第三十六話
※
「ベーシックに名前なんか必要ない」
それはいつのことだろう。
何かの作戦行動の合間の、ほんの一瞬のやり取り。記憶の泥に沈んだ木片のように、他の記憶との結びつきを失った一場面。
「……そんなことはないよ、ナオ」
生産兵レオ。
金色の巻き毛、厚ぼったい印象の顔立ち、頬には赤みがさして見える。
油彩画に見る天使のような。なぜかそんな例えが頭をよぎる。
「ベーシックは僕たちの仲間じゃないか。家族と言ってもいい」
「違う、これは星皇陛下から下賜された兵器だ。僕たちの所有物じゃない」
「それでも、今は僕らの相棒だ、そうだろう?」
なぜレオはあんなに食い下がったのだろう。
なぜ僕はこんな端切れのような会話を覚えているのだろう。
そしてこの会話はどういう結末を迎えたのだろう。覚えていない。
レオとはあまり作戦行動を共にしなかった。僕と同じ生産兵ではあるが、その誼があったわけでもない。
だからなぜ、そんな会話が時おり記憶の泥から浮き上がるのか、それも分からない。
僕の乏しい経験の中の、わずかな残滓。
それは果たして土くれの中の小石か、あるいはきらめく宝石だとでもいうのか……。
※
竜たちは弓手のいる中央の建物を避け、左右に大きく分かれて攻め込もうとしている。弓手が屋上にいるため、建物それ自体を遮蔽物にしようとしているのか。
「ナオ! しっかり止めなよ!」
「わかってる!」
僕のベーシックを覆う青い鎧、硬化した紙だという鎧を目掛けて竜たちが来る。
土を蹴立てて、殺気に目をぎらつかせて走る甲竜、その首筋に石の巨剣が振り下ろされる。
斬るというより押しのける一撃。建物が倒壊するような眺め、数トンの竜が鱗を割られ、悶絶しながら横倒しになる。
やはり……まじないがなけば斬れないか。だが地下世界で数十年戦い続けた剣だ、けして折れはしない。
さすがに動揺を見せて止まる竜たち。
その背後から、赤い閃光。
「炎の厄災は盾の前に散る!」
手を覆う光。火球を捉えて握りつぶす。後にはかげろうすら残らない。
分子振動それ自体の抑制、巨人のまじないの力だ。
だが、まじないはCエナジーを消費する、何度も打てない。
視界を上げれば蜘蛛手の弓手は飛竜に襲われていた。
エイのようなひし形の竜。それを撃ち落とすのに手一杯で、火球を止められていない。
やはり火蛇竜の火球の盾になれるのはベーシックだけか。
火吹きの竜たちは翼をはためかせ……。
「なんだ……後退していく」
総数で五頭ほど、後方に下がり浮き上がり、ある一点からはぐんぐんと高度を上げて飛び去っていく。弓の範囲外に逃げたのか。
だが、なぜだ?
確かに砲撃はむしろ味方に当たりかねない乱戦、そして竜使いたちは前線に来たがらない。
それは分かるが、まだ戦闘中なのに退却とは。
「そうか……支援砲撃が終わった段階。僕たちならどうしてた。ここから青旗連合の無人機を殲滅するためには」
上空に影。
大きく飛び上がって甲竜たちを飛び越えるのは、それもまた竜。
「――機動兵器の投入!」
それは人型の竜だ。
トカゲの頭を持ち、金属の軽鎧で上半身を守っている。脚にある大きな鉤爪が地面をつかみ、節くれだった爬虫類の手は三メートルほどの円月刀を握っている。
体長は8メートルほど、ベーシックに匹敵する大きさだ。陸上生物がこの大きさで二足歩行するとは。
その背には人影が見える。あれも竜使いなのか。
だが、なにか妙だ。椅子もなく、垂直な背中にどうやって張り付いているのだ。しがみついているはずもないが……。
「ココ、こいつらも竜なのか」
「……いや、見たことがない。まさか、こいつらが噂に聞く衛竜かい」
「聞くがいい、まがいものの巨人よ」
衛竜の一体が口をきく。その乱杭な牙ののぞく尖った口で。
「我らは竜皇陛下に仕える直属の衛士、衛竜。此度は格別の沙汰にて不埒なる反逆軍を掃討に参った。我は衛士長アイガイオン、王を守る剣なり」
そいつの背後にさらに二人、僕とココに三体ずつの衛竜が当てられる。
「お前……知性があるのか?」
「笑止、竜に知性などあろうはずもない。偉大なる竜皇陛下の御業である」
そいつはわずかに半身に構えて背中を見せる。
そこにあるのは溶け崩れたような人間。体が半分溶けたように背に貼り付いているのだ。手足はすべて背に埋まり、その顔面も半分ほどが沈み込んで、眠っているように見える。
「まさか、細胞レベルでの融合だと……そんなことが」
「まがいものの巨人よ! 剣士ならば名を名乗れ!」
円月刀を突きつけ、そいつは言う。
「……名乗る必要などどこにある」
「名を持たぬものを斬る剣は持ち合わせておらぬ。蛮族のそしりを受けたくなくば名乗れ!」
「……ナオ、ナオ=マーズだ」
「それは乗り手の名であろう、貴殿が駆る巨人の名は何という」
……?
