第六十七話
「ココ! 先に行け! こいつは僕が仕留める!」
「やれるのかい! あいつの速さは尋常じゃないよ!」
やれるはずだ。
いくら速かろうとも、ベーシックには電子の目がある。それにこの高機動戦闘はココには不可能だ。
「スラスターを進行方向にふかせ! 戦域から離脱するんだ!」
ウィルビウスの背面がイオンの輝きに包まれる。急加速を得た機体は一気に遠ざかり、地平線の果てへと。
シャッポの叫ぶような声が。
「ナオ様! あなたも逃げてください! ブースターを限界までふかせば逃げ切れる可能性が」
僕はブースター操作の権限をこちらに切り替える。なるほど4枚舵のスクラムジェット、星皇軍の設計思想を応用している。
輝ける竜が迫る。
ブースターを転舵。下方に向けての強烈なGがかかる。もし肉眼で見た人間がいたなら、ベーシックが真上に跳ね上がったように見えたか。
やつの突撃をかわす。肉眼では捉えられない。希薄な大気の中で衝撃波が機体を打つ。やつは大きく曲線を描いて再度こちらへ向かう。僕は剣を構える。
「あらゆる竜を」
消失。
目標を見失ったと思った瞬間。コックピットに激しい衝撃。意識が飛ばされそうになる。
「ぐうっ!」
エラーメッセージがいくつも浮かぶ。ブースターを固定するための骨組みの一部が吹き飛んだか。
「……今のは、以前に見た急加速!」
そうだ、スモーカー機を屠った挙動。
やつは信じがたい速度で動きながら、なお瞬間的に加速することもできる。
そしてここは大気が薄く、自然な減速がかかりにくい。やつを縛る大気の壁が無いのか。
「ベーシック、今のやつの速度をデータ化しろ」
数値が出る。これは……瞬間的に24.1Gの加速だと。慣性レジストを最大にしてもブラックアウトを免れない加速。
「……やつは有線誘導弾すら回避する。ベーシックの斬撃など止まっているも同然、か」
「ナオ様、円軌道です、円の動きに入ってください」
シャッポの声。もう離脱しろとは言わないらしい。彼女は迅速に思考を切り替えることもできる。
僕はブースターの加速を最大に、やつを引き付けつつ円軌道に入る。
「高度を上げてください。一周ごとに4キロ上昇しながら螺旋の軌道で」
ベーシックにそのように入力。直径90キロ、一周ごとの高低差4キロの螺旋軌道。やつはぴったりと追ってくる。
竜の意図は読める。持久狩りというやつだ。
古代の人類が行っていた狩猟法。槍投げなどで獣に傷をつけ、逃げればどこまでも追い続ける。出血している獲物はやがて力尽き、人間に狩られる。
こいつは自分から攻めない。ひたすら追ってきて隙を狙い、こちらが攻撃すればカウンターを打つ。人間くさい戦術だ。
高度はさらに上がる。上空40キロ、60キロ。大気は地上の1%にも満たない。
「シャッポ、どうするんだ、そろそろ高度80キロあまり……」
閃光。
青の光がベーシックをかすめ、背後に迫っていた竜を打つ。光が竜の体表ではじけて光の粒をばらまく。
「! 今のは!」
まさかノチェの狙撃か。こちらを円運動に乗せることで正確な位置を予測したのか。
だが。
竜が叫ぶ。体から黄金の鱗を撒きながら。
「だめだシャッポ! 本拠地からではこいつの体を貫けない!」
だが、光がはじけるような出力が出ていた。おそらく小型艦艇なら沈められる威力。
やつの動きが変わる。螺旋の線に乗りつつも軌道をアトランダムにずらす。
やつの体から、黄金の粒が。
「! こいつ……」
ベーシックの目がそれを重金属薄片だと分析する。表皮の内側に見えるのは集積回路のようにぎっしりと詰まったメカニズム。
「こいつは、機械か!」
その集積度は砂を詰めたかのよう。どれが配線とも駆動系ともつかない微細な部品がぎっしりと詰まっている、だが間違いなく機械だ。
「どういうことだ……なぜ竜が機械なんだ、なぜ竜の姿を」
「ナオ様、それは帰結です」
