第十二話
※
「キルレ山脈とは西方辺境と中央を分ける霊峰。万年雪に覆われた峻厳なる山々なのです」
ベーシックの吊り下げたカゴに乗ってシャッポが言う。全方位モニターが捉えるのは5000メートル級の山が連なる壮大な山脈。左右はざっと400キロ以上あるという。
「その中でかろうじて行商の行き来できる道があり、木材や薬草を求めて少なからぬ人々が行き来しております。コウカシスは西側の麓に作られた街です」
「賑やかな街と聞いてます。とても楽しみです」
シールの声も華やいで聞こえる。髪を乾かすためなのか、籠の中で立ち上がって銀色の髪を風にさらす。体毛が真っ白なシャッポと並ぶと、少し日に焼けた肌がより存在感を増すかに思える。
「シャッポ、西方辺境を統治する領主の城ってどこにあるんだ?」
「それならば稜線を超えて山脈の東側ですな。山を越えれば見えるかと思います。多くの竜を擁する荘厳な城ですよ」
当初の目標はそこだった。領主を打倒し、兵役に取られている男たちを解放する。
しかしベーシックで竜の群れに勝てるかはともかく、仮に領主を倒したとしても、その後の社会の混乱にも対応せねばならない。旅の中でそれを教わった。
その辺のことを話し合うために、コウカシスの街にあるというレジスタンスを訪ねる予定だが……。
「あ、あれが話に聞く黒柱圏ですね」
聞き慣れない言葉が出てきた。全方位モニターを望遠に切り替えれば、山裾に沿ってたくさんの住居が密集する地帯があり、黒い柱が直線的に並んでいる。
街は扇状、稜線がわずかに凹んだ部分から街道が伸びていて、道を川の流れとすれば、街はちょうど三角州のように見える。
「あの柱は?」
「はい、甲竜が入り込まないようにする柵です。コウカシスの街を守るように1200本埋められてると聞いてます」
なるほど、ベーシックによる分析だと木製の柱だ。表面が黒いのは炭を混ぜた漆のようなものを塗ってあるのか。竜がかじらないようにかな。
柱の近くは立ち木が取り除かれて草原になっている。それは人の世界と竜の世界を分ける境界線。端的に言うと切り取り線にも見える。あまりに規模が大きくて、わずかに戯画的な面白みまで生まれていた。
「……ん?」
イオンスラスターの推力を抑え、高度を下げる。
「ナオ様?」
「竜使いがいる、しかも大勢」
柱の列の内側、かなり大きめの甲竜が徘徊しており、その背中には椅子が設けられている。
座っているのは鎧を着た男たち、兜から脚甲まで闇色であり、顔は見えない。
竜もどことなく興奮して見える。荒い鼻息を吐きながら歩き回り、柱の隙間に鼻を突っ込んで匂いを嗅ぐような動作を繰り返す。
数はおよそ10、何をやってるのだろう。
シャッポは自前の望遠鏡を取り出し、柱の方を眺める。
「おや、あの黒い鎧は西方辺境を統治するウェストエンド伯の竜使いのようですな」
「ウェストエンド伯? それが領主の名か」
「そうです。「西の終わりの地」という意味ですな。蔑称に近い呼び名ですが、正式な爵位名でございます」
西の終わりの地……。
ふざけた名前だ、中央がいかに西方辺境を軽んじているかが窺える。
「どういたしましょう、先に私だけで行って様子を見てきましょうか」
「大丈夫、夜を待ってそれなりの高度から山に降りればいい」
西の果て、つまりキルレ山脈と反対側に夕陽が落ちようとしていた。待機している間に望遠で着地点を探しておくか。
「……シャッポさん、東の方角、キルレ山脈の向こうには中央があるのですよね」
シールとシャッポが言葉を交わしている。
「はい、左様です」
「それでは……甲竜の森よりも西には何があるのでしょうか?」
「アードマンの荒れ地ですな。頑健なる岩竜たちと、鼠のような小さな獣人が住むと聞いています」
「その向こうは?」
「時を忘れる砂漠。何も実らず、何も棲まぬ鉄の粉の砂漠です」
「その向こうは……」
「さあ……それ以上に遠くに行った者は誰もいません。水のかわりに岩が落ちてくる滝があるとか、顎と牙だけの魔物が泳ぐ川があるとか言われています」
僕はその会話を何となく聞く。
この惑星には、まだ星が丸いという概念が無いのだろうか。世界を一周した人は誰もいないのだろうか。
未開の惑星、そう言い切ってしまうのは簡単だ。
