第三十九話
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ユピテル級巡洋艦は高度800ほどで安定し、自由重力場を活性化させて浮遊航行に入る。かつては反重力と呼ばれたが、学者たちが絶対に反重力という言葉を認めなかったらしい。そのへんの機微はよく分からない。
「しかし……船の上に基地があったとは」
その基礎は戦艦の装甲板まで降ろされ、鉛で溶接されている。素材が違うもの同士、しかも鍛造レベル4の複合装甲への溶接なので強度が心配だが、まあ自由重力エンジンの船に風圧とか慣性はあまり関係ないし、すぐに剥がれて地面へと落ちていく、ということが無いと祈りたい。
「あーあー、ナオ聞こえるんだよ?」
回線が開かれた、ドワーフたちは無線も掌握しているらしい。
「ベーシックは船内に格納するんだよ、ガイドビーコンに従うんだよ」
「探求者は6番搬入口から入るんだよ」
「6番? 1番から5番は?」
「さっきこじ開けようとして壊れたんだよ、あとで直すんだよ」
「……」
鎚妖精たちはこのユピテル級巡洋艦を把握しようとしているが、少し時間が必要らしい。
船内に入ってみれば草兎族と獣人がちらほらいて、そして足の踏み場もないほどに鎚妖精たちがいる。
「カジノ作るんだよ」
「公園が先なんだよ」
「窓をぜんぶ出窓にするんだよ」
内装はかなり作られている。寝泊まりのための部屋に食堂、洗濯部屋に会議室に書庫に食料庫。太陽光ランプの部屋は水耕栽培ではなくて土を敷いて農園にされている。
内部の家具まではまじないで直っていないようで、ベッドなどは取り去られて木製のものが置かれていた。
そして忘れてはならない。甲竜を世話するための厩舎もあり、上にいた竜が運び込まれている。
「ナオさま」
シャッポが現れる。少し息が上がってるように思えた。
「ナオ様、耳長を見ませんでしたか、戦いの最中にでも」
「いや……見なかった、いないのか?」
「耳長が船に乗っておりません。姿を見たものもいないのです。ただ書きつけがありました。私は姿を消す、あとは私に任せると……」
「え……」
数分後、僕は艦長室にいた。
他にたくさんの獣人たちがいたが、僕とシャッポが入っていくと、レオは他の人々に退出を願う。
「シャッポよ、ウサギたちはなぜこの船のことを黙っていた」
「それは……耳長さまのお考えでしょう。作戦を成功させるために、秘密にしておくべきだと」
「耳長は、かの竜狩りの巨人を利用したな」
タテガミがざわめくかに思える。激甚な怒りを意思の力で押さえつけるような気配だ。
「この基地に壊れたベーシックがあるという噂を流したのだ。竜狩りの巨人に届くようにな。そして竜皇軍にも噂を流した。この基地を戦いに巻き込み、竜狩りの巨人を介入させようとした」
「……言い訳のしようもありません。しかし結果として、我々は船を手に入れました」
「傷ついた者もいる。幸運にも獣人に死者は出ていないが、竜は何頭か倒れた。竜皇軍の兵士も耳長の小賢しい作戦の犠牲者だ。それでもこの船が手に入る方が利であると考えたのか」
突然、レオはシャッポの襟首をつかんで引き寄せる。
「そして耳長は姿を消した! それで納得しろと言うのか!」
「おい! やめろ!」
レオの腕を掴む。なんという筋繊維の密度。牽引用のワイヤーのようだ。
「……我らの指揮官はレオ様です。この船はレオ様にお譲りいたします。今後も変わらず、我らの指揮を取っていただければ」
「なめるなよ。我らは耳長に謀られた。この獅子頭の名誉を傷つけられたこと、船一つで釣り合うと思うのか」
「やめるんだ! シャッポも何も知らされてなかった! 彼女を責めるな!」
レオがぶんと腕を振り、シャッポの体が僕に激突する。
「ぐっ!」
「指揮は私が執る。ウサギどもは竜皇を討ち果たす日まで誠心誠意、他の種族に仕えよ。二度と我らに黙って勝手を行うことは許さん」
「は、はい、我らは商売の徒、二度と隠し立てなど……」
「1時間後、仲間に今後の目標を示す。ウサギたちは艦内での部屋割りでも決めておけ。船を降りたいものへの対応もな」
「分かりました……」
横隔膜が上がって声が出しにくいのか、胸がつかえるような声だった。
レオは僕にも視線を向ける。
「ヒト族のナオ、お前は誰に仕えている。レジスタンスか。それともウサギどもか。あるいはお前の心は元々いた世界にまだ在るのか。白き人形を作り出した組織のものなのか」
