第六十二話
獣の角を加工した弓。太さは女性の腰ほどもある。ヒト族には引けない剛弓から放たれる矢、空間の一点に突き刺さり、そこにいた翼ある蛇をはじき飛ばす。
鱗の強度のために貫通はしないが、太母が何が起きたのかと首を動かす瞬間、その姿を青の光条が撃ち抜く。
「太母を見つけ出している……」
信じられない、ベーシックのあらゆるセンサーも無力化される中で、しかも炎の壁の向こうから見つけている。いったい、あの案内役には何が見えているのだ。
周囲が歪む。透明なカーテンを引き絞るような眺め。ねじれた一点から猛炎が生まれ、天を焦がすほどの火柱となる。
そこを抜けて矢が飛び出す。シャフト部分のほとんどを炭化させ、先端の鏃だけが竜にぶち当たる。
「少なくとも三体いたのか、いや、この感じ……」
まだいる。
炎を背にして包囲を狭めようとしている。
いったい太母は何体いるんだ。
どれほどの「素材」を使ったんだ。
「ナオ様、広範囲から熱源反応です。超高温を維持しながら、鳥が飛ぶほどの速度で接近しています」
船からの広域観測データが届く。僕たちを中心に高熱源が散在し、それがどんどん近づいている。
「こんなにいたのか……」
「ナオ様、すぐに離脱しないと危険です!」
シャッポは真っ先に言及すべきという意思を込めて言う。
「太母たちは空から近づいています、三次元的に放置されているのです」
模式図が横向きに切り替わる、確かに、数十体もの太母が半球を描きながら接近している。
「ノチェのフルングニルは飛べるのか?」
「大型のイオンスラスター四基を装備してます。空中での白兵戦は不可能ですが、自力飛行で帰還することは可能です」
「空中での機動力はないんだろう? 太母の正体は翼のある蛇だ、おそらくフルングニルは包囲を突破できない、置いていけない」
案内役の蜘蛛手とフルングニルの連携は続いている。既に六体を撃ち抜いた。
「時間はかけられない。剣のまじないを最大出力で撃つ」
「ナオ!」
警戒警報、これは味方からのフレンドリーファイアを知らせるものだ。フルングニルの砲身がこちらに向いている。
肩部増弾槽が爆砕、内部から大量の光線撹乱剤が撒き散らされる。KBハドロンレーザーをCエナジーに変えるプリズム、特殊な紋様パターンを刻まれたアルミ片が。
光条。フルングニルのレーザーが僕の機体を射抜く。
かに思えた瞬間、レーザーが背後を行き過ぎるのが察せられる。
「!」
ノチェが狙いを外したわけではない。レーザーが屈折するように曲がったのだ。
「太母か!」
その一体がいる。僕とノチェの間に。
「ナオ様、移動しながら射線の確保を!」
シャッポの指示通りに水平移動。
だが駄目だ、望遠で捉えるフルングニルの姿が歪んでいる。意図的に射線に入ろうとしている個体がいる。
「くっ……まさかKBハドロンレーザーのエナジー変換を知っているのか。北方辺境の戦いを見ていたとしても、Cエナジーのことなど知るはずがない連中が……」
……いや、そんなはずはない。
太母は存在が伏せられた竜。衛竜と情報共有をしてるとは思えない。
では、まさか。
あの北方辺境での事象を目撃しており、今、その再現を阻止しようとしている個体は、まさか。
弦をはじく音。蜘蛛手の剛弓から生ち出される矢。
それは回避される。空気の密度が違う球状空間を矢が通過したのが見えた。
「だめだ、回避される……あの矢だって200キロ以上出てるはず、それを簡単に」
警告音。
上空には千度に達する熱圏が形成され、ゆっくりと包囲を狭めつつある。
ベーシック・アグノスの浸潤プレートは耐えられても、配線がむき出しのフルングニルはひとたまりもない。
射線を塞いでいる太母は付かず離れずの距離を取っている。きわめて冷静な判断としか言えない。
どうする、どうやれば事態を打開できる。
