第四十一話
※
ユピテル級巡洋艦の甲板部分。その装甲板は夜の沼のように黒く、滑らかである。
かつての巡洋艦の表面には固定砲座だとかレーダーだとかが無数についていたが、星皇軍の艦艇は突起がほとんどなく、施設増築用の窪みだけが露出している。
それはドラムカンがすっぽり入る程度の穴であり、あらゆる挿入物を固定できるマルチデバイサーである。アタッチメントの機構を読み取って給電と給油を行い、船内システムとリンクさせる。
ある科学者は「技術の進化とは人間の雑な運用を受け入れることだ」と評した。その人物は更迭されたらしいが。
現在はそこに石の柱が突き立ち、いくつかの建造物がそびえている。三階建ての白亜の邸宅に、倉庫に家畜小屋に農場など。
「ブタの育ちがいいね。空気が綺麗だからかな」
「新しい畑ができたぞ。まず大根を、空いた場所にはヨダ豆を植えよう」
鬼人たちが畜産と農業に汗を流している。
甲板での畑仕事すら受け入れる。さすがは星皇軍の技術力と言うべきだろう、たぶん。
「あ、おったで」
キャペリンが指さす先に蜘蛛手がいる。肘関節が三つある長い腕と、人間のような胴体に蜘蛛の下半身を持つ人。弓に矢をつがえ、じっと立ち尽くす。
ふとした瞬間、空の一角を見上げ、一瞬で弓を引きしぼって解き放つ。かん、という硬質な音とともに矢が飛ぶ。
最初は点にしか見えない。だが空気を裂く音を引き連れて何かが落ちてきて、背後にあった畑にどさりと落ちる。立派な鴨だ。
「すごいな……というか鳥がいたことすら気が付かなかった」
「御用?」
甲高い声だ。その人物が振り向く。
二個四列に並んだ八つの眼。口は顎のラインに沿って存在し、よく見れば顔を横断するほどに大きい。それをわずかに動かして話している。
「あの、実は聞きたいことがあって」
「傾聴」
蜘蛛手の人々は短い言葉を美徳とするらしい。口を素早く動かして話す。
そこで気付いたが、この人物は女性なのではないかと思った。体は麻の衣服で包んでいるので分かりにくいが、髪にお札のような房飾りがついている。
「力」
「そうなんだ。何か、あなたたちの種族に伝わっていないかな。精神の力をエネルギーに変えるような概念。あるいはマクスウェルの悪魔……無からエネルギーを取り出すような概念を」
「矛盾」
矛盾している。それはそうだろう。マクスウェルの悪魔も物理学上では否定されている概念だ。
「なあなあ蜘蛛手のお姉さん。あんたらは見えないものを見ることに長けてるって聞くで」
キャペリンが問う。やはり女性なのか。キャペリンなら見分けられるのかな。
「微天」
蜘蛛手の女性は弓を置き、両手を大きく広げる。肘が三つある長い腕だ。広げると視野の両端に届くほどもある。
「遠見」
「……? ど、どういうこと」
「なんかそれ聞いたことあるなあ、えーと」
キャペリンがメモ帳を取り出す。無数に書き込みの成された古いメモ帳。横で見ていると筆跡が一つではない。多くの人間が書き記したものをキャペリンが受け継いでいるのだろうか。
「これや。微天の遠見。蜘蛛手の人たちは優れた視力を持ってるけど、それは小さなものに気付く力と説明される。見えているのに見えていないと思い込んでいるものに意識を向ける。どういうこっちゃ?」
微天の遠見……。見えていないものを見る力。
そうか、それはつい先ほど見たこと。空の果てにいる、鳴き声も聞こえないほど遠くの鳥を見つけ出し、弓で射る技術。
眼球をカメラに喩えてみる。
対艦ミサイルが搭載している敵味方識別用のカメラが50万画素。星皇軍の支給端末に搭載されているカメラは2000万画素ぐらいだ。この数字は50年前、あるいはもっと前からほとんど変わらないらしい。画素数を増やすことは簡単だが、そんな高画質はメモリーを圧迫するし、コスト高になるので必要とされないのだ。
一方で人間の眼は、ある基準では5億画素に相当するとも言われる。だが我々は普段、そこまでの性能を駆使していない。実際には空気中を漂うホコリも、夜空に散らばる八等星も見えているはずなのだが、意識から追い出しているのだ。
つまり集中力によって、見えているものすべてを意識しようとする。それが微天の遠見。