「あんただ。あんたが指揮官であり、僕はそれに従う。レジスタンスを裏切らないと誓う」
「ふん、口でなら何とでも言える。せいぜい行動で示してみせろ」
レオは部屋を出ていく。体にどっとシャッポの重みがかかる。少し投げ飛ばされただけでもかなり体にこたえたらしい。さすがは百獣の王というべきか。
「申し訳ありません。私が、もっと耳長の様子に気を配っていれば、このような事態には」
「違う。耳長の計画は何から何まで成功している。ただ指揮に沿っていないだけだ」
竜皇軍とシールに計画の全容を掴ませず、味方までも騙し通した。耳長はすべての計画を完璧にやり遂げている。さすがは一族の長か。
「私は、耳長ほど狡猾にはなれないかも知れない……」
シャッポの体は熱を帯びている。獣人であるからか、それとも彼女の内面に渦巻く感情のためか。
「一族を任される自信もない、私はどうすれば……」
「シャッポ、耳長と君は違う。一族の長がみな同じような考え方である必要はない。君には君なりの長としての姿があっていいんだ」
「……ありがとうございます、ナオ様」
実のところ、僕はシャッポと同時にレオのことも心配だった。
船の機能はまだ解明しきれていないだろう。船の存在が世界のパワーバランスをどのように変えるのかも見通せない。
レオは常に強気を崩さないが、内心は不安があってもおかしくない。
唐突に一族を託されたシャッポと、唐突に船を指揮することになったレオ。その責任の重さは想像するだに恐ろしい。
だけど、適応していかなければ。
迫りくる激動の日々を乗り越えて行かなければ……。
※
「とりあえずの区割りを完了しました。要望あらば草兎族と鎚妖精たちが必要なものをご用意いたします」
さらに1時間後、会議室にて多種多様な獣人たちを前にシャッポが語る。
「食堂は常に利用できます。のちのち整備されるトレーニングルームや書庫も同様です。混み合ってきた場合は調整いたします」
「我々の種族は水が必要なのだが……」
「用意がございます。こちらの部屋は腰まで、この部屋は深さ4メートルのプールが設置されています。太陽光と同じ光を出すランプもございます」
ある程度の用意は耳長がやっていたようだが、獣人たちは多種多様であり、物資がどのぐらいあるかも把握しきれていない。そして何より、常に多くの獣人の相手をしていた耳長がいないのだ。居並ぶ顔には不安の色が消えない。
「この船はレオ様が指揮なさいます。これより高度を上げ、眩光竜にて姿を隠します」
広範囲に光学的迷彩効果を付与する竜、かつて基地を荒野に見せていた竜だ。それを上空で使い、船体を青空に偽装させれば発見は極めて困難だろう。
レオが前に出る。
「これからの旅は何が起こるか分からぬ。またあまりに唐突なことだ。船を降りたい者は申し出るがいい。送ってはやれぬが、十分な食料と騎乗用の竜を与える」
レオが言う。集まった獣人たちはざわめきを交わす。
「レオどの、竜狩りの巨人はそちらのヒト族の操る巨人を圧倒したと聞いた。さらに二体の巨人も奪われたと聞いたぞ。竜狩りの巨人と戦えるのか」
「姿を隠せるなら傍観に回るのも手ではないのか? 竜皇軍と竜狩りの巨人が潰し合ってくれれば」
「それはできぬ!」
レオは胴間声で断言する。ざわついていた獣人たちが首をすくめる。
「あれは危険だ。わずかな邂逅であったが、その振る舞い、言葉のはしばしに危ういものを感じた。あれはともすれば、竜皇以上の脅威となる可能性すらある」
どよめきと混乱、いくつかの種族は実際に目の色を変える。
「我らは船を得た。だがまだ力不足。優先して手に入れるべきは巨人の武具である!」
僕ははっとなって彼を見る。
「此度の戦で確信した。巨人の力は武具によって拡大される。千年前に現れた伝説の巨人。そして百年になんなんとする歴史の中に散らばっている白い巨人。武具の大きさが等しいことは偶然ではあるまい。巨人の力を集めることは大陸の趨勢を決める鍵となる。我らは巨人の伝説を追い、その武具を我らが力とする!」
沸き立つ声。レオに合わせて拳を突き上げる者もいる。
実のところ、レオにどこまでその気があるのかは分からない。ベーシックの評価を改めたというのも実感がない。
これはおそらくリーダーとしての話術だ。
先刻の戦いでもっとも印象に残った部分をとりあえずの目標に据え、ばらばらになりつつあった仲間たちの視線を一箇所に向けたのか。
