第六十五話
価値のある過去に憧れる。
小隊メンバーと交わした言葉は朽ちかけたポスターのよう。場面と言葉が散発的に思い出されるが、意味するところは何も分かっていない。
会話にはもっと大きな意味があり、表情や仕草には何かしらの背景があったはずなのに。
人との出会い、目にした光景、その中には重要なものもあったはずなのに、僕はあまりにも多くを見逃して生きてきた。
ある日を境目として、世界の全てに意味が生まれた。それは喜ばしいことだが、過去の不明さに気づくという意味でもある。
僕はまだ赤子なのだろうか。
この世に生まれる前の記憶を失ったことを悲しみ、泣くのだろうか。
※
待機は一週間ほど続いている。
竜都で何が生まれようとしているか分かったものではない。一刻も早く攻め入りたい気持ちはあるが、おそらくこの巡洋艦で攻め込めば、マエストロが介入してくる可能性が高い。
シールはどう動くか分からないが、このところ活動の噂が聞こえないようだ。竜使いに倒されたという話も聞かないから、やはり身を潜めているのか。
互いに姿を見せないままでの、奇妙な拮抗状態。僕たちの現状はそんなところだ。
「ようし、今日はこのぐらいにしとこう」
ココが言う。ベーシック同士での格闘訓練だ。
「ココ、僕はまだやれる」
「臨戦態勢なんだろ。疲れが残らない程度で切り上げるんだよ」
それはもっともだ。ベーシックを乗降姿勢にして降りる。
先に降りていたココはいつもと変わらない。緑の肌に大柄な体躯、顎が引き締まっているのでいかめしい印象があるが、薄い唇と大きな目にはどこか温和な雰囲気もある。
今まではずっとココに負け越していたが、ベーシックの操作補助に無意識の反応を乗せる技術。これによって徐々に勝率は上がっている。操作補助は新兵しか使わないと思っていたが、反応速度の向上に活かせるのは発見だった。
だが、まだ勝率は3割弱だ。白兵戦でのココはやはり強い。
「ココも上達してるみたいだな。ベーシックにデータを収集させてるけど、この一週間でさらに数値が向上してる」
当たり前の事だが星皇軍時代、ベーシックで格闘戦を行うことはまずなかった。好んで行ったのは変わり者の烙印を押されてたブラッド少尉ぐらいだ。だから才能の有無もあまり考えてこなかった。
しかるにココと僕では才能の差を実感するしかない。身体感覚とでも言うのか、こちらの攻撃を皮一枚で避ける技術は神業である。
「まあ上達しなきゃ練習の意味がないからね」
「いや、さすがだ、もう半自動操作も姿勢制御も切ってるみたいだし、さすが鬼人の武人だな」
「よしてくれよ、あたしは武人なんかじゃないさ」
ん? そうなのか。
「言い方が悪かったかな。戦士とか、勇士とか、鬼人には独特の言い方があるかも知れないけど、勇猛果敢さの称号だよ」
「あたしは戦闘が専門ってわけじゃないんだよ。練習は必要だからやってることさ」
「ん……そ、そうなのか、気に触ったらすまない」
「別にいいさ」
戦闘が専門ではない……。
そうか、ココは鬼人の集落を飛び出して、レジスタンス支部のリーダーを務めていた人物だ。
本来は指揮官とか司令官とか、指揮が専門なわけか。
廊下を歩きつつそんな話をする。だがココは首を傾げるのみだ。
「あたしは指揮なんかできないよ。そんな柄じゃないさ。西方辺境の支部でもドワーフの面倒を見てただけだからね」
「そうなのか……すまない、ココの専門って何なんだ? 今後のために聞いておきたい」
称号、専門技術、それは兵士の二つ名ともなる。例えば偵察兵、工兵、狙撃兵、指揮官、あるいは後方担当。
僕には専門はないが、まあベーシック乗りが称号になるだろう。星皇軍の機動小隊の一員だ。
「別に専門なんかないよ」
ココはすいと曲がり、食堂に入っていく。僕は少しのあいだ立ち止まる。
専門がない……。そりゃまあ、そういう兵士もいるけど、ココがそう答えるのは何か違和感がある。ココは自分を何とも認識してないのか?
