第二十五話
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僕は2日ほど寝込んだらしい。
額の怪我といくつかの打撲、内臓を含めて全身へのダメージ、しかし主な原因は虚脱感だ。
意識はあるが手足に力が入らず、泥に埋もれるかのように動作に時間がかかる。食事すらドワーフたちの手を借りる有様だった。
三日目にようやく立てるようになり、五日目にはもう元通りになっていたが、念のためさらに一日休み、七日目にシャッポが訪ねてきた。夜に宴会を開くという。
「宴会?」
「はい、このキャンプは少数の人員を残して引き上げます。解散の宴でございます」
シャッポはこの数日。ずっと忙しいようだった。ベーシックのCエナジーがゼロになっていたため、ドワーフたちを指揮して輸送用の車を作ったり、草兎族だけで集まって会議を重ねたり、手紙を何十通も書いたりしている。
「ナオ様のおかげでベーシックという戦力を得ることができました。まことに感謝しております」
「偶然なんだ……ベーシックを直せるまじないが有るなんて知らなかった」
「それでも感謝いたします」
シャッポはテントの一つを見る。ベーシックの破片が集められたテントだ。そこには毎日20人あまりのドワーフが詰めかけ、部品を解体してはわいわいと騒いでいる。
「破片の方もいつか新しいベーシックとなるでしょうか?」
「いや……厳しいかも知れない。治癒のまじないはCエナジー、つまりベーシックが動くための力を消費するんだけど、それでも足りないとパイロットの気力だか体力だかを吸われる。半壊状態のベーシックを治すにはエナジーのほぼ100%と、それに加えて死線をさ迷う消耗が必要だった」
なるほど、とシャッポは何度もうなずく。
「では破片はドワーフたちの学習用に使わせていただきます。きっといつか、新たなベーシックをゼロから作るでしょう」
「……」
仕組みが分かったからって作れるわけじゃない。材料工学、物理学、電磁気学、薬学、数学、その他あらゆる文化が完全に成熟しきってなければ……。
だが、それを指摘して何になる。
シャッポたちレジスタンスは最大限の努力をして、そしてベーシックを手に入れた。その結果がすべてだ。彼らには未来を切り開く力があるのだ。少なくとも僕以上には。
「ナオ様、私と一緒に本部へ参りましょう」
「本部? レジスタンスの?」
「ええ」
シャッポは地図を出す。それは陶器の板に美しく彩色してある地図だ。
中央には獣の目のような同心円。これが竜都ヴルムノーブルだろうか。シャッポのウサギの指が地図の端へ動く。
「デル・レイオの大渓谷。竜は入ってこられず、軍勢の押し寄せることも不可能な谷にレジスタンスの基地を作っております。我々、草兎族と鎚妖精、他いくつかの種族が力を合わせたものです」
「シャッポ、今さらだけど君もレジスタンスなの? 竜皇は強大な相手だ、戦う覚悟はある?」
「我々は、いつも風とともにあります」
にやりと、彼女は自信ありげに笑ってみせる。それは僕を心配させまいとする笑み、そのように思えた。
「竜皇はあらゆるものを竜都に集めようとしている。このままでは風が絶えてしまう。見過ごせません」
「……竜皇は、何を考えているんだろう。社会が立ち行かなくなるほどの徴兵をして、竜都で何をやっているのか……」
「それを知るために、戦うのです」
その赤い目がらんらんと光る。情熱と若さと、そして好奇の光に満ちた目が……。
※
宴会は夕暮れ時から始まった。三箇所で盛大な篝火が焚かれ、複数の種族が入り混じって酒と料理を楽しむ。
この時は他にも色々な種族がいた。蛇のような頭を持つ種族。大柄で毛むくじゃらな種族。人間もいる。
彼らはこの近くで交易の旅をしていた商人である。酒と料理を振る舞うという意味の狼煙を焚くと、どこからともなく集まってきた。
「すると、このあたりにもう悪食竜は出ないのかね?」
「ああ、この3日あたしらで探したが、痕跡もなかった。最後の一匹が死んだんだ」
ココはそんな活動をしていたらしい。これでキルレ山脈の南側を回り込む交易路や、中央から南方へと下る交易路が使えるようになるとか。
「50年前は使われていたルートらしいな。アルザンやミツホッカに手早く行けるようになるのか」
「竜がいないなら武装や護衛を減らせます。素晴らしいですね。さっそく荷を手配しましょう」
「西方辺境への移民はまだ受け入れてるのかね。ゴートシルムの村は維持が難しくなってるらしい。できれば移り住みたいとか……」
ざっと見回すと、人間以外の種族には男もいるが、やはり人間の男がいない。話題はヒト族、つまり人間のことが多い。
何となく居づらかったので移動、ココとドワーフたちの集まりに加わる。
「ナオ、体は大丈夫なのかい?」
「ああ、もう平気だ」
ドワーフたちはみな陶製のカップで酒を飲んでいる。見た目が幼い種族だけど、酒宴となれば浴びるように飲む。
