第六十九話
兵士としての純粋さを求める僕がいる。
何も知らない自分に苦悩する僕がいる。
だが、見ようとしても見えず、目を塞ごうとしても塞げない。
僕は目を瞑る。赤子のように、土中にある種のように。
僕は目を見開く。赤子のように、土中にある種のように。
※
緊急のブリーフィング。そして僕の機体、ベーシック・アグノスが偵察を行う。
高度2800。雲に隠れつつ光学観測。
やはり異常事態だ。中央は分厚い煙に閉ざされて火の手は見えないが、街道を使って多数のヒト族が逃げ出している。竜や鬼人たちもいる。
ドワーフたちから通信が入る。
「ナオ、眩光竜の迷彩効果出てないんだよ」
「やっぱり無理だったんだよ」
眩光竜や太母の使う、光を捻じ曲げることでの迷彩効果、何度か試しているが、ベーシックに乗せても使わないようだ。
眩光竜は安全な巣を見つけると、そこを外敵から隠すために迷彩を使う。ベーシックは揺れるし、高速移動するので巣には適さないようだ。
「ナオ様、竜都の様子はどうですか」
「シャッポ、中央部が炎上している。煙が多すぎて、センサーを稼働させてもよく見えないな」
太母や他の竜使いたちの気配はない。竜都から逃げ出してくる人々が観測されるが、竜皇軍の追手もいない。
「やはりシールか、マエストロが竜都に攻め込んだんだ。こちらも向かうべきだ」
僕たちの艦船がずっと狙っていた機会だ、この機を逃す手はない。
だがシャッポは表情を硬くしている。長い耳は緊張を示すように揺れ、眉間にぐっと力を込める。
「ノチェ様の機体、フルングニルの換装と出撃準備に1時間かかります。時間を下さい、急ぎ判断いたします」
「僕とココだけでも先に……」
言いかけて止める。シャッポには何か気になる点があるのだろう。僕はイオンスラスターをふかし、帰投した。
甲板には獣人たちが集まっている。獅子頭を中心に武に優れる大柄の獣人たちだ。みな研ぎ澄まされた武器を持ち、背中にはザックを背負っている。
「ウサギたち! ぐずぐずしてると機を失うぞ! 我ら獅子頭だけでも先に出るべきだ!」
背負っているのはパラシュートだろう。この艦船で竜都上空まで行き、一気に降下しようというのだ。
草兎族の若者たちがその前に立ち、はやる彼らを抑えている。
「お待ち下さい、もうじき耳長が結論を……」
「竜都が炎上しているのだぞ! 今はともかくも攻め込むべきだ!」
「この期に及んで静観などありえぬ! 逃げているヒト族も助けねばならん!」
静観、その判断はありうるだろうか。
四つの勢力が睨み合っていた現状。互いに潰し合ってくれるならそれでいい。シールは敵とも言いがたい……。
いや、その考え方は危険だ。
彼女は僕たちから二機のベーシックを奪った。僕の機体も奪おうとした。少なくとも彼女を信頼することなどできないし、なりゆきを委ねるわけにも行かない。むろん、マエストロに委ねるなど論外だ。
獣人たちはだんだん声を荒げている。
「なぜ待つのか言え! この状況で何を判断すると言うのだ!」
「耳長は言っておりました。予想していた流れと異なっていると。戦闘らしい戦闘が起こらぬまま、いきなり竜都が炎上というのは不自然であると」
確かにそうかも知れない。竜都には多数の竜使いがいただろうし、衛竜や太母もいた。
マエストロのリヴァイアサン。KBハドロンレーザーを操る巨竜。あの火力で一気に殲滅したのか? しかし、竜都がリヴァイアサンの接近に気づかないなどありえるだろうか。
艦船はゆっくりと竜都へ近づいている。すでに同心円状の都市圏の外輪部に差し掛かっている。今までならこの距離まで偵察を出せば、飛べる竜が姿を現したはずだ。
「我らだけでも先に降りるか」
「我らの足なら竜都の中枢まで走れる……」
「待て!」
一喝する。それは黄金のたてがみを持つ戦士、レオだ。ひときわ大振りな剣を背負い、甲板のきざはしに立っている。
「まだ早い! 降下するのは竜都の中枢に至ってからだ! そして忘れるな! ウサギどもが何を言おうと、最後に判断するのは我々だ!」
おお、と獣人たちが武器を振り上げる。船は微速前進を続けている。
「ベーシック、現在時刻を」
機体表面にこの惑星の時刻が表示される。星皇軍の標準時ではない。ドワーフたちが改造したのだ。
