第二十四話
やがて夜が来て、地の底から湧き出すように霧が吹き出す。
「ドワーフたちは補強した中央テントに。あたしらは指定の場所で構えるよ」
大型のテントが15あまり、中央に人が集まり、クロスボウの銃座が放射状に配置される。
ベーシックは発掘村全体を守るようにゆっくりと歩き続ける。この歩行はオートで設定しておいて、僕は赤外線、超音波その他で敵を探る。
「……来るかな。いや、必ず来るはず」
そんな予感がする。あいつは15年ぶりに起動したベーシックに反応したから。
僕はまた手帳に目を落とす。
カナキバについての記述から、なにか情報が読み取れないかと探す。
何もない。記述だけならまるで小型犬のようだ。ベアという兵士はどのような心境だったのだろう。浸潤プレートを噛み砕かれ、コックピットにまで迫るかも知れなかった牙。
その破砕音を、カナキバの声を聞いて正気でいられるのか。
そういえばベア少尉のベーシックに武装がなかった。素手で十分だと考えたのか? 再生のまじないもあるからと……。
「……そうか、分かった。なぜ映像ログが15年前からしか無かったのか」
それは、回復のまじない。
あれを自然治癒ではなく、再帰や回帰であると考える。
破壊された部分がまるで時間を戻すように再生。
では複層有機素子に刻まれたデータはどうか? あれもまたナノサイズの傷であると言えなくもない。それすらも回帰させるなら、つまり見かけ上はデータが消えている、いや、最初から何も記録されていない状態になったわけだ。
「……では、映像ログの始まりは」
それはあの瞬間、回復のまじないが最後に使われた瞬間ではないのか?
そうだとすると、なぜパイロットの音声が記録されていない? それを収めなければログの意味がない。
「まじないを使うと同時に、死んだ……」
なぜ死んだ?
おそらく、体力を消耗したからか。
シールもまじないによって体力を消耗したように見えた。もう乗り手は僕しかいないんだ。まじないの行使の際は気をつけないと……。
警報音。
赤外線がその姿を捉える。同時に打たれる電波のアクティブソナー。闇にまぎれて接近するカナキバが見える。
「……悪く思うな。こっちには科学の目がある」
真っすぐベーシックに向かっている。テントには目もくれない。
テントのほうが容易に狙えるはずなのに……やはり食事を目的としてない? ベーシックと戯れたいだけ?
いや、考えるな。
歩きを止めるな。今は一撃を加えることだけ考えろ。
昼日中であろうと見通せぬ濃霧の中、視覚化された竜の気配が迫る。
向こうは一撃で頭部を食いちぎろうとたくらむか、小型の猿のように四肢を立てた走り。音もなく高速で、迷いなくこちらに迫る。
棍棒を握る。引きずりながらもその重心を把握する。レバーを握る手に汗が。
やつの気配と、こちらの殺気が。触れ合う刹那。
「今!」
それは予備動作のない一撃。ベーシックが回転し、数百キロの加速を得たトボの樹が竜の顎を吹っ飛ばす。
「――――!!!!」
とても聞くに耐えぬ叫び、やはりカナキバだ。
僕はその巨体に追いすがり、異様に大きな、ぱっくりと二つに割れている頭部に一撃。
体液が散る、濁った叫びが満ちる。全身におぞけが走る。
「出たぞ! カナキバだ!」
「全員持ち場を動くな! 陣地を守れ!」
「ウサギはテントを守ることに専念しな! あたしが見てくる!」
ココとウサギたちの声が聞こえる。だが彼女らを巻き込みたくない。この巨体が暴れたらどんな被害が出るか分からない。
