第二十三話
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太陽は西に降り沈みかける頃。土が蓄えた熱が大気に放散され、世界が夜の訪れに身震いするような時間。
乾燥した灰色の大地では鎚妖精たちが寝そべっている。
「ぬくぬくなんだよ」
「今日はお風呂いらない感じなんだよ」
「もう全身こざっぱりなんだよ」
旅の間ずっと入ってないはずだけど……。
だらけてるのは半数ほどで、残りは忙しく動き回っている。木材を組んで立体の障害物を作ったり、テントを板で補強したり。
ウサギたちはクロスボウをあちこちに固定したり、弓の調整をしている。足踏みの機構によって矢をつがえる強力なクロスボウだ。先端に塗る毒も新しく作り直していた。
僕はといえばベーシックを降りずに待機している。
Cエナジー残量は99%だ。自然充填がわずかといっても、少なくとも15年は泥に埋まっていたのだ。フルチャージされてて当然か。
「ナオ様、我々は順番に食事を摂ります、ナオ様も食堂テントへどうぞ」
シャッポがそう言うが、僕は外部スピーカー越しに答える。
「持ってきてくれ、ここで食べるから」
「ナオ様、カナキバのことなら十分に備えております。ナオ様だけに負担をかけるわけには」
「いいんだ……持ってきてくれ」
シャッポは複雑な顔をしたものの、言う通りに食事を持ってきてくれる。すりつぶした芋を成形して香辛料を塗って焼いたもの。フルーツ系のソースに漬け込んだ魚。保存食なので塩味が濃いが、風味が豊かで美味しい。
ふと足元を見ると、何人かのドワーフとシャッポが食事をしている。
「どうしたの?」
「ナオ様お一人では寂しいかと思いまして、ご一緒したく思います」
「今日のは美味しいんだよ」
「シェフが変わったんだよ」
「伝説の流れの料理人を雇ったんだよ」
ドワーフたちは適当なことを言っている。
ちなみに言うなら草兎族は完全な菜食主義であり、肉も魚も食べない。というより食材に火を通すこともあまり好まないらしく、水洗いした野菜だとか、何かの花の茎だとかをぽりぽりと食べている。
キャンブの中央では火が燃えていた。ココが竜の肉を焼いているのだ。オーガたちは肉を好み、焦げる寸前までよく焼いたものを好んだ。完全な生か黒焦げか、どちらかしか受け付けないらしい。
異なる種族は食べるものも違う……考えてみれば当たり前だが、僕にとっては興味深く、驚くべき事だった。
「……」
さて……やはり相談しておくべきか。そしてシャッポたちの意見を求めたい。
「シャッポ、実はこの機体の乗り手が残した手帳があったんだ」
「そうなのですか? 何か重要な情報でもありましたか」
「ああ、重要というか……日記に近いものなんだが……」
僕はシャッポの方向を意識しながら語る。
ベア=フォーセズというパイロットはこの砂漠に降り立ち、遭難時の義務として極力動かずにいた。わずかに生息する小動物を狩り、造水ユニットで細々と水を得ていた。
おそらく何年もそんな生活を……。
「この砂漠にはかつて村があり、ベアはその村とわずかに交流を持っていた。村の人々は信心深く、ベーシックを伝説の巨人だと考えて崇め、あまり接触することはなかった」
「かつては石工の村がいくつかあり、石材が竜都まで運ばれていたそうですな」
「そんなある日のことだ……」
村人はベア少尉に助けを求めた。このあたりに凶悪な竜が棲んでいる。枯れ木を食らい岩を食らい、この世のすべてを噛み砕かんとする悪しき竜だと。
言うまでもなくカナキバのことだ。村人とベア少尉の間にどんな交流があったのか知らないが、彼は村を守るために竜を討とうとした。
「ナオ様にも似たようなことがあったと聞いております」
「本当は違法なんだけど、なりゆきでね……。それはともかく、ベアは砂漠をベーシックで歩き回り、巨大な顎を持つ竜。カナキバと思われる個体を見つけた」
