第六十話
この森は樹高15メートルあまり、樹木はやたらと密集して思える。聖地に近く、木材を利用されていない手つかずの森だからか。
「敵襲だ! 臨戦態勢を取れ!」
「森に逃げ込んだぞ!」
衛竜たちも気づいて追ってくる。ノチェの脚部は先端が槍のように鋭く、樹木に突き刺さってぐいぐいと登り、枝から枝へと跳んでいく。
そして背後から熱波。風景の一部が急速に歪むように見えて、その部分が球状に炎を上げる。
「なにい!? 爆薬か!?」
「敵は火を使うぞ! 火の手に警戒しつつ追跡せよ!」
この燃焼現象、衛竜たちは知らないのか?
――ナオ様、私はずっと考えていたのです。
シャッポからの通信。星皇軍のインカムならば樹上を飛び回る中でもクリアに聞こえる。
「どうしたんだ?」
――アイガイオンの言葉です。最終降体を迎えれば20倍の強さが得られる。あまりにも漠然とした表現ではありませんか?
確かにそうだ。何の参考にもならない数値、いっそ稚拙とも言える。
アイガイオンがそれを信じている以上、指摘すべき問題とは思ってなかったが。
――もし、20倍という数字に確たる根拠があったとしたらどうでしょう? 20倍とは何をもってそのように言えるのか。
「それは……力が強くなるとか、反応速度が上がるとか、空を飛べるようになるとか」
しかし、そうだとしても20倍と言えるだろうか。
ベーシックの20倍の出力がある機動兵器とはどんなものだ? そんな出力に耐えられる構造材は鍛造レベルで評価不能だ。星皇軍でも作れるわけがない。
考えるほどに奇妙だ。そこまで気にする言葉では無いようにも思えるが、気にし始めると底がない。
――もし、根拠があるとすれば、一つだけ可能性があるとは思いませんか。
「可能性……それは?」
――それは。
後方で爆炎。樹木が一斉に燃え出す。まるでバックドラフトのような眺め。火柱が森から突き出すように成長し、上昇気流によって周囲の大気がそこへ引き込まれる。
――統計、です。
「統計……?」
「ナオ!」
ノチェが叫ぶ。いつの間にか森を抜け、眼の前にはあのドームが見える。
後方には衛竜たちの気配。いつの間にか森をUターンしてきたのか。ノチェの移動速度もさることながら、敵を誘導する動きは神業か。
そして離れた場所にはベーシックの機体。射出ユニットを上空で切り離し、スラスターによる姿勢制御で降り立った状態だ。
「よし、乗り込……」
ドームに。
このドームに意識が引かれる。ぽっかりと暗黒の口を開けた構造物。
そこには沈黙と喧騒の二つがあった。音を立てぬままに何か壮絶なことが起きている気配が。
周囲に衛竜はいない。
中では最終降体が行われているはず。なぜ誰もいないんだ。敵が回り込んでくるとは思ってなかったのか。それとも指揮系統に混乱があるのか……。
「……この場でドームに火種を投げ込めば爆発を起こせる。しかし火起こしの道具がない。どうする、ダメ元で火打ち石を投げ込んでみるか」
――入ってきたらどうだ。
「!!」
この声は。まさか。
――この距離なら部隊長コードで割り込める。星皇軍の備品にはその手の裏口が山ほどあるのだよ。
「……ノチェ、先にベーシックに乗り込んでてくれ。逃げ回るだけなら半自動操作でやれるはず」
「逃斂!」
一緒に逃げようと言ってくれてるらしい。
だが聞けない。僕はノチェの背から降りて、ドームへ向けて駆け出す。
「! ナオ!」
ノチェは悲痛な叫びを上げるが追ってはこない。衛竜たちに発見される前にベーシックに乗り込むことは至上命題だからだ。
ドームに至ると揮発油の独特の匂いがする。靴底の火花だけでも爆発が起きかねないが、僕は一歩も引けない。意図的に声を張り上げる。
「マエストロ! どこにいる!」
「ここだ」
闇の奥に人影。
当たり前の事だが軍服ではない。竜使いの使う黒光りする鎧を着ている。兜は顔が完全に隠れる重厚なもので、暗がりの中ではその奥にあるものは見えない。
「マエストロ、お前がなぜ……」
「この武人はいい素材だった。そのフィナーレをしっかりと記録すべきだと思ってね」
マエストロは虚空を見上げる。そこには何もない。
だが感じる。何かの気配がある。言葉では言い表せない磁力か放射線のような、細かな鉄粉が肌を刺すような気配。
「こちらはドーム前」
マエストロが独り言のように言う。
「敵の姿は見えない、引き続き警戒を続ける。そちらは森の中を索敵されたし」
……! こいつ。
ビルも見えた文明レベルだ、竜皇軍が無線通信を使っていても驚かないが、マエストロはそれに割り込んでいる。こいつが竜皇軍の工房にいたこともあるが、やはり科学力の差が……。
「太母とは何か分かるか、ナオ少尉」
穏やかで緊張感に欠ける、良い答えを期待する教師のような言い方。僕は拳をぎゅっと握りつつ答える。
「知るはずがない」
「残念だ。答えは巨人のまじないを織り込んだ生物だよ」
まじないを……織り込む?
