にいるようだ。
銀色の糸が見えた。
上空から降りているのは金属の輪が無数に連なったものだ。一つの直径はベーシックなら浮き輪にできるほどもある。
「……?」
島が浮いているのも見えた。いや、古代の惑星海洋環境で使われた空母というものだろうか? 船のような構造体だ。無重力の世界を飛び、その上にはドワーフたちがいる。彼らは僕たちを見ると手を振った。
「そこのドワーフたち、こんなところで何をしてるんだ」
外部スピーカーで呼びかけてみる。
「お仕事なんだよ」
「鎖のメンテナンスなんだよ」
「最近仕事が増えて大変なんだよ」
仕事……。
詳しく聞きたかったが、ドワーフたちの船はあっさりと飛び去ってしまった。
さらに降下。
やがて見えてきた。ベーシックの科学の目が捉えたそれは、やはりただの岩に見える。干した木の実のようだ。
「なんだこれは……惑星の内側に惑星があるのか? 大きすぎてセンサーでもよく分からないな」
「直径、およそ16000キロです」
シャッポが言う。
「船からの観測で地平線の丸みを割り出しました」
直径16000キロ……1Gの惑星の標準的な大きさの半分程度か。数千キロは降りてきたはずだが、そうするとこの惑星は二重構造だったと言うのか? そんな事例は聞いたこともないし、惑星がそのように形成されるはずが……。
銀色の柱をまた見つける。金属の輪の連結体、やはり鎖に見える。それは大地に降り立つと三つの鎖に分かれ、星の表面を走行している。
「この地下の大地のどこかに「神」が?」
「いいえナオ様、それが「神」ではないでしょうか」
言われてはっと気づく。生きている星。この星のどこかに潜む神。
センサーをアクティブに、四方八方に目を伸ばす。
そして理解した。岩だと思っていたものは皮膚だ。
岩そのもののような鱗がいくつか剥がれ、ひだの走行する畑の畝のような皮膚が見える。鱗の一枚は山の一つに相当するほど大きい。いや、あれは鱗なのか? 爪にも見える。
「これは……巨大な竜?」
断言はできない。なぜならどれほど形状を分析しても、範囲を広げても、それを生物と認識することが難しいからだ。
定まった手足や頭というものが見えてこない。無数の腕や手が毛糸玉のように入り乱れ、鱗のようなもの、体毛のようなもの、角のようなものが乱雑に生えている。それら一つ一つは全体の巨大さの中で地形のように見える。
「なんだこいつは……どこが頭で、どこが胴体なんだ……」
「ナオ、こいつはあれに似てるね。北方辺境で見た怪物に」
ココに言われて気づく。そういえばどことなくリヴァイアサンに似ている。あれは長大な竜の首が、巨大な艦船のような胴体に巻き付いた竜だったが。
「ナオ様、こちらのモニターでは植物のようにも見えます。ある種の芋を、皮をむいた状態で泥の中に放置すると、全体から芽や根が出てきて毛だらけの不安定な状態になるのですが」
そう、不安定だ。こいつは正常な状態なのか? この銀色の鎖にどんな意味が。
「ナオ、あっちの方に何かあるよ」
言われてセンサーを向ける。50キロほど水平方向に移動したところに大きな構造体。僕たちは「神」との距離を変えずに飛行する。
「ココ、飛行をエアスラスターに切り替えるんだ」
「エアスラスターって何だい?」
「空気を噴射して飛ぶ方式だ。イオンはわずかに発光してるから目立つ。音声でそう命じればいい」
「分かったよ」
エアスラスターは機体をドックに格納するための装備であり、飛行に使うには推力が足りない。しかしこの空間は事実上の無重力なので機体重量は考慮しなくていい、エアでも飛行できるはず。
近づくにつれて銀の鎖が増えてくる。それは上から真っ直ぐに降り、神の肉体へ繋がっている。よく見れば鎖は神のあらゆる場所に絡みついている。
アンテナのようなものが埋設されている。
突き立てられたパイプのようなものから赤茶色の液体が吹き出している。
指のような部分が金具で固定されている。その金具は橋脚のように大きい。
重機のようなものが牙に見える部分の表面で動いている。それは神の体にたかる寄生虫のようだ。
「……神の体を、拘束しているのか……?」
「なるほどねえ、竜都で作ってたのはこの鎖とかかい」
僕もココと同じ印象を持ったが、そうだとするなら技術力は驚嘆すべきものだ。
この周辺は無重力環境だが、鎖はさらに数百キロ上方から降りているのだ。そんな長さの鎖を鋳造するのは並大抵の技術ではない。自重に耐えられるだけでも鍛造レベル4以上、つまりベーシックの浸潤プレートと同格の技術が必要なはず。
しかし現実に「神」の体を無数の構造物が覆っている。とてつもない規模だ。
「竜都ヴルムノーブルより遥かに規模が大きい……もしかして、地上の都市は前線基地に過ぎないのか?」