「ヒト」
声がする、フルングニルを通して聞こえる、案内役の蜘蛛手の声だ。
「投石」
「石を投げろって言うのか。だ、だが僕からは正確な位置がつかめない。おそらく回避されるか、当たらない」
熱源モニターが火災の熱で真っ白に染まっている。盾のまじないで炎を消しても、空間に残る熱までゼロにできない。
チャフの密度が落ちはじめた。もうじきレーザーを変換できなくなる。
「霊鎧」
何かをつぶやく。だが意味は分からない。全方位モニターの中のキャペリンに問いかける。
「今のは何という意味?」
「ええっと、霊鎧ってのは肉体のことや。霊魂に対する肉体やな。で、でもそれ以上に特別なのニュアンスはあらへんで」
「蜘蛛手の人、僕にはあなたの言わんとすることが分からない、詳細な説明が欲しい」
返事はない。それは蜘蛛手の習慣だろう。すでに必要なことは言ったということか。
「お願いだ! 状況は分かるはずだ! 太母の群れが降りてきたらあなただって死ぬんだぞ!」
やはり返答はない。何という頑固者。これを価値観の違いで説明できるのか。一度言ったことについて、説明し直すぐらいなら死んだほうがマシだと!?
「ぐっ……ノチェ、今の言葉の意味は……」
「……不明」
ノチェにも分からないのか。太母に何度も矢を当てている男の言葉だ、無視はできないが、だとしても……。
「霊鎧……霊魂に対する肉体。それは何のことだ。どんな意味が」
――ベーシックってのはな、人間なんだよ」
「……!」
――こいつはね、人間の新しい体なんだよ。
――脳と肉体の関係だ。人間ってのはつまり、脳が肉体というロボットに乗って……。
「ブラッド少尉……」
僕という人間が魂なら、ベーシックとは肉体。
そして僕の体は、僕の中にある霊魂の乗り物。肉体とは魂の乗り物に過ぎず、魂が肉体のすべてを知るとは限らない……。
そうか、案内役の蜘蛛手、彼が太母を見つけ出せる理屈。
僕たちの目には確かに太母が見えている。わずかな空気のゆらぎ、光の加減、風景の不自然さ、見えているのに、理性の部分が何も見えていないと判断してしまう、だから見つけられない……。
「……なるほど」
いちかばちか、やるしかない。
「ベーシック、前方を最大解像度で映し出せ。熱源反応を最大感度に、腕を振ると同時に動作補正を入れろ、目標検出はアイトラッキングに追従!」
目標捕捉照準装置、目で見たものを攻撃できるシステムだ。僕の目はベーシックの目、僕の腕はベーシックの腕。僕が無意識で見つけたものを、ベーシックが補正してくれるはず。
石を拾う。
太母はこちらを見ているだろうか。当たりはしないと高をくくっているだろうか。
「行くぞ探求者!」
踏み込む。
腕を真後ろから真上に、視界のすべては真っ白な世界。最大感度で展開されるカメラの中で、すべてが漂白されている。
極上の時間の中で探す。白の中の白を、光の中の竜を。僕の無意識の目がそれを探す。
そしてベーシックの操作補正が、稼働を。
投。
四メートルはある腕から放たれる超高速の石。ほぼ同時に打ち出される矢。
ある一点でそれがすれ違う。瞬間、ざん、と鱗を削り取る音が。前後からの同時攻撃に、かわしきれずに驚愕の顔を見せる竜が。
「ん!」
青い光条。僕に届いて撹乱材に触れ、Cエナジーに変換。光が機体表面を滑って内部に染み透るような一瞬。
「薬圧サスペンション最大!」
跳躍。真上に飛ぶ。機体表面を襲う千度の熱、石の剣にみなぎる光。
「あらゆる竜を断つ光を!」
円の軌跡。
それはベーシックから広がる光輪。すべてを消滅させる浄化の光。太母の群れを押し流す濁流。世界を両断するほどの一撃。
光が広がる。
天を覆う七彩の波紋。
太母の群れを蒸発させながら、竜都の空を覆う虹の円。
「ぐうっ……!」
