第二十話
※
西の果てに日が落ちて、妖精たちの槌音響く夜を越え、また日の昇る頃。
僕は竜の背に揺られていた。気性の穏やかな甲竜は家畜化されており、騎乗用にもなるのだ。
「よき風です。天候も安定しておりますし、四日もあれば到着できそうです」
家畜となる竜は象ほどの大きさ。不思議なことに人間に飼われている個体はそのぐらいの大きさで成長が止まる。金魚は鉢のサイズによって大きさが変わる、という話に近いものだろうか。
竜は五頭。シャッポが乗る竜が先導し、続いてココ、僕、あとの二頭にはドワーフたちが自転車の曲乗りみたいに鈴なりになっている。
「40人もついてくるの……?」
「旅行は大事なんだよ」
「親戚に会いに行くんだよ」
「森ばっかりで飽きたんだよ」
「ここどこなんだよ……」
旅立つ理由はそれぞれだが、ドワーフたちはレジスタンスの理念と違う尺度で動いてる気がする。興味の惹かれるままに、あるいは巻き込まれるままに。
僕たちはキルレ山脈越えではなく、山脈をぐるりと南方から回り込むルートを取った。山脈の南側は草原となりやがて砂漠となり、あとは目的地までずっと歩き続ける旅である。
「シャッポ、中央の様子はどうなんだい」
砂漠に差し掛かった頃、ココが声を張る。砂漠と言っても砂はあまり多くない、灰色の固い土で満たされた荒れ地だ。
「相変わらず苛烈な徴兵が続いております。男たちの一部は北方辺境へ連れられていき、竜の捕獲と世話をさせられているようですが、中央のことは全く分かりません」
竜皇による徴兵の名目は悪しき竜の討伐だったはず。北方にて竜を集めることがそれなのだろうか。竜使いたちの軍勢でも作る気なのか。
「ふうん。中央っていうと、あれだね」
「竜都ヴルムノーブル。そこに集められているようですが、あまりに守備が硬く、何も情報が出てこないのです」
「そんな馬鹿な……」
僕が呟く。シャッポのロップイヤーがぱたりと動いてこちらを向く。
「聞く限りじゃ男手をほとんど連れ去る勢いのはず。社会が維持できないほどの数だ。そんな数を奪われて何も分かってないっていうの?」
「その通りです。特にヒト族は顕著で、全人口の半数、つまり男のほぼ全員が徴兵されています。ヒト族の町には統治者として男の役人が派遣されていますが、その者たちも竜都で何が行われているか知らないようです」
竜都ヴルムノーブル……。名前ぐらいは聞いたことがある。広大な中央平原のさらに真芯にあたる大都市。周囲をぐるりと一周するだけで何週間もかかる大きさだとか。
「そんなに男が取られたらヒト族が滅んじまうだろ。徴兵が始まってそろそろ5年だぞ」
ココも疑問に思っているようだ。レジスタンスでもそのへんの情報は掴めていないのか。
「竜都は無限の同心円のごとき巨大な都。連れ去られた男たちは外周の都市圏で鉱山を開発したり、工場に勤めたりしているようです。負傷した男などは帰されることもあります」
「へえ、じゃあ子孫をまったく繋げないってわけじゃないんだな」
どうしてもその点が気になってしまうが、それぐらい竜皇の徴兵は異常なのだ。
ヒトという種を断絶させる。
かつてはそんな想像をしたこともあった。
だが昆虫の飼育ではあるまいし、男を全員奪って種を絶えさせるだなんて迂遠が過ぎる。僕みたいに徴兵から取りこぼされてる男も多い。
しかし現実的には人間の人口は減っていくだろう。いったいこれは何なのか。
「ヒト族のことなどまるで考えていない、そういう気配がいたします」
シャッポがそのように言う。
確かに。これは何というか「後先考えていない」という印象だ。
ヒト族がどうなろうと、やるべきことがある。
あるいは、ヒト族など何とでもなる……?
