第十九話
「なあ聞いてくれよ。俺の故郷は今ごろ花ざかりなんだ。山が薄桃色の花で満たされるんだ」
オープンな回線から響く声。
誰も応じない。その男のそのような行動はいつものことだった。本来なら心理技師のカウンセリングを受けるべきなのだろうが、索敵に不備はないし青旗連合の無人機も無難に迎撃する。何より欠員を出したとしても、補充など来るあてはない。
それは誇るべきことだろう。人員の余剰が無いのは戦地にまんべんなく配置されているからだ。星皇軍が全戦力を稼働できている証拠だ。
「花は野菜みたいに食べられるんだよ。酒も作れる。塗料や香料も作れる。俺には親友がいて、そいつが毎年、作った酒を持ってきてくれるんだよ。ああ、あれは良い酒だったなあ」
「恋人が待ってるんじゃなかったのか」
誰かが呟く。数キロの距離を隔てているベーシックたちの間に気まずい空気が流れる。
だが故郷の話をしていた男は、よくぞ聞いてくれたとばかりに応じる。
「ああ、ああ、もちろんだとも! 恋人は気立てがよくて優しくて、料理が上手いんだ。故郷で小さな店をやってるんだ」
以前に聞いた話と違う。
というより、おそらく故郷の話に定まった設定は無い。
あるときは霧の立ち込める湖畔の町だったり、豊かな鉱山惑星に作られた開拓者の村だったり、楽器が特産品の職人の村だったりする。
もう誰も相手はしないし、矛盾を指摘されることもない。その男の妄想はやむことがなく、自由な想像の海を泳ぐかのようだ。
まあいい。兵士は戦えればいい。彼はそれだけは満たしていた。
彼の名は。
……名は、何と言っただろうか。認識番号は記憶しているが個人名は曖昧だ。
ただ、彼の語る故郷の話。
それをいくつか、引き出しの奥にしまったガラス玉のように覚えている。
「なあ、聞いてくれよ、俺は故郷に犬を飼っていて……」
※
黒壁の時間。
遥か遠く、キルレ山脈に黎明の光がさす時刻、早朝のごく短い時間をそう呼ぶ。太陽が山の向こうにあり、空がしらじらと明け染めるとき、山脈の雄大な姿は影一色となり、世界の果てにある黒壁のように見える。
西方辺境にある開拓村の一つで僕は目覚める。毎日の仕事は早朝から始まるのだ。
川に出て雪解け水を汲み、畑からその日の糧と、市場に出す野菜を収穫する。標高の高い場所なので土地はあまり肥えていないが、丁寧に手入れをした畑はよく実っている。青菜に根菜、観賞用の花なども育てている。
そして竜を解体する。小屋のように大きな甲竜の鱗をはぎ、血抜きをして、ナタを使って肉を切り分ける。ドワーフたちがわいわいと騒ぎながら手伝ってくれる。
「今日のはでかいんだよ」
「肝臓がきれいなんだよ」
「きっとお酒とか控えてたんだよ」
「それ膀胱なんだよ」
内臓の処理はだいぶ進歩した。アルカリ性の土と一緒に煮込んで毒抜きする方法。炭焼き小屋で一昼夜の高温環境に置く方法。岩塩を肉の中に入れつつ流水にさらす方法などだ。
今日のメニューは竜の肉と腎臓を使ったシチュー。牛乳と小麦粉で処理してるので臭みはない。副菜は山菜の酢漬けに、いろいろな果実の皮だけを細切りにして炒めたもの。たっぷり100人ぶん作る。
「おいしいんだよ」
「まったりとしてコクがあるんだよ」
「さっぱりしててうっとりなんだよ」
「願ったり叶ったりなんだよ」
「君たち適当に言ってない?」
午後からはまた仕事だ。
力のあるオーガの若者たちがトボの樹を伐り倒し、家畜化されている甲竜で運ぶ。
鎚妖精たちは技術屋であり、あらゆる工作をこなす。一本の大木から一軒の家を作るのだ。
トボの樹はあらゆることに使える。炭などの燃料になるし、葉はお茶になる、樹皮は加工して紙の代用品にもなる。
鎚妖精たちが家を作り、道を作り、橋を作り物見のやぐらを作る。そして今日もまた、キルレ山脈を越えて開拓者たちが来る。
「ナオ、新聞が来てるよ」
ココが届けてくれる。新聞はそれなりに高価なもので、A4サイズ4枚綴りで労働者の日給の半分ぐらいか。
「別にいいよ」
「よかないよ、レジスタンスならニュースぐらい見ときな」
その場に置いて立ち去ってしまう。ちょうど野菜の皮むきも終わってしまった、仕方ないので目を通す。