がくん、と頭部が落ちる。虚脱感が一気に襲ってきた。
ブロック化されてたCエナジーはまだ数%残っているが、もはやここまでだ、離脱しなければ。
「フルングニル! 離脱だ! 案内役の彼も連れて逃げろ!」
「了解!」
どん、とアグノスはサスペンションを効かせて着地。火災以外の熱源反応は消えている。どうやら全ての太母を巻き込めたようだ。僕も離脱を……。
「……」
地に堕ちた竜。
大きくはない。3メートルほどの翼ある蛇。もはや姿を消すこともできない個体だ。
近づく。胴の一部が大きくえぐられている。間違いなく致命傷だろう。
「お前、アイガイオンか」
フルングニルはすでにイオンスラスターで離脱している。僕も一刻も早く逃げねばならないが。どうしても、その問いだけは投げずにいられない。
「アイガイオンだろ! 答えてくれ!」
「名は、ない」
大量の、血とも体液ともつかない琥珀色の液体を流しながら、そいつは言う。
「真の、人間に、名は、不要」
「……? な、なぜだ、お前たちが言っていたことじゃないか。戦士は名前がなければならない、名前を持たない者は戦士として認められないと」
「それ、は、途上のこと」
竜皇……。
「名は、かりそめ。最後には、不要、となる。真なる人間には、不要」
人間……? 人間だと。
「お、お前は竜だろう。人間とは何のことだ」
「竜も、かりそめ、に、過ぎない、太母と、なって、わ、かった」
「分からない。何の話をしている。お前に何が起こったんだ。何を悟ったって言うんだ」
「名前が、ない、人間」
命が消えようとしている。
この個体は、アイガイオンかも分からないこの竜は、何を言おうとしているんだ。
そもそもなぜ話そうとするのか。僕と彼らは敵同士なのに。
それでも、言おうとしているのか。
僕と彼の間の奇妙な絆のために、それは誰かが言わねばならない予言の一節か。
それとも、この世に残す遺言なのか。
「名前がない人間……?」
「それ、が、竜皇、の、目、的」
名前がない。
名前がないだって。
それは、どういう……。
「ナオ様! 限界です! 熱源反応の第二波が迫っています!」
「くっ」
薬圧サスペンションを稼働、跳躍の勢いを得てスラスターをふかす。
さすがに最大速度には追いつけないはずだ。先行しているフルングニルも含めて、竜都から離脱することは可能か。
「名前のない人間……」
あれはアイガイオンだったのか。
それとも名前も残らない一介の戦士か。
名前を持つことは道程に過ぎない、いずれは名前を失う……。
「名前がない……名前がないものを操る、それはシールも使っていた「冠」のまじないのことだが……」
何かが浮かびそうな気がする。
だが同時に胸がざわつく。
それは、僕の根幹の部分に迫るような思考。
恐ろしさと不安。だが僕は踏み込まねばならないだろう。あの戦士が遺したのは、竜の皇帝に迫りうる言葉だから。
「ナオ様、安全圏まで抜けましたら誘導します」
「ああ、頼む」
「……何か、妙ですね」
シャッポはそう呟くが、僕には分からない。心臓がいつもの倍の速度で鳴っていて、脳内物質が分泌されているためだ。戦闘能力は上がるが、細かな洞察力は落ちてしまう。
「何が妙なんだ?」
「戦闘になったのは太母と衛竜のみです。そこは竜皇の膝下、打って出るまではいかずとも、姿を見せるかとは思っていたのですが」
なるほど、確かに妙かもしれない。さっきの剣のまじないは竜都の中枢からも見えたはずなのに。
なぜ出てこない? 姿を見せるリスクを負いたくないのか。太母たちに任せるべきと判断したのか、それとも……。
「分からない……竜皇はどこに……」
操作系が誘導モードに切り替わった。
巡洋艦へと引かれていくベーシックの中で、僕は有り余る熱量を放散するかのように、深く深く息をついた。




