第四十五話
「なんだ……こいつは!?」
万を超える石板で構成された四足獣。遠目に見ればゆっくりとした動きに見えるが、踏みつける足は自由落下の速度。何十枚もの石板を踏み割りながら歩く。その一歩はビルの落下に相当する威力。
「ナオやん! だいじょぶか!?」
「大丈夫だ! それより明かりが消されてる、光のある方に逃げろ!」
体高はおよそ10メートル、全長は20メートル近くある怪物。石板に覆われた足を高々と上げ、一瞬のタメの後に打ち下ろす。
そしてやつは光を狙っている。トーチバルーンを設置した石板の塔を頭部で殴りつけ、崩れる塔をさらに踏みつける。
「くそっ!」
溶接銃を撃つ。銃口の励起結晶から放たれるオレンジの火線。巨獣の胴体にぶち当たって火柱をあげる。
洞窟を震わせるような咆哮。無数の石板が擦れあう音。耳をえぐられるような強烈なノイズ。僕は音に押されるように後退し、巨獣が追い立てる。
「くそ、あの熱量に耐えるのか!」
「ナオやん危ない!」
闇の中から伸びる光、巨獣の後ろ足に当たる。距離があるために光が拡散し、火柱を上げるには至らない。
巨獣は背後からの攻撃に首を巡らすかに思えた。思えた、というのはそいつには目もなく、顔があるのかどうかも分からないからだ。僕は巨獣の視線から逃れて物陰に飛び込む。
『ナオ様、逃げてください、その銃ではあの怪物と戦えません』
シャッポの声だ。彼女はインカムを通してこちらを見ている。撤退の指示は当然だろう。
だがやつが暴れたせいで地形が変わっている。まともに走ってやつとすれ違えるか。
「……無理だ。ここで戦うしかない」
『ナオ様、しかし』
「あいつは溶接銃で叫び声を上げた。効いてはいるんだ、おそらくあいつの内部に本体がある」
そうだ、冷静になれ。
まず、あれは巨大な獣が石板を纏っているわけではない。そんな獣は影も形もなかった。
そしてシールの操るベーシック・リサナウトだ。
あれは石板を繋ぎ合わせたような鎧を着ていた。巨人の鎧とはひと繋がりの衣服ではなく、石板を操って鎧のように体を覆うことなのだと。
まさに、あの獣だ。
そしておそらくあいつこそが、この地下世界の王。
老いも滅びもない石の怪物。永遠を司る竜。
久遠竜!
「シャッポ、あの怪物を久遠竜と呼称する。船の背景放射干渉スキャナーだ。それを使えばスキャンできる。システムを呼び出せるか」
『やってみます、ドワーフの方々、そのシステムを探してください』
おそらく、あの獣の中には本体がある、その姿さえ分かれば……。
その時、重機動車のタイヤが破裂するような音圧。爆発にも似た咆哮。
あの巨獣のものではない。しかし体の芯をすくませるような力強さ。
「受けてみよ!」
がぎいん、と強烈な火花が上がり、石板のいくつかが弾け飛ぶ。
「レオ!?」
まさしく彼だ。巨大なだんびらを振るって竜の足元にいる。
久遠竜は斬りつけられた痛みがあるのかどうか、足を持ち上げてレオを踏み潰さんとする。レオはさらに一撃を斬りつけ、その反動で身をかわす。
「レオ! 無事だったか!」
「近づくなナオ! ベーシックのないお前の戦える相手ではない!」
あ、相手ではないって、まさかレオが戦う気なのか。あの竜は質量でレオの数千倍はあるんだぞ。
見ればレオの頭部には流血の跡が見える。たてがみの右半分が真っ赤に染まっているのだ。腕の出血を止めたのか、肘のあたりに包帯も巻いている。
「草兎族の娘!」
闇の中に向かって声を張る。
「な、なんやウチかいな、どうしたんや!?」
「仲間の二人を向こうに寝かせている! 救助を頼む!」
「わ、分かったで」
獅子頭の仲間も無事だったか。レオは手傷を負って闇の中に身を隠していたわけだ。
びいん、と金属板が振動する音。レオのだんびらが何度も巨獣にぶち当たる。
確かに巨獣の鈍重さではレオを捉えきれない。石板にして数枚とはいえ巨獣に手傷を負わせてるのも確かだ。
だが――。
暗がりの中に球体が生まれる。それは互いに接触せず、球状空間を飛び回る数十枚の石板。強烈な運動エネルギーを宿したままレオの方に突っ込む。