……だが、そこからの記述は。
――あれは心優しい竜なんだ。
――できれば誰も殺したくないと思っている。だからギリギリまで食べるのを我慢している。
――だけどある瞬間。我を忘れて生木を食い尽くしてしまう。
――食べ漁った残骸を見て彼は泣くんだ。己の不甲斐なさを、失われた命を想って泣くんだよ。
「……カナキバが、ですか?」
シャッポの疑問はもっともだ。僕は答えるかわりに記述の続きを読む。
――僕は、彼を救いたいと思った。
――その呪われた生態から解放してあげたいと思った。
――ベーシックで彼を組み伏せ、そのまま彼が餓死するまで押さえつけようとしたんだ。
緩慢な殺意だ。組み伏せたならそこからどうにでもなっただろうに。
それはベアという兵士の慈愛だろうか。それとも直接的に命を奪えない弱さだろうか。
――そこで、僕は大変な発見をした。
――偉大な存在だよ、彼らは。
――何も食べなくても、生きていけるんだ。
「何も食べなくても……?」
シャッポと、周りのドワーフたちが首を傾げる。
「シャッポ、確認したいんだが、竜は生きるために食事を必要とするよね?」
「ええ……そのはずですが」
「当たり前すぎるんだよ」
「一日五食は欠かせないんだよ」
「朝ごはん昼ごはん夜食夜食夜食なんだよ」
君は早めに寝るべきだと思う。
シャッポはといえば、深い思考に沈むかに見えた。記憶を漁っているような仕草だ。
「……家畜化された竜などが、何らかの事情で餌を与えられずに放置された事例があります。私の知っている話では、47日間、厩舎に閉じ込められていた甲竜の話です。牧場主が持病により急逝してしまったのです」
「放置された竜はどうなったの?」
「発見された時、竜は仮死状態であったと伝わってます。発見者はともかく水を与えました。竜は鈍重に動き、半日かけてタライに一杯の水を飲み、三日目からは普通に餌を食べるようになったと」
「すごいんだよ」
「不死身なんだよ」
「水で戻して食べるパンみたいなんだよ」
……。
それは……昆虫の世界で言う乾眠に似ている。
砂漠に住む虫などは、干ばつの時などに自らをミイラのような状態に置く。極端に代謝機能を落とし、仮死状態になって雨が降るまで待つのだ。
しかしベアの手帳によれば、カナキバは暴れ続けて疲労と回復を繰り返したという。何か少し違うような……。
「……竜の生態については気になるけど、いま重要なのはその先だ」
――僕は彼の本質に気づいた。
――彼は何も食べなくても生きていける。何よりも優しい生き物なのだと。
――木や石に齧りつくのはじゃれてるだけなんだ。彼なりの愛情表現なんだよ。
――彼はあまりに大きく育ちすぎて、そのような愛情だけで周りを破壊してしまう。不幸なことだ。
――救ってあげなくては。そう思った。
「すごいこと言ってるんだよ……」
「ちょっとついていけないんだよ……」
「動物大好きおじさんみたいなんだよ……」
そのおじさんは知らないけど、ドワーフたちの感想はもっともだ。
――僕は彼に言った。
――じゃれつくなら僕だけにしてくれとね。
――彼はその言葉を守った。ベーシックの腕に、脚に、肩に、頭に牙を立てて愛情を示した。
――最初は何度も牙が砕けた。浸潤プレートは硬いからね。
――だけどその度に牙がだんだん硬く大きくなるようだった。彼もその成長を喜んでいた。
――僕と彼の充実した時間だった。
――そして、ベーシックが破損しても心配はなかった。
――村のお年寄りから、まじないの言葉を教わっていたんだ。
ここだ。
ベア少尉が村から教えられた、そのまじないの言葉とは。
「フィベルニア・フレイジア……」
光が。
ベーシックを包む淡い燐光。青白い炎に包まれるような眺め。
「おお、これは……」
シャッポが見上げる前で、浸潤プレートに生まれたひび割れが塞がる。