「ナオも飲むんだよ」
「酔ってこその人生なんだよ」
「いろんなお酒があるからワインワインワインの順番で飲むんだよ」
ワインが人気らしい。大ダルがひとつカラになっていた。
「ワイン好きなんだね」
「最高なんだよ、赤がおいしいんだよ」
「白もいいんだよ」
「ワインと手ぬぐいあったら生きていけるんだよ」
「手ぬぐいの万能感がすごい」
酒宴は続く。
歌ったり踊ったり、どこかで誰かが楽器を奏でて、笑ったり喧嘩したりして長く長く続く。
「そうか、カナキバがそんな技を」
僕もだいぶ酒杯を重ねていたが、ココはまるで酔う気配がない。
僕は少しおしゃべりになってた気がする。酔いも回り、ベア少尉の手帳のこと、カナキバのことを話した。何度も同じ話を繰り返した気もする。
「悲しいんだ」
膝を抱え、炎のゆらめきを見据えて言う。
金属製のグラスはひやりと冷たい。それをぎゅっと握る。
「ベアという男は、少し夢見がちだった。いつも故郷の話をしていた。話すたびにいつも違う内容で、みんなあまり相手にしてなかった」
ココは黙って聞いている。その沈黙に甘えるように言葉を重ねる。
「虚しいじゃないか……この星に来てまで彼は妄想の中に生きていた。そのために命を落としてしまった。優秀な兵士だったのに……」
「妄想とも限らないさ」
ココがぐいと酒を煽る。ハーブの混ざった強い酒香。僕は顔を上げる。
「だって、カナキバが優しいやつだなんて……」
「本当にそうだったかも知れねえだろ。カナキバはあんたにもじゃれてただけ。爆薬を牙にして見せたのは、その特技を見せびらかしただけ」
僕はきょとんとした顔になったと思う。酔いが頭の中で片方に寄せられて、隙間ができるような感覚。
「そんな馬鹿な……だって、この近くにあったはずの人の村が」
「移住しただけかもしれない」
「他の悪食竜がいない、きっと、カナキバが同族すら食い尽くして……」
「流行り病かなんかかもしれない」
僕はあきれ顔になる。やけ酒のようにビールを煽る。度数がけっこう高くて、豊かな麦の風味がある。
「そ……そんなこと言い出したら何でもありじゃないか」
「そうさ。結局のところ真実なんて分からない。何が正しいのか、どっちが正しいのか、いつも曖昧で答えがない。だから戦士は覚悟を持つのさ」
「……」
「カナキバをぶっ殺すか、それとも受け入れて一緒に生きようとするか、覚悟を持って決める。ベアって男は覚悟が決まってたと思うよ。最後まで自分の信念を貫いたんだ」
風が吹く。
篝火を揺らす風。夜霧は三つの篝火を避けて通り、僕の肌にわずかに冷たい気配を届ける。
世界はいつも不確定。
そんな中で、抱いた信念に責任を持つ。己の世界観に最後まで殉じる。それがココの考え方なのか。
「世はいつも曖昧模糊としております」
いつの間にかシャッポも来ていた。彼女は肉を食べないので、軽く茹でた根菜を控えめにかじっている。
「ベアという方には彼なりの真実があった。それは幸福なことです。信じられる何かを持つというのは」
「……シャッポ、君ならどうする? 何が正しいのか分からなくなった時は、何に従う?」
「お金です。どちらが儲かるかです」
がく、と僕は上半身だけでこける。
「お金って……それじゃあ、金のためなら何でもやるやつみたいじゃないか」
「そうでしょうか? 詐欺に裏切り、不誠実な取り引き、その場限りのウソで得る儲け、そんなものは高が知れてます。遥かに遠くへ吹く商売の風を読み解けば、いわゆる善の振る舞いのほうが儲かることもあるでしょう。信用は何よりの宝とも言います」
「……」
「人の交わりとは風の交わり、そこに悪意があるのか、善意があるのか分からないことも多いのです。ですがお金だけは残る。物質として存在するものに従う、それが草兎族の道徳です」
「……」
シャッポ、彼女もまた不思議な人だ。
時代の風、商売の風という曖昧な表現を好むかと思えば、商売人として堅実な側面もある。いつも遠くを見据えているけど、目先の商売も大事にする。
竜皇は世界を絞り尽くそうとしているけど、ウサギたちはそれを望まない。
なるほど、少しだけ分かった。
あるいは僕だけの半端な理解かも知れない。でも今日よりはきっと、明日のほうが彼女たちに近づける。少しずつでも……。
「君たちに会えてよかった」
僕のつぶやきに、二人が少し硬直する。
「ナオ……急に変なこと言うんじゃないよ」
「はは、お恥ずかしい、そう言っていただけると光栄です」
天より堕ち、すべてを失ったかに思えた。
だけど新しいものにも出会えた。異なる種族、異なる考え方、何よりも貴重で得がたいものに思える。
だから、これからも進もう。
ベアという兵士の機体を、誰よりも優しかった彼の心を、僕の経験として受け継ぎ、前に進むのだ。
心地良い酔いが僕を満たしていた。僕は金属製のグラスを月にかざす。
かちん、と誰かがグラスを合わせてくれた、そんな気がした。