「竜皇も巨人のまじないを知っている。だが行使しようとはしなかった。まじないとは巨人の意思に近いもの。まじないの力を振るえば自己は巨人に近づくからだ。竜皇はあくまで個としての強さを望んだ」
「何の話をしている……」
「だから巨人の武具を辺境に封じた。だがまじない自体は研究していたのだ。巨人のまじないの因子を生物の中に織り込む。そして名前を奪う。そうなった存在はどうなると思う。命令だけを聞く木偶となる。本能で光を捻じ曲げて身を隠し、本能であらゆる攻撃に対応する。炎などは自動的に抑え込むわけだ」
……。
「これを太母という。そして太母を生み出す過程が最終降体だ。太母となれる素材は多くはなかったが、竜皇軍の造兵の要であり、守護の盾であり、時には外敵を討ち滅ぼす剣となった」
「……待て、おかしいぞ、なぜそんなに詳しく知っている。お前は竜皇軍でどれほどのものを見てきた」
それに、今の話はどこか、アイガイオンの話と食い違っているような。
「……まさ、か」
「ようやく察したか、ナオ少尉」
――すべての戦士の中で私が選ばれたのだ。名誉あることだ。
アイガイオンはそう言っていた。僕は彼が最終降体を受ける最初の一人だと思っていた。事実、アイガイオンの認識はそうなのだろう。
だが、太母が人工的な存在なら。巨人のまじないを織り込んだ生物なら。太母になった個体は過去にも存在したということ。
あるいはそれは、何十年、何百年も前から。
蜘蛛手の人々に、その存在が信仰として根付くほどの昔から!
音が。
空間が震えたのだ。ドームの中にある気配が攻撃的な色を帯び、声とも震えともつかない音を放つ。
「そろそろ孵化するようだな。どうやら無事に生まれてこれるようだ。新たなる太母の誕生だよ」
「孵化……」
「羽化かもしれんな。何しろ太母の正確な姿は誰にも分からん。どれほどの大きさなのかも、個体によって違うのか同じなのかも分からんのだ」
新たなる太母……。
では、マエストロはそれをどうする気なのか?
やつにとっても太母は敵に違いない。ここで破壊するのか。それとも、太母を強奪する手段でもあるのか。
「奪ったりせんよ。太母の利用はできても移動は難しい。リヴァイアサンの場合はその体内で太母を生んだのだよ」
こちらの意図を見透かしている。だが、ならば何をしに。まさか本当にアイガイオンを見に来たのか。
「それとナオ少尉、爆発物教練の成績はあまり振るわなかったようだな。工業用の揮発油では燃焼は起こせても爆発となると威力に乏しい。ベーシックの空対地誘導弾に使われる高精錬火薬とは比べ物にならん」
さらさらと、やつの小手から白い粉が落ちる。地面に積もり、空気との自己反応によって白い蒸気を上げる。
何を。
そしてやつは両腕を広げ、己の籠手と籠手を、勢いよく。
何をしたかは見られなかった。僕は背後を向いて駆け出し、一瞬後にがちんと金属の打ちあわされる音がして、次の瞬間には炎の風が僕を追い越すかに思えて、すさまじい爆圧が僕の体を木の葉のように吹き飛ばす。
僕は十数メートルも飛んで地面で大きくバウンド。滞空時間が凄まじく長く思える。横隔膜が上がりきって肺から空気が吐き出される。
「がっ……」
馬鹿な、自ら爆発を。籠手を打ち合わせる火花で。
――ナオ少尉、生きているようだな。
マエストロの声。なぜ生きているんだ。あいつは一体……。
――さすがは私の見込んだ主人公だ。主人公にはまず生命力が必要だ。銃弾の雨の中でも生き残り、瀕死の重傷でも普段と変わらず動けるほどの生命力が。
「だ、だま、れ……」
動け、止まっているわけにはいかない。
この爆発を見て衛竜たちが駆けつけるはず。動かねばならない。
奥歯を砕けるほどに噛みしめ立ち上がる。短い呼吸を繰り返す。頭部に力を込めて血流を集める。散らばりそうになる意識を繋ぎ止めようとする。
――ナオ様。
インカムから声が。シャッポの声だ。
「し、シャッポ、回線を切り替えてくれ。単独秘匿回線、コードは4秒刻みの128ビット長暗号、設定できるか」