あと45分。現在の船の速度なら、45分でほぼ中央に至るだろう。
シャッポの判断を待つと言っても、事実上は作戦行動を起こしてるのと大差はない。獣人たちがかろうじて行動を抑えてるのはそのためだ。
「45分か……」
僕はベーシックを降り、艦内へ向かう。
「あ、ナオやん、どしたんや?」
途中で出会ったキャペリンが並走する。
「気になることがあって……ずっと探してるんだけど見つからないんだ。もう少しだけでも探したくて」
至るのは船室の一つ。兵士用の個室だ。中は物置きになっている。
「この部屋を使っていた隊員の私物が残ってないかと」
「ここって女部屋やないか」
ワイナリーの部屋だ。彼女は小隊で唯一の女傭兵。通常、女は一人だけで小隊任務に加わることはないそうだが、この時の作戦には参加していた。マエストロが連れてきたらしい。
「ここにはなんも無かったで。ちょっと待ってな」
キャペリンがメモ帳を繰る。
「やっぱりなんもない、衣服とか食器が少しあっただけや」
「本とかメモのたぐいは?」
「それもないで、隊員さんの私物はすべてリスト化しとる。メモの一枚、シャツのタグまで全部や」
ドワーフたちはそこから技術を取り出すらしい。
ワイナリーは一冊の本も持ってなかった、か……。
「なんや気になるんか?」
「作戦に直接関わることじゃないが、彼女の言葉が気になってる。思い出せずに苦しんでる」
「……だ、大事な告白みたいな?」
僕はきょとんとした目になる。
「え、何の話?」
「あああ、な、なんでもない!」
何故か両腕をぶんぶん振るキャペリン。急にどうしたんだ。
「そうか、残ってないか、そうだよな、本来は個人でメモを取ることも軍規違反だから……」
「失せ物をお探しですか」
声が足元から響いた。
視線を下に向ければ、廊下に寝そべる茶色の毛布のような。
「うわ、何だこれ」
「「これ」ではありません」
伏せたトランプをめくるように立ち上がる。それは平べったい体型と、濡れた岩のような皮膚を持つ獣人。水地族だ。外見は巨大なサンショウウオである。
「失せ物をお探しですか」
繰り返す、僕に呼びかけてるのだと気づいた。
「失せ物と言うか……思い出せないことがあって」
「おお、おお、丁度ようございました。この薬をどうぞ」
グローブのような手で渡されるのは黒い紙片。干した海藻のような、焼け焦げたキノコのカサのような。大きさは親指で隠れるほど。
「これは……?」
「古き日の痣と呼ばれる薬でございます。飲んだ御方が思い出したいことをたちどころに思い出せるのです」
「はあ……」
記憶とは脳の深淵である。
それがどのような形で記録され、また想起されるのかは解明しきれていない。「思い出す」というのは神秘的なまでの事象なのだ。まして記憶を戻す薬だなんて、星皇軍ですら開発していない。
「いかがです」
「折角だけど……作戦が近づいてるんだ、いま妙なもの食べるわけには」
「この世で最も尊ぶべき芸当というものがあります、それさえ満たせば人生に何も恐れるものはない、どのような危難にも立ち向かえる、そんな芸当です」
水地族は予言でも下すかのように朗々と言う。
「必要なときに、必要なことを思い出すこと、それは人生を切り開く鍵とは思いませんか」
「……」
「思い出したいことがあるのでしょう? しかも、作戦の迫るこのような場面で。その記憶の価値は、薬が多少、怪しげという程度で諦められることなのですか?」
「そんなことはない」
僕は薬を飲む。少し意地になったのは確かだ。
まさか毒ではないだろう。乾燥しているようだし、妙な菌がいないと思いたいが。
まずいことに効果は即座に訪れた。眼球が奧に引っ込むような筋肉の引きつり。鼻の頭にツンと痛みが走り、体が前方に加速していくような感覚が。
まずい、毒だ。そう判断して吐こうとしたが、その前に膝から崩れ落ちて石の上に座る。星皇軍の携帯型カンテラの灯りが意識される。
「世界に刻み込まれる物理法則としての呪文。それが私の研究テーマ」
「兵士が何を研究するんだ」
僕は聞き返す。目の前には赤い髪の女傭兵、ワイナリーの姿が。僕たちはカンテラを前に並び、軍用レーションを調理している。
「兵士が学問をやるのはおかしい?」
