第五十六話
※
――太母。
その名は北方辺境で聞いた。竜使いたちは太母から竜を預かる。太母は熱圏を生む竜であり、すべての竜の母である……。
「蜘蛛手の方々が太母について知っているわけではないようです。あの方たちの神のようなもので、姿や形に具体的な伝承はないのだとか」
資料室にて。シャッポはそのように言う。
シャッポとキャペリン、他のウサギたちも書籍にあたったが、太母に関しては記録は伝わってないらしい。
仕方がないので僕は格納庫へ移動、ベーシックの前に物資を広げて装備を整える。
変装しての潜入だし、レプリカのパイロットスーツは脱ぐしかないが、携行品はいろいろと文明の利器を持っていけるだろう。
まず星皇軍のサバイバルキットとメディカルキット、食料と水を4日分、薬品にロープに携帯燃料にテントに寝袋に。あと武器とか破壊工作用のツールも。
「ナオ」
背後にノチェが来ていた。蜘蛛手の人らは多脚なのに音がしない。
「唯身」
「? どういう意味?」
「体ひとつしか持ってっちゃダメって言ってるんだよ」
脇にいたドワーフが解説してくれる。この船内にはとにかくいたるところにドワーフがいて、みな同じようにフランクに話す。
「でも蜘蛛手に変装するわけだし……その、胴体部分にいろいろ入れられるような」
返事はなく、二列四段の目でじっと見つめられる。僕が被捕食者なら身がすくんでいただろう。
「わかったよ……でも通信機は必要だ、緊急時にベーシックを呼ばないといけないし」
沈黙。
「妥協」
20秒ほど経ってからそう答えてくれた。どうやら納得してくれたようだ。
しかし、身一つの祈りの旅か……そうなると水も食料も現地調達になるけど、大丈夫なのかな。まあ行く先は無人の荒野ではなく、竜都ヴルムノーブルという文明圏なわけだが。
「さあナオ、お着替えなんだよ」
ドワーフたちが群がってきて、僕は変身に取り掛かる。
その衣装というか着ぐるみというか、変装の手業は大したものだった。顔を覆う樹脂製のマスクに八つの眼が造形され、胴体はゴム製の風船ですっぽり包まれ、そこに機械仕掛けの八つの足が生えている。僕の体重をかるがると支え、しかも体重をかけた方に歩いてくれる。
腕もすごい。肘が三つある蜘蛛手の腕。僕の手の部分が2つめの肘のところにあってマニピュレーターが装着され、それは1メートルほど先の蜘蛛手の手と連動している。僕がものを握る動作をすれば、遙か先にある手も同じように動く。
「すご……これどうやって作ったの?」
「自動手術用のマルチデバイサーを改造したんだよ」
「肘は第1肘に連動して動くんだよ」
「本来の蜘蛛手の腕もそうなってるんだよ」
なるほど、蜘蛛手の腕は3つの肘がほぼ連動している。肩に近い順に第1肘、第2肘、第3肘と呼ばれるらしいが、すべて内向きに曲がるか、すべて反るかのどちらかしか無い。
考えてみればヒト族の指もそうか。第一関節は反って、第二関節は内向きに曲げるような器用な真似は出来ないはずだ。
ともかくドワーフたちの技術は大したものだ。鏡で自分の姿を見てみると、いけそうな気がしてくる。
「脚も半自動で動くのか……胴体の質感もすごい……ねえ、この胴体の素材は何? どうやって作ったの?」
すると、数十人いたドワーフたちは全員で顔を見合わせるという器用なことをする。
「……し、知りたいんだよ?」
「うん、いま知りたくなくなった……」
※
僕とノチェは、甲竜の引く荷車で街道を行く。竜が引く竜車である。
人はおらず、農地すら無い。竜都の外縁部から10キロほどの範囲は完全に無人の野となっている。
ただ道は整備されている。非常に幅広く平坦な道、水面のように滑らかである。
「かなりしっかり固められてる……おそらく竜の行軍にも耐えられるように造ってあるな」
