第三十二話
「ブラッド……! 本当にあんたなのか!」
「さっきから言ってるだろう、俺は俺さ」
言葉と同時に迫る機体。ブラッド機の拳をスラスターで回避、脇をすり抜けた拳で壁面がひび割れる。音と衝撃。スラスターの噴射と機体のひねりを合わせた破局的な拳だ。
「この星で数多の竜と戦った。流れ流れてこんな地の底まで来たが、いくらベーシックが頑丈でも機体は限界に近づきつつあったのさ」
泥毛竜は上に逃げようとしている。僕はそれを追いかけ、ブラッドが僕につきまとうように攻撃を仕掛ける。
縦穴はだんだんと狭くなり、直径20メートルほど。ベーシックが二体でやりあうには狭すぎる。だがブラッドは絶妙の間合いで追いすがる。
「そんなとき、そこの毛むくじゃらが地下に降りてきた。傷ついた竜の背中に張り付き、その体を自在に操ってたのさ」
「別の生物に寄生する竜……そんなものが」
「一目惚れだったねえ」
ブラッド機の動きはまさに蝶が舞うよう。こちらの斬撃を回避しつつ拳を浴びせる。ただのパンチがベーシックの基礎フレームにまで響く。
「戦いを続ける中、毛むくじゃらは今度は俺に取り付こうとした。俺は受け入れたよ。これでさらに戦える、もっと強くなれる、俺の心は歓喜で満ちていた」
「……」
竜の助けを得て戦う、文明圏の人間が機械の助けを借りるように。
その話だけなら肯定的に感じなくもない。
だが、何だこの違和感は。
話を聞くごとに不安がつのる。ブラッドに起きていることはそんな単純なことではない気がする。
何より、あの戦い方。
人体の構造に準拠しない動き、ブラッドはそんな操作はしないはず。
ブラッド機に……ブラッドに、何が起きているのか。
……この一撃で見極める!
「ブラッドおお!」
剣を腰の後ろに構えて上昇。イオンスラスターを全開に。ブラッドもスラスターをふかして追ってくる。
「あらゆる竜を断つ光を!」
剣が輝く。
光の世界に通じる裂け目のような輝き。抜き放たれた剣は岩盤を紙のように斬り裂き、縦横無尽に刻まれる斬撃の線。
そして岩盤がブロック状にはがれ、無数の岩となって落ちていく。
「むっ……」
落下していく数十トンの岩石群、さすがのブラッド機も回避に専念する。
そして自由落下で落ちていくのは僕の機体。岩の影に隠れ、ブラッド機とすれ違う瞬間、消えかける剣の輝きの最後の一瞬に、その胸部装甲を。
斬る。
おそるべきは巨人のまじない。浸潤プレートをやすやすと斬り裂くか。
剥がれた胸部装甲は下方に落ちていき、そしてコックピットには。
白い、綿――。
「な……?」
「……そう驚くことはないさ。あまり見せたくなかったが、これが今の俺だ」
全波長スキャン。コックピットに詰まった綿のような泡のような、あるいは濃い煙のような白い何か。
それは繊維でできている。太さ1ミクロン以下のガラス繊維のようなもの。泥毛竜の体を構成するものと同じか。
その奥には……何もない。肉体も、パイロットスーツも。
いや、X線では何かが見える。あれは、ブラッドの。
骨、だけが……!
ブラッド機が自由落下軌道に入り、槍を落とすような蹴り。僕はすんででかわす。
「この毛むくじゃらの竜は肉体を操るだけじゃない、その肉を補うのさ」
ブラッド機が速度を増す。一撃をかわした瞬間に姿を消しており、反応する前に死角から突きが飛ぶ。
そして壁面にいたはずの泥毛竜が、いつの間にかブラッド機の背中に張り付いている。白い繭を背負うかのように。
「壊れかけたベーシックも、老いていた俺の肉体も補ったのさ。俺は次第に竜と同化していった。こいつは俺の思考をトレースし、再現し、俺の戦い方をさらに洗練させていく」
「馬鹿な……! もうブラッドの肉体が残っていない……脳組織すらも……それすら補って動かすと言うのか!」
「言ったろう、肉体は魂の乗り物に過ぎない。毛むくじゃらも同じさ。俺という魂はここにある。この白い綿が今の俺の体。俺の魂をベーシックに伝えるための媒体ってことだ」
「馬鹿な! ありえない!」
それは、それは恐ろしいことだ。
ブラッドの思考まで泥毛竜が再現しているなら、ブラッド本人はいったいどこにいるんだ。
どこにもいない、その答えしかありえない。
「あの手紙……!」
ブラッドが地雷に仕込み、ドワーフたちに頼んで上層まで届けさせた手紙。
――どうか、俺を。
――俺を、殺しに来てくれ。
泥毛竜とブラッドの融合はどのぐらいの期間で行われたのか?
