第二十二話
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発掘現場に駆けつけてみれば、ベーシックが片膝をつき、胸部ハッチを上に上げる乗降姿勢になっている。
それは乗り込むと言うより降機のためだ。ベーシックの頭脳による判断。乗り込んでいた草兎族の若者が正しい操作を行っていないので、一般人と判断して降ろそうとしている。
「動いてる……そんなことが、とっくに関節も油圧周りも劣化しているはず」
すり鉢状の穴を降りていく。ウサギたちは書き物をしたり、何か早口で話し合いながら僕を迎える。
「ナオ様、起動しました。動かせますか」
「……見てみよう」
胸部から乗り込む。全方位モニターの描画には欠けもノイズもない。パスワードロックがかかっているが、個人用機体ではないので小隊の汎用コードを受け付けた。
「自己メンテナンス、制御系のシステムログを表示、バッファを処理して最適化しろ」
命令はよどみなく実行される。
「……装甲に部分的なダメージ。腕がちぎれていたのは何なんだ? ダメージを受けた際の視覚ログを」
再生してみると灰色の砂漠だった。何もない茫漠たる大地。高速再生すると太陽が西の果てに落ち、巨大な……。
「こいつは……」
それは、例えるならショベルカーのピックアップ部分を頭に持つ竜。両手をカギ型にして組み合わせたような。頭部と思われる部分に顎しかない怪物。
なんというアンバランスな造形。おそらくワニのように顎部が突き出しているのだろうが。チューリップのように膨れているため、顎が頭部に見える錯覚を起こす。
それがベーシックに噛み付いている。何度も何度も。
皮膚は爬虫類のようだが、牙だけが金属光沢を放っている。スペクトルを分析すると本当に硫化鉄だ。食べた鉄分を代謝して牙に変えているのか。
全方位モニター越しに、僕は何度もそいつに食われる。いくら鉄の牙でもベーシックの浸潤プレートは容易に破壊できない。
だがそいつは諦めが悪い。ついには装甲の一部を破壊し、指を食いちぎり、片腕を関節からもぎ取ることに成功した。骨をかじる猛犬のように噛みしだく。そして餌をどこかに隠しに行くかのように立ち去る。
その次の日、異変が起こった。
豪雨だ。天の底が抜けたような大雨。
平地は川となり、やがて激流となり、ベーシックに泥を浴びせる。
その勢いの中でベーシックは横倒しになり、やがてその体のすべてを泥が覆った。
それから先は、永遠とも思える暗黒。ログだけが溜まり続ける。何日も、何年も……。
「……」
あれがカナキバ……竜の異常個体か。
食われかけたところで偶然、数年に一度クラスの洪水が起きて、ベーシックを泥の中に隠した……ということか。
体高は10メートルあまり、ベーシックより大きかった。あれが悪食の竜。この土地が砂漠から脱することの出来ない原因。岩をもえぐる異常個体……。
「……今の視覚ログの始まりが15年前。パイロットはもう死んでたみたいだな」
なぜ死んだのだろう。カナキバと交戦して頭でも打ったのか。
あるいは自然死だろうか。病気か老衰。それとも……。
「……おかしいな? 今の映像より以前の視覚ログがない。上書き消去されたのか?」
ベーシックは汎用性があるため、記憶野を広く取ってるはずだ。15年の映像記録ならせいぜい10ペタバイトぐらい。その程度でストレージが埋まるはずはないのに……。
ピッと小気味よい音。自己メンテナンスが終わったようだ。全周は機体情報とシステムログに埋め尽くされる。
「……ええと、妙だな。確かにあちこち壊れてるけど、機体評価はAマイナー。ひととおりの活動は可能……。これが80年前の機体?」
あのミイラ。ベア=フォーセズ少尉がメンテナンスをしていた?
ありえない。長期の単独行動を可能にするベーシックとはいえ、補充せねばならない緩衝ジェルや耐圧オイルはあるはず。CPUをはじめとして電子部品の劣化はどうしようもないし……。
「……あの手帳に何かあるかな」
ポケットから取り出し、読んでみる。几帳面そうな小さな字。それぞれの字が他の字とまったく触れることなく整然と並んでいる。
1ページ目よりも前に何かある。つまり黒革張りになってる表紙見返しにメモがあるのだ。
――この手帳を読んでいる誰かに、最初に伝えておきたい。
――霧の砂漠をうろつく、大きな顎の竜。
――どうか、あれを殺さないでほしい。
「……?」
あのカナキバのことだろうか。なぜそんなことを?
