第五十九話
※
深夜。
夜がじりじりと這い回る。立ち木がひそひそと言葉をかわす。地面の下を巨大な竜が動き回る。
そんな、言いしれぬ不安がある。ここが敵地だからというだけではない。全身の皮膚感覚が、まだ名前のつけられていない未知の感覚器が、この夜に違和感を覚えている。
僕たちが寝泊まりするのは一人用のテントが三つ。案内役の蜘蛛手が用意していたものだが、彼はテントから一歩も出てこない。だいぶ怒らせてしまったようだ。
もっとも……目的を履き違えてはいけない。
僕たちは彼に気に入られるために来たのでも、太母への祈りをやり遂げるために来たのでもない。申し訳ないが案内役にはこのまま引きこもってもらうほうが都合がいい。
「シャッポ、どう思う」
テントの中にてインカム越しに話す。アリに触れるような細い声。シャッポもこころもち声を落として言う。
――太母が意識だけの存在というのは眉唾です。必ず実体はあると考えます。
「そうだな……だが、僕の見る限りドームの中には何もなかった。気配だけが感じられたんだ」
――こちらでも分析を進めております。以前に北方辺境で戦った時の映像から、太母の姿を捉えようと。
北方辺境での戦いか……。
ベーシックに残っていた映像のことだろうが、どうしてもマエストロから送りつけられた「映画」が脳裏をかすめてしまう。
――ナオ様、そこにあるはずの生き物が目に見えない、という場合にはいくつかの可能性があります。
「? うん」
――小さくて見えない。あるいは透明である。もしくは別の何かに擬態している。などです。
確かに。
――我々はまず、ブヨのような羽虫の集合体を考えました。数は数万から数百万。これはすべての個体が精神で結びついており、熱圏を操ることで生存環境を構築する。これが太母の正体であると。
そのようなクラゲの話をレクチャーで見たことがある。どこかの惑星にいる種。同じ種類のクラゲが数百匹という数で結びつき、自分を大きく見せたり、芸術的な発光パターンを生み出してエサをおびき寄せたりする。
だけど……。
「それはないと思う。あのドームの中には虫の気配すら無かった」
――そうです。我々も北方辺境での映像を分析しましたが、その可能性は薄いと考えます。
群体ではない……あのドームには擬態できるような物体も無かった。
では、最後の可能性か。
――太母とは透明であると考えます。
透明な生物……先ほどのクラゲの話ではないが、確かに生物界にも存在する。
「……しかし、どれほど透明度が高くても光の屈折まで消せないと思う。ドームの中は広いとはいえ見渡せば狭い、何かがいたなら気づきそうなものだが」
――言い方を変えるなら、太母とは光を操ることもできる、と考えられないでしょうか、さらに言えば……。
熱を操り、光を操る。その力とは。
「重力を操る……」
――そうです。
船に装備されている重力発生装置のようなものか。生物がそんなことをやるとは……。
「……」
光を操る
熱を操る
名を持たないものを操る
「そしてリヴァイアサン……多くの破片を操る。あれはマエストロがやっていた可能性もあるが……」
――ナオ様……。
「あまりにも……色々できすぎるとは思わないか。一つの生物がそこまで多様な能力を持つ意味があるのか」
巨人のまじない。その4つの能力をすべて生身で持つような存在。それはあまりにも妖怪じみている。空想が肥大した結果の、夢の中の魔王のようだ。
――そうですね……私もそう思います。
太母の力は巨人のまじないと奇妙に関連している。シャッポならとうの昔に気づいていたかも知れない。
ただ、その方向には暗がりしかない。その道に沿って考えていくと良くない結果にしかたどり着かない。それが思考を躊躇させている。そんな気がする。
――ナオ様、巨人族ザウエルとは、多くの世界にあった要素をまじないの形に落とし込んで行使した、そのような話をしましたね。
「ああ」
