第五十八話
――それからしばし。
地面に落ちた泥とも生皮ともつかない物体は表面の砂ごと取り払われる。そして長い長いホウキのようなもので竜たちが場を掃き清める。僕たちへ向けて祈りの場を整えるというより、その清掃によって竜使いを生む儀式が完成するような、そんな厳粛さがある。
待つ間も胸がつかえるような感情は収まらない。あれが衛竜を作り出す方法だとは……。
「竜使いとは人と竜を超えたるもの」
僕たちのそばにいた衛竜が、詩を口ずさむように言う。
「それは人であり竜であるもの。血よりも濃く鎖よりも強い絆。長い飢えに耐え多くを働き、めざましく賢しきもの。その御業、ひとえに竜皇の威光あるがゆえに」
声が反響するような気がしたが、それは同時に複数箇所で唱和されていたからだ。今の詩のような言葉に合わせ、何人かの衛竜が同じ内容を呟いている。
「デンクレイル様、本日の予定は終了いたしました」
「うむ、クモよ、待たせたな」
衛竜たちがドームから出ていき、案内役の蜘蛛手はゆるゆると進んで四角い敷布を置き、その上に陣取る。他には特に道具もないが、案内役の蜘蛛手は何度も座り直したり、周囲を見て己の位置を確認したりしていた。素朴だが決まり事は多そうに見える。
祈りの儀式は始まる。
だが仰々しい祈りの言葉などはない。ただドームの中央に敷布を置き、その上で身を低くして目を瞑るだけだ。
僕は宗教的儀式というものを見たことが無かった。ベーシックのデータベースから知識として知ってはいたけれど、これがそうなのだろうか。しかしこれは何をどうすれば儀式が成立するのだろう。僕の調べた範囲では、獣の肉を捧げるとか、神を表す像に酒をかけるとかあるはずだが。
数分間、ただじっと座っている。この空間は外に比べて非常に温かいため、着ぐるみ状態の僕は少し暑くなってきた。
「尤出」
案内役の男が言う。
「キャペリン、今のは?」
――あー……あんたはもういいから出てけって言ってるわ。
「……」
何なのだこの男は。
門外漢の僕が無礼な振る舞いをすることもあるだろうが、それに対して怒るでも指摘するでもなく、ただ追い払う。閉鎖的というのか狭量というのか……。
仕方なく僕はドームから出る。ノチェはまだ男の隣にいて、ただじっと座っていた。
身じろぎひとつせず、物言わぬままに多くの言葉を捧げるような気配。その姿を見ていると、やはり僕に敬虔な気持ちが足りないのだろうか、と謙虚な気持ちになってくる。
「クモよ、今年の巡礼か」
そこにやって来るのは、見上げるような高さの衛竜……。
「……!」
こいつは。
他の衛竜たちより華美な鎧。剣も全体に彫刻の施された装飾剣。鎧の胸と肩にはいくつもの勲章が縫い付けられている。
アイガイオン。
間違いない。どれも同じような衛竜たちとはいえ、さすがに何度も見てれば見分けはついてくる。声に潜む独特の尊大さというか、自信にみなぎる感じも覚えがある。
こいつは確か衛士長と名乗っていた。王を守る剣であると。竜使いたちの元締めのような存在のはずだが、なぜ聖地に。
僕は不覚にも動揺したが、身を覆う蜘蛛手の体がそれを隠してくれただろうか。
「どうした。祈りを捧げているのか、と聞いている」
「……まだ」
一言だけ答え、マニピュレーターの腕で内部を示す。アイガイオンは納得したように頷く。
「なるほどな、お前は新参であろう。あの蜘蛛手は厳しい男だ。祈りの態度が不完全であると追い出されたな」
どうやら前にもあったことらしい。アイガイオンはにやりと笑ったように見えた。
「祈りは数時間は続くな。今日は最終降体は無理か」
「こうたい?」
無意識的に聞き返す。見ればあたりには夕焼け色が落ち始めており、やや茜のさした顔で衛士長は口を開く。
「そうだ。竜皇よりの勅命を頂いた。私は最終降体を迎える。すべての戦士の中で私が選ばれたのだ。名誉あることだ」
最終降体……言葉から受ける印象はあまり良くない。
僕は衛竜の生まれる瞬間を見たばかりだ。複数の生物が溶け合って一つの竜人となる。あれが太母の力だとすれば、最終降体とやらも似たようなものではないのか。
