第四十話
ブルームという兵士について周囲の評価は、一番良いものでギャンブル好き、最悪のものは破滅主義者だ。つまりプラス評価は皆無ということだ。
「持ってけ、6000クレジットだ」
ずいと口座端末を差し出す。僕は少し申し訳無く思いつつもクレジットを移動させた。
「今日は晴れると思ったんだがなあ」
「いや……ベーシックで天候の予測ぐらいできるだろ。この惑星は自転方向から見て西向きの卓越風が吹いてるんだ。極超短波レーダーで雨雲を探れば雨が降るのは明白……」
「わかってないねえ、生産兵の坊っちゃん」
熊のような髭面。山男のようにごつごつした顔で渋面を作る。
「だから賭けが成立するんだよ。坊っちゃんは6000クレジットで雨に賭けた。俺は20000クレジットで晴れに賭けた。両者が賭けの成立を同意した、何もおかしなことはない」
「受ける時に言っただろう。僕が必ず勝つから無駄だと」
ブルームはち、ちと指を振る。
「じゃあ坊っちゃん、もし晴れたら10億クレジット、という賭けなら受けたかい?」
「それは……そんな賭けを受けるわけにはいかない。万が一負けたら僕にそんな支払い能力はない」
「そうだろうが。この世に絶対なんてもんはない。賭けは何が起こるか分からねえんだよ」
僕は多少むっとする。10億の賭けはあまりに極端な話だ。そんな巨額はさすがに軍規に触れるだろうし、僕にそこまでの大金は必要ない。
「ブルーム、なぜ僕のことを坊っちゃんと呼ぶんだ。侮辱のつもりなのか」
「とんでもない、これは愛称ってもんだ。俺はあんたのことが羨ましいぐらいだよ」
ブルームは髭面の目を丸く見開き、口をすぼめてひょうきんな顔を作る。彼は実に多彩な顔を見せる。
「羨ましい?」
「坊っちゃんはまだ若いからねえ。何も知らない。賭け事の醍醐味も、その奥深さも知らない。つまりこれから知るんですよ、その経験を思うと実に羨ましい」
「……? だから、坊っちゃんなのか?」
「そうですよ」
ブルーム少尉。稀代のギャンブル好きであり独自の思想を語る人物。
僕から見れば、彼はいつも負けていたけれど。
なぜだろう、ギャンブルについて語る彼は誰よりも楽しそうだった。まるで、旅した珍しい国のことを語るかのように。
「まだ目の開かぬ赤子の時代。これほど愉しいこともなき哉……」
※
いつだったか、草兎族の格言を聞いたことがあった。土を掘るより資料を掘れ、だったか。
ユピテル級巡洋艦の一室、山のような書物が積み上げられ、ウサギたちがそれを紐解いては議論を交わしている。
非常に早口で。しかも単語をぶつけ合うような高速の議論である。傍で見ていてもまるで分からない。
この星に散在する巨人族の伝説。彼らの遺したとされる巨人の遺物、それを探しているのだ。書物の山から。
この船は高度800メートルあたりで静止しており、翼を持つ人々が地上へ降りて、食料と日用品、そして書物をかき集めてくる。
水については造水ユニットがあるので心配はないが、いちおうタンクに200キロリットルほど貯めている。いくつかの種族はプールの中で生きているので、新しい水は常に用意されている。
「だめか……やっぱり残ってないな」
僕は格納庫でベーシックのログを漁る。
ベーシック・アグノスはまじないによって復元しておいた。先の戦いでの外傷が多少あるし、電子戦を受けたために攻撃型プロトコルが残存している可能性があるからだ。復元のあとは何重にもファイアウォールを増設し、マスター権限に四重のロックをかけておく。
しかしシステムを復元してしまったせいで、先の戦いでの映像ログも消えてしまった。癒やしのまじないは便利だが、これだけが欠点だと思う。
「シールは何と言っていたかな……」
次の目的地に向かうまで、僕のやるべき課題は決まっている。
シールの持つ祈りの力の解析と、可能ならそれを身につけることだ。
「ナオ、昼めし持ってきたでー」
キャペリンが食事を持ってきてくれる。何人かの槌妖精も一緒だ。
「なんや、煮込んだシチューみたいな顔して」
「どんな顔? いや、ちょっと悩みごと」
僕はベーシックの前に座っていたが、ドワーフたちは僕を無視して機体によじ登る。
「メンテするんだよ」
「掃除もするんだよ」
「君たち、掃除はありがたいけどもうベーシックは自分で治療できるから……」
と、何人かのドワーフがこちらを向く。
「ナオ、左右の腰部第二スラスターは大口径砲発射時の姿勢制御用だから今はいらないんだよ。取り外しておくんだよ」
「え、うん、そうだね」
「ナオ、高速歩行時のウェイトカウンターがオンになってたんだよ。ナオはベテランだから転ばないんだよ。いらないんだよ」
「そうだっけ? あ、そうか、まじないでシステムを初期化したから工場出荷時の仕様に……」
「背部装甲が薄くて危ないんだよ。肩部の弾倉保護ラバーパッドを背中に回すんだよ」
「……」
ドワーフたちは船から溶断の道具やマルチデバイサーを持ちだし、ベーシックをいじりまわす。
本当に理解できてるのだろうか? それとも遊んでるだけ?