欠けていた部分が再生し、露出していたコードがしゅるりと内部に戻り、あろうことか導通が回復する。
「……信じられない」
フィベルニア・フレイジア。彼らの言葉との類似性で推測すると。「花が咲くように傷を許す」となるだろうか。
回復のまじない……。しかし、今の一言でCエナジーを15%も消費した。回復に時間もかかるし、戦闘の最中に使えるかは微妙だ。
「ようやく理屈が分かった。ベア少尉はこのまじないを使い、ずっとカナキバと……戯れていたのか」
日記はそこからずっと同じような記述。カナキバに壊されて、まじないで直し、何日も戯れ続けるという日々。
何度ページをめくっても同じような記述が続くので、眺めてると暗示にかけられるような不安定さを覚える。
「やがて……乗り手は死んでしまった。カナキバはベーシックを食い尽くそうとしていたが、偶然にもその頃に洪水が起きた。ベーシックは泥に埋まり、カナキバはそれを見つけられなかった……おそらくは、そんなところだ」
話し終えて、夜気に何ともいえぬ手持ち無沙汰な空気が流れる。
言うべき言葉がうまくまとまらず、言語化される前の心が虫となって漂うかのような。
「それは……その、ベアさんという方の、妄想……では」
シャッポもさすがに言いにくそうだった。眉尻を下げて困り顔を見せる。才気煥発な彼女には珍しい。
「あの怖い竜が優しいとかありえないんだよ」
「ナオも食われかけたんだよ」
「というかベアさんも食われてるんだよ」
「特殊な趣味なんだよ」
ドワーフたちも抗議するような声を上げる。
今の話、話している僕が現実から乖離していく感覚があった。ベアという人物の世界観に飲み込まれた気がする。
原因はこの手帳だ。これには魔法がかかっている。
筆跡に迷いがない。整然と几帳面に並んだ文字。ベアという人物は毛ほどの迷いもなく書いている。ベアにとってこの記述は確かに真実。それが読む人の心を動かすのか。
「……そうだね。すべて妄想に過ぎない。有用な情報としては回復のまじない。それと、カナキバは飢えにたいへん強い……というぐらいかな。それも怪しいものだけど」
……だけど。
カナキバはベーシックの腕をちぎり取っていた。あれが食べ物でないと分からないものだろうか。
そんなものを食べるということは、つまり栄養の接種を目的としていない。だから食事ではなくじゃれついて……。
違う。そんなわけがない。
――殺さないでほしい。
それは不可能ではない。例えば檻に幽閉するとか。手足を縛るとか。何も食べなくても生きられるなら、そのまま放置することも。
違う、そうじゃないんだ。カナキバは殺すのが最善なんだ。
しっかりしろ、竜を殺したことは始めてじゃないだろ。
頭がぐちゃぐちゃにかき混ぜられる。迷う余地なんかないんだ。カナキバはベーシックで始末する。カナキバが凶悪な竜であることに疑いはない。疑ってはいけない。
だが……。
「ナオ、中にいるかい」
はっと、顔を上げる。全方位モニターに映るのはナオと、背後に続く大勢のドワーフだ。
「武器を用意しといたよ。といってもトボの樹の角材に荒縄を巻いて握りを作って、打撃部分を金属で補強しただけだね」
ドワーフとウサギたちが20人がかりで持つ。見た目はただの棍棒だ。先端に金属板が貼ってあってメタリックな印象。
棍棒とはいえベーシックが武器を持つ、その威力は推して知るべしだろう。
「ありがとう、立派な武器だよ」
「ドワーフたちに言ってあげて」
「頑張ったんだよ」
「めちゃ頑丈なんだよ」
「親戚が逮捕された話ぐらい重いんだよ」
「すごいたとえ……」
まあともかく、武器は手に入った。
あのカナキバはそこまで驚異的な強さというわけでもないが、牙は脅威だ。攻撃を受ける前に一撃で仕留めなくては。
「……」
だが、心はざわめく。
ベアという人間の世界観が、残滓となって僕の中にある。
迷ってはいけない。
そう思うほどに、内臓がぐるぐると回るような……。