あるいは自分はただの一兵卒、命じられるままに何でもやるという意味か。
そうだな……レジスタンスの一員、同じ志を共有する同士、それ以上でも以下でもない、そういうことか。
僕も食堂に入る。いつものように多くの獣人とドワーフたちがひしめいている。
ドワーフたちはオートクッカーを我がものとし、毎日のようにメニューを増やしていた。獣人に伝わる料理もあるし、船のデータベースから取り出した星皇軍のメニューも。
「あ、ナオなんだよ」
「なに食べるんだよ」
「ええと、準待機用糧食A」
ドワーフたちが石でも背負うみたいに肩を落とす。
「もー3日もそればっかなんだよ!」
「いいじゃないか別に……食べ慣れてるし好きなんだよ。栄養はもちろん、消化吸収もいいし集中力や動体視力などを高めて……」
「いいからビーフシチューにするんだよ、新メニューなんだよ」
「エビの殻にサラダを詰めたやつもつけるんだよ」
「エビの殻に詰める意味は……?」
まあ、あまりドワーフたちの提案に逆らいたくないので、言う通りにする。
テーブルにつくと、ごろごろとしたブロック肉の入ったシチューがすぐに届けられる。付け合せのポテトから甘い匂いの湯気が上がっていた。
牛肉は重いかと思ったが、案外にくどくなくて、唇でも噛み切れるほど柔らかい。
といってもこれは牛肉ではない。船の調理機でタンパク質を合成したものだ。原料は甲竜の肉である。
野菜については鬼人たちの菜園から収穫してるものや、船に届けられるものもあるが、合成で作ることもできる。この船にもはや食糧問題は無いのだ。
ココがはす向かいに座った。食べるのは蒸した野菜と羊肉の串焼きのようだ。
「ココ、さっきはすまなかった」
「ん?」
「肩書なんかいらないんだな、ココはレジスタンスの一員、それ以上でも以下でもないってことか」
「そりゃあ寂しくないかい。何年も一緒に仕事してんだから肩書ぐらい欲しいだろう」
…………え?
「あるのか? 肩書」
「まあ肩書というかね、自分はこういうやつだ、みたいなもんは持ってるよ。あたしは一族の中じゃ変わり者だったけど、その肩書はずっと変わってない」
ココは西方辺境の村を飛び出してレジスタンスに入ったわけだが、それはやはり鬼人としては奔放な選択である。
言葉を素直に受け取ると、ココの自己認識というのはレジスタンスに参加する前から変わってないのか。西方辺境の村にいた頃から……。
「ええと、その」
埒が明かない、ちゃんと聞いておくべきだろう。
「ココはどういう人なのかな。戦士なのか、指揮官なのか、他に専門のことがあるのか」
「ま、想像に任せるよ」
からん、と二本の串を皿に置く。
野菜と羊肉が消えた!?
「今日はもう寝るからね、訓練するなら明日また声をかけておくれ」
「あ、ああ」
ココはドワーフの海の中を去っていく。彼女は長身で大柄だから、ドワーフたちの中では山のように目立つ。
だが、なぜだろう。
ドワーフたちの喜ばしい顔の中で、賑やかな食堂の風景の中で。
ココの姿は、少し寂しそうに見えた。
※
「私はこのように考えます」
ブリーフィングに呼ばれたので参加する。シャッポは多くの同類や、各種族の族長たちと会議を重ねていた。今日は草兎族がまとめた推測を共有する日らしい。
「竜皇の目的とは、人間を作ること。衛竜でも太母でもない、人間の新たな基本の姿を」
獣人の一人が手を挙げる。
「それはつまり、竜皇がこの星の生態系を牛耳るということか」
「シャッポどの、それは生命の掌握ではないのか。竜皇は完全な存在となる。誰よりも強く、老いも病も、死もない存在に成ると」
完全な存在となるのが目的。衛竜や太母はその実験に過ぎない……。
「いいえ」
シャッポは否定する。
「そうではないでしょう。なぜなら生み出している生命が多すぎる。竜皇が生み出そうとしているのは、あくまで人間、新しい文明の担い手です」
また別の獣人が手を挙げる。
「神の真似事という事か? 新たな人類を作り、神となってそれを見守ろうと」
「見守るというのも違います。なぜなら生み出されるものがすべて雄性体だからです」
