第五十話
巨木の森か円柱の並ぶ地下道か、縦長の構造体で視界が制限されている。一つ一つの高さは80メートル以上はある。
「なんだこれ……外から見た時は何も……」
そして気づく、この現象には見覚えがある。
「ナオ様、眩光竜です。その場所の周辺一帯を隠していたようです」
シャッポの声。光をねじ曲げ、無味乾燥な映像を映し出す竜、そいつの仕業か。しかしこのビル群は……。
「……? これ、ビルじゃないぞ、それらしく削ってある岩だ」
「ビルってなんだい?」
「えーと、ビルディングの略、石でできた高層建築物だ。中に人が住むスペースが必要なので、中空の構造になるんだ」
この岩のビル。おそらく元々は岩山だったものを、何らかの手段で複数の直方体に削り上げたのだ。ある一面が格子模様に掘り込んであるのでビルに見えるが、細部はやたらと荒削りである。
「名もなき巨人よ、ご苦労だった」
声が響く。機体を向ければ、ビルの壁面に片腕片足だけで取り付いている人型のシルエット。
「お前は! 衛竜のアイガイオン!」
「やつの光術には手を焼いていたところだ。囮になってくれたことは労わねばならんな」
人を見下した調子で言う。後をついてきてたのはこいつだったのか。しかもココの言によれば、他に何体も。
「……何が目的だ」
「ここにいるのは竜使いの裏切り者」
「何だって」
「竜都ヴルムノーブルの工房にて竜を創っていた男だ。数年前に脱走したまま行方知れずだったが、ここへきて北方辺境で動き出したことが確認された」
アイガイオンは僕の方を見ずに言う。それは何かしら義務的な様子だった。僕たちにそれを聞かせる必要があると判断したのか。
「やつが最後に創っていたのは光の息を吐く竜、光条竜である」
「光の息……? まさか、あれはKBハドロンレーザーだ、あれを生物が使うというのか」
「ふ、矮小なる乗り手よ、少しばかり機械に通じるからといって、世のすべてを識ったつもりか」
「ぐ……」
「あやつは光条竜を生み出したが、量産は難しかったと聞く。いざというときの竜都の護りとして配備されていたが、やつはそれを奪って竜都から消えた」
竜都を護る竜……数キロの距離から大出力レーザーを撃てるならば、確かに途轍もない怪物だ。戦略的価値もあるだろう。
「この暖気もその竜のせいなのか」
「違う、これは「太母」だ」
「太母……?」
「北方辺境のどこかにいる、熱を操る竜である。天然の竜使いはそやつに出会って竜を預かる」
「天然の……?」
「名もなき巨人よ、此度は見逃してやろう、疾くこの地を離れよ」
アイガイオンはビルの向こうに消えてしまう。
「ココ、太母というのは?」
「ああ、そういえば昔、あたしらの集落に来た竜使いがそんなことを言っていたな」
ココはビルの影に身を伏せ、油断なく周囲を警戒している。
僕もそれに習う。周辺警戒はセンサーによって半自動化されているので、肉眼で警戒する兵士はあまりいない。だが戦いならばココのほうがベテランなのだ、その動きを真似ておこう。
「そいつは徴税官でもあるから無下にはできなかった。酒ぐせの悪いやつでね、強いやつを山ほど飲ませたら太母の話をしたのさ。本来の竜使いは太母から竜を預かる。太母の言葉を得て竜を操る。なんかのたとえ話だと思ってたけどね」
……。
太母、言葉をそのままに受け取るならば、竜たちすべての母とでも言うのか?
それは熱を操り、竜使いは太母に通じている。
ココはゆっくりと移動を開始する。このビル街のような地形、身を隠すのに向いているが、長時間同じ位置にいることを嫌ったのか。
「竜使いには天然とか人工とかがあるのか?」
「さあねえ、だが確かに竜皇の抱えている竜使いは多すぎると思ってたよ。何らかの手段で数を増やしてるのかねえ」
レーダーには影が見え隠れしている。どうも反応が曖昧で判然としないが五体以上はいる。この入り組んだ地形でドップラーレーダーは期待できないが、温度も音波もごく僅かだ。衛竜たちの隠密技術が高いということか。
「竜を操る技術があるってことか」
「そりゃあ、あるだろうさ。竜は人間には手懐けられない。甲竜がぎりぎり家畜化できるだけさ」
そうだ、ある。
僕はそれを見ている。シールの使っていた巨人のまじない。
その名をかざせぬものは伏せよ。
名前を持たぬものを操るまじない、あれはまさに竜使いの技ではないのか?