シャッポが言う。まるで、その言葉はずっと両手で持ち続けていたかのように淀みのない言葉。
「機械と生物の差とは何でしょう。究極的にはそれは同じもの。すべての竜の頂点に立つ煌星竜は、生物の枠組みを超えた存在なのではないか、それはずっと思っておりました。機械の頑健さと、生物の柔軟さを併せ持つ存在であると」
「シャッポ、それはいつから……」
「ナオ様から、かの竜皇の話を聞いたときから」
……。
違う。
思考を切り替えろ、こいつの正体は今はどうでもいい。
どうやってこいつを仕留めるかだけが問題だ。
「ナオ様。もう一度打ちます、竜をなるべく本艦に引きつけてください」
「だめだ、こいつはレーザーでは仕留められない」
本拠地からではレーザーの減衰を無視できない。それにこいつのアトランダムな飛び方では急所を狙えない。
「直接打撃でなくては、巨人のまじないでなくては倒せない……」
奥歯を噛みしめる。体の内側で決意を固め、ブースターを90度転舵、真上に向かって飛ぶ。
シャッポと他のスタッフたちの悲鳴じみた声が。
「ナオ様! 水平方向に逃げてください!」
逃げるわけにはいかない。やつに対抗するにはこの手しかない。
すでに周囲は暗闇の宇宙。惑星照の明かりが地平線の彼方に消えつつある。希薄な大気の中で断熱圧縮が起きている。茜色から黄昏に変わりゆく星。
そしてやつは追いすがる。ブースターをふかすこちらを追ってくる。
「ついてくる……やはり呼吸をしていないのか」
――ですが、深刻なバグが生まれた。あろうことか未来から送り込まれた存在がいた。
――あなたの世代の数十年後の機体、それが煌星竜。
――それは巨人の力を取り込み、この星の神をけがし、星の玉座に座っている。
かつてシールが言っていたこと。
彼女はどこまで星の核心に迫っているのか。その情報をどうやって手に入れたのか。
竜は黄金の鱗を宇宙にばらまき、それは惑星の重力に捕えられて流星となる。
上空へ、さらに上空へ。
距離が必要だ、およそ1キロ以上、やつに対して構えを取れる距離が。
ブースターを最大にふかせ、すべての燃料を一気に燃やしつくせ。すべてのイオンスラスターを稼働させろ。
僕とやつは断熱圧縮で赤く染まる。微細な金属片が両者の体から剥がれ落ちていく。双連の流星となって空に向かう。
「来い……」
すでに第二宇宙速度すら超えている。もしこのままレバーから手を離せば、僕は指で弾かれた輪ゴムのように無限の宇宙に放り出される。
一瞬、そのことに憧れを覚える。
すべてを忘れ、一個の星屑となって宇宙の深淵に旅立ちたい。
それは軍人としての責務でも、レジスタンスからの逃避でもない。いわば播種。生命がより広範囲に散らばろうとする本能なのか。
やつが、遥か眼下にいる。
こちらの最大加速がやつの巡航速度を超えたのだ。距離は十分。
反転する。
ブースターを切り離す。
剣を上段に構える。
集中しろ、やつの瞬間的な加速を捕らえろ。機械の目と無意識をシンクロさせろ。
僕は宇宙の闇に背を向けて、意識を細く練り上げる。狙うは最強の竜のみ。
そしてやつは、光を纏うかに見える黄金の竜は。口元をほころばせて。
皮肉げに、笑うかに見えた。
両腕を振り上げたベーシックに、やつが迫る。
竜が翼を広げる。
加速。
どのような内燃機関なのか想像もつかない弾丸のような加速。あらゆるものを消失させる魔弾。
僕は剣から手を離す。
数百キロの質量を失ったベーシックの腕、瞬時に振り下ろされ、僕に食らいつかんとしていた竜を打つ。
硬い、内部にぎっしりとメカニズムが詰まっている。土嚢のような質感。
やつは拳を受けながらもベーシックに牙を突き立てる。コックピットがきしむ。機体の胴部を食い破る気か。
だがお前は知っているか。この星には巨人のまじないがあることを。
一撃必殺の剣のまじない以外にも、竜を制圧せしめるまじないがあることを!