数秒の沈黙。
――いま切り替えました。ドワーフたちが設定できるようです。
常に暗号コードが変わり続ける回線、これにもマエストロの聞き耳が潜んでないとは言えないが。オープン回線よりはマシと思うしかない。
僕はよろめきながら歩く。骨は折れてないが全身に鈍痛がある。くそ、作戦行動用の鎮痛剤でもあれば。
そして森に駆け込めば、ありがたいことにベーシックがこちらに向かっていた。敵から逃げ回っていたのを、爆発を見て戻ってきてくれたか。
明らかに半自動操作による歩行だが立派な操縦だ。ベーシックは膝をついて乗降モードに。
僕は背中の武装を見る。よし、盾と剣を背負っている。この二つがあれば戦える。
「ノチェ、無事だったか」
「散集!」
言葉は分からないが状況は分かる。衛竜たちは黒煙を上げるドームに集まってくるはずだ。
そして来た。大木の向こうから竜の武人。
僕は手元でCエナジーをブロック化する。一度に使用するのは2%のみ。まだ全身にダメージが残っているが、気合で意識の奥に追いやる。
「あらゆる竜を断つ光を!」
剣が輝く。袈裟懸けにひらめく軌跡の向こうで竜の武人が両断される。その姿は瞬時に光に溶けて消滅。同時に数十本の大木が雪崩をうって倒れる。
「巨人が出たぞ!」
「ひるむな! 武器を持て! 剣が光を帯びたならば太刀筋を避けよ!」
やつらも対ベーシックについて検討しているらしい。僕だって複数の衛竜とまともには戦わない。イオンスラスターをふかして森の深い方向に飛ぶ。
3次元データスキャン、樹木を避ける動きは半自動で。
「光活?」
「大丈夫だ、レオがたっぷり充電してくれたらしい。出力を抑えてまじないを打てば長く戦える」
ノチェの言葉は分からないが意思の疎通はできてきてる。ノチェは広がったコクピットの中で僕にしがみつき、足をコクピットの壁に伸ばして体を支える。
「マニュアルにて設定。高熱源反応を最大警戒、赤外線ドップラーレーダーを展開、どんな熱も見逃すな」
そして来た。後方から熱源。電磁波兵器でも浴びるかのように、森の一角が一気に熱を高める。
「炎の災厄は……いや、回避だ!」
サスペンション跳躍にて後方に飛ぶ。その眼前ですべての木が一斉に燃え上がる。一分ですべてを灰にするほどの勢いで。
見れば衛竜までもが炎に呑まれている。超高熱と同時に脱酸素。おそらく何が起こったかもわからぬうちに意識を失い、炭化しただろう。
「くっ……規模が大きすぎる。盾のまじないで燃焼を抑えても、それでは太母を倒すことにならない……」
どうする。衛竜たちは倒せても、姿の見えない太母をどうすれば……。
「ナオ様、ベーシックをそちらに送ります」
全方位モニターに割り込むシャッポの姿、僕はインカムをべりべりと剥がして聞き返す。
「何だって? もしかしてココの森の神か?」
「いいえ、ノチェを降ろしてください。彼女の専用機体です」
「専用……機?」
そんな馬鹿な。僕たちが手に入れていた機体は探求者と森の神のみ。他にも大破状態のものが二機あったが、それはシールに奪われたはず。
「まさか新しく発掘されてたのか? それとも地下深くに失われたブラッド機とか……」
「いいえ」
ノチェがマニュアルでハッチを開き、まだ移動を続けているベーシックからするりと降りる。彼女は体が大きいのに、実に身が軽い。その動きは猫のしなやかさだ。
「これは鎚妖精たちの最高傑作。ベーシックに内蔵されたマニュアルと、ドワーフたち独自の技術が合わさり生み出された、完全なる新造機体です」
なっ……!
そんな馬鹿な、この星の文明レベルで新造機体なんて。
上空に影が。
枝葉に紛れて見えにくいが、間違いない、射出ユニットから切り離された白い機体が、無垢なる巨人が。
「シャッポ、その機体の名は」
「はい、その名は……」
ついにこの惑星はベーシックを生み出すに至ったのか。ブラッドの言う新しい人間を。
僕たちのような時渡る者に頼らない、彼らの力で運命を切り開くための巨人を……。
「ベーシック・フルングニル」




