第四十六話
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地下空間の崩壊から24時間。
「そこ! 崩れそうなところは獅子頭に預けろ! おいそこの者! 手押し車の通り道に入るな!」
レオは元気に片付けを指示している。かなりの重傷のように見えたのだけど、今は二、三箇所に包帯を巻いてるだけだ。
「……レオは癒やしのまじないを使ったのかな」
「使ってへんよ。ベーシックは記憶が巻き戻ったんやろ、生物に使うと物忘れが起きそうで嫌だって言ってたわ」
そうだな、確かに映像の中のブルームもそんな感じだった。
癒やしのまじないとは言っても原子レベルで完全無欠とは思えない。何度も使えば脳に影響が出る可能性が高いだろう。
目が見えなくなってたのも石ぼこりによる一時的なものだったらしいし、ひとまず無事でよかった。
あの久遠竜との戦いで、レオは祈りの力に目覚めた。
刀身のないだんびらで光の剣のまじないを使ってみせたのだ。
そして残されたのは山のような石板と、石板だった瓦礫の山。僕たちはともかく何か埋まってないか探す。
「あったんだよ」
「またメモリーなんだよ、もういいんだよホントに」
「パンパンの財布とか落ちててほしいんだよ」
石板の他には映像と音声のメモリーがたまに見つかる。それは上空の船に運ばれて、草兎族が分析するらしい。
「キャペリン、久遠竜の中には手桶ほどの何かがあったらしい、それは見つかった?」
「探してんのやけど……。レオの旦那さん、ど真ん中を斬り裂いたからなあ」
「見つかりましたよ」
ざく、と砂利を踏んで現れるのはシャッポだ。石ぼこりが多い場所なので茶色のマントで体を包んでいる。
「姉ちゃん、ほんまに?」
「はい、直前までその物体を捉えていたスキャン映像、レオ様のまじないの衝撃などから飛散地点を割り出し、捜索させていました。そして見つかったのです。それぞれ数グラムほど脳組織が、ガラス片や微小な機械とともに飛散しているのを」
「……脳、か」
船に戻る。
僕は軍人としての義務を果たす。採集された脳組織を薬剤と放射線で処理し、分離されたDNAをナノレーザー分析機にかける。数千桁ずつに分断された遺伝子の二重らせんが読み解かれていく。
「船内のデータと照合。一致率100%、やはりブルームか……」
「お前の戦友か」
レオも上がってきていた。照合結果を聞くと、レオは両膝に手をおいて身をかがめ、僕に頭を下げる。
「すまなかった、已む無きこととはいえ、お前の仲間を手にかけてしまった」
「いや……それはいいんだ。もうブルームは人間と言えたのかどうか……」
シュヴァリスタ理想図書館。
この遺跡でいったい何が起きていたのか、解明すべきはその点だ。
記録は多いが内容が不明瞭であったり、メディアの劣化で再生が困難だったりする。シャッポたちは総力を上げて情報の分析に取り掛かる。
僕はと言えば、剣を振ってみる。
「あらゆる竜を断つ光を!!」
気合とともに叫ぶ、木剣の刀身に変化はない。
「あらゆる竜を断つ光を!!」
やはり変化はない。
「ナオやん、なんで巻き舌っぽく言うたん?」
指摘しないでほしい。
「レオ、もう一度コツを教えてほしい……」
「非常に感覚的なことだからな……いいかナオ、我らの周りには光が濃いところと薄いところがあるのだ」
「うん……」
うん、と相づちを打つものの理解はできてない。もう何度目かのやり取りだ。
「濃い光は泡のような綿毛のような、とにかくふわふわと浮きながら、高速で動いている。それが我がたてがみに触れるとき、強く意識するとたてがみの中に取り込まれる。それを繰り返すと体に光が満ちていく。それが祈りの力なのだろう」
つまり、それがベーシックを動かしているCエナジーなのだろうか。
レオの言わんとすることは、つまりマクスウェルの悪魔だろうか。空間にはエネルギーの温度差のようなものがあり、密度の高い部分だけを選択的に取り込むことで充電のような効果を得る。
あるいは量子論だろうか。観察することで対象に影響を与えるとか……。
シールは何と言っていただろう。
――より正確に言えば濃密なる情報の循環が世界に罅を生み、背景世界たる高次元からの力を取り込む事象。
――かつて竜皇は、意図的に五感を閉じることで力を引き出そうと。
……いや、思い出すのはやめよう。