ブラッドの自我は一貫していたのか?
もし、ブラッドが自分の自我を残している時期があったなら。
段々と泥毛竜に侵食されていく中で恐怖を感じたとしたら。
そして今の泥毛竜は、ブラッドとは異なる戦い方をしている!
「……ブラッド、僕はお前のあり方を認められない」
「そうかい」
「お前はブラッドとは違う。それに、お前は僕に姿を見せることを拒んだ」
「……そうだったかねえ」
「お前はどこまでブラッドであり、どこまで泥毛竜なんだ。あるいはお前は、僕を懐柔するためにブラッドのふりをしているだけじゃないのか」
「……」
「お前の中に、ブラッドなんて人格はカケラも存在しないんじゃないのか! 毛むくじゃらの竜め!」
ブラッド機が迫る。
繰り出される拳。本能的に回避した瞬間。それは岩に突き刺さっている。
そして浸潤プレートの腕がコナゴナに砕けている。強度限界を超えるパンチ。
そしてコナゴナだった腕は、白い糸のようなものが巻き付き、パズルを組み合わせるように、元に。
「俺はブラッドさ」
イオンスラスターの噴気。機体を高速回転しつつの回し蹴り、屈んで回避したその上で壁面を大きくえぐる。
膝から下が断裂。だが脚部が空中に投げ出される瞬間、磁力に引かれるように元に戻る。無数の糸が機体を縛り上げている。
「お前……!」
「こいつの記憶は素晴らしい。戦う手段をたくさん知っている。俺がそれを引き出してやる」
空中で切り結ぶ。やつの動きは単純化されているが、攻撃の一つ一つが破滅的な威力を秘める。
ブラッド機が傷ついてもすぐに修復される。どれほどの力で縛り上げているのか、やつの拳も脚も威力を失わない。
「くっ……こ、この速度」
「生産兵の兄さん、あんたは俺の生存を妨げる。俺の成長を邪魔しようとする。ここで死んでおくべきだよ」
そいつは竜の言葉なのか、ブラッドの言葉なのか、あるいは境目など無いのか。
「お前! なぜそこまで戦いを求める! 何の意味があると言うんだ!」
「……分からねえのかい」
――見える。
ブラッド機は確かに速度を増しているが、やはりブラッドの動きではない。直線的で奇策がない。これはおそらく、あの毛むくじゃらの竜の本能による動き。
「この星には磁力があるのさ。欲望という名の磁力だ」
「何だと」
「この星は欲深い。あらゆる場所に手を伸ばし、あらゆるものを集める。俺はずっと眠っていたのに。あの深い海で眠っていたのに。こんな場所に引きずり込まれた」
「……何を、言って」
「そして星が囁くのさ! 最後の一人になるまで戦えと! 竜たちの王になれと!」
最大、最速の右。それを僕は剣でいなす。
もはや見きった、いくら速くても、動作を起こす瞬間がはっきり見えるぞ!
びしい、と強烈な音。
背後を見れば壁面のヒビが一気に拡大している。
「!」
僕は真下へ。構造計算。軌道計算。重量計算。ある程度は勘しかない。
「待てよ生産兵!」
追ってこい。
僕はイオンスラスターをふかして下方に加速。やがて地下3万メートルの世界、戦う者の聖地が見えてくる。
急反転。機体を回転させて着地。直後に降りてきたブラッド機と向き合う。
ごうん、と、洞窟全体が揺れるような音が。
やつが、ブラッド機の背負う繭が上を見たのが分かった。
上方、そこにあるのは破滅的な質量。大型の多連砲塔戦車よりも大きい巨大な岩盤。
質量はざっと4000トン。
ブラッド機は身を引こうとする。その逃げる先に回り込む。
「ぐ……どけ!」
「決着だ、ブラッドもどき」
落下まで七秒。キャペリンとドワーフたちはすでに避難してるのが分かっている。瓦礫が降っていたから当然だろう。
こいつがブラッド本人なら、僕が投げ飛ばされて終わりだ。
だが、利用できるすべてを利用してやる。
こいつの焦りも、生存本能を揺るがす恐怖も。
初めて生死の際に追い込まれた新兵の、極限の心境も!