僕は問いかけの意図が分からない。
もしかして、それが竜使いの感覚なのか。アイガイオンとは背中の竜使いの名ではなく、この竜の個体名。そしていま名乗るべきは竜としての名であると……。
「ベーシックだ。個体名は無い。認識番号ならあるが」
「ふん、つまり名を持たぬ木偶か」
アイガイオンと名乗った竜は明らかに興を削がれたようだった。代わって背後の一体が前に出てくる。
――ベーシックに名前があってもいいだろう?
……?
なんだ、今のイメージは、音声だけの記憶がふと浮上したような気が。
いや、集中しろ、戦闘中だぞ。
「アイガイオン様が相手をするまでもない。名を持たぬ獣よ、この我が土くれへと返してやろう」
「なめるな……!」
僕は剣を構える。そして全体重を乗せての踏み込みから駆動系をフル加速。あるゆる機構の加速を連携させるように薙ぎ払う。衛竜はわずかに身を引いてかわす。
「哀れなる無名の剣士よ、我は誉れ高き竜皇陛下直属部隊の衛士テティス、お相手いたそう」
「うるさい! 貴様らの名前なんか知ったことか!」
円月刀がひるがえる。鳥の旋回のように円を描く動き、巨剣を薙ぎ払って体勢が流れるところへ来る。その先端が紙の鎧に触れ、激しい音と衝撃。
「ぐっ……」
なんだと、紙の鎧が斬られるのは分かるが、浸潤プレートにまで傷が。
僕は巨剣を振り上げ、振り下ろし、さらに地面にバウンドするのを利用しての突き。巨大な人型の竜は液体のようにするりと身をかわす、そして円月刀が陽光にきらめく。
衝撃に意識が揺さぶられる。判断に隙間が生まれる。敵の刃先がベーシックの首筋を狙う。とっさに片手だけを振り上げ、そこに激しい火花が散る。
「くそっ!」
機体を回転させる。大量の砂をすくい取った脚部を蹴り上げ、振りまかれる砂を嫌って竜が引く。
「おっと、くくく、まるで野良犬のようだな、名もなき剣士よ」
その呼び方に侮蔑を感じて頭が熱くなる。なぜこんな奴らに侮辱されねばならない。機動兵器に名前など必要ない。
腕を見れば深い裂傷。人間ならば動脈から血が吹き出している損傷だ。
なぜだ、なぜ浸潤プレートにやすやすと傷を。
「あの剣……切っ先が」
切っ先を拡大、光学分析。
あれはまさか、ダイヤの粒。
およそ0.5から2カラットほどのダイヤの粒をまぶした切っ先、それを何らかの金属で固着させているのか。つまりあれは斬る剣ではなく、削り取る剣。
ココを見る。彼女もまた一頭の衛竜と戦っている。相手は三体いるのに一対一、まさか騎士道とでも言うつもりか。
彼女は僕より慎重だ、長柄の斧槍をさらに長めに持ち、距離を取りながら牽制するように戦う。
「ナオ、大丈夫かい」
通信が来る。僕はつとめて冷静になろうとして応じる。
「大丈夫だ、ココ、こいつらの剣に気をつけろ、ベーシックの装甲にもダメージが通る」
「切り結ぶことはないよ。耳長が言ってただろう、時間を稼げって」
はたと思い至る。確かに、耳長の言ってたことに意味があるならあと二分ほど。
だが、こいつらを含めた竜の軍勢を打倒する手があると言うのか? いったい、どんな策が……。
「どうした、名もなき剣士よ。名前もない剣技はそれなりに面白いぞ、もっと繰り出してみろ」
その言葉にかっと熱くなる。黙れ、なぜお前なんかに好き勝手に言われねばならない。
お前たちはしょせん生物。剣の直撃を受ければただでは済まないはずだ。それにお前たちの円月刀はベーシックの致命傷にはならない。
僕はひたすら前に出る。テティスと名乗った衛竜が引く足跡にベーシックの足を踏み込ませ、長大な剣に最大限の遠心力を乗せる。
だがテティスの身軽さは尋常ではない。8メートル余りの巨体なのにほとんど足音も立てず跳ぶ。皮膚に触れるかと思うほどの寸毫の見切り、素早く足を組み替え、打ち下ろしを半身でかわす。
「くそっ!」
限界まで踏み込む、ほとんど体当たりのような密着からの横薙ぎ。
