第二十六話
「ベーシックがなぜ人型なのか分かるかい」
繰り出される右直拳。体を半身にしていなす。高強度の浸潤プレート同士が火花を散らす。
「それは……多環境での作戦行動に対応するためだ。踏破能力、歩兵携行武器への優位性と、極限環境におけるパイロットの生存空間を確保するため、ベーシックの形状と大きさが最適であり……」
「そりゃ座学で習う知識だろう、生産兵の兄さん」
相手の動きは鋭い。身を低くしての掌底、膝を狙うようなローキック。とても機動兵器とは思えない身軽さである。
速くそして分厚い、壁が押し寄せてくるような隙のない連撃。
間合いを詰めて打撃を殺さんとする。
瞬間、頭部を弾かれる。水平を維持してるはずのモニターがわずかにぶれる。
肘だ。彼我の隙間をすりぬけるような肘打ち、体勢が崩れかけるのを察して後ろに引かんとする。
だが動かない。つま先を踏まれたのだ。
のしかかるような動き、真上から打ち下ろすような構え、打撃に耐えんとして両腕を立てる。ピーカーブーの構えに。
「視界を塞ぐなよ」
機体が消える、背後に回られたのだ、と思った瞬間には膝裏を蹴り飛ばされ、同時に首を持たれて仰向けに倒される。
完全に動きを封じられた。こちらの負けか。
「まいった」
視界が戻る。
全方位モニターに表示されるのは相手の機体。どちらも最初から動いていない。無線接続で行われるバーチャルな格闘訓練だ。
「俺の勝ちだな生産兵の兄さん、5000クレジットだ」
「わかったよ、いま送る」
「なんだまたブラッドの勝ちか」
周りには数人の兵士が座っている。彼らはカード状の口座端末をひらひらと振っていた。
「くそ、持ってけ、20000クレジットだ」
「なんだブルーム、生産兵どのに賭けてたのか? まあいいか、タイムは1分22秒だぞ」
「おっと、ワイナリーがピタリか、総取りだな」
小隊の皆は勝手に賭けをしている。兵士間での賭け事は禁止されていないが、ブラッドが負ける方に賭けるものはあまりいない。大穴狙いが好きなブルーム以外は。
僕は無線通話で言葉を投げる。
「ブラッド少尉、ベーシックが人型である理由とはつまり、白兵戦闘における操作性の向上のためか。肉体感覚をフィードバックさせて円滑な動作をさせるため……」
「違うね」
ブラッドの機体が動き、一本指を左右に揺らす。
「この機体との付き合いも長いが、ようやっと分かってきた。ベーシックってのはな、人間なんだよ」
「人間?」
「そうさ、顔があること、指が五本あること、手足の長さが人間の比率に近いこと。どれも意味がある。ベーシックを乗りこなすと、手足がまるで自分の手足のように思えてくる。全方位モニターの視界を自分の視界と感じるようになる。こいつはね、人間の新しい体なんだよ」
「……? ど、どういうことだ」
「脳と肉体の関係だ。人間ってのはつまり脳が肉体というロボットに乗ってるだろう? それを拡張させればベーシックこそが本来の肉体ってことだ。こいつはもはや俺の体なんだよ」
「それは……操作感覚の比喩なのか? ベーシックは星皇陛下より下賜されたものだ、僕らに所有権は無いが……」
全方位モニターが明滅。出現するのは氷の大地。僕は話しながらも地面の摩擦係数を計算し、ベーシックのバランサーに調整を加える。
「もう一本どうだい、生産兵の兄さん」
「わかった」
ブラッド=ディル少尉。
確かそんな名前だった。彼は白兵戦闘のプロフェッショナルであり、ベーシックでの作戦行動だけでなく、機体を降りての敵施設での作戦行動、要人護衛任務などで軍功を積んでいた。
だが、なぜか彼はずっと一兵卒だった。階級は少尉のまま何年も前線で戦っているらしい。
彼はいつも快活で、皮肉げに笑い、独特の哲学のようなものを語る男だった。
武装の充実している星皇軍において、白兵戦闘が行われることは滅多になかったけれど。