だけど、僕だってこの惑星のことは何も知らない。巨人のことも、竜たちのことも。
夕日が地平線に落ちる。キルレ山脈は燃えるように赤く染まっていた。
美しいはずの景色だが、なぜか空恐ろしさを感じる。キルレ山脈は一種の防波堤であるのだと。ここより先は人の世界、権謀術数うごめく人の悪意の世界である。お前たちはこの森にいたほうがいい――。
そんなとりとめもない雑念、夕暮れの残照の見せる気の迷いだろうか……。
※
山裾の岩場にベーシックを隠し、歩いて街へと向かう。
「ナオ様、その格好は目立ちますのでこれを」
シャッポの渡すのは茶色のマントだ。生物の皮をなめして作っているらしく、表面は毛羽立っている。
パイロットスーツは白地に黒のラインが入った簡素なデザインだが、重合プラスチック製なので確かに目立ってたかも知れない。
僕たちはまず宿に向かう。3階建ての石造りの建物で、シャッポが何やら交渉して一枚の金貨を支払う。
「情報を集めてきます。ナオ様とシール様はここにいてください」
「ありがとう、助かるよ」
宿の一階は酒場になっていた。テーブルが10ほどもあってほぼ満席だ。僕とシールはとりあえず食事にしようと、端の席につく。
「こういうところでお食事をするのは初めてです」
「僕もかな……練兵時代の食堂とはだいぶ雰囲気が違うよ、賑やかだし」
客は人間も多いが、獣人もいる。金色の体毛を持つ猫の獣人、カワウソに似た小柄な獣人、大きく膨らんだ三本の尾を持つ狐の獣人。みな雑談を交わしているが、何となく切迫した印象を受ける。
「冗談じゃない。施主から受けた注文があるんだぞ、こんなとこで足止めなんて」
「にゃー、お酒飲むしかやることないにゃー」
「ウェストエンド伯は何を考えてるんだ、あれは山岳警備のための重竜部隊じゃないのか?」
「ワインおかわりにゃ」
(足止め……)
やはり異常事態が起きてるようだ。この街から西方辺境へ行けなくなっている?
キルレ山脈を超えてコウカシスの街に来る人は、おそらく西方辺境に商用で来てるのだろう。材木か薬草か、こんな街で足止めされては不満が出るのも当たり前か。
僕は運ばれてきたスープをすすりながら耳を澄ます。野菜くずと……何やら硬くて細長いものが入ったスープだ。もどしてないパスタのような食感。植物の茎とかかな。
「ナオ様」
シールが声を潜めて言う。
「どうしたの?」
「あちらの席の方、レジスタンスのアジトに戻ろうと言ってます」
「何だって」
そっと視線を送る。僕らとはほぼ対角線上の席、そこにいたのは……子供?
いや、全体的にパーツのすべてが小さいだけで、子供の体型とは違う。頭もリンゴのように小さい、獣っぽさはないが、ああいう小柄な種族なのか?
それは二人組であり、たくさんの皿とグラスをテーブルに並べていた。食べ方がだいぶ汚い。そして片方はテーブルに突っ伏し、くだを巻くようにぶつぶつと口を動かしてる。
「もうだめなんだよ。だから重曹じゃ無理って言ったんだよ」
「アジトのみんなが待ってるんだよ。もう戻るんだよ」
「こんなのレジスタンスの活動じゃないんだよ。ボクは鎧とか剣とか作りたいんだよ」
シールが同時中継してくれる。やはりレジスタンスのメンバーなのか。それにしても、この雑音だらけの酒場で会話を聞き取るとは。
その二人の小人は席を立つ。酒場の店主に代金を渡し、よろめく足取りで店を出ていった。
「追いかけましょう」
「う、うん」
シャッポと離れてしまうが仕方ない。街がこんな厳戒態勢な状態で、レジスタンスを見つける機会なんていつ生まれるか分からないのだ。
コウカシスの街は山裾に作られているため、やたらと斜路が多い。いくつかの辻には篝火が焚かれているが、超光速文明圏では考えられないほど暗い街だ。僕はなんとか転ばぬように後を追う。
その小人たちはなぜかハンマーを背負っている。そのせいで後を追いやすいが、もし通りに少しでも人がいたなら見失っただろう。
石造りの入り組んだ街、その外へ外へと向かう。小さな畑があり、井戸があり、家畜小屋などもある。
そして石造りの最後の家を横目に見て、更に進む。立ち木はほとんどなく、石と砂ばかりの荒れ地だ。山脈を造成する地質のためか、それとも気候のためだろうか。
たどり着いたのは木造りの大きな建物だ。外見は体育館にも見える。
