第四話
「嬉しかったんだ……ベーシックで人を守れたと自覚できたことが」
シールを抱きしめながら、僕はゆっくりと語る。
「軍人としての僕はいつも乾いていた。命令はいつも些末なことで、命がけの戦闘でも相手の顔は見えなくて、星皇軍が勝ってるのか負けてるのかも分からない。そんな日々だった。この地では君たちの役に立てた。野良の竜を倒すとみんな喜んでくれた。それが嬉しかった。この村の……女性たちはみんな誠実だし、働き者だし、好ましい人間が多かった」
「ナオ様……」
シールは泣いていたのかも知れない。
僕とそんなに離れがたかったのか。圧縮学習からすぐさま兵士になった僕は社会経験が乏しかったけど、それでも好意を受けることは嬉しかった。彼女ともっと深く知り合いたいと思った。
「シール、一つお願いがあるんだ」
「お願い……何でしょう?」
「目隠しを取ってほしい。君は盲目のようだけど、もしかしたら僕が何とかできるかも知れない。それでなくても、僕は君の顔が見たい。君は見せたくないかも知れないけど、僕は君の本当の顔が見たい。君のすべてを愛したいんだ」
「ナオ様……」
彼女の震えは止まっていた。優しく僕に微笑みかけると、僕から数歩だけ距離をとる。水に反射して彼女の体に波紋が走る。光のドレスを着て笑う。
「どうか……驚かないでくださいね」
「ああ……決して」
そして彼女は目隠しを取る。沐浴のために一糸まとわぬ姿だった彼女は、これで本当に生まれた、まま。
の――。
「……その、傷跡は」
「とても醜いですよね……お気を悪くしたら、申し訳ありません」
「そうじゃない……」
僕はベーシックの技術マニュアルにアクセス。医療の項目を……。
「……確認するよシール、生まれた当初からそうだったわけじゃないよね。君の全盲は後天的なもの……」
「はい……」
「ベーシック、射出装置で生体ゲルを投げろ」
命令は迅速に叶えられる。アルミチューブが僕の手の平を直撃。僕は手にゲルを出して彼女の肩を押さえる。
「いいかい、少し目の周りがしびれて、5分ほど感覚が無くなると思う。だけど手で触らないように」
「は、はい」
僕は十分な量のゲルを彼女の眼にあてる。
緊急医療用の生体ゲル。それは空気に触れると活性化する代用細胞。周辺細胞と迅速に癒着して自分の役割を認識、麻酔物質で痛覚を遮断しながら本来その場所にあるべき細胞に置き換わっていく。その変化は一律であり迅速。すぐに効果が。
「あーー」
視神経が接続された。彼女はまだ感覚が戻っていない眼を、うっすらと開く。
そこには宝石のような青い瞳を持つ、美しい眼が。
「こ、これ、は」
「シール、見えてるか」
「は、はい」
「まず服を着て、コックピットに乗ってくれ」
僕は彼女の手を引き、水場の外へ向かう。
「君をこの村から連れ出す」
※
僕はベーシックで村へと降り立つ。村の女性たちはベーシックに神秘性を感じていたようだが、それだけに何かただならぬ様子に気づいたのか、おのおのの家に引っ込む。
僕は機体を降りて村長の家へ。ドアを勢い良く押し開く、窓枠に吊られていた鳥かごがちりちりと鳴る。
「ど、どうなされましたナオ様」
「シールを連れて行く」
息を呑む気配。カンヴァスが僕の全身にさっと視線を走らせるのが分かった。武器の有無でも見ているのか。
「彼女はこの村に置いておけない、僕が連れて行く」
「そ……それはなりません。シールもこの村の働き手、竜皇様により託宣を受けし村の巫女なのです。この村に置いておかねば」