――そりゃあ、男じゃないと駄目だろう。
「……?」
今、何か思い出したような。
何だろう。どこかで交わされた雑談の一部だったように思う。
だが前後の部分がまるで思い出せない。というより何に呼応して浮かんだのかも分からない。ふと見た風景を、かつて見たことがあると錯覚するような現象。既視感に近いものだろうか。
(……男じゃないといけない?)
(というよりも、女性が必要ない……?)
ヒトならば男のほうが体力がある。僕に思いつくのはそのぐらいだ。
その思考はあまり長続きしなかった。
シャッポの話は経済のことや法律のことに移り、ココも自分なりに相槌を打ちながら会話を進める。
いま、浮かびかけた何かは僕の頭からこぼれ落ち、砂漠に落ちて石ころの一つになってしまった。
そんなことは何度か繰り返された気がする。僕の茫漠たる人生の中で――。
※
荒れ地をえんえんと歩く。土と岩しかない岩砂漠である。
土はコンクリートのように硬く、痩せた樹がまばらに生えた灰色の荒れ地だ。
時おりネズミのような生き物が岩陰に見える気もするし、鳥も飛んでいる。完全な無ではないが、やはり砂漠の旅は寂しさがつきまとう。
夜半には霧が出る。生クリームのように濃密で、下着までじっとりと濡らす霧だ。
「なぜこんなに濃い霧が出るのに、緑が少ないんだろう」
「悪食竜のせいです」
シャッポが火を焚きながら答える。霧は炎にもまるで怯むことなく、小賢しい旅人たちを渦を巻いて包囲するかに思える。
「グルム……?」
「大食らいの野良竜です。大きな顎を持っており、砂漠を歩き回ってあらゆる樹木を食べるのです。一日で自分の大きさの何倍もの量を」
「……竜が出るのか。大丈夫かな」
「さほど大きな竜ではありませんから、火とボウガンで追い払えます。それに、基本的には人を襲いません」
獣による食害。座学で受けた知識の中にもそんな事例はある。
だが、それはやがて自然との釣り合いが取れるものだ。何も生み出さない灰色の砂漠に変えるまで食い続ける、そんな生物は道理を超えている。
だから竜なのか。
自然の摂理を超えたものが竜。
世界の理の外側から来たもの、世界への呪詛から生まれたような……。
「さあナオ、今夜も付き合いな」
と、背後から声がかかる。ココが腕組みをして立っていた。
「いやその……実は服とかが全部びしょびしょで……ずっと竜に揺られてて疲れも……」
「濡れたぐらい何だよ、濡れ髪は男伊達が上がるってもんだろ。さあ立ちな」
腕を引かれて無理矢理立たされる。そのまま、干し肉と芋をかじっているドワーフたちの脇を抜ける。
「夜のお誘いなんだよ」
「いつも元気なんだよ」
「ココは欲求不満なんだよ」
「変なこと言わない」
ココが軽くはたくと、言ったドワーフは地面に少しめり込んだ。
そして少し開けた場所へ。カンテラを2つほど置いて明かりを確保する。
「さ、まず服を脱ぎな」
ココももろ肌を脱ぐ。胸部にサラシを巻いており、腹筋は網の目のように割れていた。
「脱ぐの?」
「霧で濡れてて動きにくいんだろ。そんな時は服を脱いで身軽になるんだよ」
がらん、と渡されるのはトボの樹で作った木剣。いつも言ってるが僕の体に大して二段階ほど大きいと思う。
そして夜の稽古が始まる。
置かれたカンテラの明かりだけを頼りに、僕がひたすら打ち込んで、ココは愛用の斧でそれをいなす。
ココはまるで金属の固まりのようだ。まったく動かせる気配がなく、打撃が浸透してる気がしない。
「足が浮いてる」
ぱしん、と斧の柄で足を払われる。少し湿った地面では踏ん張りが効かず、どてんと横倒しになった。
「霧の砂漠の地面ってのはとても固いし、水を吸いにくい。霧の出てる時間は少し滑りやすいんだ。しっかり踏ん張って斬りかかるんだよ」
「わ、わかった」
