第六十三話
※
12時間後。
僕たちの艦は竜都を遠く離れていた。周囲は無限の雲海。時おり野良の竜が見え隠れしている。
「ココ、もう一度だ」
「あいよ」
森の神の斬撃。僕の目がそれを捉えると同時に操作補助が連動、意識するよりもコンマ数秒早く腕が動き、トボの木でできた模擬刀をはじき飛ばす。
「いい感じだねナオ、かなり速くなってるよ」
「不思議な感覚だよ。ベーシックが僕の動きを先読みしてくれるみたいだ」
竜都での戦いで掴んだベーシックとの連携、白兵戦には役立ちそうだ。
ココも真似してみたが上手く行かないらしい。おそらくココは武人としての経験がありすぎるからか、操作補助に動作を委ねるのが難しいのだろう。
「ナオやーん」
全方位モニターに浮かぶウサギの耳、キャペリンだ。
「戻ってきてから訓練ばっかりやないか、ちょっとは休まんとあかんで」
「じっとしてられないんだ、あの時に掴んだ感覚を刻みつけておきたくて」
「あたしはいくらでも付き合うけどね」
ココも本当にタフだ。帰還してからほとんど休み無しで半日ほど打ち合っているのに疲労が見えない。
「そろそろ日が落ちるで、あとは明日にしときー」
なるほど、雲海の果てが赤く染まりつつある。
「キャペリン、シャッポたちの会議は終わったのか」
「まだや、今は船の内政について話してるわ」
僕とノチェが船に戻る前から、シャッポと獣人の族長たちは会議に入っていた。
偵察で分かったことの検討、これからの方針、話し合うことは無限にある。僕はココと模擬戦をやりつつ、モニター越しにいくつかの質問に答えていた。
偵察なのだからきっちり報告書を作成するのかと思っていたが、船でモニターできた範囲で十分とされたらしい。
「重要なことはなあ、太母は知られているよりも遥かに多いっちゅうことや」
食堂に移動、テーブルを囲みつつキャペリンが告げる。僕とキャペリンは同じようなシチューだが、含まれてる食材はまったく異なるらしい。パイロットである僕にはカロリーとタンパク質を多めに、頭脳労働担当の草兎族は糖分を多めに、それと全て野菜由来の料理を。
「騒動が起こってから一時間あまりで20体以上集まってる。竜都からの脱走者を完璧に見張ってるとするなら百は下らんやろう。それだけの兵力を抱えていったい何と戦ってきたのかっちゅうことや」
竜の皇帝は何と戦ってきたのか。その歴史は僕たちが推測するより深く、長いのだろうか。
「会議では、何か大きな戦いに備えてるんやないか、と言われてる」
「備え、か……」
シールの言葉を思い出す。互いに敵となって出会った、あのデル・レイオ大渓谷での戦い。
シールの言葉を頼りにして良いのかという葛藤もあるが、何度も何度も、折に触れて思い出そうとしてしまう。
――無限の時空、無限の世界から強者を集める怪物。
――強靭で強大な怪物たちを競い合わせ、最も優れたものと番になろうとした男神。
――ですが、深刻なバグが生まれた。あろうことか未来から送り込まれた存在がいた。
――あなたの世代の数十年後の機体、それが煌星竜。
――巨人の力を取り込み、この星の神をけがし、星の玉座に座っている。
――青き旗の元に集いし賢者たちは、一度だけ同じ力を再現できた。そして呼び寄せられたのが。
「この僕……いや、マエストロの小隊、というわけか」
細部が違うかもしれないが、こんなことを言っていたと思う。
この星にかつて存在した神、それを打ち破ったのが竜皇と、煌星竜。
では、その竜皇の目的とは何だ。支配するだけなら、すでに戦力は十分すぎるほど……。
「シャッポ姉ちゃんは何か思うところがあるみたいや」
キャペリンがスプーンをひらひらと振る。
「でも確信が持てへんみたい。あとでナオやんに相談したいて言うてたわ。夜になるだろうけど、今日中に会いたいって」
「分かった」
「せやけど大量の太母かあ、これ以上の隠し玉がないことを祈りたいなあ」
「そうだね……」
戦いは激しさを増していくだろう。
最後に立っているのはレジスタンスか竜皇か。
それとも、シールかマエストロか。
※
騒動はその直後に起こった。連れてきていた蜘蛛手の男が船を降りると言い出したらしい。
数人と揉めているところへ、僕とキャペリンが駆けつける。
そこは船の甲板である。甲板といっても土があり草地があり、家畜が草をはむような場所だが。