だが竜使いは巨人のまじないを知らなかった。竜使いには彼らだけの世界観があり、彼らだけの魔法があったのだろうか。
(……あの石板の街で聞いた話)
(あの無数の石板は一つの生命体であり、自己を癒やす力を持っていた。巨人族ザウエルは、それをまじないの言葉に変えた……)
(では巨人族は、竜を操る技も……)
「太母とは……二つの力を持つのかな。熱を操って熱圏を生み出し、竜を操る」
「別におかしいことじゃないさ、人間だっていろいろ特別なことができるだろう。長く歩けるとか、石を投げられるとか、他の動物じゃあなかなかできないよ」
まあ確かに。
カメレオンだって保護色、全方位に動く目玉、伸びる舌という能力を持つ。能力が一つの竜に一つという決まりがあるわけでもない。
「熱を操る……」
何だろう、その言葉は妙に気になる。熱力学第二法則に矛盾するからだろうか。しかし竜たちの驚愕の能力はさんざん見てきた、今さら驚いてはいられないが」
「ナオ、何か来るよ」
ココが言い、僕は身構える。背中から剣を抜いて正面に構える。
ここには風はない。24度という適度な暖気だけがあり、よく見れば地面には草まで生えている。
そして数十メートル後方には極寒の猛吹雪。現実感を喪失しそうになる眺めの中で、何か、迫るような、気が……。
のっそりと現れる、ビルの隙間から、頭部が。
火蛇竜にも似た、棘と角を放射状に生やした頭部、奇妙な遅さで認識される。
それは高さにして10メートル。口腔は頭の端から端まで伸びている。ベーシックに噛みつけそうな大きさのそれは。青い宝石のよう。
その角と言わず、牙と言わず、鱗と言わず全てがブルーに包まれている。
角は水晶のように透き通っておりマリンブルーを内包する。
鱗は青みがかって青磁器のよう。
口の端からのぞく牙は氷山のような淡い青、美しいカーブは由緒ある宝剣のごとく。
この世のものとは思えない美しさ。極上の美術品のような。
僕の視線がそいつに吸い込まれる。青一色の極彩。あらゆる青が、美しい鋭角が、僕の意識に食い込んでくる感覚。
そいつは僕たちを見て、喉を青く光らせる刹那、がぱりと口を開き。
「ナオ! 跳べ!」
意識が急浮上。レバーを引きつつペダルを一杯に踏み込む。右側に倒れ込むような姿勢になる一瞬、脚部が爆発するような衝撃。ほぼ真横に飛ぶ、元いた空間を青い光が薙ぐ。地面が爆散する。
「ナオ! 大丈夫かい!」
「だ……大丈夫だ。やつは首を伸ばしてきた。全体はかなりの大きさのはずだ」
全身が総毛立つ。今の一瞬、ココの声がなければ死んでいた。
今、僕はあいつに意識を呑まれた。
美しかったからではない。ヘビに睨まれたカエルのように金縛りにあったのだ。
他の竜とは違う。何かしら非生物的な恐ろしさを感じて硬直したのだ。
くそっ……! 竜に怖気づいてどうする、今までも数え切れないほど切ってきただろう!