「そういう話だと思う」
「ふーん、それってナオの役に立つんかな」
それは……どうだろうか。
目を凝らしてみる。眩光竜の力で姿を消しているというが、内側からはごく自然に見える。青空と雲、円形の山並み、それしか見えてこない。
ともかく心に留めておこう。僕たちは蜘蛛手の女性に別れを告げてその場を去った。
※
「精神の力ですか、それは簡単なことでございます」
ざばばばと、その人物は大量の水を落としながら立ち上がる。
タンクの一つを改造したプールである。水の底には土が敷かれて水草が植えられ、苔むした岩なども運び込まれている。
水地族とは水の中に住む種族であり、サンショウウオを思わせる平べったい体をしている。彼らは完全なエラ呼吸であり、体に蓄えた水から酸素を得ることで地上で活動するという。
「簡単なのか?」
「ええもちろん。よいですか、精神の活動とはつまり脳細胞の働きでございます」
慇懃というのか、丁寧な物腰で語りかける。どうでもいいことだが正面から見ると面積がすごい。城門のようだ。
「そして脳細胞とは化学反応の媒体。つまり知覚、思考などはすべて化学反応で表現できるのです」
まあそれはそうだけど。
「つまり薬ですな。精神の高みを目指すならば薬物を服用することです」
「身もフタもない意見やなあ……」
キャペリンは気乗りしないようだが、僕の感想は少し違う。
星皇軍においては兵士に薬物を与えるなど当たり前のことだ。もちろん副作用が酷かったり依存性のあるものは使わない。極めて安全なものばかりだ。
瞬間的に視力を向上させるもの。不安や恐怖を和らげるもの。兵士には睡眠薬を始め各種栄養剤、抗生物質などが支給されていた。
ひるがえって考えてみる。ではシールの能力もそうなのだろうか。何らかの薬物が彼女の能力を引き出し、そして高める?
しかしシールの村に数日滞在したことがあったが、ごく普通のものを食べていたと思うけど。
「我々、水地族は多種多様な薬草に通じております。どうぞこちらを。たいへん貴重なものですが、お近づきのしるしに差し上げます」
と、差し出してくれるのは素焼きの壺に入った薬、粉末薬のようだ。わずかにバラのような香りがする。
「服用者を夢幻の境地にいざなう薬です。五感は自意識の枠を抜け出し、思考は加速し、未体験のインスピレーションの波が」
「却下や!」
ばし、とキャペリンが壺をはたき落とす。
「ああ、もったいない」
「なに考えてんねん! 完全にヤバい薬やないか!」
「いえいえ、安全な薬草だけを調合しております。これを服用しますとですね、眼の前にバラの花園がぱーっと広がって」
「初手からあかん」
「体重が消えたように体が軽くなり、黄色い辞書が空を飛んでペリカンが虹で縄跳びを」
「もうなんか片っ端からあかん」
「そして体がかーっと熱くなってスキップを刻みながら服なんかも全部脱いで気がついたら牢屋にいたりすることも」
「あかんことばっか重ねんなやああああああアホかああああああ!!」
僕は落ちた壺を拾う。
「ナオあかんで! そんなもん飲んだら絵にも描けん顔になるで!」
「まあとりあえず分析してみる。ここには分析機もあるし」
「お疑いはもちろんです。存分にお調べください」
かつて成分分析機だとかゲノム解析機というものは大きめの一室を埋めるメカニズムだったらしいが、星皇軍の科学力なら消火器程度のサイズに収まる。
僕らは青旗連合と戦いながら未開惑星を巡る小隊だ。船には当然ながら分析機が積んである。ここは貯水タンクでもあるし、採水した水の分析用のものだ。
「分析するんだよ」
「クロマトってチャートるんだよ」
ドワーフたちが機械を動かしてくれる。一般兵でも扱える設備ではあるが、彼らの順応力には驚かされる。
モニターにつらつらと並ぶ化学記号。分子模型。脇に解説文まで付記される。
「ん……? HOOC-(CH2)2-COOH? C5H9NOとC10H13N4O8Pと、それにC8H10O……」
「どないや? ヤバい薬か?」
「薬というか、これ……」
僕は壺の中身を少し手に取り、ぺろりと。