「なあ頼むよ、あんた弓の名手なんだろ」
「どうせ戻れるわけありませんよ。ここで我々と一緒に過ごしましょう」
獣人たちが説得している。人垣を割ってキャペリンが入っていく。
「なんやなんや、船を降りるって、あんたどうするつもりなんや?」
「……」
蜘蛛手の男は喋らない。おそらく降りる理由についてはもう誰かに話したのだろう。二度も話すのは御免だというのか。
「みんな、彼はなんと言ってた?」
「ええとですね、確か「信仰」とだけ言われましたね」
信仰……。
「あんた、まさか聖地に戻るつもりか」
蜘蛛手の男は僕のほうを見る。
おそらく葛藤のためか、十秒近くもじっと見つめた後に、ため息をつくように言った。
「風種」
「……キャペリン、どういう意味?」
「種が風に運ばれて緑が広がる。ニュアンスとしてはどこにでも緑はある、どこででも生きていけるみたいな意味や」
……つまり、信仰はどこでもできる。聖地でなくとも、という意味か。
「じゃあ、この艦でもいいじゃないか。太母が信仰の対象だというなら祭壇を作ってもいい。祈るための部屋を作っても」
何も答えない。
だが目が言っている。必要なことはすべて言ったと。
確かに、祈れればそれでいいというわけでもないだろう。この船はレジスタンスの船だ。戦いと無縁で過ごすわけにもいかない。
おそらく、この人物は戦いなど望んでいないのか。穏やかに慎ましく、祈りのために日々を過ごせれば良いと。
「……どうしても降りるのか」
答えはない。だが気配が肯定を伝える。
「だが、あんたは太母を倒すのに協力してくれたじゃないか。あんただってお尋ね者になっている可能性が高い。この船でレジスタンスに参加したほうが安全だぞ」
「そうやで、ナオやんだってうまくやれてるんやから」
「どういう意味?」
「疎神」
唐突に割り込む。言葉には重々しさが感じられた。
「キャペリン、今のは?」
「え? ええと、素身ではないな、租神でも狙森でもない……なんか、神さまがどうのって言いたいらしいけど、よう分からへん」
「ナオ」
と、そこへノチェもやってくる。会議に参加していたためか、一番上の目に眼鏡をかけていた。
「決意」
そう発声する。彼の決意は硬いから、引き止めないでほしい、ということか。蜘蛛手同士なら分かる感情の機微があるのだろう。
「蜘蛛手の……人」
だが、僕は何だか納得がいかなかった。
ここまで来ても、僕はこの人物の名前も知らない。
なぜ太母を倒すのに協力してくれたのか。なぜ信仰に生きるなどと言い出すのか。価値観の断絶は荒野のごとく広く、海のように深い、それが僕の内面を粟立たせる。
「……獣人たちには多種多様な文化があるのは知っている。それを尊重したいと思っている」
「……」
「だが、共通することもあるはずだ。明らかにコミニュケーションが成立してない状態を放置する。名前すら名乗らない。それは君たちの文化に限らず不誠実なことじゃないのか。せめて、分かりやすく言い直すとか、別の言い方をするぐらいできないのか。それが蜘蛛手という種族なのか」
「……」
蜘蛛手の彼は、ふと遠くを見る。
ゆっくりと流れる雲の山脈。日が落ちかけた中で赤黒く染まった雲海を見て。
「あのような怪物を信仰していたことは、我々の汚点だ」
甲高い声で、喋り出す。
「!」
それに激しく反応したのはノチェだ。両腕をぎゅっとより合わせ、凍えるかのように肩を震わせる。何か、蜘蛛手の価値観では絶対にあり得ないことが起きているのか。
「疎神とは空洞化した祈り、信仰が形骸化していたことを意味する。私は太母の実像に気づかなかった。竜都で起きていたことを見ようとしなかった。太母の素材となって、多くの犠牲を生んだことは我々の責任でもある。だからレジスタンスには参加できない」
流暢な話しぶりに多少面食らうが、同時に彼の変化にも気付いた。顔から発汗が見られ、全身が紅潮している。人間で言うなら恥ずかしいという状況なのだろうか。
「は、話は分かった。だが、そんなことは君を拒む理由にはならない。レジスタンスに参加してくれないか、今は無理でも、少し時間を置いてからでも」
「私は、本来は誰も殺したくないのだ」
明らかに彼は限界だった。呼吸音が聞こえるほど大きくなり、喉につかえるように話している。