ともかく怪我だけはしないでほしいけど……。
「ナオは何を悩んでるんだよ?」
また増えている。いつの間にか部屋はドワーフたちで一杯だ。
「青春の悩みなんだよ」
「人には言えない悲しみなんだよ」
「きっと多重債務なんだよ」
「違うから」
彼らに秘密にすることでもないだろう。僕はキャペリンを含めて全員に語る。シールの祈りの力のこと。それが2年余りで飛躍的に伸びていたこと。
「ふーん。シールって竜狩りの巨人に乗ってる人やね。まじないの力を無尽蔵に仕えてたんか」
「そうなんだ。癒やしのまじないはCエナジーをごっそり使うし、エナジーが無ければ昏倒するぐらいに気力を奪われるんだが、彼女は半径数百メートル規模でそれを使ったのに、まるで平気だった」
「シールって人がめちゃくちゃ体力あるとか」
「そんなことないと思うけど……」
キャペリンはしばらく考えていたが、やがて勢いよく手を打つ。
「よっしゃ! せやったら特訓やね、ナオもその力を身に着けんとあかん」
「特訓と言われても……たぶん、ちょっとしたコツみたいなことで……」
――違うね坊っちゃん。あらゆることは訓練が可能だ。
「……あ」
ふと思い出す。熊のような髭面。それでいてどこか愛嬌があり、包容力を感じさせたギャンブラーの言葉。
――訓練のやり方?
――こういう事をすればいい、ってもんじゃないさ。肝心なのは生き方だ。
――先人の足跡を追い、なるべく同じことをする、それが悟りへと至る階梯なのさ。
「……分かった。じゃあ特訓してみよう。思いつくままに何でも……」
※
ブルーム少尉。あの男は嘘か本当か、ギャンブルで精神的な高みに登ろうとしていたらしい。
彼はそれを悟りという言葉で表現した。はるか古代の宗教的概念らしく、よく分からない。何十年も信仰の道を歩いた宗教家が到れる精神的境地だとか。
それを身につけるにはどうすればいいのか? 悟りの概念は悟った者にしか分からない。後から続く者は、悟った人間と同じ生活をして、同じ修行をするのがよいとされる。それが宗教的な生活様式の基礎となり、食べ物や習慣などの戒律の元となるのだ。
そんなわけで、僕は空き倉庫にいる。目隠しをして長めの棒を持ち、倉庫のどこかには伏せたバケツが置いてある。
「ナオ、もっと右や、右!」
「違うんだよ左なんだよ!」
「27センチ下がってから17°右旋回なんだよ」
「わかんないよ」
というか指示はいらない。僕はみんなにそう告げる。
目隠しでバケツを打つ、若者がビーチでやりそうな遊びだが、これでも割と真剣だ。
シールは村の巫女だった。直接的にではないが、竜皇の指示により目を潰された人間だ。
彼女は生体ゲルの治療を受けるまで目が見えなかったが、そのぶん聴覚が優れていたし、人に見えないものが見えているように思えた。
その真似である。目の見えない人の真似をするというのは少し不謹慎に思えるが、今は思いつくことをやるしかない。
僕は少しずつ体を回し、バケツの気配を探る。バケツに気配があるとすればだが。
わずかな空気の流れ、音の響き、金属のバケツはひやりと冷えていたから、皮膚がその温度を感じないか。それらを意識する。
この感覚……。
周りで息をひそめるドワーフたちが分かる。興味深そうに見ているキャペリンも。
そしてひやりとする気配。バケツがある。僕はすり足で少しずつ進み、バケツを射程に捉え。