「この船は戦船である! 我らが赴くは星の歴史をさかのぼる戦! そして新たなる星の歴史を作る戦なのだ! その目で見届けよ! 我らが戦いを! 我らが生み出す新たなる星の姿を!」
奮い立つ言葉、束ねられる意思。僕ですら我知らず拳を固めていた。
これが獅子頭のレオ。僕の新しい指揮官であり、竜皇に反旗を翻すリーダーなのか。
※
喧騒は夜になってもやまない。
船の中ではドワーフたちが走り回り、機械を把握しようとしたり、新しく設備を作ったりしてるらしい。
僕は船の上にいた。夜の中に浮かぶ感覚。遥か遠くまで見渡せる。北に1200キロほど進めば竜皇の都、竜都ヴルムノーブルだ。
ベーシックは膝立ちになって乗降姿勢のままだ。僕はその足をそっと撫でる。
「……ベーシック。ベーシック・アグノスか。いい名前だよ、レオ……」
この機体は元々はベアのものだ。
だけど今ようやく、僕の相棒になった気がする。
かつての仲間たちは、この白い機動兵器をさまざまに呼んだ。自分の分身、人間の新しい肉体、頼るべき相棒、他にも確か……。
「ああナオ、ここにおったわ」
キャペリンがやってくる。彼女は編みカゴに水筒とバゲットをさしており、僕のそばに座る。
「ほら、みんなにワインとパンが配られとるで、ナオも飲みいや」
「パイロットはアルコールは……」
「まあナオは飲めへんやろうと思ったからリンゴジュースや」
「なんか失礼な扱いを受けた気がする」
船体上部にある基地は今は無人だ。先刻の離陸の衝撃があったので、点検が終わるまで立入禁止である。僕がここにいるのも、半分は建物が崩れないか見張るためだ。
「うん、いいジュースだ。味が濃くてそれでいて爽やかで」
「そうか、うちが作ったんやで」
彼女は体毛に覆われた手でナイフを操り、バゲットを丁寧に切り分ける。
「そうや、聞いたで、この子に名前ついたんやな」
「そうだよ、探求者だ。昔の戦友から貰ってた名前なんだけどね」
「貰ってたのに名付けてなかったんか?」
「うん……」
艦内から届く喧騒、その対比のように澄み切って静かな夜空。
その狭間にあって、僕は内省を深めていた。自分自身というものを俯瞰で見られるような気がした。
「きっと、怖かったんだ」
「うん?」
「僕は生まれながらに軍の人間で、やるべきことが最初から用意されていた。任務は些事ばかりで、常に乾いてたけど、それでも僕の身分は軍が保証してくれてた。だから名前なんかいらないと思ってたんだ」
「どういうことや?」
「名前を持つというのは何者かに成ることだ。長い人生の中で多くの他人とすれ違う。言葉を交わす。示唆を与える。教訓を得る。名前とは記号であり道標だ。名前を目印にして人と人は出会うんだ」
シャッポに、レオに、そして耳長。
彼らは己の考えに従い、背負うべき責任を背負って動いている。
僕も彼らを見習いたいと思った。ヒト族のナオであると。そう堂々と名乗れるような人間に、いつか成れるのだろうか。
キャペリンは僕の言葉を噛みしめるように頷いて、装甲板の上に両足を投げ出す。サンダルがサイコロのように転がった。
「ちゅうことは、ナオは名前を持って生きていく覚悟をしたんやね。軍人であり、レジスタンスのメンバーでもあるけど、それとは別にナオという人間がいて、アグノスという相棒がいる、そういうことなんやね」
「うん……そういう事だ」
キャペリンの口元が僕の首筋に来て、すうと息を吸う音が届く。僕の匂いを嗅いでいるのだろうか。草兎族なりのコミュニケーションかな。
「男の子の匂いがするねえ」
そうだろうか。しばらく入浴できてなかったからな。でも巡洋艦暮らしだと真水を確保するのも大変だし、体に香料でも塗ってごまかそうかな。
すん、すんとまたキャペリンが匂いを嗅ぐ。
「ナオが何者になってもええけど、匂いはしっかり覚えてるからね。とんな名前を名乗っても匂いは変わらへんよ」
「僕という人間は、もちろん変わらないさ。これからもレジスタンスの一員だ。竜皇軍と戦う戦士だ」
キャペリンは少し寂しそうに首を振るけども、そのジェスチャーの意味はよく分からなかった。
僕たちは力を得て、仲間を得て、そして相棒は名前を得る。
同時に責任と、自分というものを手に入れた。だからもう、甘えは許されない。
安寧なる天の国から堕ち、風強き現世に旅立たねばならない。
そしてまた、新たなる戦いが――。