「あーー!!」
「しょっぱい。塩だねこれ」
へ、とキャペリンの目が点になる。
「基本成分は塩、それにたくさんの旨味成分が含まれてる。たぶん貝類や海藻類と一緒に海水を煮詰めたものがベースになってる」
まだ点になったままだ。
「つまり水地族の人たち、美味しいもの食べてトリップしてるだけじゃないかな……」
「はは、お恥ずかしい。美食こそが我らの誉れでごさいますれば」
「はあ……なんやそうかいな、人騒がせな」
でも確かに良い塩だ。このバラ香も何となく神秘性を感じるし。
「ん……バラ?」
そういえば成分にはC8H10Oが含まれていた。β‐フェニルエチルアルコールだ。この成分はバラに近い香りがするのだ。
……となれば、次に会う相手は決まったかな。
※
「精神の力だと! くだらん!」
そう一括するのは獅子頭のレオ。彼は練兵場に改造した倉庫にいた。
彼と同じようなライオンの獣人や鬼人、加えて熊や象の頭部を持つ獣人など、力の強い人々を集めて訓練を続けている。
丈夫なトボの樹で組まれた人形に木剣を振り下ろし、あるいは布を巻いた拳で殴りつける。まだ空の旅を初めて数日だが、何となく訓練もさまになっている。
「ヒト族のナオよ! そんな話よりお前も訓練に加われ!」
「え、いや僕はベーシック乗りだし」
「関係ない! いざという時に最後に頼れるのはおのが実力のみ。それに腕っぷしのない男は誰にも認められぬ!」
そうは言うけど彼らとは体の構造が違う。レオはまかりなりにも竜と格闘戦ができるのだ。人間があそこに到達できるとは思えない。
「まあまあ獅子頭の旦那さん。ウチらも自分のやり方で強うなろうとしてんねん」
キャペリンが僕の腕を掴んで言う。
「何か心当たりはあらへんか? 精神力を鍛える方法とか、祈りの力についてとか」
「ふん、そんなものが……」
レオは興味なさげに鼻を鳴らし、訓練中の獣人たちがさぼっていないかと、鋭い視線を向けるかに見えて。
ふいに動きが止まる。
「持たざる英雄……」
「? なんやそれ」
「む、いや、何でもない。あんなもの与太話に決まっている」
ごまかそうとする。何だ、妙な態度だ。
「レオ、どんな話でもいいんだ。聞かせてくれないか」
「知らぬ。答える必要などない」
それは獅子頭の誇りというやつなのか、この場から逃げようとしたり、背を向けようとはしない。あくまでも「話さない」で押し通そうとしている。
「レオ、ちょっとこれを」
僕は手に粉末をとり、それをレオに差し出す。
「何だ? この粉がどうし」
ふいに頭の位置が下がる。足から力が抜けたのだ。肘と膝で体を支える塩梅に。
「ななな、な」
「さあもっと匂いを嗅いで」
僕は粉末を近づける。レオは何が起きているかわからないのか、唇をぶるぶる震わせながら鼻にじっとり汗をかく。
「? レオどの、どうしましたか?」
「な、な、何↑でもない↑」
声が上ずっている。キャペリンはさすがウサギというべきか事態を察したようだ。少し身を引く。
C8H10Oことβ‐フェニルエチルアルコール。つまりマタタビの成分だ。レオは嗅いだことがなかったのか、なかなか抜群な効果を示している。
「レオ、この薬あげるから、さっきの話を聞かせてくれ」
「は、は、話すことなど」
「じゃあ向こうにいる人たちを呼ぶけど」
「や、やめ、やめ」
しばらくの交渉ののち、レオがどのように心折れ、どのようにマタタビに平伏したか。
その詳細は、彼の名誉のために控えよう。
ここまでの亜人種・獣人族まとめ
鬼人 (オーガ)
大柄な体躯と緑の皮膚を持つ人々。武力に優れ、部族制社会を持つ。
槌妖精 (ミルドワーフ)
ハンマーを背負った小人。真の集団知を持つと言われる。音楽と飲食を好む。
草兎族 (ラビリオン)
体毛に覆われたウサギの獣人。商売に生きるものが多い。多くの種族と渡りをつけることに長ける。
獅子頭 (サジャ)
ライオンの獣人。首領制国家を形成している。自尊心が強くリーダー気質。
蜘蛛手 (ジグ)
半人半蜘蛛の獣人。弓に優れ、独特の価値観を持つ。
水地族 (シバクラ)
水に住むトカゲのような獣人、固有の技術体系を持つという。