ふと顔を上げる。
何か騒がしい。ベーシックの装甲越しに大勢の悲鳴のようなものが。
全方位モニターを起動するその刹那。巨大な顎が。
「!!」
開かれた口腔。ショベルカーを連想する牙。
レバーを引く。とっさの反応で動いたのは右腕。中程から失われていても数トンの威力がある。怪物の顔面を殴り飛ばす。
そいつはトカゲのように細い胴体と手足しか無い。殴られたことでバランスを崩して倒れる。地面を不気味にのたうつ。
「こいつは! カナキバ!」
なぜ警報が鳴らなかった。これだけの大きさの生物なら反応があるはず。
パーソナルオプションをチェック。エマージェントが根こそぎオフになってる。ドック以外でこのように設定するのは軍規違反なのに。
「く、なぜこんな設定に……」
カナキバが体勢を立て直す。やはり体に対して頭が……そこを頭と仮定すればだが、異様に大きい。ものをかじることしか考えていない悪魔のようだ。
僕は警報設定をデフォルトにしつつ周囲を探る。
ウサギたちの姿は見えない。うまく隠れたか。まさか既にカナキバに食われたとは思いたくないが。
「――――!!!!」
カナキバの咆哮。とても生物の声とは思えない。デモ隊に用いる低周波音兵器のようだ。
「やる気か、こいつ……!」
なめるなよ、ベーシックの一部をどうにか噛み千切れる程度の牙だろうが。
こちらは銃器がないとはいえ、薬圧式のパンチはベーシックの基本戦術。甲竜の背甲すら砕く。
カナキバは口腔を開ける。それはまさに両手で作る影絵の口のよう。そいつのどこに目があるのか、脳はどこにあるのかが分からない。異様な頭部を振り上げて襲い来る。
「回避!」
薬圧サスペンションにより右へ跳ぶ。左足から火花が散って脚部が土を削る。飛距離が出ない。
ごうん、という重い音。カナキバが地面をえぐり取っている。石のように固い大地をがりごりと噛み砕く。
「武器はないか……何か」
ヒートナイフ、破壊工作用ショートレンジアックス、光学スコープでもいい、殴れる武器はないのか。
竜が迫る。
拳骨のような無骨な頭部を振り乱し四足で駆ける。
ベーシックは地面を蹴って左側面へ。
だが竜の旋回が早い。左前足を軸に、頭を振り回すような動き。頭部が鋼鉄球のような威力を宿して振られる。
かろうじてかわす。装甲と竜の鱗が触れ合って火花が散る。
後方に姿勢が流れた。左足の踏ん張りが効かない。そこに竜が覆いかぶさってくる。
振り上げた竜の頭部がぱっくりと開く。鋭く並んだ金属光沢の牙。右肩に食らいつく。
牙が埋まる。浸潤プレートをへし折りながら無理矢理に、肩から火花が上がってエマージェントが鳴り響く。
「こ……このっ!」
竜の胴体、顎の大きさに比べて蛇のように細い胴に足底を当てる。
次の瞬間、爆発が。
膝が拳銃弾のごとき勢いで伸びたのだ。竜の体が数十メートル吹き飛び、反吐を吐いてのたうつ。
白兵戦で組み付かれた場合の戦術、敵機体に足を押し付けての薬圧サスペンション。訓練で一度やったきりだが、まさか実戦で使うことになるとは。
「射掛けろ!」
どこからか飛ぶ掛け声。ひゅん、と空気を斬り裂く音。
山なりに飛来する矢が竜を狙う。ウサギたちが用意していたクロスボウか。
「――――!!!!」
竜はのたうちながら咆哮を上げる。それは悲壮ではなく憤怒に満ちていた。頭を振り乱しながら起き上がり、口腔に刺さっていた矢をべきリと噛み砕き、そして走り去る。
逃げていく竜にさらに矢が追いすがる。何本かは命中したが、竜は止まらず、そのまま砂漠の果てへと駆けていった。
「ナオ! 大丈夫かい?」
ココが飛び出してくる。彼女の構えていたのは人の背丈ほどある大型のクロスボウだ。つがえる金属製の矢は120センチはある。
「ココ、ごめん、全方位モニターを切ってて反応が遅れた。被害者は出てない?」
「大丈夫、やつはベーシックにしか興味ないみたいだった。地平線の向こうからまっすぐ駆けてきてたよ」
そうか、とひとまず安堵する。
だが僕の失態だ。まさかカナキバがいきなり襲撃してくるとは。
起動を察知されたのか? 確かに十数キロ先から獣の死臭を嗅ぎつけるハエがいる、なんて話も聞くけど……。
ココはどこへともなく声を張る。
「おい! 毒矢が効いてないじゃないか!」
するとシャッポを含めて何人かのウサギが出てきた。みなクロスボウを持っている。
「いくつかの毒草を混合した毒矢です。大型の悪食竜でも数秒で動きが鈍くなるのですが」
「確かに刺さっていたのは見ました。逃げ去った先で死んでしまうかも」
「そうかね。あいつが毒なんかで死ぬタマには見えないよ。竜は種類が異なれば効く毒が変わってくる。あいつを普通の悪食竜の基準で考えないほうがいい」
ココは僕を見上げる。
「ここから移動しよう。ナオ、ベーシックで歩けるかい? 歩けないなら竜で運ぶよ」
「……いや、ここを動かない方がいい」
夜になれば霧が出る。数メートル先もおぼつかないミルク色の闇。そんなときにカナキバに襲われたらどんな被害が出るか。
「もし毒矢が効かないなら、あのカナキバを排除できるのはベーシックだけだ。あの竜は放置したくない。このベーシックをおとりにして迎え撃とう」
「……そうだね。ここは隊商路にも近いし……レジスタンスとしても砂漠超えのルートは確保しておきたい。西方辺境への移住者を案内できるし……」
「何か大型の罠を用意しましょう」
「ベーシックにも武器があったほうがいいですな。用意はありますのですぐに組み立てます」
「何班かに分けましょう。テントの部品で故障箇所の応急処置ができないかの検討を……」
草兎族たちはてきぱきと動き出し、ドワーフたちもどこからか出てきて、ウサギの指示を受ける。
僕はふと、先ほどの手帳が気になっていた。
――霧の砂漠をうろつく、大きな顎の竜。
――どうか、あれを殺さないでほしい。
「……殺すなって? あの怪物を?」
感覚的にだが、あの怪物は視覚ログよりも大きくなっていた。
その牙はより鋭く、より硬くなり、浸潤プレートに一撃で食い込むまでに成長している。
あれはどう見ても怪物。食欲と殺意の権化。
……それを殺すな?
分からない。このベーシックのパイロットが。
ベア=フォーセズという人物が何を考えていたのか。
この土地でどのように生きて、どのように死んだのか。
僕は手帳を開く。
文字を追う。整然と並ぶ文字の世界で、僕はしばし、書き手の世界を追体験する……。