竜都の地下にも縦穴があるはず。そこにも都市が築かれていたのだろうか。星皇軍の上級工場なみの技術を駆使して、神を拘束するための金具を……。
そして見えてきた。銀色に輝く一帯。
一見すると都市に見える。銀色に輝く壮麗な都市。建造物は大きなもので高さ300メートル。立体的に絡み合う道路。そこを飛び回る影は。
「衛竜がいる」
鎧を着込んでいる。なめらかな白色の鎧。腰には剣を下げている。どことなく鎧も剣も洗練されたデザインに見える。
それは大きな荷を吊り下げて、ビルの隙間を飛んでいる。僕たちは高度を下げ、角の一本に身を隠す。
「この都市は何だろう。やはり神に干渉するための何かを作る都市なのか?」
神をけがす行為。
シールの言っていたのはこのことか。神を拘束し、その肉体の上に都市を築いている。
「ナオ様、都市に生命反応が少ないようです」
シャッポがデータを表示する。
「衛竜を入れて百に満たない。都市の規模に対して少なすぎます。しかし複雑なエネルギーの流れはあるようです。その都市は居住を目的とした場所ではなく、全体が一つの機械のようにも見えます」
一つの機械……。
まだ謎は多い、しかし答えに近づきつつある。物理的な距離を縮めるごとにそれを実感できる。
少なくとも、この都市は竜皇の意思によって存在している。
ヒト族を滅ぼしかねない大規模な徴兵。霧と煤煙に閉ざされた竜都ヴルムノーブル。ほとんど姿を表さなかった竜の皇帝。
その謎が、この地に確かに眠っている確信が……。
「見なよナオ、衛竜たちが飛び立っていく」
衛竜たちは数人で固まり、それぞれ武器を装備すると上空へと飛んでいく。
上空にレーダーを飛ばす。やはり数百キロ上空という高度だが、岩盤に縦穴が空いている。その穴からは鎖が何十本も降りている。
「あれが竜都ヴルムノーブルに通じる縦穴か……? シャッポ、位置関係を計算してくれ」
「いま終えたところです。まず間違いなくあの穴が竜都に通じています」
衛竜が次々と飛び立っていく。彼らが運んでいた資材などは放置されていた。何やら慌ただしい。
「そうか、シールが……」
頭上の縦穴に侵入者が出たのだ。衛竜はそれを迎撃に向かったのか。
つまり、僕らはほんのわずかの差で、シールよりも先に地下に至ったことになる。しかも都市にいたはずの衛竜がいない。これほどの幸運があるだろうか。
「どんどん上がっていくよ、全員いなくなるんじゃないかい?」
「好都合だ。シールが降りてくるまでにこの都市の調査をしよう」
僕たちは地形のような神の体表をすべり、銀色の都市に入る。
近づいてみると、ビルというより本当に金属の塊のように見える。材質はセラミックだろうか。高圧電線が走行しており、大きなアンテナもある。
鎖にも近づく。石の剣でがりがりと斬りつけるが、金属片などはこぼれない。
「やはり鍛造レベルが高いな……」
「なあナオ、この竜は星ぐらいでかいんだろう? この鎖は立派なもんだけど、竜のでかさに比べたら髪の毛のひとすじも同然じゃないかい? こんなもんで拘束できるわけがないよ」
確かに、いくら巨大な鎖でも、星の大きさとは比べものにならない。
「ナオやん、鎖は確かに星に巻き付いてるで」
キャペリンのウインドウが割り込む。
「まだ全部は観測できてへんけど、星をぐるりと一周する鎖があるみたいや。数にして数億。材質はよく分からへん。船のセンサーでも照会不能と出るわ」
「船のデータにない素材……強度はどうなのかな、この生物が動き出しても抑えられるものなのか」
「うーん」
キャペリンは垂れ下がったウサギの耳を揉みしだいて考える。
「星皇軍のデータ見てたけど、一番丈夫なのがテクト・カーボンワイヤーや。4ミリの太さで衛星軌道からベーシックを吊り下げることもできる。せやけどこの強度でも、その大きさの生物が動き出して拘束できるかっちゅうと……」
大きく見積もって、あの鎖が直径10メートルのワイヤーとしよう。
この生物がベーシックの2000万倍の大きさだとすると、ワイヤーは0.0005ミリの太さに相当する。直感的にはおそらく不可能だろう。
つまり、この鎖は拘束を目的としたものではない……?
「……」
シャッポが複雑な表情をしているのが目に入る。彼女は違う可能性を考えているのか。だが言い出さないところを見るに、僕から聞くべきではないのだろう。
いずれにしても、答えは近い。
「シャッポ、このあたりに重要そうな建物はあるかな」
「……そこから前方400メートルあまり、エネルギーが集まっている場所があります。おそらくそこに何かが」
僕たちは近づいていく。星の深淵へと、陰謀の中枢へと。
そしておそらくは、僕という生産兵の長い旅。その完結へと近づいていく――。