「危ない!」
オレンジの火線。熱波が巨獣を捉え、空を飛んでいた石板がまとまりを失いその場に落ちる。
「レオ、僕が気をそらす、だから慎重に戦って」
「手を出すな! あの石板を飛ばす攻撃をヒト族が喰らえば即死だぞ!」
なっ……。
そうか、レオの流血。
僕たちが降りる前、あの攻撃を何度も喰らいながら戦っていたのか。
だが35キロの石塊だぞ、いくら獅子頭の戦士でも……。
どごおん、と数十の音が重なり合う音。
「! レオ!!」
しまった、石板の球体。闇の中から飛んできたものは目視できなかった。
「まだまだあ!」
だがあろうことか、レオは即座に立ち上がってだんびらを振るう。
なんというタフネス。だが遠目にも分かる、頭部からの出血は拡大している。歯を食いしばって立っているのだ。
「レオ……」
『ナオ様』
シャッポからの通信だ、僕は耳に手を当てる。
「シャッポ、どうした」
『あの竜、久遠竜と思われる巨大な影をスキャンしました。内部に小さな……ほんの手桶ほどの大きさしかないものが見えます』
手桶……。
僕は、あの魔獣の中にベーシックがいる可能性を考えていた。
だが考えてみればベーシックのように大きなものなら、ドワーフたちが明かりをともした時に見つかっているのが自然だ。
手桶サイズの生き物、それが久遠竜の本体か。
だが、その小ささでは船のX線レーザーで狙えない。溶接銃で熱を浸透させるにしても時間がかかりすぎる。
どうする、どうすればいい。
「……待てよ、そうだ、明かりだ」
あの巨獣は身を隠していたレオを攻撃できなかった。明かりを頼りに探す必要があったからだ。
やつは完全な闇の中では活動できない。最低限の明かりは必要なはず。入り口付近の明かりを消したのは、僕たちを逃がすまいとしてのことか。
残っているトーチバルーンは2つ、巨獣の近くに一つある。あれを溶接銃で狙撃すれば。
トリガーを絞る。オレンジの火線はやや拡散しながらも直進し、ビニールの風船を貫く。そして地下の一角に闇が降りる。
「ナオ、何をする!」
「一旦退却だ! 僕は君たちを救出に来たんだ! やつは無視して上に逃げよう!」
「む……仕方ない、か」
巨獣の咆哮。めったやたらに周囲を踏み荒らし、石板を飛ばしているのが分かる。
だがこの空間は広い、巨獣との間に遮蔽物を置きながら進めばまず当たるまい。トーチバルーンは遠くに一つだけ残っており、だいぶ目が慣れてきた今なら移動は可能だ。
そして僕は、奥側へ。
巨獣が入口側へ動く気配がする。音だけでもその輪郭を感じ取れる。そのでかい尻に向けて溶接銃の一撃。
「! 今のナオやんか!? そっちは出口と反対や!」
「こっちで巨獣の気を引く! 心配いらない! 君たちが逃げてから僕も離脱する!」
さらに2撃、3撃。
オレンジの火線が弾ける一瞬、その体が見える。無数の石板が連なる様は鱗というより焼けただれた皮膚のようだ。不規則で不格好。洗練されていたベーシック・リサナウトの鎧とは似ても似つかない。
「あの力は何なんだ……? 石板は治癒のまじないに関係しているんじゃないのか? あれは念動力とかに近いものに見えるが……」
――あれは知性。
「!」
今の声は? どこから?
――かつて時空の最果て。ある図形パターンを共有することで分子の不確定挙動に干渉し。自己を自由に動かす意志が存在した。その星で唯一の個体。生命とは言えないが、知性は存在した。
何らかの録音デバイスだろうか。石板の山に埋まっているのか、声が複雑に反響して届く。蓋のされた井戸から響くような不気味な声だ。
――それは無機物であるがゆえに老いはないが、劣化は訪れる。傷つくこと、風化することは彼にとっての罪だった。
理性的で、何もかも分かっているような口ぶり、なぜそんなことを知ったのだろう。
――数えきれない歳月の果てにその知性は術を産んだ。時空回帰。それは図形パターンであり、すべての石板に刻まれている。
何の話をしているんだ。その星で唯一無二の知性……?
