第四十八話
これは合理的な判断だ。
ベーシックからより大きな戦力を引き出すために必要なもの、それはパイロットの性能でも練度でも、座学のスコアでもない。祈りの力だ。
巨人のまじないはどれも強力無比だが、Cエナジーをあまりにも食いすぎる。祈りの力がなければすぐにエネルギー切れを起こしてしまう。
現状、この船で祈りの力に目覚めているのはレオだけ、ならばレオが乗るべきなのだろう。
操縦については半自動操作を使い、おいおい身につけていけばいい。僕より練度が落ちるとしても、それでもまじないを使えることの優位性が……。
誰が想像できるだろうか。
僕の発言から1時間後、僕は落差20メートルの滝の真下にいた。
「戦士たるものが怖気づくとは何という体たらく! 滝浴びで根性を叩き直せ!」
レオは木刀を持って見張っている。獅子頭にしか使えない特大のもの、木刀というより木、殴られたら原型を保っていられるだろうか。
「こ、こんなこと、非効率……星皇軍では戦士のメンタルはレクチャーとカウンセリングで醸成されるもので……」
水温は10度前後、水量は軍用傘が一瞬で破壊されそうなほど。僕はがたがたと震えながら滝に打たれる。
ようやく開放され、岩場に手足をついた僕にキャペリンがタオルをかけてくれる。
「し、死ぬかと思った……」
「ひ弱やなあ、これって獅子頭の人らが訓練で使う滝やけど、5歳以下の子供用やで」
「しゅ、種族」
それだけしか言い返せない。手足の血管にゆるゆると血が通ってきて痺れるような感覚がある。
「ちなみに大人の場合は上から岩とか落とすんや」
「種族」
なんとか立ち上がって、真っ青になってるはずの唇を動かす。
「れ、レオ、僕は別に怖気づいたわけじゃ」
「そもそも指揮官である俺がベーシックに乗れるわけがない! 祈りの力が必要と言うならお前も身につければいい話だ!」
「やっている、思いつく限りのことを試した、だけどどうしても身につかない……」
僕だけではない、獣人たちから志願者を募って訓練を行っているが、祈りの力に目覚めたものはいない。
おそらくこれは特別な才能が必要なのだ。訓練でどうにかできることとは思えない。
レオは一日に何度かベーシックに入り、Cエナジーの充填をしている。せめてあれだけでもできればと思うが……。
「泣き言は聞かん! 祈りの力が使えぬなら、そのぶん他の事を努力しろ! 次の戦いは過酷なる北方辺境だぞ!」
レオは歩み去ってしまう。
滝のある岩場には夜烏人の人々も来ていて、二人ががりでレオを船まで運んでいった。どうでもいいことだが、夜烏人の人々の飛行能力はどうなっているのだろう。明らかに翼の大きさに対して運搬能力が高すぎる……。
「大変でしたな」
ざり、と砂利を踏みつつ現れるのは、船内にあった士官服に着替えた草兎族、シャッポだ。銀の生地に赤のラインが幾何学的に入っている。
「あ、お姉ちゃん、見てたんやったら止めてえな」
「いえ、今来たばかりです。ナオ様たちが獅子頭の修行場に降りたと聞いたので」
僕はようやく手足の感覚が戻ってきた。どさりと尻餅をついて座る。
「シャッポ、何か伝達事項かな」
「いいえ、船が物資補給のために上空待機中ですので、休暇の真似事です」
シャッポはこの2ヶ月、寝る時以外はほぼ常に働いている。
巨人の伝承に関する情報を集め、船内の設備を整え、多くの獣人をまとめている。同時に船内の設備を解析したり、星皇軍の技術を学んだり、頭が下がる思いだ。
それは前の耳長の贖罪という意味もあるだろうか。ユピテル級巡洋艦を見出し、どこかへ消えてしまったかつての耳長、シャッポはその後継として、いきなり重責を背負ってしまった。