シールと僕では学んできたものが違うし、物事を言い表す言葉も違う。シールは僕たちに敵対しているし、敵の言葉に頼っててどうする。
それに、自分の力で辿り着かなくては絶対に扱えない、なんだかそんな気がする。
「レオ、ベーシックのCエナジー充填を頼めるかな。石板の片付けはベーシックでやろう」
「わかった、やってみよう」
だが、これは予想したほどはうまく行かなかった。
ベーシックのエネルギーは自然に溜まっていく、おおよそ6時間から12時間で1%ほどだが、レオは20分ほどコックピットに座り、3%ほど充電できた。
キャペリンがやや不満げに言う。
「獅子頭の旦那さん、もうちょい頑張ってえな」
「いや、直感で分かる。飛び回る光を捕まえるのは尋常ならざる技だ。俺には根本的に向いていない。集中力も持続しないし、このぐらいが限界だ」
つまり、コツを体得していてもCエナジーを捕まえられる量には個人差がある、ということか。
シールはほぼ1日中、片時も休まずベーシックに向き合うことができた。その祈りは一瞬でかなりの量のCエナジーを生み出した。
彼女は一種の天才だったのだろうか。もはや、彼女の並外れた部分を否定する気はない。
「せやけど旦那さん、光の剣のまじないはすごい威力やったで」
「あの地下空間はとてつもなく光が濃かった。だから少し意識するだけで大量の力が集まったのだ」
光が濃かった……。
「だが今現在はそうでもない。おそらく天井が崩れたために光が霧散してしまったのだ」
祈りの力というのは浮いてる綿毛を集めるような感覚らしいが、ではその綿毛の濃度にも場所によって差があるのか。
そのあたりの説明がシャッポからなされたのは、さらに15時間後のことだった。
「石板の分析が完了いたしました」
ブリーフィングルームにて、シャッポがプロジェクターを駆使しながら話す。室内には僕とキャペリン、あとは何故いるのかよく分からないドワーフが大量にいる。
「結論から言えば、あの石板は一種の機械なのです」
船の頭脳で分析した画像が表示される。マイクロサイズまで拡大された溝を赤い丸と青い丸が通り過ぎ、自動で赤と青に選り分けられる様子だ。
「つまり……どういうこと?」
「生命とは何でしょうか。食物を分解して生成物を排出する機構、言語を浴びせれば言語を返す機構、刺激に対して反応を返す機構が生命だとすれば、この石板はその条件を満たすのです。つまり、これは生命なのです」
「……そんなはずはない。あの石板には可動部分なんか存在しない。通電もしていない。生化学的要素もまったくない……」
「この世界の理とは違います。これは、おそらくそれが成立する宇宙から来たものです。その世界の法則ごとやってきたのです」
――無限の時空、無限の世界から強者を集める怪物が
「あ、ありえない。1足す1は2、たとえ違う宇宙に行こうとも2だ、物理法則が異なる宇宙があるだなんて……」
「ナオ様、これは我々はもちろん、ナオ様の世界の科学力すら大きく超えた事象と思われます。ナオ様の世界の文明が何万年続こうとも到達できない領域。私たちはただ、観測するままを受け止めるのみ」
映像が切り替わる、石板が積み重なった塔、地上の眺めだ。
「この石板は空間からエネルギーを取り出し、一定方向に押し出す力があると考えられます。地下空間を大量の石板で蓋をすることで、空気から漉し出されたエネルギーを地下に貯めていたのです」
なるほど、だからレオは地下に光が濃いと言っていたのか。
「この石板を浮遊させるには大量のCエナジーが必要です。しかしCエナジーさえあれぱ、この石板は生命のように振る舞うでしょう。小魚の群れのように、Cエナジーの発生源の周囲を回遊するはずです」
映し出されるのは海中の映像。イワシの群れが竜巻のように渦を描いて泳ぐ様子だ。
「映画なんだよ」
「すごい迫力なんだよ」
「ドリンクサーバー持ってくるんだよ」
これはリラクシーヴィジョン。兵士のために用意されている環境映像だ、いろいろ見つけているなあ。
そしてドワーフたちは本当にドリンクサーバーを持ってくる、使えるようになったのか。
「ナオも飲むんだよ」
「ええと、何があるの?」
「サイダーと炭酸水とスパークリングウォーターとCO2ジュースなんだよ」
「……炭酸水ひとつ」
映像の中でイワシはまるで一つの生命のように振る舞う。
集団が一つの生命のように振る舞うという事だろうか。あの石板もそうであると……。
「おそらく、起きていたのはこのような事です」