何度も打ち据える。だが叫びは上がるものの、決定的なダメージとならない。なんという頑丈さ。その顎は岩の塊のようで、手足や胴部はゴムのようだ。
だが効いてるはずだ。落差15メートルで打ち付けられる棍棒。これに何度も耐えられるわけがない。
モニターが暗転。
「!?」
そして巨大な気配が足元から逃げる。やつの体液がカメラに飛んだのか。だがカメラは複数ある。すぐ切り替えれば問題ない。
「くそっ……まだやるつもりか」
体を小さくして、威嚇とも怯えともつかない唸りを上げるカナキバ。血液が流れ出ているのが分かる。
「やめてくれ……もう限界のはずだ。いくらお前が竜でも、規格外の怪物でも」
――霧の砂漠をうろつく、大きな顎の竜。
――どうか、あれを殺さないでほしい。
「う……」
レバーを持つ手が震える。
モニターの中で、カナキバの口から何かがこぼれ落ちる。
形状からして牙だ。三日月型をした牙が次から次へと抜けている。顎の骨が砕けでもしたのか。
「ナオ!」
ココの声。濃霧の向こうから胴間声が飛ぶ。
「やつは弱ってる! 仕留めるなら今だよ!」
仕留める。
あいつを……。
「も、もう十分じゃないか」
それはあまりに。残酷な。
「こいつだってさんざん懲りたはずだ。牙も抜けてる。全身に致命傷を負ってるはずだ。もう何も出来やしない」
言葉が溢れてくる。追体験したベア少尉の記憶、それが色濃く想起される。
「ナオ! 違う! あたしたちはカナキバを殺すと決めた。戦いの契約は結ばれたんだ! 最後まで礼を尽くせ!」
「礼……だって?」
「一度は殺意を込めて殴ったはずだ! 殺すと決めていたはず! 弱った相手を哀れんで手を鈍らせるな! その判断は必ず間違っている、いや、間違っていたら取り返しがつかない!」
それは、それはそうかも知れない。もしここで逃がせば、取り返しのつかない結果となるかも。
だけど、やつは牙が抜けている、全身だってぼろぼろのはず。
それに、あいつは真っすぐベーシックに来た。テントを襲わなかった。だから……。
……。
「……待てよ」
――最初は何度も牙が砕けた。浸潤プレートは硬いからね。
――だけどその度に牙がだんだん硬く大きくなるようだった。彼もその成長を喜んでいた。
そうだ、やつの牙は硫化鉄に見えたが、それはおかしい。そもそも鉄の硬度は4から5。浸潤プレートを砕けるわけがない。
石英など硬い物質を含むのか? それとも……。
カナキバが落としたものを望遠で観察すれば、エナメル質か象牙質か、ともかく白っぽい牙が。
「違う! これは浸潤プレート!」
鍛造レベル6以上の超硬物質。星皇軍でも製造できるプラントは5つもないはず。
それを牙にしているのか。代謝で取り込んだとでも言うのか。
ごり、という異様な音がする。固いもの同士が擦り合わされるような音。
見れば、カナキバが体を震わせている。その顎は大きく開かれ、顎の両側から牙が突き出してきている。肉をえぐり、骨を削りながら無理やり生えてくるような。
「何だ……? ワニのように無限に歯が生え変わるのか? だからって、この速さ」
それに、なぜ生え変わる必要がある?
こいつは浸潤プレートの牙を捨てた。
では何に生え変わる?
カナキバが動く。ゴムのような手足で、爬虫類ともサルともつかぬ動きで迫る。
「ぐっ……また殴られたいのか」
棍棒を上段に構える。カナキバの顎が左右に開く。受け止める気か。だが生え揃った牙が、また根こそぎ抜けるだけ。
その牙。
極小の時間の中、牙に視界がフォーカスされる。
三日月型ではない。直っすぐな紡錘形。
表面に刻まれた型式番号。
タングステンの先端を持ち、内部には高速度火薬が――!