「……転生?」
この惑星に来てから学んだ概念。死後の復活を意味する言葉だ。それを受けたアイガイオンは、どこか誇らしげに微笑する。
「話してやろう。向こうの広場まで来るがいい」
※
夕闇はやたらと長く天に張り付くかに思えた。焼け焦げたような空が目の奥に染みる。
遠くに見える荷車は目的地を目指して足を早くするかに見えて、間もなく夜が世界を覆うことを予感させる。
「太母とは何か知っているか」
僕がスパイだと疑ってるわけでもないようだ。僕は素直に首をふる。
「そうであろう。クモたちは信心の篤きこと並々ならぬが、それゆえに太母そのものが何かを考えようとせぬ。その姿勢はあまり良くないな。理解の放棄と信仰とは必ずしも結びつかぬ」
蜘蛛手たちが口数が少ないと知ってるからか、それとも意外と話し好きなのか、アイガイオンは一人で喋り続ける。
「一言で言うなら太母とは意思だけの存在だ。それ自体は肉体を持たないが、名前のないものを操る。多くの生命を集めて兵士とする」
周囲にはドームを見張ってる衛竜が一人いるだけ。最初に来た時は周囲に何十人といたが、彼らは新兵の創造とその教練を終えて帰ったのか。
「目的はより強い生命を生むこと。太母とはその目的のためだけに生きている。何も食べず、排泄せず、一つの目的だけを追求しているのだ。あるいは太母とは生命ではなく、誰かが生み出した機械のようなものかも知れぬ」
それは……遺伝子目的論というものだろうか。
人間はなぜ生きるのか、生殖して増えようとするのか、それは何らかの合理的な説明ができるわけではなく、ただ遺伝子のコードにそう書いてあるからだ、と。
星皇軍のレクチャーでは習わない考え方。たしかブラッド少尉から教わった概念だが……。
「太母はある程度は操ることができる。我々はそれを利用して竜使いを生み、その究極の形として衛竜を生んだ。以前にはある研究者が、太母を内部に組み込んだ巨大な竜を生んだこともあった。そやつはお尋ね者になったがな」
――リヴァイアサン
マエストロの操っていた竜だ。光を吐く竜を無限に生み出す、ユピテル級戦艦に似た巨竜。
「……太母、複数?」
「うむ、太母は複数存在する。といっても片手で数えられる程度だ。能力の程度はまちまちだが、この聖地にいる個体がもっとも優れた能力を示す。それにより実現するのが最終降体だ」
アイガイオンの語り口には淀みがなく、その声には常に気高さと剛健さが感じられる。
「私はな、泥にまみれた将なのだよ」
その力強い声に揺れを見せぬまま、そのように言う。
「何度も敗戦を重ねている。竜皇陛下に仇なす者はいくらか存在するが、我らはいずれにも勝てなかった。彼らの力は甘んじて認めよう。私はある意味では彼らを尊敬している。傲慢を誇りと履き違えていたことも認めている。そして私は、彼らと同じ高みに登りたいと考えている」
「……」
「私は恥と汚名を重ねてきた。だが竜皇陛下はそんな私に期待をかけてくれた。私こそが最終降体を受けるに相応しいとな。想像できるか。私は今の20倍は強くなるそうだ。我が胸は幼子のように高鳴っている。肉体も知性も、精神も高次のものに生まれ変わるのだよ」
馬鹿な……。
アイガイオン、分かっているのか、生まれ変わるということは、今のお前は死ぬんだぞ。
20倍は強くなるだと。それがどれほど壮絶な変化か分かるはずだ。成功するかどうかも疑わしいぞ。
「な……名前」
「ん? ああ、確かに太母は名前を持つものは操れない。だから名前を忘れる薬を飲むのだよ。その薬の発見が、竜使いの量産を可能にしたのだ」
やはり、そうなのか。
太母により融合させられる前の、あの茫然自失になっていた男の顔が思い出される。
アイガイオン、こいつも以前は人間だったのではないか。多くの生物と一つに合わさって竜人となり、そしてまた違うものに成ろうとしている。
生命への冒涜。
そんな言葉がちらつく。だが、おかしなことだ、それは僕の……。
「……」
そうだ、それを僕が言うのはおかしい。
竜の武人、衛竜とは、星皇軍の生み出す生産兵と何が違うんだ。
