第六話
全天が黒く染まる。
鳴り響くアラート、空中に投げ出されるような感覚、シートから腰が浮きかけ、とっさにレバーを握りしめる。
「何だ! 何が起きた」
あのとき、光を浴びて。
操縦系が、姿勢を制御。
小惑星にいたはず、ここは。
思考がまとまらない。肺の空気が吐き出される。全身が膨張するような感覚、まさか、無重力環境なのか。
「き、機体を、制御」
ペタルを踏み込む。イオンスラスターが命令を受け付けない。なぜだ。
「機体温度が上昇? イオンスラスターの動作に支障、だと……」
全方位モニターが赤く染まっている。機体温度が異常な上昇を示す。
「じ……自由落下状態、あ、あの惑星にか」
背後を見る。緑と青が混ざりあった美しい星。ベーシックはその星に背中を向け、ほぼ垂直に堕ちている。これでは断熱圧縮が高まりすぎて燃え尽きてしまう。いや、それ以前にベーシックで大気圏突入に耐えられるのか。
僕は気を失っていたのか。イオンスラスターが機能を止める前に動かせていれば。
「だ、弾薬を離断、緊急用の個体電源も、増槽の燃料もだ」
次々と宇宙に投げ捨てる。装甲の影から投げ出された途端、異常な高温となって誘爆していく。上向きに広がる爆発を仰ぎ見ながら堕ちていく。そして高熱になった増加装甲も剥がれていく。
イオンスラスターのセーフティを解除して限界推力を得る、あるいは120ミリ実体砲を使って上向きのベクトルを得る。そのような対処が後からなら思いついたかも知れない。
だが手が動かない、振動と恐怖、アラートの重奏の中で金縛りにあっている。
その時、視界の端に何かが。
「あれは……対爆盾!」
恐ろしいまでの幸運か、水平方向にすべって僕の機体に近づきつつある。僕はそれへと腕を伸ばす。
直径4メートルほどのひし形の盾、機体を回転させて対爆盾の上に乗る。瞬間、断熱圧縮が途切れて機体が排熱を行う。
「よ、よし、イオンスラスターの除熱を最優先、同時に機体チェックを」
レーダー類が機能していない。一体何が起きた、僕たちがいたのは星皇銀河の辺境、小惑星を改造した敵基地の、はず……。
対爆盾が赤熱している。電磁レールガンにも耐える複合装甲なら融解はしないはず。だが、この熱がベーシックの内部に浸潤したら。
僕はアラートに目を走らせる。ジェルの蒸散による緊急除熱が成功している、いくつかの装備が機能を回復。
「よ、よし、イオンスラスターをふかして上向きのベクトルを、落下速度を抑える」
機体の全身からオレンジの噴気が、そしてひし形の盾が真下に飛ばされる。それは一瞬で数百メートル離れ、点となって見失う。
「盾が流れてきた……僕のかな。幸運だったと思うべきか……」
視界すべては青緑の星。あきれるほどに美しいマーブル模様の星。僕は半数ほどしか稼働してないイオンスラスターでなんとか降下していく。
僕は宇宙と星の境目にいる。
あるいは死と生の……。
※
ベーシックに搭載されているイオンスラスターは48箇所、それぞれの推力は140キロほど。かなりの静音仕様であり、2.4トンのベーシックを飛ばしていても眼下の森にはさして影響がない。
薬圧サスペンションもそうだが、ベーシックの基本躯体は機動性を重視して設計されている。装甲や火力は追加装備で補うわけだ。
もちろんスラスターの追加も可能だ。ドックがあればだけど。
僕たちは30キロほど飛んでから川のそばに着地する。ここまでで一時間ほど、自動車より遅いが仕方ない。
「システムのセルフチェックと簡易メンテを……。ドックはおろか整備班もいないんだ……無理をさせないようにしないと」
惑星デルミニアの戦役では24機の部隊を補給無しで4000時間も運用できたと聞く。タフさが自慢のベーシックならではだが、無茶をさせていい理由にはならないだろう。
「シール、村から一時間ほど飛んできたけど、領主の城はまだ先なのかな」
「はい、カーロンス山を越えた向こうです。北東の、あの山ですね」
なるほど稜線が見える。望遠機能を使って測量。高さは5000メートル以上、山頂までの距離は180キロほどか。休みながら飛ばねばならないので、到着は数日後になるだろう。
「……甲竜の森、だったっけ」
飛びながら聞いていたところによれば、ここはシールたちの住む大陸の北西部、大森林地帯だという。
この森はあまりにも広く、野良の竜がはびこっているため人間はあまり住まない土地らしい。人里がまばらなために大雑把な郷に分けられ、そのうちの一つを預かるのが先日の竜使い、とのことだ。
あいつを倒して2日だ。もう少しすれば騒ぎになり始めるだろう。シールの村に累が及ぶ前にケリをつけないと。