――しかし、太母は単独でそれらの力をすべて使える。あまりに奇妙です。太母とはいったい何なのか。我々がこの星の歴史について、何か決定的に間違えているのか、そうでないとすれば。
「……」
――太母とは、我々の理解と思惑の、さらに先に存在する、ということです。
太母とは……。
……。いや、それを追求してどうなる。殺すべきと決めた相手だ。いま追求すべきは、正体ではなく殺し方だ。
「ナオ」
ぱす、とテントを叩く音がする。
「ノチェ、どうしたんだ」
「油」
言葉で僕の嗅覚が呼び覚まされる。油の匂いだ。
テントに入ってきたノチェは人間の靴ほどの大きさの油袋を下げていた。素材は樹脂のようで白っぽい。
「これは……揮発性の高い油だな、よく燃えそうだ」
「火種」
火打ち石もある。ノチェがどこかの工房から調達してくれたのか。
「分かった。太母は意識だけの存在だとか言われてるけど、やはり生物だ。あのドームでこの油を燃やせばただでは済まないはず」
もちろん、火をつければ僕たちもただでは済まない。すべての衛竜が敵に回るだろう。
――ナオ様、ことを確実に成すなら明日、アイガイオンが最終降体を行うときにすべきです。
そうだ、太母が常にドームの中にいるとは限らない。祈りだって聞いてるかどうか分かったものではない。
確実を期すなら最終降体の時だ。
――ナオ様たちが火をつけるのに合わせて、射出ユニットにてベーシックを届けます。あとはそれに乗って離脱してください。
「シャッポ、僕はできればアイガイオンも倒そうと思っている。ベーシックの戦闘能力はもう衛竜たちを超えていると考える。火事の混乱に乗じれば可能だろう」
――……たいへん危険なこととは思いますが、ナオ様の判断に任せます。
やらねばならない。
この竜都へ来て分かった。竜皇の生み出せるリソースはまさに圧倒的だ。工業的にも、竜使いという意味でも。
僕たち戦士は常に最大の戦果を叩き出さねばならない。それでなければ竜皇とは戦えないのだから……。
「あ……」
そこで気づく。僕がすっぽりと蜘蛛手の着ぐるみに入れるように、蜘蛛手は僕たちヒト族よりもだいぶ大きい。二人でベーシックのコクピットに乗れるだろうか。
「シャッポ、急ぎで済まないがコクピットの内部を広げられるかな。現在の1.5倍は欲しい」
――はい、すでに用意ができています。
さすがシャッポだ。すでにコクピットを広げていたか。ドワーフ達も本職のメカニックなみの信頼感が出てきた。
「じゃあノチェ、明日、儀式の時に決行だ」
「……」
ノチェは静かに頷く。
その頷きには無数の感情が織り込まれていた。僕はその一部を感得するのみ。
言葉少なな蜘蛛手の人たちではあるけれど、その中には僕よりもずっと豊かな感情と言語の広がりがあるのではないか、そのように思った。
※
翌日。
ドームの周囲には衛竜たちが並ぶ。みな何かを持つようにじっと頭を垂れ、固く目を閉じている。
あの中で今まさに、アイガイオンの最終降体が行われているはずだが……。
「案内役の蜘蛛手は……来てないか。今日は祈りを捧げないから当たり前だが」
彼のテントも朝には片付けられていた。よほど怒らせてしまったのか。まあそれもやはり、好都合というものだが。
――おおよその計算ができました。
シャッポとドワーフたちは実に優秀だ。外見上の特徴を言葉で伝えるだけで油の種類を特定し、爆発を起こすための条件を見い出した。
「ドームの大きさと油の揮発量から計算して、700ミリリットル以上の油を先に投入してください。その数秒後に火種を投入すれば爆発を起こせます」
工業用の揮発油のようで比重は軽いが、700ミリリットルとなるとそれなりの重さになる。
ノチェの仕事は早かった。森から枝を調達してきて、テントから糸を抜いて撚り合わせて即席の弓を作ったのだ。
枝は折った以外は無加工で、一見するととても弓には見えないが、なぜがノチェの腕に収まるとそのカーブは自然な造形美を備えている。糸を結わえている位置も適切で、その枝がしなりを見せて弓として働くことに疑いはない。