「その名をかざせぬものは伏せよ!」
世界が震える。
音も響かぬ真空、まじないの力がベーシックの頭部に生まれ、腕を通じて煌星竜へと流れ込んだと分かった。イオンスラスターを全力でふかして姿勢の制御。
やつの全身が振動する。流れ込むのは都市ひとつ分の演算リソースに匹敵する電算攻撃。やつのシステムを根こそぎ書き換え、あらゆる権限を奪っていく。やつの体表がささくれだって見える。
声にならぬ咆哮。竜の絶叫が魂に食い込んでくる。
かつて、シールはこのまじないで僕たちのベーシックを連れ去った。そして僕が乗る機体までも我が物にしようと。
だがシールの機体、ベーシック・リサナウトは兜を装備していた。まじないを広域化させる巨人の武具だ。
もし兜なしでまじないを行使すればどうなる、何が起きる。
腕が。
ベーシックの浸潤プレートの腕が、竜の体にめり込んでいる。
装甲を貫いてるわけではない。まるで細胞同士が癒着するように一つになっている。
腕が埋まっていくに連れ、ベーシックの肘には鱗が登ってくる。機械とも鱗ともつかない金属片。腕がシステム上からロストし、ベーシックの機構に異常が――。
「……なるほど、物理的融合か」
緊急コードをマニュアル入力。両椀を離断する。
「花咲き乱れ罪過を癒やす」
ベーシックの全身を燐光が包む。キャンパスに筆を走らせるように両腕が一瞬で再生。さらに超高速軌道で負ったダメージも、破損したスラスターも再生される。
兜を使わずにまじないを行使しても、竜を乗っ取ることはできる。
しかし、それは融合とか一体化という意味になる。そういうことか。
竜使いたちにもそんな変化を見たことがあった。衛竜の背中に張り付くようだった人間。そして衛竜がさらに束ねられて太母となる最終降体、あれは人の進化した姿なのか、それとも生命への冒涜なのか……。
両腕を背中に食い込ませて、煌星竜は激しく悶絶している。やつがどんな感覚に苦しんでいるのか、想像するだに恐ろしい。
「……お前は何なんだ」
お前はどんな技術の延長にいるんだ。星皇軍の機動兵器か、それとも青旗連合の無人機か。
どちらとも言えるし、どちらでもある、そんな気がする。こいつはハイエンドの機動兵器であり、完成された無人機。
「未来に何が起こったんだ。青の連中は滅びたのか。それとも……」
なぜ時を遡ってまでここへ来た。
お前たちは何体存在している。竜皇はお前の同族を従えているのか、あるいは融合しているのか。
竜は自壊しつつある。体を維持できないのか、翼も肉も、牙や爪も無数の薄片となって宇宙に拡散していく。
まだ希薄ながら大気はある。この高度では衛星軌道には入れない。やがては大気との摩擦で減速し、流星となって天から堕ちていくだろう。
「……誰も」
誰も真実を語ってなどくれない。
すべてを見ることはできない。
それが当たり前のこと。僕は大いなる歴史の舞台に生きる一人の人間。歴史を物語に喩えるなら、主人公は僕ではないし、僕の存在は必然でもない。
もし仮に、主人公がいるとしたら。
すべてを理解し、物語の軸となり、始まりと終わりを見届ける。世界というオルゴールのねじを回す者がいるなら。
それはきっと、竜狩りの巨人……。
「ナオ、無事かい」
ココの通信だ。僕は頭を振って応答する。
「ああ大丈夫だ。そっちはどうだ」
「甲竜の特殊個体は仕留めたよ、今から帰投する」
「よし、こっちも帰投する。あの竜がまた出ないとも限らない。ベーシックを広域探査モードにしてレーダーを張りながら飛ぶんだ」
「やってみるよ」
竜都の東、僕たちの艦船が浮かぶ座標へと舵を切る。もっとも上方向にかなりの速度に達していたから、減速と転舵にだいぶ時間を食いそうだ。石の剣も回収しなければ。
もちろん収穫はあった。
当初の目的だった甲竜の特殊個体は倒せたようだし、煌星竜について貴重なデータが取れた。兜のまじないを実戦で試せたことも大きい。
だが、なぜだろう。
僕たちが前に進もうとするごとに、世界が速度を上げていく。
その速度の凄まじさ、己が後ろに流されるごとく……。