だけど……。
「領主の城は……やっぱり竜使いがいるんだろうね」
「そうですね……力強い竜が何体もいると聞いています」
ベーシックにもはや武装はない。薬圧にて打ち出されるパンチで戦えなくもないが、野良の竜ならともかく、竜使いの操る強力な竜とは戦えないだろう。軍のマニュアルでも打撃戦は本当に最後の手段だとされている。中には白兵戦が得意な傭兵もいたけど……。
検証が必要だった。僕はベーシックの左腕にくくりつけていた巨剣を抜く。
「分析……全長は716センチ、刃渡り568センチ、全体は花崗岩のような石に見えて、表面が少しざらついている、色は灰色に近いかな」
だが、少し奇妙なデータが。
「重量が……260.17キロ? なぜこんなに軽いんだ? 中が中空にでもなってるのか」
サイズとしては両手剣どころかいわゆるグレートソードにも見えるが、ベーシックなら片手でも振り回せる。
内部をスキャンしてみるが何も見えない。X線、磁気走査、超音波すら通さない。まるで鉛の板のようだ。
そして最も奇妙なことには、この剣は傷つけられない。
部隊に下賜されているナイフで引っ掻いてみる。星皇陛下の紋章が刻まれた儀礼用のナイフだが、テクト・セラミックでありモース硬度は10.8に達するはず、だが傷ひとつつかない。
「どうなってるんだ……? ベーシックの増加装甲なみの頑丈さだって言うのか? もしかして、それ以上の……」
巨人のまじないは実際にあった、だから巨人も本当にいた、そこまでは認めてもいい。
だけどテクト・セラミックでも傷つかない物体で剣を作るのは意味がわからない。それだけの技術力があるなら剣ではなく、火砲で竜たちを吹き飛ばせばいい話だ。
まじないと言えば、検証しておくことはもう一つ。
「シール、コックピットに乗ってくれ」
「はい」
狭いコックピットで膝の上に座ってもらう、この体勢は本当に何とかしたい。背面に緊急脱出用のハッチがあるはずだからそこを改造して部屋にしようかな……。
「シール、祈りを」
「わかりました」
シールは両手を組み合わせ、重なった親指に鼻をくっつけるような体勢で祈る。たちまちCエナジーの充填が始まる。今は充填率12%ほど。
「炎の厄災は盾の前に散る」
ベーシックの左手、手首のあたりから先が光る。その瞬間、Cエナジーの充填率が2%ほど下がった。
なぜ左手だけなのだろう。僕の利き腕は右だ。利き手と逆が光に包まれるのかな。
「……あらゆる竜を断つ光を」
「う……」
Cエナジーが一気にゼロになった。シールがうめき声を上げたので慌てて剣を手放す。剣を包みかけていた光はホタルの群れのように霧散した。
「シール、大丈夫か」
「はい……少し、疲れたような、そんな気分です」
……。
10%のCエナジーといえば、ベーシックが数十時間は走り回れる量だ、ガソリンに換算すれば1000リットルは下らない。
それだけのCエナジーを一瞬で消費する……。しかも火蛇竜を倒したときは、詠唱の前に数%しか残ってなかったはずだ。あれでもまだ全力の一撃では無かったのか?
そしてシールの疲労……。つまりシールの「精神力」のようなものを消費してるということだろうか。
人間の精神を消費する……。空恐ろしい想像だ。ほんの数回の行使でシールは汗を浮かべている。
Cエナジーを機体に貯めておけばいいのだろうか? まだ検証が必要だけど、シールに無理をさせられない、急ぐ旅でもあるし、もどかしい限りだ。
この石の剣は使ってもいいが、刃がついていない。まじない無しで竜のあの頑健な鱗を斬り裂けるだろうか。そして領主の城にどんな竜がいるかは分からないのだ。
胸部ハッチを開く。眼の前には小川の流れ、水気を含んだ風は心地よかった。僕はシートに深く腰を預け、ぽつねんと空を見上げる。
「やはり武装が必要だ……。しかしチェーンガンは大破したし、他の武装も大気圏突入のときに壊れたはず……」
「そこの巨人、武器をお望みですかな?」
はっと、視線を前に。
誰だ、こんな周りに何もない森で。
「え……」
そこにいたのは、全身が真っ白な毛に覆われ、長くてふわふわした耳が頭頂から伸び、ぺたりと左右に垂れ下がってる、いわゆるロップイヤーを持つウサギ。
だけどなにか変だ。二足歩行してるし、巨大なリュックを背負ってるし、短めの巻きスカートに編み上げのサンダルという姿だし。
「な、え、う、ウサギ……?」
「その通り」
その人物? は真っ赤な眼を細め、やや人間に近い造形の顔でにやりと笑う。
「誇り高き草兎族の娘、百の風を渡りましたる商人シャッポ。幸運の風に乗って、良き商談をお届けに参りました」