第三十八話
「ぐ……対電算防御、演算プロトコルを解凍してコンソールに回せ!」
駆動系の電算を自己保持に回す。ありったけの電算防壁を展開し、コア部分のクロック数を落として侵入を防ぐ。
何という展開量。まるで都市一つ分の電算回路から攻撃を受けるかのようだ。
「認証を128ビットに! 回路をクローズドにして各部をブロック化! 急げ!」
「ナオしっかりしな! 大丈夫かい!」
ノイズ混じりでココの声が届く。
彼女の機体は操られていない? 僕に攻撃を集中しているのか?
駆動系の操作が効かなくなる。システムが高速で書き換えられ、パイロット権限が根こそぎ奪われる。
ありえない、電子兵装を外部から乗っ取るというのは星皇銀河でもついに出現しなかった一種の誇大妄想。旧時代の戦車ならともかく、高度にスタンドアローン化されているベーシックを。
「ナオ様、抵抗は無駄です。これは竜使いのまじないと同じ力。どのような強者でも逃れられはしない」
そうか、竜を操る力。
この力で竜使いは凶暴な竜を従えるのか。あの強大な煌星竜すらも例外ではなく。有機脳であろうと、無機物の演算装置であろうと。
「やめなシール!」
振り下ろされる斧槍。木の鎧を身につけた森の神が飛来する。シールは盾でそれをいなす。
「ココさん、あなたもベーシックなど降りればいい。その機体を私に明け渡しなさい」
「嫌だね。鬼人の戦士はけして斧を手放さない。戦えるうちは戦うのさ」
そこへ、もう一人。
「無事か! ヒト族のナオ!」
人間サイズなら十分に巨大なだんびらを振るい、僕の前に立つのはレオ。金色のたてがみが風になびいて見える。
「どうした! 立ち上がれ!」
「れ、レオ……機体の制御が効かないんだ。まじないの力で乗っ取られそうになっている」
「ふん! 機械人形などそんなものか!」
レオは人間よりも大きいが、それでも8.5メートルあるベーシックとのサイズ差は圧倒的。
だがレオは斬り込む。背筋を弓状にしならせて力を溜め、分厚いだんびらを振り下ろす。
ぎいん、と装甲が削られる音がした。ただの鉄の剣でベーシックを傷つけるとは。
「血の気の多いことです。獅子頭の蛮勇というものですか」
「ぬかせ! 我はレオ=ネイス。一族の名を背負う者である!」
めきり、と金属板が折り曲げられるような音。
シールの背後からだ。格納庫に降りていた重いシャッターを押し上げ、金具を割り、石の建物を削りながら出てくるのは二体のベーシック。
あれはまさか、ウサギたちの発掘した機体。
だがココの機体を直すために部品を抜かれており、一体は焼け焦げて腰から下が無かったはずだ、それを直したのか。
「ナオ様に言うことを聞いていただくまでもう少しかかりますね。お二人にはベーシックの相手をしていただきましょう」
一体はシャッターを引きちぎり、紙のようにまるめ、一体は建築用の簡易なクレーンを拾って武器とする。そして丸めた金属板は強大な握力で癒着したようになり、鉄の棍棒となってレオを襲う。
「ちっ!」
あろうことかレオは逃げない。猫科の柔らかな筋肉が見せる技か、全力で振り抜かれるだんびらがシャッターを弾き飛ばす。
「おのれ無礼者が! この獅子頭の大首長を虫と扱うか!」
ココは斧槍を振るい、やはり距離を離しながら戦っている。クレーンの鉄材と斧の刃が触れ合い火花が散る。
なぜだ。
なぜ二人は操られない?
僕に攻撃を集中させている? いや、そういう雰囲気でもない。
暗闇が。
全方位モニターがダウンした。操作系も、感知系も、パイロットのあらゆる操作が。
では、次に起こることは。
排気音、油圧により胸部装甲が開き、コックピットが露出する。
眼前にはシールの機体が。四つの武具で武装した威風堂々たる姿が、何かを求めるでもなくただじっと僕を見ている。
「くそっ……!」
また、二年前と同じなのか。
彼女にすべて奪われるのか。今度は僕の機体だけではない。この基地も破壊される。ウサギたちの掘り出したベーシックまで奪われる。
だが、なぜココの機体は……。
「……その名をかざせぬものは伏せよ」
意味は分かる、他のまじないと同じく、ココやシャッポたちの使う言葉と互換性があるからだ。名を持たぬものは従えという意味。
「……まさか、名前を持たないものを操る」
「そうですよ、ナオ様」
重々しい、判決を下す裁判官のような声が届く。
「ベーシックには心がある。正確に言うならば心を注ぐべき器があるのです。以前に申し上げたはず。あなたの思う心の形とは違うけれど、本来は自我があり人格すらも持てる。ナオ様はベーシックに人格を与えていない、だから巨人のまじないに逆らえない」
「そんな馬鹿なことが……名前ぐらい、今すぐに」
「いいえ、名前は魂のカタチと結びついている。いま名付けたとしてもそれはベーシックの魂と結びつかない。無駄なことです」
背後からの力が。
シートと僕の体の間に斥力が生まれている。二年前と同じ、慣性レジストを逆に作用させる力。
「や、やめろ!」
「ナオ様には過ぎた力です。明け渡しなさい」
こんな、こんな形で敗北するのか。
星皇軍のパイロットである僕が、ベーシックから拒絶されて。
「ある!!」
叫ぶ声。それはまさに獣の咆哮。背骨に響くような猛り声。
「レオ……?」
「戦士たるもの生まれ持った名が必ずある! お前は忘れているだけだ! 思い出せ! 名を持たぬ戦士など存在せぬ!」
それは……それは例えば、傭兵たちの持つ通り名のようなものか。大男のベア。血を求める戦士のブラッド。
だが僕の名は命名規則に従っているだけであり、番号に等しい。ベーシックにも認識番号しか……。
――名は必要だよ。
「……!」
この記憶。
いつのことか定かでなく、どんな場面だったかも曖昧な、それは金巻き毛の男。
――君のベーシックにも名前が必要だ。それがあって、初めて相棒になれる。
「……ずっと同じ機体に乗るわけじゃない」
そうだ、そう答えた。あの金巻き毛の男は何と答えた?