いわく新しい税制、新しい徴兵などの布告、どこかの辺境で竜皇軍が強大な邪竜を倒した、そんな政府広報的な内容がまず半分。
この新聞はわりと反骨精神があるのか、竜皇軍に敵する存在のことにも紙面を割いている。謎の白い巨人がまた現れ、どこかの竜使いと交戦になった。剣と盾と鎧を身につけた巨人であると。
「……」
北方の辺境。広大な凍土にさまざまな竜が潜む場所。主な戦場はそこだが、時おり東方や南方、中央に現れることもあるという。
巨人は様々に活躍している。重要な街道筋に現れた竜を倒した。鉱山を新たに見つけてどこかの町を豊かにした。
そして義賊的活動……悪辣な政治を敷いていた地方領主なとが襲われ、放逐されたとか税を返す羽目になったとか。そんな話は新聞には載らないが、風に乗って流れてくる。
「シール……」
彼女にベーシックを奪われて、2年。
この2年で西方辺境はだいぶ開拓が進んだ。規模としては広大な森の10分の1ほどが開拓され、7つの新しい村が生まれている。
新しく派遣された辺境伯は基本的には庶民とうまく付き合っており、開拓と移住の自由を与えていた。
その穏やかな統治の影には白い巨人の脅威が無いはずもないが、あまり考えたくはない。
竜皇はどう思っているのだろう。かつて見た流星のごとき竜。煌星竜とか言ったか、それは動かないのだろうか。
居城がはっきりしていたスモーカーの場合と違い、神出鬼没のシールは追えないのだろうか。
……。
……まあ、どうでもいいか。
もうベーシックは彼女のものだ。2年もあれば、その認識を受容するのには十分だろう。
僕にはこの西方辺境に居場所がある。毎日の仕事もある。ドワーフたちが僕の料理を喜んでくれる。それで十分じゃないか。
――どうか、人としての幸せを。
その言葉。
ベーシックからはじき出されたとき、彼女が呟いた言葉が耳に残っている。暴風と雪の中でもはっきりと聞こえた。山々に響く晩鐘のように、深く重く。
人としての幸せ、今がそうなのだろうか。
きっとそうなのだろう。僕はずっとここにいて、料理をするのが似合っていて……。
「お客さんなんだよ」
ぐいぐい、と裾を引っ張られていたことに気づく。ドワーフの一人が、いや五人ぐらいが僕の裾を引っ張っていた。ズボンが下がってたので慌てて上げる。
「お、お客さん?」
「ウサギさんなんだよ」
「耳の垂れてる人なんだよ」
ああシャッポか。
彼女は開拓村を渡り歩いて商売をすることもあれば、ふらりとキルレ山脈を越えて中央へ行くこともある。草兎族はみな商売人だとは聞いてるけど、彼女はその中でもかなり活動的らしい。
久々に会うシャッポは体つきが丸っこくなった気がする。
前と同じ巻きスカートに茶のベストという姿だが、背嚢を背負ってることもあり胸がせり出して見える。体のラインはより女性らしくなって、毛並みも豊かになった気がする。
育ち盛り、なぜかそんな言葉が浮かんだ。
「ナオ様、お久しぶりです。西方にはよき風が吹いておりますな」
「久しぶり……元気そうだね」
シャッポが背嚢を置くと床がきしんだ。かなりの重量である。
「西方辺境の開拓は順調のようですね。ココさんから伺いました」
「僕は何もしてないよ。開拓はドドたちゴードランの一族と、中央から来た人たちの頑張りのおかげだ」
「いえいえ、ナオ様の働きぶりはみんな褒めておりますよ。軸となる支柱が地中深くに打ち込まれてこそ、旗は強き風にはためく、そういうものです」
褒めてくれてるらしい、僕は曖昧にうなずく。
「ときにナオ様、かの機械仕掛けの人形、ベーシックと言われましたか」
「ああ」
「それについて、もう一度お話を伺いたいのですが」
シャッポはベーシックに興味を持っており、この2年の間に何度か説明を乞われた。
僕は軍属であるから、軍の組織編成や練兵時代のことを話すのは軍規に触れる……そんな感覚は、2年前のあの日に溶けて消えてしまった。彼らに隠し事をしたくもなかった。
何度かの機会に、僕はなるべく包み隠さず答えてきた。星皇軍のこと、生産兵として受けていた教育、ベーシックの基本設計と武装について。これは十分な説明ができなかったけど。
「今日は、この星に降りた日のことを伺いたいのです」