ブラッド機が踏み込む。だが闇雲。回避すると同時に膝を前側から蹴り飛ばす。
五秒。
やつがバランスを崩す瞬間。剣を抜き放つ。
やつがスラスターをふかそうとする瞬間、大上段の一撃が肩口に食い込む。
一秒。
やつが倒れる瞬間、僕は後ろに。
暗黒。
とてつもない質量が眼前に落ちた。
一瞬遅れて瓦礫混じりの衝撃。粉砕された岩が、粉塵が、縦穴の上から空気が押し込まれるような塩梅で爆風となる。
そして――地面が抜ける。
「……!」
見た。
それは遥かな縦穴。
この位置からさらに数千メートル、あるいは数万メートル。暗黒の世界に縦穴が伸びている。そこにこの世のすべてが落下していくような眺め。
「ナオ! あんただいじょぶか!」
かなり離れた場所にキャペリンがいた。ドワーフたちは器用に崖を登って上に逃げている。
がらがら、と音が響く。僕の目の前で縦穴に次々と岩塊が落ちていく。何か決定的なバランスが崩れてしまった感覚がある。
「逃げるぞ! ここはもうすぐ崩れる、乗ってくれ!」
「分かったで!」
キャペリンを収容。隔離していたCエナジーを結合。それでも残量は2%もない。
「……」
計算する。連続飛行できるのは7分間ほどか。
「キャペリン、あの縦穴から逃げるぞ」
「なんやて!?」
崩壊は規模を増している。音波探査によればかなり遠くでも崩壊が始まってる。
「ベーシックが地上まで出られる道が残ると断言できない。それにドワーフたちが逃げている通路でスラスターをふかすことはできない。行くしかない。どこかにつかまれ!」
「ああもう! 乙女の人生こんなとこで終わらせたらバチ当たんで!」
上昇。
洞窟がまるでガラスでできてたかのように崩れている。下部が崩落したことで重量を支えられなくなったのか。
無数の車両が落ちてくるような眺め。
ベーシックのアクティブレーダーと目視で捉え、速度を上げて回避していく。
「ちょ、ちょっとスピード出しすぎやで!」
「エナジーが残り少ないんだ! 一気に登りきらないと落ちてしまう!」
速度を上げる。下方では何もかもが崩落していく感覚。
そしてある一瞬、ベーシックが崩落の連鎖を抜けた。
「見えた、地上だ!」
空に出る。突如として広がる360度のパノラマ。圧倒的なまでの光の世界。
Cエナジー残量は0.2%ほど、どうにか登りきったか。
機体を反転。眼下に広がるのはデル・レイオ大渓谷の雄大な眺め。
その一角には地の底まで届くような大穴が。
「ブラッド……」
もう会えない。それだけが確信としてある。
「ブラッドって人、どうなったんや?」
「分からない……。僕は結局、最後まであいつのことが分からなかった」
――俺を、殺しに来てくれ。
あれはブラッドの遺言だったのだろうか。
彼はどのような気持ちで竜を受け入れたのか。自分が自分でなくなる瞬間をどう受け止めたのか。
僕は手近な岩に着地。がらがらという崩落の音が遠く聞こえる。別れを告げる音のように。
「結局、分かり合うことなんかできないのか。僕とブラッドは違う人間だから。価値観が、生きてきた道のりが違うから……」
「……そんなことないよ」
ぐっ、と背後から抱きとめるキャペリン。彼女の豊かな体毛が僕を包む。
「あんなに戦ったやん。分かり合おうとしたってことやで。それは立派なことやと思う。ナオやんはギリギリまでブラッドって人に迫ろうとしたんや」
「迫る……」
分かりたい。
もっと深く知りたい。
あと一歩、あと半歩だけでも近づきたいと願う。
僕には何もないから。
何も知らないから。
だから僕以外の人生に触れたい。
それこそが僕の望み。
かつて道が別れてしまった彼女のことも、いつか、きっと……。
「ナオ、聞こえるかい」
はっと意識が引きつけられる。通信が入ったのだ。
全方位モニターにウインドウが出ている。緑色の肌、ココだ。
「っと……すまない、邪魔したよ」
通信をオープンチャンネルにしていたので向こうからも見えたはずだ。僕を後ろから抱きしめるキャペリンとかが。
「うわなんかラブコメしてもうた、恥ずっ」
「なんか傷つくな……」
まあそれはともかく、ココからの通信とは驚くべきことだ。
「ココ、もしかしてベーシックが直ったのか」
「ああ、なんとか機体を組み合わせて一機だけ。通信を送ってみたんだけど返事がなくてね」
「電波通信になってるな、超光速通信に切り替えるといい」
「ああ分かった、ところでナオ、速く戻ってきてくれ」
「どうしたんだ?」
そこで気づいた。ココは何やら差し迫った気配を見せている。
普段の彼女には、滅多に見られないほどに。
「竜皇の軍勢が――迫っている」