やがて見えてくるのは街道に作られた関所のような場所。ヒト族の男性が検問に立っていた。
「止まれ、ここから先は竜皇さまの都。立ち入ることはまかりならん」
黒い鎧を着た大柄な男。腰には剣を吊るしている。いつもそうだが、彼らの態度は鎧からはみ出すほど大きい。
「巡礼」
ノチェが言い、荷車を降りて文書を見せる。
蜘蛛手が年に一度の巡礼者を送り込むことの許可を受けた文書、その写しだという。
「巡礼か、分かった、街道を外れるなよ」
僕はふと思う。左右には壁もなければフェンスもない。街道から300メートルも離れればもはや見つかるはずもない。
それなのに竜都ヴルムノーブルから逃げてきた男のことは聞いたことがない。これは何故なのだろう。
僕たちは街道を進む。
時おり急いだ様子の竜車が僕らを追い抜いていく。鉄鉱石や石炭、木材などを満載した車だ。
村もある。鬼人たちが農地を耕し、丸太を加工して材木にしている。別に農地ぐらい竜都の外側に作ればいい気もするが、あらゆる居住地や生産拠点は関所の内側にのみあるようだ。
ヒト族の男も見た。街道脇にある大きな建物。その前で雑談していたのだ。金属加工がどうの、彫金がどうのと言っていた。
「何だか……思っていたのと違うな。縛り付けて無理やり働かされてる印象じゃない。ただみんな忙しそうにはしてるけど……」
その質問をする機会もあった。やはり街道筋にある食事処。労働者に混ざって僕たちも食事を取る。好奇の視線が向くのはどうしようもないが、失礼なほどじろじろ見られたりはしない。
ちなみにノチェは完全なベジタリアンのようだ。僕も彼女と同じくサラダを注文し、マニピュレータで何とか口に運ぶ。
「178番の森は今週中に片付けるか」
「伐り倒すのはいいがどうやって運ぶんだ。まだ中央に行った甲竜が戻ってきてないぞ」
「申請は出してる、北方から追加で三頭来るらしい」
「それじゃ竜舎を増築しないと……」
「製鉄所のほうもさらに広げるらしい、俺達もそっちに呼ばれるかもな」
「すまない」
他の客が減ってきた頃合いで、僕は隅にいた男二人に話しかける。
「うおっ……なんだ、クモの人らか、何だい」
「仕事、大変、なぜ帰らない?」
蜘蛛手の人たちは端的に話すので、なるべくそれを意識して語りかける。
「帰る……まあ俺たちは故郷に身寄りもないからな。ここじゃあ食い物と寝床はあるし」
「仕事もそこまで辛くはないしな……」
だが……徴兵されるのはほとんどが男性のはずだ、そうなると問題が出てこないだろうか。
僕はちらとノチェを見る。彼女は微動だにしない。
「女性、恋しくない?」
「ああ、女か」
男二人は懐かしい記憶を思い返すかのように腕を組む。
「いや、そうだな、故郷の町には馴染みの女もいるし、会いたい気持ちもあるはずなんだが」
「今はまあ……そこまで気にはしてねえな。俺たちは木工所の勤務だが、友人は多いしな……」
? 妙な反応だな。
女性を求めてることを頭では理解しているが、感覚が伴っていない……。
――そりゃあ、男じゃないと駄目だろう。
?
今のは何だろう。以前にもどこかで思い出した気がする。
誰が言っていた言葉だったか。
そうだ、巨匠。
あの男がなにかの機会に言っていた言葉。
なぜそれを思い出す? 一体どんな会話だった?
――なぜ男じゃないといけない。
――生産兵の目的に沿っているからだよ。リラクシーヴィジョンで満たされるようにできている。
――よく分からない、ポルノというやつか? リラクシーヴィジョンにそんな要素はない。
――そのことを疑問に思わないのか。やはり可愛らしいなナオ少尉は。
横隔膜がせりあがる感覚。
その会話の全容は思い出せないが、なぜか不快感がある。よく知らない言語で話す人物がいて、口調と顔つきで何となく罵倒と読み取れるような胸のむかつきが。
リラクシーヴィジョン?