――今じゃなくてもいいんだ。君がベーシックと相棒になれたなら。
――友人だと、仲間だと、家族だと思えたなら、その時にこの名を与えてほしい。
――それは純真無垢という意味、まだ何も知らない汚れなき心。世界の隅々にまで足を伸ばさんとする探求者。そしてわずかに潜む勇猛なる戦士の響き。
「――アグノス」
瞬間。
体がシートに吸い付けられる。あらゆるシステムが同時並列的に励起し、電算攻撃を重機で押しのけるように駆逐していく。
「……これは」
シールが初めて動揺を示す。全方位モニターは迅速に回復。そしてCエナジージェネレータから流れ込む力が。
「あらゆる竜を断つ光を!」
光の剣。薬圧サスペンションによる跳躍。シールの鎧を剣がかすめる。
「名前……持っておられたのですね」
「そうだ、僕の戦友から貰った名前。いつか、ベーシックが僕の相棒になったときに与えてほしいと預かっていた名前だ」
「ナオ様……それがベーシックです。その名前はベーシックの名であり、操縦者の名でもある。操縦者はベーシックに魂を分け与えるのです」
ですが、と、わずかに悲しげな響きを乗せて、シールも剣を構える。
「たとえそうだとしても、私はもう、あなたに戦ってほしくない」
やる気か。
今、この地で決着を。
警告音が。
突如、地面が隆起する。
無数の地割れが走り、その奥から光の奔流。シールの鎧を撃つ。
「うっ……」
鎧には脅威とならない。しかし鎧の表面で空気が熱され、音速を超えて膨張させて爆発のような衝撃を生む。シールは跳びすさって盾を構える。
「なっ……あれはX線レーザー! なぜそんなものが!」
大地の隆起は続き、あらゆるものが押しのけられて谷底に落下していく。
いや、違う。建物は残っている。建物の基礎が岩盤より下に伸ばされており、剥がれ落ちているのは表面の土砂だけだ。この世の終わりのような地揺れ、そして大地を割って現れる黒色の艦影。
全長はざっと300メートル。鍛造レベル4の複合装甲に覆われ、ハリネズミのようなレーザー群と質量砲、そして六基の重水素自由重力エンジンを持つ船。海の底から浮上してくるクジラのように、圧倒的な質量を浮かそうとしている。
「……星皇軍のユピテル級巡洋艦。あの時の作戦行動用の艦艇か。まさかウサギたちの仕業なのか、最初からここの地下に」
止まった時間の中で思考するかのように、様々なことが分かる。
シールによる癒やしのまじないの広域化。シールはベーシック二体を直すために使ったが、あれがこの船までも直したとしたら。
誰かが、それを計算した。
火を滅するまじないと同じく、癒やしのまじないも広域化できることを。
ここに壊れたベーシックがあれば、シールはそれを直そうとすることを。
そしてウサギたちは直ったばかりのこの船を操り、兵装を使いこなしている。
どれ一つ取っても信じがたい離れ業。そんな事が、もし仮にできるならあの人物しかいない。
世界を渡る風。あるべき場所に、あるべき時にものを届ける耳長しか。
「どうやら草兎族にしてやられたようですね。ここは退却しましょう」
シールはイオンスラスターをふかし宙に浮く。彼女が直した二体もそれに追従する。
「シール……」
追うべきか。いや、まだ彼女には勝てない。
成長しなくては。世界の隅々までを見て、あらゆる強さを身に着けなくては。探求者とともに……。
だけど、最後に一言だけ、わずかな義務感のようなものが僕を突き動かす。
彼女に聞いておかねば、僕たちの相棒のことを。
「シール……君の、君の機体の名は」
彼女の姿は雲に隠れようとしている。周囲はまだ音の洪水。岩の破片が崖下に落ちていく音、まだ出力が不安定な自由重力エンジンの音、嵐のように吹き荒れる。
じじ、とノイズが走り、一瞬だけ開かれた回線から、彼女の声が。
「リサナウト」
リサナウト……。贈り物か、この星の古い言葉……。
イオンスラスターから吹き出す微粒子の風。彼女は流星のように尾を引き、浮遊する機動母艦から遠ざかっていく。
「シール……」
二年の時を隔てて、彼女は別人のように変貌していた。
だから次に会うときも、きっと別人なのだろう。
僕たちは長い人生の中で一瞬だけすれ違う。一瞬の出逢いに魂をぶつけあう。
「ふ……」
シールは彼女の相棒を得て、僕は僕の……。
「ふざけ……やがって」
何だそれは。
「ふざけやがって! ふざけやがって!! 何が贈り物だ! 何があなたには無理だ!! 見下しやがって!! 君なんかただの泥棒じゃないか! 巨人の武具があるぐらいで勝ち誇りやがって! 知ったふうなこと言いやがって!! ふざけやがって! この泥棒が!! 泥棒があ!!」
コンソールをばんばん叩きながら、僕は五分ほど絶叫し続けるのだった。




