第七十話
「デル・レイオ大渓谷……」
甲板の方から、騒然とした気配が濁流のように流れてくる。僕とキャペリンは急ぎそちらへ向かった。
「なぜだ! 竜都の炎上を前にしてなぜ引き返す!」
「デル・レイオにはもう何もないはずだ!」
「まさか怖気づいたか! ウサギらしく穴ぐらに隠れるとでも言うのか!」
獣人たちは武器を振り上げて騒いでいる。静止する草兎族を今にもなぎ倒し、シャッポのいる司令室に殺到しそうだ。
「みんな、落ち着くんだ、シャッポにも何か考えが……」
「ナオ、あかん!」
腰にしがみつかれる。ぶおんと風斬りの音がして、だんびらが鼻先をかすめた。武器を振るった牛の獣人は僕を見てもいない。
だめだ、彼らはかなり頭に血が上っている。こんな状況で冷静になれと言うほうが無理がある。
レオは……。
群衆を回り込んで艦首方向へ。レオは騒いでいる集団に背を向け、じっと竜都を睨んでいる。
景色が回転を始める。船が回頭しているのだ。
「シャッポ、やはりデル・レイオに行くのか、まさか本当に傍観に徹するつもり……」
「ウサギどもめ」
レオが前方を見据えたまま言う。
「レオ、みんなを止めてくれ、このままでは暴動になる」
「ヒト族のナオ、お前たちはウサギについていろ」
「え……」
「憎らしいことだ。ウサギどもは何もかも分かったようにふるまう。知恵だけではない。その後肢の力強さ、無数の穴を張り巡らす周到さ、いつも我らの爪と牙をすりぬける」
「何を言っているんだ?」
「皆の者!」
突如、爆圧のような雄叫び。レオのたてがみがぞわりと浮き上がる。
「100名だ! 100名だけ追従せよ! もはやウサギどもの下知などに従えぬ! 我らは竜都へと降下し、今こそ竜皇の悪政に鉄槌を下す!」
レオの叫びは大波となって返る。一人一人がヒトなど問題にならない肺活量で叫んでいる。何万もの軍勢が勝どきを上げるかのようだ。
「まず討つべきは竜使いどもだ! 敵の見えぬうちは逃げてくるヒト族と鬼人の救助にあたれ! ゆくぞ!」
レオは足を踏み出す。飛び上がるでもなく走るでもなく、階段を下りるようにするりと舳先から消える。
「我らが長に続け!」
「俺たちも行くぞ! 獅子頭などに遅れを取るな!」
周囲を重機が走り抜けていく。あるいは大型のパワーローダーの群れか。数百キロに達する大柄の獣人たちは次から次と飛び降りていく。
「くっ……これでは部隊が割れてしまう。呼び戻さないと……」
「もう無理やナオやん! 大きな人らは船が着陸してないと収容でけへん。それに船が速度を上げ始めてる」
確かに、船に微風が吹いている。重力発生装置によって固定された空気が乱れているのだ。
獣人たちは足を止める。もう竜都の外輪部を離れてしまった。飛び降りる機を逸した獣人たちは歯噛みしながら地面を叩く。
「キャペリン、部隊が割れてしまったんだぞ、これを放置していたらレジスタンスが」
「いや……うちも何となく分かってきた。これ、たぶんお姉ちゃんは……」
キャペリンは何かを察した声音になり、僕もふと冷静になる。さっきのレオの声と同じだったからだ。
「獣人たちが飛び降りるのは想定内……?」
いや、さらに一歩進んで、それを計算に入れての行動だった? シャッポならば、獣人たち全員をなだめすかしてデル・レイオ渓谷まで行くことは不可能ではないはず。さっきのアナウンスは不自然なほど淡白だった……。
「……シャッポに確認する」
理由があるというなら聞き出したい。たとえシャッポが司令官でもだ。
そして僕のこういう行動も、織り込み済みなんだろ、シャッポ!