終わりのない長距離走に放り込まれたようなものだ、その境遇を思うと胸が痛む。
彼女のことをそこまでよく見ていた訳ではないが、最初に出会った時の彼女、様々な土地を渡り歩き、自由に商売をしていた彼女はもう帰ってこないのだろうか。それを寂しく思う。
「お姉ちゃん、休むんやったらちゃんと休まんとあかんよ。船のことやったらみんな慣れてきたことやし、他のウサギもおるし」
「大丈夫です」
確かにシャッポからは疲れた様子は見えない。激務の中でも体調を管理できるのもシャッポの優秀さなのか。
……それとも、僕が彼女の「疲れた姿」以外を一度も見たことがないのか、そんな考えまで浮かぶ。
「ナオ様。北方辺境なのですが、早ければ24時間後に辺境の境界線を超えます」
「うん」
「……ですが、いま開発している兵装があり、それがあと数日かかりそうなのですが……」
「兵装? それは重火器かな、船にチェーンガンのパーツでも残っていたの?」
「いえ……」
「武器や防具? じゃあ進軍を急いだ方がいいと思う。ベーシック・アグノスには巨人の剣もあるし、十分に戦える」
「そうですね……では予定通りに」
彼女は立ち去ってしまう。何だろう、何かを開発してるのかな。
「お姉ちゃん、なんか自信なさげやったなあ」
「そうなの?」
「ウチには分かる。あれは進めてる計画が上手くいくか分からん、っちゅう様子なんや。数日待っても開発してるもんができるか分からん、だから待つかどうかの判断をナオに委ねたんやな」
「ふうん」
「サケの切り身を地面に埋めて、硝石から火薬を作ろうとしてた時があんな様子やった」
「意外とワイルドな一面が」
とにかく、パイロットをレオに拒絶された以上、僕が乗るしかないか。
空を見上げる。白い雲が北の方へと流れていくように見えた。
高空に吹く強い風を受け、龍のように長く長くたなびいて。
※
船が透明なカプセルで包まれる、そんな眺め。
「なんや変な感じやな、急に風がやんだで」
巡洋艦は巨大な岩盤を背負って飛んでいたが、そこで農作業をしていた鬼人たちも不思議そうに空を見上げる。
「ナオさん、これは何なんだい」
「船に搭載されてる重力発生装置を1Gに設定した。この重力場は船のジェネレーターからきっちり240メートルまで作用する。だから空気が球形に固着されて温度が保たれるんだ」
実際には外気温との熱交換は起きているが、ジェネレータの排熱を背面甲板に向けることで温度を保っている。農園と果樹はひとまず大丈夫だろう。
「すごい船だなあ、ナオさんの軍でも船で農業をしてたのかい」
「……いや、これは例えば宇宙空間で水を球状に纏って簡易的なシールドにしたり、岩塊を纏って船体をカモフラージュするためのもので……」
鬼人たちはまたクワを振るい始める。鬼人たちは体格がいいし筋骨隆々だけど、どうも獅子頭に比べると素朴というか、地道な暮らしに親しむところがある。
そして、眼下の風景は移り変わりつつある。
果てしない荒野から荒波のような岩場に変わり、やがて峻厳なる山々の稜線を抜ければ、あとは白一色の吹雪の世界に。
「早いもんやなあ、北方辺境の境目は超えるだけで数日かかるはずやのに」
まさに線をまたぎこえたような気候の変化。移動距離としては数キロなのに、いきなり厳冬期の世界である。
甲板にはベーシックを待機させていた。僕とキャペリンはそれに乗り込む。
「シャッポ、船内の様子はどうかな」
「はい、問題ありません。ジェネレータの出力が25%高まっていますが、このまま40時間は重力場を展開できます」
船体を1Gの重力で包むのは大変なことだ。なるべく早く目的を達成せねばなるまい。
「ナオ様、船が観測したデータをベーシックにも送ります、何か気づいたことがあれば」