それでも、彼の強さは――。
※
デル・レイオの大渓谷とは中央の南東より、人を寄せ付けぬ深山幽谷の奥にあるらしい。
街道筋を避け、荒野をえんえんと進む旅だ。ベーシックは極力自分では動かず、ドワーフたちの作った特大の荷車に乗っていた。
「Cエナジーは一日でおよそ1%か……」
水の入った器があるとする。
このうち水分子一つ一つを観察すると、活発に動いている温度の高い分子と、動きの小さい低温の分子がある。
このうち高温の分子だけを選り分けることができた場合、外部から力を加えずに液体に温度差を作ることができる。これは熱力学第二法則に矛盾するとされ、マクスウェルの悪魔と呼ばれる。
Cエナジーとは一種のマクスウェルの悪魔。空間からエネルギーを取り出すとは聞いているが、そもそもCエナジーとは何なのか、どのような形でタンクに貯蔵され、どのように内燃機関から駆動系に回るのか、僕は何も知らない。
これは勉強不足だからではない。Cエナジーの周辺は完全なブラックボックスなのだ。
兵士はベーシックの故障をある程度治す技能が求められるが、エネルギー周りの故障や破損だけは絶対に手を出さず、機体ごとドックに回収することが定められている。
「マニュアルにもエネルギー周辺のことはないそうです」
シャッポが言う。移動の間、おもに検討したことはそれだった。
「ドワーフたちがマニュアルを読んでいますが、エネルギー関係のことだけはまったく分からないとか」
「そうか……解体して調べるわけにも行かないしな……」
地面に投射されているベーシックのマニュアル、それを歩きながら読んでるドワーフが10人ほど。
「ギア比が当社比なんだよ」
「スチームの逃げ道がスキームなんだよ」
「レンズが連続でレンジがレジンなんだよ」
分かっているのかいないのか、ともかく一日中ずっと読んでいる。
そして何人かはベーシックの膝や背中に乗り、あるいは荷車の周りを囲んで歩き続ける。コックピットには歌うような声が届く。
「ぱんつぁーはーらーみーはーなんだーよー」
「アブラドロドロカタテブラブラなんだよ」
「なんじに祝福とワインのおめぐみをーなんだよ」
どうやら祈りを捧げているらしい。
だが効果がないようだ。Cエナジーの貯蔵ペースは、少なくとも体感では変化がない。
「ナオ、シールはどんな祈りを捧げてたんだい?」
ココが問うけど、僕もわからない。彼女は祈りを言語化してなかったし、何に祈ってたのかも聞いていなかった。
神や精霊という概念があるのか、それとも巨人族ザウエルか、あるいはベーシックそのものに祈っていたのか。
前の機体ならシールの映像ログが残っているはずだが、それを見ても参考になるかどうか。
「そもそも祈りがCエナジーになる理屈も分からないからなあ……」
いくつか実験も行った。僕自身が真剣に祈ってみたり、ドワーフたちにコックピットに入ってもらったり、みんなで歌ってみたり……これは僕は反対したんだけど、ドワーフたちが歌いたいって言うから……。
「やはり、巫女の方でないと駄目なのでしょうか」
村の中から一人の娘が選ばれ、目を潰されて巫女となる。竜皇の絶対的な権力を知らしめるためのシステムと思われるが、そのシステムは他の村にもあるのだという。
「もうすぐ村の近くを通ります。食料と水を調達するつもりですが、巫女をお呼びしましょうか」
「……いや、やめておこう」
シャッポの提案を、僕はなるべく淡白な調子で断る。
僕らの存在を竜皇軍に知られたくない。巫女には内密にと頼むとしても、もし盲目の少女を見てしまえば生体ゲルで治さずにはいられないだろう。潰したはずの目が戻ったなら、それが噂になるのは必然だ。
「ベーシック……この機体にある生体ゲルの残量は?」
表示される。およそ50単位。眼球を丸ごと再生するとなると5人が限度か。