「蜘蛛手の弓は狩りの道具であって、戦いの技ではない。太母の叫びが今も耳に残っている。ノチェ」
と、やや唐突な印象をにじませてノチェを呼ばわる。その様子にも彼の限界が感じられる。
「敬父……」
「私は最後までお前が理解できなかった。レジスタンスの考え方は我々とあまりにも違う。なぜヒト族のために戦える。なぜ森ではない場所で生きられる。分からないことを恥じたが、どうにもならなかった、すまない」
と、体を反転。船首まで数歩を一気に駆け、闇の支配する空に身を躍らせる。
「なっ!?」
その時、僕の脇から飛び出す影が。
「手近な森までお送りしてきます」
夜烏人だ。カラス羽を打ち鳴らし、吸い込まれるように船首から急降下していく。
僕と獣人たちが慌てて船首まで行くが、もはや何も見えない。くろぐろとした夜の雲があるのみ。
「……すまない、か」
おそらくあの長い言葉は、蜘蛛手にとっては耐えがたい行為なのだ。
僕はそれを理解せずに彼を追い詰めてしまった。彼は信仰する対象を失い、これからどうすべきか途方に暮れていたはずなのに……。
「ナオ」
ノチェが僕の肩を支える。彼女もまた激しく汗をかいていた。見るだけで苦痛にまみれるような、そんな一幕だったのだろう。
「風種」
「……」
信仰はどこにでもある、どこでも生きていける、か。
今はそれを信じるしかないだろう。
願わくば、これからの星の歴史の中で、少しでも蜘蛛手の人々と分かりあえることを……。
※
目まぐるしい一日は、夜になっても続いている。
会議はその担い手を族長たちに移して続き、船内にはドワーフがあふれ、戦闘要員たちも夜間訓練を続けている。竜都での戦闘の熱がまだ船に残っている。
「ナオ様、お呼びだてしてすみません」
シャッポの自室は司令官室であり、下士官室の5倍ほど広いのだが、その大半は本で埋まっている。
惑星のあちこちからかき集めた巨人の伝承、生活のための資料、ドワーフたちの技術をまとめた本、草兎族たちに伝わる蔵書などだ。
もう獣人たちとの付き合いも長いけれど、夜半にそのような場所でシャッポと会うと、童話の中というか、浮世離れした世界に迷い込んだ気がする。
「気にしないでくれ、シャッポこそ大丈夫なのか、ずっと会議だったのに」
「大丈夫です」
草兎族がヒト族と同じぐらい眠るのかは知らないが、疲労のないはずはない。手短に済ませるべきだろう。
「すべては推測に過ぎませんが、竜皇の目的が予想できました」
「そうか……」
シャッポが出す推測だ、かなり核心に迫っていると見るべきだろう。それを僕と相談することでシャッポ自身も確信を得ようとしているのか。
……だが、なぜ僕に?
「私はずっと不思議だったのです。なぜヒト族から男手だけを奪うのか。これでは遠からずヒト族は滅びてしまう。あるいは種の断絶を考えているのかとも思っていました」
僕もそんな推測をしたことがある。もう何年も前のことだが。
「ですが、太母のことを知って思いました。竜皇には何ができるのか。その力でどんな社会を創ろうとしているのか。そのために不要なものとは何か」
「シャッポ……?」
シャッポは興奮するというより、感情を言葉で包み込もうとしているように見える。
己が思いついた恐ろしい想像を、言葉に変換することで一般化しようとするかのような。
「よいですかナオ様、竜皇は太母を操り、多くの生命から衛竜を生み出せる。彼らが最終降体と呼ぶ儀式を経て、太母をも生み出せる」
「うん……」
「そして私の知る限り、衛竜には雄性体しかいない、少なくともそのように見える」
「……」
「竜皇が、もし人間を生み出せるとしたらどうでしょう。いいえ、衛竜も太母も彼らに言わせれば人間。世界を担う万物の霊長なのです」
それは。
――そりゃあ、男じゃないと駄目だろう。
「竜皇は人間を生み出せる」
――生産兵の目的に沿っているからだよ。リラクシーヴィジョンで満たされるようにできている。
「その循環において雌性体は不要なのです」
――そのことを疑問に思わないのか。やはり可愛らしいなナオ少尉は。
「竜皇が生み出そうとしているのは、自然な生命のあり方を外れた世界。すべてを竜皇が支配する、完全なる世界なのでは……」
夜はいんいんと更けてゆく。
僕は、実にその瞬間。
星皇軍生産兵としての、長い長い夢から、目覚めたのかもしれない……。