「分かった」
送られてくるのは高解像度処理された複数の映像。光学だけでなく赤外線や、超短波ソナーもある。
「竜がいるねえ」
響くのはココの声だ。ベーシック・ウィルビウスも船尾側にいる。緑の鎧に身を包んでいる。
「谷間に何頭か固まってる。予想より多いな、もっと珍しいものかと思ってた」
「そうだな……熱源探知、ここから半径2キロメートルに40頭以上いる……」
ウィルビウスの緑の鎧、樹脂に漬け込んだ木製の鎧だ。
ベーシックの浸潤プレートの装甲の前では紙一枚の違いだと分かっているけれど、その鎧のデザインは美しいと思えた。有機的であり女性の肢体のような流麗さを感じさせる。
「なあココ、なぜ竜たちが極寒の地でも活動できるのか知らないか?」
「さあねえ、西方辺境じゃあ、野良の甲竜ぐらいしか見なかったし」
ベーシックのセンサーで探る。地上付近は既にマイナス20度、生命が生きるには厳しい環境だ。
例えば大型哺乳類などは、寒冷地にいる個体ほど体が大きくなる傾向がある。多くのカロリーを蓄えておく必要があるし、体が大きいほど熱が逃げにくいからだ。
だが、そのような例では生息域の広さに対して個体数が少なくなる傾向がある。レーダーが捉えた甲竜はあまりに多すぎる。
なぜ竜たちは北方にいるのだろう?
生存競争に負けて追いやられた?
いや、そんなはずはない。竜より強い生物など聞いたこともない。
境界線となる山を越えられない?
それほど切り立った山ではなかった。それに火蛇竜などは飛行できる。
「なんやナオ、ぶつぶつ言うて」
キャペリンが後ろからのしかかってくる。毛皮に覆われた体がほんのり暖かい。
「竜がなぜ北方にいるのか考えてた」
「そんなもん決まっとるやん、何かしらうまみがあるからや」
あっさりとそう答える。
「うまみ?」
「せや、ウチらが知らんだけで何かあるんや。うまいエサとかな。というか、あれこれ考えるより北方に何があるか探す方がええやろ」
確かにそうだ。
僕は北方には何もないと決めつけていた。何か、竜を満足させるものがあるのだろうか。
例えば、そう、熱水噴出孔。
海底から熱水が吹き出すポイントだ。海を持つ多くの惑星に見られ、その噴出孔からは熱的資源はもちろん、ミネラルなども供給され、海底生物が群がっている事が多い。
僕はサーモセンサーを重点的に調べる。ベーシックも熱源探知モードにして、アクティブレーダーを広範囲に向ける。
点となって視えるのは竜の熱だ。体温はおよそ25から35度、やはり高い、彼らはこの熱量をどこから得ているのか……。
「ナオ様、見つけました」
司令室より届く声。
熱探知画像の一つが全方位モニターに現れ、その一部が拡大される。同時に簡易的な地形図なども現れる。
「180キロ先のこの地点。およそ半径500メートルの熱界があります。おそらく噂にあった竜皇に反旗を翻す組織です」
「何だって……」
船が上空800メートルあまりにいるとは言え、180キロ先では惑星の丸みに隠れるギリギリの距離。
確かに視える。冗談のように球形をした暖気の固まり。ある一点を中心に空気が半固定されているのだ。しかも半径500メートルとなれば、この船の固定範囲より規模が大きい。
「シャッポ、船体停止させてくれ、様子を見たい」
僕の求めに応じて船が止まる。熱圏までの距離は175キロほど。
あれは何なんだ、まさか重力発生装置。
いや、そんなはずはない、重力発生装置は星皇軍の巡洋艦以上にしか搭載されていないシステム。この星に巡洋艦が2隻あるとも思えない。
では、あの天変地異のような現象は、まさか……。
「竜、なのか……?」