「それは学問じゃない、ただの迷信だ」
「迷信は哲学。科学的事実に先んじて存在する概念。あるいは人の理解を超えた科学を説明するための言葉よ」
4号レーションの中身は野菜と肉をチップ状に成形加工したもの。それを温熱装置で炒める。ワイナリーの言葉は半分無視している。
「悪魔ってのはね、地の底から来るのよ。地の底に炎の海と塩の大地があって、悪魔の世界がある」
「それが哲学なのか? ただの妄想じゃないか」
「違うってば、これは星皇軍の話」
星皇軍? その言葉でちらりと視線を向けるが、意識は耳を閉ざそうとしている。何となく、聞くべきでない反体制的な響きがある。
「科学と人の欲望の行き着く果て。悪魔が願うこと。想像することが真実に近づく。それもまた哲学」
この女は、もしかして星皇軍批判をしてるのだろうか。炒めたレーションを缶に戻しながら考えるが、今は作戦行動中だ。諍いを作りたくなかった。
「あまり不規則発言をするな」
「生産兵さんは気にならない? 星皇陛下は何をしようとしているのか。その権勢の行き着く果ては何を可能にするのか」
「軽々しく陛下の話なんか……」
「青旗連合の無人機はなぜすべてワンオフなのか。その技術は星皇軍から盗まれたものと言われてる。でも星皇軍にはそんな技術は見当たらない、星皇陛下はあまりにも多くのものを独占している可能性がある。組織ではなく一個人が、よ。それを使って何をしようとしているのか、あるいは現在進行系で何かをしているなら、それは私たちの現在のあり方に関係しているのかしら。つまり、私たちが無人機と戦うことも……」
僕は彼女の分のレーションを手渡し、自分の機体に戻る。
「ベーシック内で待機する。ワイナリー少尉も休息につけ」
「くそ、お硬いわね」
悪態をつかれる。どうも彼女なりにかなりへりくだって話してたらしい。根は荒っぽい傭兵だ。
「生産兵さん、よく考えなさい、奇妙なことはそこらじゅうに……」
乗降モードのベーシックに乗り込み、ハッチを閉め、外部音声をオフにする。
全方位モニターの中で、まだワイナリーは喋り続けていた。僕に何かを訴えていた。
変わったやつだ。僕は最大限に好意的に、そのように解釈した。
はっと意識が戻る。
僕は座り込んでいない。通路の壁に腰をつけてただけだ。そのことを理解する。
「今のは……」
「うまくいったようですな」
水地族の彼が満足げに頷く。まさか、今のが記憶の想起なのか。主観で見る映画のようにありありと……。
「すごい感覚だった……。あ、ありがとう、役に立ったよ」
「いえいえ、それが薬師である私どもの役目ですから」
「よければ、今の薬がいくつか欲しいんだが」
「残念ですが、ありません」
え、と聞き返す僕の前で、サンショウウオのような彼は意気消沈する。
「あれを作るための岩苔は、曽祖父の代にすべて取りつくしてしまいました。他の自生地も見つかっておりません。いま渡したものが最後の一枚なのです」
「そんな……そんな貴重なものを」
「思い出したいことがある方を見かけた。手元には薬がある。それが最大の好機というものです。これ以上ないほどふさわしい場面でしたよ」
最後の一枚……。もう思い出すことはできないのか。
だが、幸運にも振り返ることができた。僕が捨て置いてきた数多くの場面、そのカードの一枚を取り戻せたんだ。それは喜ぶべきだろう。
「本当にありがとう……最大限の感謝を述べるよ」
「いえいえ、当然のことです」
「ナオやん、昔のこと思い出してたんか?」
キャペリンはというと、なぜか目を平たくして仏頂面である。
「ああ、そうだ」
「……女のことやろ」
「そうだ、ワイナリーという女兵士で」
どん。
足を踏まれた、なんでだろう?
――総員、アナウンスに注目。
「!」
この声はシャッポだ。全艦放送で呼びかけている。
「シャッポ、ついに決断か、僕もベーシックに戻らないと」
「お姉ちゃん、なんか声が強張ってる……」
僕がきびすを返し、戦士としてのスイッチを入れようとした瞬間。アナウンスは意外な言葉を告げた。
――この艦は移動いたします。竜都に攻め込むことはありません。
「な……」
――目的地は、かつて我々の拠点のあった場所。
――デル・レイオ大渓谷。