それは兵士の精神安定のために作られた映像だ。それが何だと言うのだ。
話せたのはそこまでだった。鎧を着た役人らしき男が入ってきたからだ。そいつは僕たちにじろじろと遠慮のない視線を投げる。
僕たちはそれ以上聞くことはできず、店を後にした。
※
さらに1日の行軍。同心円の中央に向かって進む。
進むごとに農地や森は見なくなり、代わりに街が生えてくる。
街道にずらりと並ぶ石造りの建物。夜にはあかあかと灯る街灯。町のあちこちから金槌の音がして、労働者に混ざって白衣を着た頭脳労働者らしき人たちが混ざる。
「プラントの稼働率が上がってるな」
「燃料の精製度が向上したからね。配管をやり直して熱効率も上げた」
「納品は来週ぐらいか」
「まだ調整不足だから、今日明日で何とか」
技術的な話だ、竜都で何が作られてるのか聞けるかもしれない。
しかし竜都の中心に近づいてるせいか、鎧の人物も多い。鎧は多色の布飾りで装飾されており、小さめだが火蛇竜に乗っている竜使いもいた。さすがに聞き込みは難しいか。
道幅はざっと20メートル。セメントのようなもので固められた道はつやつやと濡れるように輝き、生クリームのような色気がある。
道はまっすぐに続き、その向こうには白いもや。あれが竜都の中枢、常にスモッグがかかっていて、空からも偵察が不可能な場所だ。
「脱走が」
その言葉が、耳に飛び込む。
路地の奥だ。そこに二人の男がいて、何かを話している。
「また出たのか」
「仕方がない、ノルマが厳しくなる一方だし」
いま脱走と言っただろうか。やはりいるのか、この街から外へ逃げようとする男が。
しかし街の外に出た人間は確認されていない。その男たちはどうなったのだ?
あの二人に詳しく聞きたい、しかし街道には他の竜車もいるし、どこに人の目があるか。
すると、ノチェが荷台を降りる。複数の脚でするりと。
「ノチェ」
「分担」
分担……今度は自分が聞く番だということか。危ない橋は交代で渡るべきだと。
彼女の勇気に頭が下がる。僕は竜車を街道の隅に寄せ、いかにも休憩しているていで体を横たえた。
「脱走」
ノチェの声が聞こえる。相対した男たちは驚いた様子だったが、騒ぎ立てはしない。
「行方」
「あ、ああ、どこに行ったかって? たしか、竜使いの旦那たちに見つからない場所に逃げるとか言ってたらしいが」
「故郷」
「故郷? いや、そんなことは言ってなかったらしい。毎回そうだな、まあ故郷が恋しいって年でもないだろう。帰ったって町に迷惑がかかるだろうしな」
それはそうだ。竜皇はそれぞれの地区に領主として竜使いを置いている。村に戻ったところですぐに見つかるか、一生隠れ続けて生きる羽目になる。
故郷、僕もあまり意識したことはない。生産兵だから当然だろうか。傭兵たちはよく故郷の話をしていたけど。
「役人」
「役人? ああ、見張りがいるだろうってことかい? そこまでは知らんよ。というか割と逃げるやつは多いしな、みんなうまく逃げたんじゃないか? 街道をちょいと離れりゃあ竜使いの旦那もいないし、関所だって街道筋にあるだけだ、逃げるなんて簡単だろう」
……。
何だって。
それはおかしい、逃げられた人間はいないはずだ。
そうか、この今ひとつ緊迫感のない人々の様子、逃げようと思えばいつでも逃げられると踏んでいるからか?
徴兵にあった村の人々も、世界情勢を隅々まで知っているわけではない。
徴兵から逃げてきた人に会ったことがなくても、全世界で見れば普通に大勢いるはず、と考えるわけか。
「感謝」
ノチェは路地をするりと出て、液体のような動きで竜車に乗り込む。
「ナオ」
「うん……聞き込みの様子は聞こえてたよ。何か変だね。逃げた人はどうなったのか……もしかして火蛇竜あたりが空から警戒してるのかも」
ノチェは静かに首を振る。
彼女の目には常に思慮深さがある。哲学者のような詩人のような、常に深い考察に満ちているような目だ。
その口元が言葉をこぼす。端的でわかりにくくて、しかし何かしら本質を言い当てるかのような、短い言葉を。
「悪竜」
竜……。
「なるほど、竜か」
何かがいる。
この広大な竜都に息をひそめ、都から出ようとする者すべてを捕らえる、悪しき竜が――。