映し出されるのはピクトグラム化された人間。それが石を切り出して石板に加工していく様子だ。
「あの石板は生命ではありますが、自分自身を複製する力は持っていませんでした。それは有機生命体に行わせていたのです」
「? 生産を他の生命に依存しているのか?」
「主客の逆転です。かつては有機生命体があの石板を生み出していたのですが、石板が力を増して永続の存在となると、有機生命体は不要となったのです。ですが、この世界に呼ばれたときには数が少なかったので、有機生命体を必要としたのでしょう」
「……」
「あの石板は、数が少ないうちは創造者に隷属する細胞のように振る舞うのです。地下世界にいた人物は石板を作り出し、それらの王となった、そして最後はこのような姿になったと推測されます」
映像が切り替わる。
それはガラスに封じられた脳組織、わずかな機械が付属している。
「……パーソナル保護ユニット」
兵士が治療不可能な病や怪我を負ったときに、脳だけを隔離して新たな肉体を待つための措置だ。
ベーシックにはその機構が内蔵されており、ごく一部の大きな軍功を上げた兵士だけがこの措置を受ける権利を得る。
しかし、そんな措置は一人では……。
「船内からこの機械のデータを見つけました。生物は脳細胞だけならば300年は生きられるというデータもありました。あの石板を削っていた人物は、この地で永遠の存在に近づこうとしたのです」
「姉ちゃん、でもそんなちっさな機械が何百年も持つんか?」
「この機械はまじないで修復できます。この状態で長大な時間を過ごせば、やがて思考は石板に同化し、脳が朽ちたのちもなお、石板の集合体となって無限に生きられるかも知れません。それこそが精神の行きつく果て、無機物への回帰というものかも知れませんね」
シャッポは少し高ぶっているようだ。この調査は彼女の知的好奇心を刺激したらしい。
我々は生きているとき、肉体を脳の乗り物だとは認識しない。僕は指先まで僕であり、脳と肉体は結びついている。
そして、肉体を機械化している兵士は、その機械の部分までを自分と認識する。やがて戦場を巡るごとに機械化された部分が増えていっても、ついには脳組織まで半導体に置き換え、有機組織の部分が完全に0になったとしても、その兵士は一貫した意識を持つという。もはやオカルトじみているが、僕たち兵士の間に伝わる伝説だ。
もしかして、かつて石板が存在した世界でもその考えはあったのだろうか。石板を生み出した異なる宇宙の文明は、石板と一体化することで永遠の存在になった……。
しかし、そんなことをブルームが?
「どうも……僕の知っているブルームの人物像とそぐわない。彼はギャンブラーであり、どちらかと言えば刹那的な人間だった。破滅主義者であり、何も所持しようとしない、手に入れた金銭を一夜の賭けにつぎ込むような人物だった」
「永遠の命を得る、生物として究極的な目標です。ブルームという方が目指した可能性はあるかも知れません」
そうだろうか。シャッポは頭がいいというだけでなく、多様な種族や考え方を受け入れる度量がある。彼女ならそういう考え方も許容するのだろうか。
だけど……。
「そうは思わへんよ」
反対するのはキャペリンである。
「ギャンブラーのやることとは思えへん。こんな寂しい場所でずっと石板を削るやなんて、しかもほとんど自我が無くなってたやないか」
「ですから、それは石板と同化するための前段階であり……」
「ブルームは、気をつけろと言っていた」
僕が割り込む。彼の遺した言葉を思い出す。
「永遠を司る竜に気をつけろと言ってたんだ。ブルームに起きた石板との同化。もしかして、自分の意志ではなかったんじゃないか?」
映像の中でブルームは何度も警告していた。自分のことも、作業の意味も忘れかけながら。
「……」
そうだ、やはりあの状態、茫然自失だったブルームがパーソナル保護ユニットに入れたとは思えない。
それに、もともとブルームが乗っていたベーシックはどこに行った? 瓦礫に埋まっているならスキャンでとっくに見つかってるはずだ。
「映像……」
「ナオ様?」
映像、記録、画角、彩度、露光、絞り……そんな話をしていた、誰かが……。
「巨匠……」
「? どうしたんやナオ」
思い出した。彼のあだ名はマエストロ。あらゆる芸術分野に通じ、特に映画を愛好していた人物。
僕たちの、隊長だった男。