「てやっ!」
振り降ろす、があんという凄い音。
「やったか!?」
目隠しを外せば金属製の水筒がひしゃげていた。僕のだ。
「あっ」
「いやごめんナオ、止めるべきやった。まさか直撃すると思わへんかった」
まあ水筒ぐらい良いんだけど、見ればバケツは真後ろにある。
というかドワーフたちが数人しかいなくなってる。目隠ししてる間に30人以上帰ってしまったのだ。彼らは移り気で飽きっぽい一面もあり、その肉厚で大きな足は足音がしない。
「うーん、目の見えない人の感覚を身につけるには……いっそのこと、何日か目隠しのままで過ごすか?」
「およしなさい」
振り向く。倉庫の入口に人がいた。カラスの羽を持つ獣人だ。
彼は静かに一礼し、キャペリンも少し慌てた様子で礼を返す。
「カラス羽の旦那さん、このやり方やとあかんのですか?」
彼らは夜烏人。
カラス羽の人と呼ばれている。飛べる獣人たちの中でも紳士的で穏やかな人々であり、そして勤勉だ。偵察に輸送にと働いてくれている。
「羽を持つ人々の中には目がほとんど見えぬものもおります。コウモリの獣人などですな。それらは音の反射を利用したり、羽を使って空気の流れを捉えて飛ぶのです」
「じゃあ、ナオもそんなことができるように?」
夜烏人の紳士は首を振る。
「おそらくは何年もの訓練が必要です。それに、そんな訓練をすると目の使い方を忘れてしまう。過剰に敏感になった耳や鼻も負担になる。獲得と喪失は等価なのです」
それはウサギたちのような深い知識と経験というより、慎重さと思慮深さからの言葉だろうか。知性にもいろいろあると感じさせる。
確かに、何かを得れば何かを失う、それも道理だ。
それに理屈で言えば、シールはこの二年でさらに祈りの力を伸ばしている。目が見えるようになってからも成長しているのだ。
視力は関係ないのだろうか?
「カラス羽の人……僕は人間の精神に隠された特別な力を得ようとしている」
突拍子もない聞き方だが、カラス羽の人は身じろぎもせず聞いてくれる。
「そのような力を獲得する方法に心当たりはないかな? 特別な訓練法を知っている人とか」
「それならば蜘蛛手でしょうな」
蜘蛛手……あの弓手の人たちか。何人かが船に残ったはず。
「彼らは弓の使い手であり、目が良いだけではなく、見えざるものを見ることを追い求めると聞きます。参考になるかも知れません」
確かに、あの神業のような弓の冴えはくっきりと心に残っている。彼らから学べることがあるならぜひ聞きたい。
そうだ、せっかくこの船には、たくさんの獣人が乗っているんだ。
この機会に彼らと話をしておこう。そして、僕自身の成長に繋げられれば……。
『艦内放送』
と、ふいに声が降りる。
シャッポの声だ。まだ喋り慣れてないのか、少し上ずっている。
『調査班の会議により、次の目的地が決定いたしました。当艦は進路を北西に取り、そちらに向かいます。隠密行動を旨としているため、到着は24時間後の予定』
軍隊ではないのだから形式などはないのだが、伝達にしては説明口調だなと感じる。ともかく僕は集中して聞く。
『目的地は、クウォレ低地の塩原の果て』
『シュヴァレスト理想図書館』
しばらく止まっていましたが連載再開していきます
並行連載でゆっくりした更新になると思いますので、どうか気長にお付き合いください