僕の名前だって、命名規則に則っているだけの番号も同然なのに……。
「今日はクモたちが祈りを捧げているからな、儀式は明日行うことになりそうだ」
その声にはついに一欠片の恐れも、戸惑いも見つけられなかった。
これがアイガイオンという男なのか。それとも生まれ変わりを死だと認識していないのか。
そして僕は。
それを目の当たりにした僕は、何を、どうすれば……。
※
ドームの近くで火を囲む。
意外にも案内役の蜘蛛手がてきぱきと料理をしてくれた。細かく切った肉と野菜を練った小麦粉に混ぜ、串にさして焼いたパンのようなものだ。
「なあ、他の蜘蛛手はいないのか? 毎年二人ずつ入ってきてるはず……」
「森」
単語が帰ってきた。口数が少ない彼らにしてもさらにシンプルな答えである。
絆創膏から声がする。
――なあナオやん、最終降体って何なんやろな。
「分からないけどマトモなことじゃない。できれば止めたいけど……」
アイガイオンを心配しているとは言わない。所詮、彼と僕は敵同士だ。
現実的な問題として衛竜のさらに高位の個体が生まれることは阻止すべきだろう。20倍の強さというのは、もはや与太話に聞こえるほどの数字だが……。
しかし止めると言っても、いったいどんな方法が。
「ナオ」
と、ぺろりと頬を舐められる。
ノチェが僕の頬を舐めたのだ。脇を見れば蜘蛛手の二列四段の目が僕を見ている。
「ノチェ、どうし……」
「呈乱!」
突然、案内役の男性が大声を出した。蜘蛛の多脚で立ち上がり、体を揺すりながら闇の中へ消えてしまう。
「ええと……何? 何なの」
それには絆創膏が答える。
――何かあったんか? このふしだらな娘め、みたいな意味やで。
「いや、何が何だか……」
「ナオ」
ノチェが言う。彼女は言葉を探してるように見えた。
もしかして、ノチェは案内役の男を遠ざけたのか? その隙に僕になにか伝えようと?
僕と蜘蛛手の人たちでは言語形態があまりにも違うからか、どう言えば伝わるのか、必死で探してるような数秒の時間。
「……泰逆」
ややあって、胸を押さえつつそう言う。
――えっ。
驚くのはキャペリン。絆創膏型のインカムの向こうで、さらに数人が動揺する気配がある。
――大きなものを殺すって意味やで。ナオやん、それは蜘蛛手が口に出すのも忌み嫌うほど強い言葉や。
「……まさかノチェ、同意してくれてるのか。太母を殺そうと」
確かに、それが可能ならそうするべきなのか?
太母には気の毒なことだが、それを実現すれば少なくともこの場所で衛竜は生まれなくなる。それに、最終降体とやらができるのはここの個体だけだと……。
「しかし、あれは君たちの神様じゃないのか。ここは聖地なんだろ、それを殺すなんて……」
つ、とノチェの指が僕を示す。心臓の位置を。
「戦士」
「……」
……そうだ、その通りだ。
戦士として冷静に判断するなら、太母を殺すべきだ。
本来ならノチェのほうがずっと悩んで然るべきなのに、彼女に先に決断させてしまった、これは恥ずべきことだ。
僕たちは大義のために動いている。彼らの神様は尊重すべきだが、そのために目的を見失ってはいけなかった。
「分かった、太母を殺そう。実態がないとは言うけどそんなことはありえない。何かしら方法があるはずで……」
ふと、脇を向く。
意識が闇に惹きつけられたのだ。
僕の視線の先には森がある。竜都ヴルムノーブルは中央に近づくほど森が少なくなるが、ここは例外的に豊かな森が広がっている。
それは森としての輪郭を失おうとしていた。夕闇の残照は消えつつあり、すべての樹は闇の中で融合しつつある。
すべての幹が、枝葉が、さまざまな生き物たちが夜の訪れとともに溶け合って、不定形の生物に生まれ変わるような、そんな黄昏時の一幕。
「……」
いま、なぜ森を見たのだろう。
何に意識が引かれたんだ。
「ナオ?」
「……これからはもっと小さな声で話そう。聞こえるか聞こえないかの、布と布が擦れ合うほどの声で」
一つだけ言えそうなことは、油断は死を招くということ。
気配を感じる。
この竜の都に潜む、たとえようもないほどの悪意の気配を……。