そう、徴兵にあう者も男なら、竜使いも、衛竜もすべて男だった。
なぜ雄性体だけなのか、それはずっと疑問だった。
「これは、繁殖を必要としないことを意味します」
獣人の長の何人かが肩をすくめる。シャッポの言葉を荒唐無稽と受け取ったのか。
「馬鹿げている、繁殖できないものを生み出して何の意味があるのだ」
「そうでしょうか? 逆になぜ繁殖は必要なのでしょう。生命の永続のためには不可欠なシステムだからです。竜皇の作り出す世界にそれは必要ないのです」
竜皇は人間を生み出せる。生命をいじることができる。
では、その支配する世界には繁殖や世代という言葉もないのか。すべての人間は、必要に応じて竜皇が作り出せばいい……。
もう少し。
もう少しですっきりと言語化できる。そんな気がする。
シャッポにはどこまで見えているのだろうか。彼女はそれ以上は踏み込まない、まだ推測の域を出ないからか、それとも語ることを危ぶむからか。彼女だけが加速度を増し、他のすべてを置き去りにするような錯覚がある。
この感覚には覚えがある。耳長だ。
シールを出し抜いてこの艦を復元させ、僕たちに残した人物。その思考に誰も追いつけなかったウサギ……。
「我らのやることは変わらぬ」
幾分、もうその話は打ち切りたいという意図の乗った声が生まれる。
「我らはヒト族と鬼人たちへの徴兵を止めたいだけだ。作戦には何も変化はない、そうであろう」
「そうです、ただ……」
何も変わらない。
シールと、マエストロと、僕たちと竜皇、この4つがせめぎ合う構図は変わっていない。
だが、シャッポは居並ぶ獣人たちの長を前に、ふと何かを諦めるような顔になる。
言葉が足りない。
世界にはあまりにも言葉が足りない。シャッポの思考を伝えきれず、誰もそれを理解しきれない。
コミュニケーションの不完全性。
ウサギたちならば、そんな命題をも知恵で乗り越えると期待したいが……。
※
格納庫に行くと、ドワーフたちが集団で座り込んでいた。
その前には僕の機体、ベーシック・アグノスがあり、ドワーフたちを前にして何かの御神体のようだ。
「……何してるの?」
「話しかけないでほしいんだよ、瞑想なんだよ」
「ニューウェーブなデザインを模索してるんだよ」
「サイケデリックでプリミティブなオービットなんだよ」
見れば大量の紙が散らばっている。描かれているのはベーシックのようだが、ぐちゃぐちゃな絵でよく分からない。
「ええっと、模擬戦したいんだけど」
「いまアイデアが降りてきてるんだよ」
「イメージの翼が穢れなき堕天使なんだよ」
どうしよう、訓練所のシミュレーターを使おうかな、最初は壊れていた……というより癒やしのまじないを受けたせいでインストールされたソフトが消えていたが、ドワーフたちが再インストールを行ったはず。
「ナオ!」
格納庫に入ってくるのはココだ。大股で歩いてくる。
「ココ、いまドワーフたちが作業中らしくて、機体を動かせないとか」
「大変なんだ、西方辺境に竜が出たらしい」
西方辺境。僕が降り立った地であり、ココの属する鬼人の村があるはず。
「やつの名は威嶽。とびきり育った甲竜の特殊個体だ」
「特殊個体……」
「ああ、ここ十年以上姿を表さなかったが、ついに現れたらしい。やつを仕留めに行く、ナオも手伝ってくれ」
いつになく真剣な、いやココはいつでも真剣なのだろうけど、やけに差し迫った様子である。
もちろん僕たちは竜皇と敵対するレジスタンスであり、今は竜都を見張って準戦闘待機中だ。うかつにここを離れられない。
だが……西方辺境はココの故郷。族長であるドド・ゴードランの村がある。かつて僕が降り立った小さな開拓村も。
それを守りたいと気が逸っているのか。いつも落ち着きのあるココには珍しい一面だ。
「よし……」
思えば僕は、仲間たちとすれ違って生きてきた。
同じ星皇軍の小隊メンバーのことも表層しか知らなかった。
その後悔はもうしたくない。ココが何かを成したいというなら、僕は……。
「とりあえずシャッポに相談しよう!」
いや、やっばり軍人としては段階を踏まないと……。