「別にいいけど……何が起きたのかは僕にも分からないよ」
僕は思い出しながら語る。あの日は青旗連合の兵器開発プラントを探すため、小惑星を小隊で探索していた。
「小隊の人数はいかほどですか?」
「基本は10人だけど、作戦行動をしてたのが僕たちだけとは限らない。小惑星といっても直径数百キロはある大きな星だった」
「あなたと、ウェストエンド伯爵を騙っていたスモーカー氏は近くにいたそうですね」
「そうだ。スモーカーはこう推測していた。異なる銀河までベーシックを飛ばすほどの力なら、時間軸も動かすのではないかと。光に飲まれるのがほんの数秒違うだけで、1000時間もの誤差が生まれるのではないか、と」
シャッポはなるほど、と小さく言って思考に沈む。その頭の上のロップイヤーがぱたぱたと波打つ。顔立ちは人間に近い彼女だが、なぜかその耳は似合っている気がした。
「気になることでも?」
「ナオ様、このような可能性はありませんか。あなたとスモーカー氏よりも前に光に飲まれた方がどこかにいた。その方は数万、あるいは数十万時間もの誤差でこの星に堕ちてきた」
……。
「伝説の巨人族、ザウエルがベーシックだって言いたいのか? それはありえない」
あの巨人のまじないが証拠と言えるだろう。あれは未だに原理も不明なままだ。果たしてシールは、あれを使いこなしているだろうか。
「いいえ、巨人族ザウエルが降り立ったのは数千年前と言われています。私が言いたいのはほんの数十年。あるいは百年ほどの範囲の話です。その間に星に降り立ったベーシックがいるのではないかと」
「いるかも知れないけど……ベーシックのような目立つ存在がいたなら、何らかの記録に残ってるはずだ。それこそ、巨人族ザウエルの再来とかの記録が」
「実はそのような話、少なくないのです」
シャッポの赤い目が光る。実のところ話したかったのはその部分なのだと理解できた。彼女の話術によって自然に誘導されたのだろうか。
「悪しき竜が村を襲い、それを討つために再び巨人が現れ、村を守った。そんな記録が残っています」
「……何だって」
では、まさか小隊の仲間が、どこかに。
シャッポは背嚢から本を抜き出す。赤い装丁で、辞書のように厚かった。
「ここ数百年だけでも500以上……」
がく、と僕は顎を落っことした気分になる。
「というより似たような話が非常に多いのです。説話と言いますか、物語の類型と言いますか、噂話の収斂進化と言いますか……」
「そりゃそうだね……。西方辺境には巨人族を信仰する考え方もある。神話が説話として何度も再生産されてて当たり前か。困ったことが起きて、神様が降りてきて助けてくれた、みたいなパターンと同じか……」
ですが、と。
ひときわ明確な声で。シャッポが本の中ほどを開く。
「キルレ山脈を越えて南下すること150キロ。霧の砂漠にてつい先日、巨人が発掘されました」
「……!」
「この土地に残っていた昔話だけが妙に具体性があったのです。われわれ草兎族が発掘作業を進めております」
そしてシャッポは、机の上で僕の手を取る。
「ナオ様。あなたの力が必要となるはずです。私と一緒に中央へ渡っていただけませんか」
……。
仮にそれがベーシックだったとして。
数十年、数百年も土に埋まっていたものが起動するはずがない。
炸薬もレーザー砲も使い物にならないだろう。
――それに。
それにパイロットなら、別に僕じゃなくても。
「行くよ」
一瞬、僕がそう答えたのかと思った。
だがそんなはずはない。後ろを見れば部屋の入口、開け放たれた扉に背をもたれたココがいた。緑色の肌をしかめて僕を見ている。
「西方辺境もだいぶ開拓が進んだ。もう甲竜はすみずみまで利用できる。ここでの仕事は終わりさ」
「僕はずっと、ここにいてもいいけど……」
「ダメだね。あたしらはいつ竜皇とやり合うか分からないんだ。あの白い巨人が手に入るなら手段は選んでられない。考えられる手はすべて打つだけさ」
……。
「ナオ、あんただってまたベーシックに乗りたいだろ」
乗りたい?
そうなのだろうか。
僕は戦場に戻りたいのだろうか。
兵士になりたいのだろうか。
そして僕に、選択する権利などあるのだろうか……。