「そのために目をえぐったのか」
鼓動が早まるのを感じる。視覚野に身体異常の警告メッセージが流れる。僕は指先をわずかに動かしてメッセージボックスを閉じる。
「僕は医者じゃないが、傷跡を鑑定するすべを持っている。あれは病気でも外傷でも、先天性の異常でもない。おそらく7歳か8歳の頃に眼球をえぐられている。ろくな道具も使っていない、極めて乱暴なやり方で」
「そ、そのようなこと……」
「巫女とは見せしめの存在か」
僕の想像だが、カンヴァスの反応を見るに当たっていたようだ。
「村に意図的に盲人を生み、竜皇とやらに仕える巫女とする。人間にそのようなことができる竜皇の残虐さと、圧倒的な権力を見せつけるための生き証人だ」
だが、人の心はその恐怖に順応しようとする。
この村は巫女を作ることを受け入れ、つつましく暮らすことを受け入れた。長年そのように暮らすうちに、巫女は本当に神聖な存在となっていく。やがては村人たちも恐怖が信仰に置き換わり、竜皇を崇拝するようになる……。
「そういう理屈だ。そして竜皇はこの村にかなりの圧政を課してる。男手をすべて奪い、村を広げられなくしている」
ここから導かれることは、すなわち。
「人という種の断絶……」
カンヴァスは玉の汗を浮かべている。その老人の体は絞った雑巾のように縮み、顔には樹皮のような皺が。
「民族浄化か人間の間引きか……竜皇は人間そのものをごっそり減らそうとしている。あまりに非人道的だ」
「り、竜皇様はけしてそのような……偉大な術を操る竜使いなのです。やがてはすべての竜を統べるお方……」
「術だと」
僕は机に置いてある短剣を見る、僕が来てから、村長はその剣に視線を向けない、位置すら確かめようとしない。
「その先端が引っ込む短剣のことか」
「ううっ……」
何ほどのこともない。竜の頭は最初から斬れていた。先端が引っ込む短剣で斬ったように見せただけだ。
松明に手を入れたのはもっと単純、不燃性の樹脂で作った作り物の手だ。80の老人がやる手品にしては凝っている。
他の村人はそれで騙せていたかも知れない。この村の女性たちは敬虔だったから。
だがシールは気づいていた。
彼女は聴覚が発達している。短剣が竜の骨を斬り裂く音がしないこと。村長が服の中で偽物の手と入れ替えていることに気づいていた。
あの時。
初めて会ったとき、彼女はなぜ僕に抱きついたのか。何を訴えていたのか。もっと早く会話ログを振り返るべきだった。
盲目の彼女に、村にいないはずの男である僕はどう映ったか。
自分の知らない言語を話す僕を……。
――あなたは、もしや巨人の御使いなのですか
――どうか、お助けください
――この大地は竜使いたちに蹂躙されています
――村長様は、偽りの技で村の人々を支配している
――竜の皇帝への服従を示すために、私の目を……
ぎり、と血が出るほどに唇を噛む。僕は何度もこの村長の歓待を受けていた。
――私、あなたがいつか、この土地を去ってしまうのが怖くて
間抜けな自分が憎くてたまらない。シールがどんな気持ちでそれを言ったか。
――村長様の受け継いでいる短剣や、まじないの言葉もあります。巨人がこの世界に降り立った証拠です
彼女は迷信を自分に言い聞かせようとしていた。彼女は伝説の巨人ではない僕を巻き込むまいとしていた。頼れずにいたのだ。
シールがじっと僕を見つめたように思えた瞬間、彼女はずっと助けを求めていたのだ!