ぎいん、と円月刀が受け止める。そんな、さほど肉厚でもないのに。
「まるで話にならぬ。剣が振り始めから振り終わりまで同じ速度とでも思っているのか」
出だしを潰されたというのか、それは確か、ココにも指摘されたこと……。
衝撃。
モニターがブラックアウトすると同時に強烈な後方への加速。シートに後頭部をぶつける。
「ぐうっ……!」
蹴られたのか、出足が見えなかった。
ベーシックが仰向けになっている。僕の眼前に振り下ろされるのは屋敷の屋根のような巨大な切っ先。
ぎん。
コックピットを守る胸部装甲に食い込む。肌におぞけが走る。
「くそっ……こんな連中に」
体が起こせない。脛に足を置かれていて起立動作ができないのだ。ベーシックの起立動作の起こりを見抜かれたって言うのか。
「薬圧サスペンション……ぐ、足先が何にも触れてない、これでは……」
二撃、三撃。
何度も打ち付けられる切っ先が少しずつ装甲板に食い込むかに思える。モニターに黒点が散らばる。
「くそっ、まだ動ける、駆動系へのダメージは受けてないのに!」
まさか、このまま胸部装甲を貫かれて終わるのか。
何もできていない、何も活かせてない。
この二年、繰り返してきた鍛錬も。やっと手に入れた石の巨剣も。
それが敗北という事なのか。
頭に血が上ってしくじったのか。
「ナオ、ナオ聞こえるかい」
ココの声が。
「ココ……すまない。だけど助けようなんて思わなくていい。僕の失態だから……」
「違うよナオ、かわしな」
かわす……?
そこで気付く天の一角。
ノイズにまみれた衛竜の肩越しに見える影。
人の姿。イオンスラスターの虹色の噴気。それは極楽鳥の翼のような。
「あらゆる竜を断つ光を」
この呪文は!
反応したのは衛竜とほぼ同時、やつが右に跳ぶのと同時に体を傾け、薬圧サスペンションにて機体を射出する感覚。空いた空間に石の巨剣が。激しい閃光が突き刺さってオーロラのような光の壁が突っ走る。
「シール!」
それはベーシック。かつては僕の搭乗機体であった個体。
だがその様相は一変している。右腕に石の巨剣。左には石の盾。裾の広がったドレスのような石の鎧。そしていくつものねじれた角が装飾する石の兜。
特筆すべきはその造形美か。いくつもの石板が磁力のような力で連結されて鎧となっている。布のような軽やかさとレースのような細緻な装飾。彫られているのは無数の花だ。風景の果てまで続くような花畑が幻視される。
それは異様なほどベーシックと調和している。あるいはありのままのベーシックはまるでマネキンであり、4つの武装によって初めて完全な何かに成ったかのような。
「ナオ様……人並みの幸せを探して、と申し上げたのに……」
間違いなくシールの声。彼女の機体は回線を遮断しているため、外部スピーカーからの声だ。
その声に潜む一種の凄絶さ、それが僕の全身をこわばらせる。
今、やはりシールは僕をも斬ろうとした。
敵もろともだ。組み伏せられているのが僕だと分かっていた。
彼女の声にもはや僕への親密さはない。僕に対する感情の変化ではなく、何かもっと根本的に人格が変わったような印象がある。
この二年、彼女はどれほどの戦いを重ねたのか、その中で何を見たのか――。
「現れたな、竜狩りの巨人」
衛竜たちが身構える。前に出てくるのは彼らの隊長格、アイガイオンと名乗った個体。
「貴様に屠られた竜使いたちは百ではきかぬ。その行い畢竟許しがたし。貴様だけは我が直々に討滅してくれる」
シールはアイガイオンの方を振り向く。どことなく女性らしさの片鱗が残るゆるやかな動作、そう思えたのは気のせいだろうか。
「ふ……」
彼女は笑う。
そう聞こえたからではない、ベーシックのわずかな所作が喜悦の感情を伝える。
この二年。彼女はどれほど操縦を磨いたのか。
そして巨人の武具の真価とは……。