※
シャッポは司令室にて大勢のドワーフに囲まれていた。一人一人に指示を出し、指示を受けたドワーフは急いで部屋を出ていく。
「ナオ様……いまお呼びしようと思っていたところです。キャペリンもそこに座りなさい」
「シャッポ、なぜだ、なぜデル・レイオなんだ」
「あたしも聞きたいね」
「同意」
ココとノチェもいる。2人はシャッポに詰め寄るようなタイプではない。おそらくシャッポが呼んでいたのか。
「ナオ様、いつか申し上げました。土を掘るより書物を掘れ、我ら草兎族に伝わる格言です」
司令室には何個もの箱があり、中は書物が詰まっている。ウサギたちがあちこちの町や村から集めたものだ。
「確かに聞いた、それが何なんだ」
「これを」
壁に投影されるのは竜都の映像。大量の煙に包まれている。光学望遠は最大まで高められ、細部が補正されていくが、竜都の中心はやはり煙の中だ。
「スペクトル分析を行いました。この煙の中には赤外線は多くはない。激しい燃焼物は少ないのです」
「そうなのか? だからと言って……」
「そして火事の原因が分からない。「竜狩りの巨人」やリヴァイアサンの姿は見えず、竜使いたちの姿も見えない」
「確かに奇妙だ、だからこそ、竜都に乗り込んで確認を……」
「私はこう考えました。煙は地下から出ている」
地下……。それはまあ、以前の偵察の際に近代的な建物も見ている。地下施設ぐらいあるだろうが……。
模式図が示される。竜都と仮定する都市。そこから真っ直ぐに伸びる縦穴。
だが、何だこれは、異常なほど深い。都市部の建物を高さ100メートルとしても軽く数倍、いや、数十倍か、それ以上……。
「侵入したのはおそらく「竜狩りの巨人」シールです。地面すれすれを低速にて飛び竜都中枢へ、そこで入口を見つけたか、あるいは地面を破壊して地下へ突入した。途中にあるあらゆる施設を破壊しながら」
「ちょっと待て! こんな大規模な地下施設があるなんて聞いていない!」
「可能性は示唆されていました。この星は」
模式図の縮尺がどんどん大きくなる。
都市の凹凸は大地の輪郭に埋もれ、縦穴は細い線となって真下へと伸び、星全体を円で表現される頃には、中央にぽっかりと大穴が。
「大地に空洞を抱えている」
「……! シャッポ、それはありえない。地殻の圧力がどれほど巨大か分かっているのか」
もし惑星にそんな縦穴があり、中央に空洞があるならどうなるか。瞬時に地殻圧力によって圧壊するか、もし穴が維持されたとしても、惑星の重力によって大量の空気がその空洞に流れ込む。
空気の密度は極限まで高まり、鋼鉄よりも硬くなる。地表の空気はその99%以上を穴に奪われ、小惑星のような荒廃した大地に……。
「重力は操作できる力です。ナオ様の世界ならば科学で、一部の竜は超常の力で」
「……」
「ナオ様、もっと巨大なものに目を向けてください。我々はなぜここにいるのか。このように多種多様な獣人が、なぜ淘汰もされずに共存しているのか」
「それは……」
「竜はどこから来たのか。巨人たちは。生き物のように振る舞う石板は。不可思議な力の数々は」
それは、集められたもの。
宇宙という規模よりももっと巨大な概念。無数の世界から集められたものたち。この宇宙に新しい物理法則をもたらす来訪者。
「この星は生きている」
ざわめき、それは部屋の外からだ。大勢が廊下に集まっているらしい。
「あるいはそれが星の神。数多くの世界から強きものを集め、交わらんとする神なのです」
「と、突飛な話が過ぎる……どこに、そんな証拠が」
あまりにも常識を超えた話。
だが。その奇妙な話が僕の記憶に呼応する。
思い出した、かつて僕は、デル・レイオ大渓谷の底でそれを見た。
巨大な岩塊に撃ち抜かれ、地の底からさらに大穴が空いたのを見た。何千、何万メートルもの底に伸びる闇の縦穴。岩塊の雪崩に呑まれて消えたブラッド機……。
「我々のわずかな知見と、あらゆる場所に残された書物。そこから地下の大空洞を示唆する記述はいくつかありました」
「いくつか、だって……? そんな根拠でレジスタンスを」
「惑星の中央まで伸びる穴なら、深さは1万キロ以上。そのような場所に到達した生物などいるはずもありません。すべては推測。しかも乱暴で強引な推測です。しかし」
シャッポは、僕を透かしてさらに後方へ、集まっているらしい何十人もの仲間たちに向けて言う。
「出し抜くにはこれしかない。竜狩りの巨人は、おそらく待ち構えている竜使いの軍勢と戦っているはず。竜狩りの巨人と接触することは愚行です。あれは友好的ではない。仮に敵対すれば、我々は必ず竜狩りの巨人に敗れる」