ビル群の中を走る。どれもこれも巨大なものだ。小さいものですら軽く地上30階ほどの高さがある。
区画は……これを町のジオラマだとすればだが、かなり入り組んだ作りになっており、直線的に見通せる場所が少ない。敷地の幅が広いビルや三角地のビルもあり、上空から見れば無秩序さを感じさせるだろう。
やつの首が見えた、青白い鱗のある首がビルの隙間を横断している。
「あらゆる竜を……」
破砕音。
無意識が反応する。剣を引きつつ足を前に出し、首の下をスライディングで抜ける。
背後からの青い閃光。
数棟分のビルを竜の閃光が吹き飛ばしたのだ。立ち止まって斬りつけていたら半身を吹き飛ばされていた。
スラスターをふかし素早く反転。
そして見た。首が三つ。
長大な首がどこからともなく伸ばされ、その先端に宝石細工のような、荘厳なる竜の首が。
「――回避を!」
イオンスラスターを全開にして飛翔。ビルの隙間に潜り込む瞬間に青の閃光。基部を吹き飛ばされたビルが破滅的な重量をともなって倒れ、隣のビルにもたれかかる眺め。
「ココ! 竜は少なくとも三体いるぞ!」
「違うよナオ、あれは一体の竜だ、首が複数あるんだ」
「何だって!? そんな生物がいるはずない!」
「間違いない。あいつらは同じ個体だよ。呼吸というか、生物としての間の取り方が同じだ」
ココはそんなことを観察したというのか、あの短い時間で……。
「ナオ、やつらはサーモセンサーでは捉えられない。首を一つ二つ斬っても意味がない。本体を探しな」
なるほど、この熱源反応が分散してる感じ、竜が長大な首を張り巡らせているからか。この見てくれだけのビル街に。
音声データを見れば、あちこちでビルの倒壊するような音が生まれている。
「衛竜たちも戦っている……」
これはビルに似せた岩塊だから、本来のビルよりずっと中身が詰まっている。
簡単な加工ではないはずだが、この半径500メートルの熱圏にいったい何棟のビルがあるんだ。
いや、待てよ、そうか熱圏の形状は円形なのだ。
「シャッポ、熱圏の中央に向かう。こちらからは熱圏の全容がモニターできない、シャッポから指示を出してくれ」
「分かりました、衛竜たちにも気をつけて」
そして視界にいくつかの首が見える。頭部の一つが僕を見つけ、喉の奥を光らせると同時にビルの影へ踏み込み真上に跳躍。ビルの基部が貫かれ、ビルの側面を蹴って飛ぶ。
「ナオ様、熱圏の範囲はおよそ530メートル。内部にある建造物に似た岩塊はおそらく120以上です」
いったいどこの誰が、なんの意図でこんなものを……。
そして万が一、ビル街から上に出れば即座に狙い撃ちされるだろう。この熱圏に接近する時、狙撃がだんだん打ち下ろしになった理由がわかった。ふところに入ってしまえば狙撃できないのか。
左方に気配。
岩塊を突き破り現れる竜の頭部。宝石のような牙を突き立てんと迫る姿。
「あらゆる竜を断つ光を!」
抜き放つ光の剣。横薙ぎにする向こうで竜の頭を、青白い首を、ビルディング数棟分の岩塊をまとめてぶった斬る。斬られた岩塊は横滑りして落ちていき、凄まじい破砕音が伸び上がってくる。
だが血は出ない。竜の頭部は水晶ともガラスともつかない質感。こなごなに砕けて落下していく。
「何だこれは……やつは無機物でできているのか?」
「ナオ、まじないを使ったかい?」
「ああ、だがCエナジーを浪費した。あまり無駄遣いできない」
Cエナジーはいつもと同じくブロックに分けて隔離してある。一撃で使い果たすことはないが、ほんの数回しか撃てないだろう。
竜の首はいったいいくつあるんだ。熱圏の中央に向かうほどに数が増えるように感じる。
「名もなき巨人よ! 止まれ!」
声がかかる、それは衛竜、アイガイオンか。
他のビルよりやや低い棟の屋上にいて、すらりと立って僕に声を飛ばす。
「立ち去れと言ったはず、この竜は我らの獲物だ」
「お前たちの命令など聞かない! それにベーシックにはもう名前がある、探求者だ!」
「ほう……」
がし、と岩塊に掴まる影がある。それもまた衛竜。次から次と、アイガイオン以外に五体が僕の視界に現れる。
「これほどの数が……」
「アグノス、貴様の新しい名に免じて機会をやろう、この私と一対一で立ち会え」
「何だって?」
アイガイオンは腰の後ろから獲物を抜く。銀色に光る偃月刀、以前より装飾が増えて禍々しい印象になっている。
確か、あの偃月刀はベーシックの浸潤プレートにも傷をつけるはず……。
「断る、そんなことをしている余裕はない」
「竜の首は我らの部下が相手をしている。だが本体は攻めあぐねていてな。お前の横槍は邪魔なのだ」
攻めあぐねる……本体にも何かあるのか? 口ぶりからして、こいつらは既に本体を見つけているようだが……。
「さあ降りてこいアグノス! そして巨人の乗り手よ! 武人の端くれならば誇りを見せろ!」
そして僕は――。
A、いいだろう! 一騎打ちでも何でもやってやる!
B、断る! 軍人のやることじゃない!
さあ主人公の答えはどっちなのか