――蛮神がその知性を呼び寄せ、巨人たちは図形の力を音声パターンとして励起させ、世界の定義の中に組み込んだ。物理法則すら書き換える力、巨人のまじない。
そうか、シールの言っていたこと。
無限の時空、無限の世界から強者を集める怪物。
強靭で強大な怪物たちを競い合わせ、最も優れたものと番いになろうとした男神……。
「この星は、多くの存在を呼び集めて創られている……?」
――どうやら、彼は。
声はまだ続いている。僕は意識が引きつけられる。
――ブルームは。
――賭けに、勝ったようだな。
……?
飛来音、が。
「!」
とっさに飛び退く僕の体を、いくつもの石板が撃ち抜く。筋繊維を断ち、骨にヒビを入れる質量の暴威。
「がっ……!」
くそ! 油断した! やつが火線の方向に石板を撃ち込んできたのだ。僕は常に動き回らねばならなかったのに。
巨獣を見る、やつは球体を生成している。
それは数十枚、あるいは百枚近い石板が球状空間を飛び回る姿。けして互いにぶつからず、かつ高速に飛び交う気配。
やつは手応えを感じたのだろう。僕の声がしたあたりに特大の一撃を打ち込む気か。
何とか、物陰に行かねば。だ、だが、足が……。
だが、あの凄まじい数。もし衝突すれば、ビルを遮蔽物にしていてもひとたまりもない。
その球体が、こちらに。
「くそっ……!」
僕は目をつぶり、せめて体を丸める。
破壊、破壊、破壊。
世界の破滅のような音。石板の豪雨。あらゆるものを破砕する質量の重奏。
「……!」
五感が消し飛びそうになる。恐怖に心が破裂しそうに……。
「なっ……」
僕は驚愕する。石板が当たらなかったからではない。僕をかばっている人物に気づいたからだ。
「レオ……!」
「無事か、ヒト族のナオ」
巨獣の方角に胸を張る彼。彼の前には石くれが積もっている。まさか、今の攻撃をまともに受けたのか。正面から。
「れ、レオ……なんて無茶、を」
「ナオ、やつはどこだ」
レオは暗闇の中で身構えている。トーチバルーンは遠くにまだ一つ残っており、巨獣の姿はぼんやりと浮かび上がっている。
その姿を認識できないという、ことは。
「やつの方向を教えろ、このだんびらで今度こそ打ち砕く」
レオはだんびらを構える。鍔から先がほぼ消失している剣を。
そして巨獣は三度、あの球体を。
「う……」
「ナオ、あの光は何だ」
レオは何かを呟いている。どうする、僕ももはや動けない。溶接銃も、もはや完全に破壊されていて。
「ナオ! あの光は何だ! お前たちの武器か!」
「え……」
何も見えない。遠くのトーチバルーンが照らし出すのはすべてがモノクロの世界。生命のない石だけの世界。
「あれは何だ……乱れ飛んでいる。体に張り付いてくる。む、そうか、こうやれば体の中に取り込める……」
妄想だろうか、レオはうわ言のような言葉を繰り返す。
巨獣はレオの耐久力を認めたようだ。こ今度はさらに大きく、数を増した球体を形成している。
「ナオ、そうか、分かったぞ」
「レオ、僕を置いて逃げてくれ、あれに何度も耐えられるわけが」
「聞け! これが祈りの力だ! 意識することで我がたてがみの中に取り込める光の粒だ!」
「レオ……?」
レオはだんびらを大上段に構える。もはや刀身もなく、その体は満身創痍。だが力強く、堂々たる構え。
そして巨獣の放つ、破滅の玉が。入り乱れて飛ぶ石板が。
「あらゆる竜を断つ光を!!」
瞬間。レオの腕から伸びる光の剣。
振り降ろす刹那にオーロラのような光の壁となり。
無数の石板を斬り裂き、巨獣の影を斬り裂き。
そして暗闇の世界を斬り裂き。天蓋すらも斬り裂いて。
すべてが終わったとき、世界には光が満ちていた。
石板の街は天井を失い、太陽の下にその姿を晒していた――。