「なっ……」
「なぜならば、竜狩りの巨人が我々の横槍を考えないはずがありません。行動を起こしたのは、我らを討てる自信があるからです」
シール……巨人の武具で武装してると言っても一機のベーシック、彼女にそこまでの……。
……いや、やめよう。
彼女の天才性はもう十分に分かっている。それに戦士はクレバーに考えねばならない。目的は彼女に勝つことではなく、竜皇を討つことだ。
「話は分かったよ」
ココが言う、彼女は少し不満げである。シールが僕たちよりも強いと断言されたからだろう。
「だけど星の中心ねえ、本当にそんなものあるのかい? 鬼人にもそんな話は伝わってないよ」
「確率は、おそらく3割ほど」
シャッポは、その低い数字を述べても物怖じしない。
分かってる。時には弱いカードに全額を張らねば勝てない時もある。賭け好きなブルームがそう言っていた。
「竜皇は、星の神をけがしている……」
つぶやいたのは僕だ。かつてのシールの言葉。それが抽象的ではなく、地続きな言葉と感じられる。
「つまり、星の中心にあるのが神の御座」
「可能性はあります」
か細い、針の穴を通すような確率。
だが、もし当たっていたなら、確かにシールを出し抜ける可能性はある。
「シャッポ司令、まもなく到着なんだよ」
「全速だから速いんだよ」
惑星環境下の速さではない。一度大気圏外まで出たな。
「各パイロットはベーシックに搭乗。ナオ様は石の剣と盾を装備のこと」
「……わかった」
まだわだかまりは抜けない。
竜都が煙に包まれている中でやる作戦ではない。もっと真っ当で堅実な判断がいくらでもあるはずだ。
それでも、この作戦しかないのか。
それほどに遅れを取っているのか、僕たちは……。
※
ベーシックは甲板の舳先に立つ。
フルングニルは換装作業を終えていた。白く塗られた機体は一見するとベーシックに見えるが、その足は4本あり、放射状に地面に根を張っている。
抱えるのは大口径のKBハドロンレーザー。小惑星破壊用のものだ。
「ノチェ、無理をしないで。もし野良の竜や竜使いがいたら、まず僕たちが戦う」
「後詰」
フルングニルが首を振る。降りない? なぜ?
「フルングニルはここでバックアップなのかい?」
ココの乗るウィルビウスは鎧が新しくなっている。紙と木で作られた鎧は流麗な曲線を描き、分厚く、それでいて関節の可動範囲を邪魔していない。手に持つ武器は長柄の薙刀、波打った刃が特徴的である。
全方位モニターにシャッポが割り込む。
「まずアグノスとウィルビウスが降下。肩部より光線撹乱剤を散布。すべての障害を実力で排除しながら降下を」
すべての、障害を……。
「……分かった」
「ナオやーん!」
キャペリンも割り込んでくる。ウインドウの背後には多数のドワーフもいる。
「必ず戻ってくるんやで! ケガでもしたら承知せえへんからな!」
「大丈夫だ、必ず生きて帰る。目的も果たす」
気持ちを入れ替えろ。
もう作戦は動き出している。今さら兵士の惰弱さなど役に立たない。判断の成否を疑う段階でもない。
僕に残る、軍人としての愚直さの部分が今はありがたい。せめて、星の中枢に至るまでは余計なことを考えたくない。
「お二人とも、準備はよろしいですか」
「大丈夫だ」
「こっちもいけるよ」
岩と砂漠と、深い深い渓谷だけの土地。デル・レイオ大渓谷。
眼下には巨大な穴がある。穴の直径は70メートルほどか。生理的な恐怖を喚起する漆黒の穴。ものを落とせば永遠に失われ、叫び声は地上まで上がってこない、そこに住まうものとは――。
「総員、甲板より退避、艦内にいるものは耐ショック姿勢、作戦開始まで10秒、9、8」
対ショック姿勢、という指示の意味を考える必要はなかった。船は後部が勢いよく持ち上がり、あっという間に垂直の姿勢となったのだ。
重力発生装置があるとはいえ、惑星の重力と複合して複雑な上下感覚になるはずだ。艦内は大変な騒ぎだろう。
「6、5、4……」
「……船も来る気か。僕らに穴を塞ぐすべてを破壊しろと」
「シャッポってこんなに無茶する奴だったかい? 前の耳長みたいだねえ」
ココの言葉にさすがに苦笑が漏れる。
そして僕とココは、横倒しになった重力の中でクラウチングの体勢に。
「ゼロ」
飛び出す。
目指すは地の底、星の中枢。
そしてさっそく現れた巨大な岩盤。穴が崩れたときに積もったと思しき岩。僕は石の剣を抜く。
「あらゆる竜を断つ光を!」