巫女の存在はいずれ何とかしたいけれど、今はどうにもできない。
もう少し言うなら、巫女が特別な存在であるとあまり思いたくない。
盲目にされた人間が特別な力を持つとなれば、竜皇の行いを部分的に肯定してしまう気がするから。
シールが……今のところシールだけがCエナジーを充填する力を持つ。
それは才能なのか、技術なのか、それとも……。
※
霧の砂漠を抜けて5日目。風景はサバンナのそれになりつつある。
逆三角形に枝葉を広げた樹がまばらに立ち、赤土の大地が開けている。草や花はそれなりに生い茂り、動物や鳥も見かける。
そして渓谷にさしかかる。それは何という深さだろうか。百メートル以上ある断崖絶壁に吊り橋が渡され、崖には巨大な年月を感じさせる地層が。
「デル・レイオの大渓谷は谷の迷路。無数の川が網の目のように存在するのです」
確かに網の目のような構造だ。いくつもの崖を越えて進む。ベーシックは吊り橋を渡るのは不安なので、短時間のスラスター噴射で越えていく。
本拠地であるという場所が見えた。二つの断崖絶壁に挟まれた浮島のような土地だ。
「シャッポ、あそこへはどうやって行くの? ベーシックなら飛んでいけるけど……」
「いま橋をかけます」
橋をかける?
ぴい、とシャッポの指笛。
すると谷の向こうで音がする。何らかの回転機構の動く音。
谷の向こうから橋がやってくる。谷に沿って横向きになってた橋が回転しているのだ。赤錆の浮いた鉄であり、コの字型に折りたたまれた鋼材がいくつか並んでいる。
やがて谷を渡る形になると、こちら側でもドワーフたちが動き、橋を固定した。
「すごい……金属製の橋だ、あっという間に」
確かにココの持っている斧は鉄製だし、金属製品はなくもなかったけど、まさかこんなに大規模な鋳造技術があったとは。
「おや、金属の橋に変わっていますね」
「え?」
「以前に来た時は木製の橋でした。まあそれだとベーシックが歩くには不安ですし、丁度よかったですね」
「……」
向こうからもドワーフたちが駆けてきて、こちら側のドワーフたちと挨拶を交わす。
「鉄の橋できたんだよ」
「耐荷重20トンなんだよ」
「ご注文どおりなんだよ」
そして手を取ってぐるぐると回る。あ、どっちが連れてきたドワーフか分からなくなった。
「参りましょう」
僕たちが渡ると橋はまた戻され、赤土色の覆いを被せてカモフラージュされる。
ドワーフたち……。真の集合知を持つと聞いてたけど、その技術力のほどはまだよく分からない。彼らの国は地下にあるらしいけど、そこにはどんな社会が……。
到着。やはり崖に囲まれた浮島、全体としてひし形をしている。広さは3平方キロ程度か。
しかし何もない。赤土と灌木があるだけ……。
いや。
何かある。島に踏み込むまでは見えなかった。
現れるのは白亜の館。
三階建ての邸宅。それを囲むように箱型の建物が並び、物見やぐらもあれば果樹が植えてあったり、囲いを作って山羊が飼われていたりもする。ため池もあり畑もある。この浮島に街が作られている。
「これって」
「眩光竜の力です。この周辺の景色をねじまげて無味乾燥な風景を見せる竜です、あれですね」
それはリンゴの樹に巻き付いていた。青を基調にして緑や黄を散らした色彩を持つ蛇だ。大きさは両肩にかつげるぐらい。あんな竜もいるのか。
「シャッポよ、来たか」
と、現れるのは高齢の草兎族。長い耳が目に垂れ下がっている。
耳長だ。そういえば姿が見えなかった。先に来ていたのか。
「耳長さま、例のものは」
「うむ、集まってきておる、そこの乗り手どのに見てもらおう」
……。
「ナオ様、こちらへ」
僕はベーシックを降りる。
シャッポたちの案内で大型の建物に向かった。それは高さ12メートルあまり。巻き上げ式のシャッターがある立派な建物だ。
いや、もはや用途は明らかだ、これは格納庫だろう。
その中には……。