村長はふと窓の外を見た。無駄だ、助けは来ない。ベーシックが村を見張ってるし、誰がお前なんかを……。
「わ、私は……この村の支配権を授かったのですぞ」
そのように言う。
「そ、それをお前が……。石の巨人だと、そ、そんなものが存在しては竜皇様の権勢が揺らぎかねぬ。村での私の地位も」
「……地位だと? 別に僕がいても、あんたが村長であることは変わらないだろう」
「え、栄誉だ……竜の肉の最初のひとかけを食べる栄誉、巫女を従える栄誉、村人から敬われる栄誉は私だけのもの。私が竜皇軍に尽くしてきた忠誠の現れだ。誰にも渡さぬ、お、お前などに……」
なるほど、肉の最初のひとかけを食べること、それに特別な意味があるのか。
僕には分からないし、分かりたいとも思わない。
村長のまなざしに感じるのは欲望と執着。僕は嫌悪を覚える。この老人は、ここまで年輪を重ねてきてなお、こんなちっぽけな村での権力を欲しがるのか。
分かっているのか、お前がこの村を任せられた理由は、おそらく年齢的に機能不全な部分があるからだろうに。
「あんな巨人は滅ぼされねばならぬ……絶対に、何があろうとも」
「無駄だ、この星の文明レベルでベーシックを……」
その瞬間、部屋が暗くなる。
パイロットスーツに届く緊急信号。高速接近物体だと? まさか青旗連合? いや、この奇妙なデータは……。
僕は家の外に駆け出す。ベーシックはすでにひざまずき、胸部ハッチを降ろして乗降モードに。
「ナオ様? 急にこの子が動いて」
「ごめん! ちょっと足を上げて!」
申し訳ないが説明してる暇がない、シールの体を押し上げて体をねじこむような着座。
「あれは……!」
降りる。それは戦艦のような異様。
村長の家をかすめ、その壁面を壊して無理やり村に体をはめこむ。
それは竜。
だが以前に倒した野良竜より大きい。センザンコウのようだった竜とは違い、今度のはトカゲに翼を生やしたような竜。鱗は銀の板のようにきらめき、長大な尾がのたうち、全身に異様な力の充実が感じられる。
常識ではありえない巨体ながら体の上半分を起こし、二本の小さな足ですり足のように動く。その頭部は野良竜よりも凶悪、無数の角やトゲで装飾されている。
「おお……竜使い様、火蛇竜でお越しいただけましたか。よくぞ我が呼びかけにお応えいただきました」
そうか。あの長老の家にあった鳥かご。
レクチャーで習ったことがある。超古代の通信技術。帰巣本能の強い鳥類を利用し、人力よりも早く文書を届ける技術だ。
信じがたいことだが僕たちの世界でも使われるらしい。鳥はレーダーに引っかからず、傍受できないからだ。
カンヴァスのやつ。さては竜皇、いや、この地域を支配している誰かに僕のことを……。
「勘違いするなよカンヴァス、貴様の手柄などではないわ」
背に誰か乗っている。黒い鎧を着た騎士風の男だ。この村の家屋二つぶんほどもある竜の上、大きく立ち上がった上半身の上で、据え付けられた玉座に座っている。
「巨人など存在せぬ。竜皇軍にそんな与太話を信じるものなど一人もおらぬ。我はただ領地を預かる者として、村々を巡回していたまで。カンヴァスよ、あの手紙を我以外の誰かに送っておらぬであろうな」
「は、はい、もちろん」
……竜皇は噂レベルですら巨人の存在を認めたくないのか? そしてこの竜使いとやらも。
「さて……貴様か、怪しげな術を使って巨人を操る輩は」
物静かな口調ながら芯の通ったよく響く声。僕は外部スピーカーを起動させる。
「だったらどうする」
「死ね」
その火蛇竜と呼ばれた竜は一直線に向かってくる。篝火台を踏みつぶし、尾のうねりで民家の一つを薙ぎ払って。
「くっ……!」
右腕の武装を起動。25ミリチェーンガンの毎秒14発の連撃が竜を襲う。
ぎぎいん、と着弾の音が重なって聞こえる。竜は一度大きくのけぞり、ガラスを掻きむしるような悲鳴を上げる。
「ぐっ……死なないのか」
なんという鱗の硬度。いくつかが剥がれて流血を見せたものの、その巨体には致命傷にならない。
「鱗に対して垂直に当てないと貫通させられない。もっと至近距離で……」
警戒アラーム。
これは? 高熱量兵器? 馬鹿な、そんなものがどこに。
「……!」
僕は見る。そのトカゲのような竜の細長い体。顎の下が異様なほど膨れ上がっている。それは真っ赤に赤熱し、赤外線センサーが凄まじい温度上昇をとらえる。1800、2000、2250……。
無数の角が生えた頭部が口を開き、高速で射出される何かが。