身を起こしてまた打ちかかる。重い木剣は一撃ごとに骨に響く。だんだんと手首のあたりが熱を持ってくる。ココが時おり脇腹を狙ってくるので、いつでも防げるように集中せねばならない。
「よし、そこまで」
一時間ほど経っていた。終わりを告げられた直後に背中から湯気が上がる。靴の中が霧と汗で満たされて、足が水没してる感覚。
「相変わらず駄目だね。肉の付きが悪いのは仕方ないが、打ち込みに殺気が足りてない。もっと容赦なく打ち込みなよ」
「……白兵戦は、昔から苦手だった」
ココは少し首を傾げる。
「苦手とかじゃない。そりゃ最終的にたどり着ける高さはみんな違う。ヒトと鬼人なら特にね。できる範囲で強くなればいいのさ」
「……なぜ僕に稽古をつけてくれるんだ? 前に聞いたけど、僕が剣で一人前になるには何年かかるか分からないんだろう? ココの時間を奪ってしまってるようで心苦しい」
「変なこと言うんだな」
と、眉を下げて、本当に分からないという顔になるココ。
「戦士を育てるのは当たり前のことだろ。ナオだって二年前よりはだいぶマシになった」
「役割ってものがあるだろ……。戦闘が苦手な者は、別の仕事でグループに貢献できるはずだ」
「貢献したらいいさ、ナオの料理はあたしも好きだよ」
「……」
どこか話が噛み合わない。
訓練が嫌というわけでもないけど、なぜ僕にこんなに付き合ってくれるのだろう。それがオーガとしての価値観なのだろうか。どれだけ駄目な戦士も見捨てないと……。
「……前に言ってたじゃないか。自分たちも戦っている。竜を美味しく食べることが自分たちの戦いだ、って」
「あたしは分別があるからね」
ふふん、となぜか反り返って鼻を鳴らす。
「斧の刃をぶつけ合う以外にも戦いがあることを知ってる。西方辺境を開拓することがあたしらの戦いだった。他にも鎚妖精なら物作り、草兎族なら商売。ヒト族にもいろんなやつがいる。それぞれの戦いを生きてる」
「だったら……」
「ナオにはまだ、そんな分別はないだろ」
その言葉が、なぜか胸の奥に響く。
「若いからね。まだ世の中のこと何にも知らないって顔だ。危なっかしいのさ。だからとりあえず剣だよ。一人で戦える力は、一人で考えられる力に通じるからね」
「……」
実際のところ、ココがそこまで演説が上手いわけではない。
彼女が何を言わんとしているのか、彼女自身に完璧に言語化できていたかは怪しいと思う。
だが、それでも何かが、僕の心の奥に届く。
僕はまだ若く、未熟であり、何も知らない。
兵士としての僕は、二年前にどこかへ行ってしまった。
では、今、ここにいる人物は……。
※
翌日も、その翌日も甲竜の背に乗る。
昼の日差しと夜の濃霧。ドワーフたちの食事の世話もあるしココとの訓練もある。シャッポから世の中のことについて話を聞くこともある。
旅はそれなりに厳しく、忙しく、また興味深いものでもあった。四日目にしてようやく、旅心地というものを感じたかも知れない。
「まもなく道標石です」
先頭を行くシャッポが、大きく振り返って言う。
「道標石?」
「砂漠での目印となる丸い石です。丈夫な岩を加工して作られております。次に見えるものを左に折れれば目的地のはずです」
そういえば何度か見かけた。直径五メートルほどの白い岩であり、表面に文字が刻んであった。
幸運にも悪食竜とやらにも会わなかったし、食料も余裕がある。ここまでは順調な旅と言えるだろうか。
「見えました、あれが……」
シャッポの声が止まる。
「どうしたんだい?」
と、甲竜を操ってココが前に。そしてまた動きを止める。
その頃には僕にも見えていた。道標石の形状がおかしい。
「……どう見る? 草兎族の姉さん」
「おそらく異常個体……ですが、大きさはもちろん、悪食の度合いもかなり……」
そこには確かに丸い岩があった。
だが今はない。三日月のような形状になっている。
欠けた部分に、明らかな牙の痕跡を残して。