ノチェは水差し用のガラス瓶に油を注ぎ、やはり枝で作った矢を結わえ付ける。僕のナイフで直線的に加工した矢だ。矢尻には鳥の羽が結わえてある。
「二本」
矢は二本しか用意できなかった。油と火種、事実上の一発勝負。
そして狙撃点は森の中。ドームまでの距離はおよそ150メートル。かなり大きなドームとはいえ、この距離では入り口は点にしか見えない。
「……この距離で、即席の弓矢で狙うのか……?」
兵器としての弓矢の性能は一目置くべきだと思っている。しかしそれは十分な精度と練習あってのこと。ぶっつけ本番では……。
――ナオ様、ベーシックがそちらに到達するまで40秒です。爆破の40秒前に合図を。
「わかった。ノチェ、準備はいい?」
「射縺」
今のは通訳されなくても分かった。精神統一は十分だと言いたいのだ。
やるしかない。
爆破が成功してもしなくても、ベーシックが届き次第乗り込み、衛竜たちを掃討しつつここから離脱。
弓はノチェに任せるべき、僕は彼女を信じるだけだ。
「よし、シャッポ、ベーシックを出してくれ」
――はい。
インカムから届く轟音。ドワーフたちが歓声を上げている。
矢が引き絞られ、枝がしなる。蜘蛛手の長い腕に秘められた凄まじい引き分け力を感じる。
射。
矢が指に擦れるジッという音。矢が一瞬で点になり、ドームの入り口に吸い込まれ、衛竜たちに動揺が走る。
「成功だ! 第二射を!」
「ん!」
ノチェもわずかに高揚するかに見えたがそれは一瞬。次の矢は先端に布を巻き、わずかに油を染み込ませている。それに火打ち石で火をつける。
じっとりと濡れた布はぼぼぼ、と炎を上げている。炭酸が弾けるようなオレンジの炎。ノチェがその矢をつがえ、狙いを定める。
そして、射つ。
まったく揺れのない構えと、安定した下半身から射ち出される矢は先程と同じ軌道。透明なレールに乗ってるように寸分たがわぬルートでドームの、入り口に。
火が。
かあん、と矢がドームの内壁に当たる音がする。ドームの中で乱反射した音が、入口から鉄砲のように打ち出されて届いたのだ。
「なんだ!? 火が消えたぞ!」
むろん、風に吹かれたぐらいで火が消えないことは確認済みだ。布がほどけたわけでもない。
だが確かに矢は光を失った。ドームに届く前に火が消えたのだ。
「虚解」
「ああ、確かに奇妙だった。……だが問題ない。ベーシックが届けば、火ぐらいすぐに……」
何かが。
ドームが歪んで見える。
風景が、竜の武人たちが、大地が歪み、何かが迫る気配が。
「ナオ!」
腕を引かれる。体が一気に持ち去られる。
だがそれはマニピュレータの詰まった仮の腕。引かれた衝撃で皮が破れて僕の生身が露出する。
下半身が。
そちらを見ようとする一瞬、ノチェの腕が振り下ろされて僕の胴体を砕く。
打撃というよりむしり取るような一瞬。僕の生身の脇をノチェの腕がかすめ、着ぐるみを剥がすと同時に胴体が燃え出す。
「!」
腕を引かれる。ノチェはすべての足を使って大きく跳躍。僕の着ぐるみは一瞬で千切れ飛ぶ。
「今のは!」
そして見た。
大地の一角が燃えている。水気を含んだ雑草が突如として発火し、残された僕の着ぐるみもすべて大火の中だ。
「熱波攻撃か!」
それは星皇軍の対生体兵器にも存在する。850度に高めた熱気を直接噴射し、閉所にいるゲリラを討滅したり、群衆を行動不能にする兵器だ。青旗連合の無人機相手にはついぞ使うことはなかったが……。
「森!」
僕はノチェの背に放り投げられる。彼女の脚力は人間の比ではない。大きく飛びながら森へと逃げ込む。
やはり。
やはり何かがいる。森の入り口を入って追ってきている。立ち木から水蒸気が上がっても森の一角が霧に包まれる。
「熱波……熱を操る。そして姿が見えない……」
まさか、追ってきているのは太母なのか。
――ナオ様! まもなくベーシックがそちらに到着します。
ぐ、仕方なかったとはいえ、森に逃げ込んでしまったか。
やれるか? 姿の見えない太母から逃げつつ、ベーシックに乗り込むことが。
そして、アイガイオンたちを討つことが……。