爆発。
「ぐううっ!」
かろうじてこらえる。互いに吹き飛んだ形か。
見れば、棍棒が失われている。握りの部分だけを残して消滅しているのだ。
「に……25ミリ成形炸薬弾」
ベーシックの兵装、25ミリチェーンガンの弾頭。ありえない。それを牙として持つだと。
「ココ!」
思考より先に声が飛んだ。
「テントへ逃げろ! 絶対に出てくるな!」
背後に気配。
「!」
大口が迫る。すんでで身をかわす刹那に爆発。赤光が顔を焼くかに思える。
大きく後方へ。カナキバはいったいどういう顎をしているのか。爆発にのけぞるものの、もはや声もあげない。
そうか。
今、わかった。
なぜこいつは栄養にもならないベーシックを狙っていたのか。ベア少尉が対抗しないのをいいことに、ベーシックに食らいつき続けたのか。
なぜ、ベア少尉のベーシックには武装が残っていなかったのか。
こいつの体内には、食べたものが格納される。
それを牙として生やすことができるのか。
だ、だが、無人機の多重装甲すら撃ち抜く25ミリ弾頭だぞ。それを口腔内で爆発させるとは。
カナキバが迫る。僕は大きく後退。だが奴の体が伸びるような錯覚。一気に距離が詰まる。
「くそっ!」
膝からの閃光。薬圧サスペンションによって大きく跳ぶ。
脅威だ。
もはやカナキバの噛みつきは必殺の威力を宿した。そしてベーシックではあいつの挙動をさばききれない。薬圧サスペンションでの回避は連続ではできない。
「くっ……」
そうだ、何もかもおかしかった。
ここからヒトの住む村へは二昼夜の距離だという。
カナキバの討伐を依頼した村がそんなに遠いとは思えない。近くにも村があったのだ。
では、その村はどうなった?
こいつは生木を食べ尽くしたあと泣くという。
己の衝動を抑えきれなかったことを悲しんで?
何というふざけた解釈だ。合理性のかけらもない。こいつは食うものが無くなったことを悲しんだだけだ。
そしてなぜ、この砂漠で他の悪食竜を見ない? なぜ、こいつ一人だけなんだ。
こいつはまさに悪食の王。すべてを食らい、すべてを糧とし、この砂漠の頂点に君臨する魔王か。
僕のせいだ。
最初に棍棒で殺し切ってしまうべきだった。あれが最大のチャンスだったのに。
「――――!!!!」
カナキバの咆哮、この世全ての殺意と狂気を束ねたような。
「……悪かったよ。一度はお前を哀れんでしまった。か弱い存在と見下した。それはお前に対する侮辱だよな……」
こいつは悪しき竜かも知れない。
だが、それがどうした。
食うことは生物として当たり前のこと。身につけた狡猾さも、成形炸薬弾の牙という脅威の能力も、責められる謂れはない。
この場所には恨みも憐れみもない。ただ闘争があるだけ。
僕とお前との生存競争があるだけだ。
だから、僕も覚悟を決めよう。
右腕を前に突き出す。そして地面にかがみ込むような構え。
カナキバに迷いはなかった。猛然と突進してきて、ベーシックの腕に食らいつく。爆発と閃光。エマージェントが鳴り響く。右腕が半ばから消滅したか。
だが。
僕はすかさず突進。カナキバの体の下に潜り込む。左腕でやつの体を抱え――。
「薬圧サスペンション跳躍……最大だ!!」
全身を貫く衝撃。コンマ数秒の意識の消失。
カナキバを抱えたベーシックが数百メートルの高さに飛び上がる。カナキバがめちゃくちゃに暴れ、抱えている左腕から逃れんとする。
そして僕は、イオンスラスターのすべてを全開に。
「いくらお前が狡猾でも、空中での姿勢制御は不慣れだろう?」
このまま投げ落とすか? ぬるい!
反転。イオンスラスターを最大戦速。やつの体を抱えたまま地面へと向かう。自由落下での終端速度をあっさりと超え、拳銃弾の速度すら超えて、エマージェントの警告音を上回るカナキバの咆哮が。
「落下時の速度はおよそ時速1400キロ。下は岩のように固い地面だ。耐えられるものなら耐えてみろ!!」
それは隕石落下のような衝撃。
インパクトの瞬間、大量の土砂が液体のようにふるまう。地面が大規模にえぐり返され、外へ向かう空気が圧縮されて高熱を帯び、爆発様の眺めとなる。
そして、ざらざらとベーシックに降り注ぐ、砂粒の雨。
「ぐ……う……」
慣性レジストを限界まで高めても抑えきれなかった。額からの流血がコンソールに落ちる。
「も、モニターを、表示……」
かろうじてその機構は生きていた。モニターが激しいブロックノイズとともに明滅する。
ベーシックの下ではカナキバが……カナキバだったものが、液体のように広範囲に拡散している。
「花咲き乱れ罪過を癒やす……」
かろうじてそうつぶやき、ベーシックが青白い光に包まれ。
そして僕の意識は、地の底へと。