ふごう、と獣の息が漏れる音。入り口が開いており、覗き込むと豚がいた。つまり豚小屋だ。
同じような小屋が三つ。かなりの規模の養豚場だ。まるまると太った豚が藁の布団で寝ている。
「家畜小屋……?」
「あっちです」
シールに手を引かれる。思えばずいぶんと無謀な行動だったが、この時の僕は千載一遇のチャンスのように感じていた。
必要な手順を何段階も飛ばして、ゴールにたどり着けるような感覚が……。
「あっ」
シールが突然立ち止まり、きょろきょろと周りを見回す。
「どうしたの?」
「囲まれちゃってます」
「えっ」
そして気づく。豚小屋の太い梁の上。
大きく盛られた藁の中。豚が水を飲むための平桶の影。何かがいる。
そして背後。
ヒグマのような巨大な気配、おそるおそる振り返れば、2メートル半はある巨大な斧を背負った人物が。
「床に這え」
静かに命じる。するとあちこちに隠れていた何者かが一斉に騒ぎ出す。
「スパイなんだよ」
「ひき肉にするんだよ」
「ひき肉はかわいそうなんだよ」
「とっ捕まえるんだよ」
「お腹すいたんだよ」
あの小人たちだ。皆なぜかハンマーを持ってる。ざっと数えて30人以上、こんなにいたのか。
「いや、ちょっと待ってくれ、僕たちは」
「天誅なんだよ!」
小人が飛び降りてきて僕の頭に蹴りを食らわせ。
さらに数十人が一斉に襲いかかって、僕は本気で死を覚悟した。
※
「親父の紹介だって?」
ようやく説明を聞いてくれたのは15分後。
僕はあちこち包帯を巻かれた姿で応接間のような場所に通される。
いや別に大怪我ではない。小人たちがやたらと包帯やら軟膏やらで手当てしてくるのだ。
「ごめんなんだよ」
「打ち身は冷やすといいんだよ」
「馬肉を貼るんだよ」
「それ雑巾なんだよ」
わらわらと、小人たちはいったいどこにこんな人数がいたのかと思うほどだ。みな栗毛の長髪につぶらな瞳、ハンマーを背中に担いでるという特徴が共通している。
「オーガの族長……ドドがレジスタンスを訪ねろって」
「親父はあたしのやってることは反対してたんだけどな、まあいいや」
彼女は緑の肌に大柄な体、最初は2メートル以上ありそうに思えたが、明かりの下で見れば190ほどだろうか。村で見てきた鬼人の女性たちの誰よりも筋肉が発達している。若いぶんドドよりも逞しく思えた。
「あたしはココ・ゴードラン、よろしく」
「僕はナオ=マーズ、こちらはシールだ」
「よろしくお願いします」
シールはなぜか無傷だった。それはともかく僕たちはドドの村で起きたことを説明し、族長ドドの言葉を伝える。
「へえ、人形使いか、中央のまじない師にそんなのがいるって噂だけど、そういうのかな」
「それは操り人形とかだろ……。僕のは体高8.5メートルの巨人だ、十分に戦力になると思う」
「戦力ね、ウェストエンド伯を倒して、兵役に取られてる男どもを解放したいんだったか」
「そうだ、僕たちの当初の目標だ」
ココは少し考える。蔓で編んだ椅子に座っていたが、少し身じろぎするだけでぎしぎしと音が鳴る。彼女の体にずっしりと詰まった肉、戦士として積み上げてきたものの数を伝えるかのようだ。
「戦力はあるに越したことはないが、あたしらの目標とは食い違ってるな」
「何だって?」
「ついてきな」
案内され、僕とシールはその後に続く。後ろから小人たちもずらずらとついてきた。まるで引率である。
小人たちは黒布の覆いがついたカンテラを持っている。正面以外に光が漏れない工夫だろう。だだっ広い荒れ地の中だし、目立たないようにしているのか。
「あたしらはね、兵役には反対してるが、竜を除こうっていう竜皇様の方針は否定してないのさ。どこかで折り合いがつけられないかと模索してる」
「模索……だけどシールの村はすべての男が兵役に取られてる。あれじゃ村を維持できない」
「たしかに問題だ、オーガの村でもあったし、中央でもあるらしい。異常なことが起きてるのは間違いない、だけど竜皇を、あるいはウェストエンド伯爵を打倒するなんてのは、全部の検討を済ませてからでもいいだろう」
「検討……いったい何を検討するっていうんだ」
「これさ」
たどり着くのは豚小屋の並びからさらに百歩ほど離れた場所。小石だらけの斜面にぽつんと建てられた小屋である。脇にはなぜか白い小山、雪が山のように積み上げられていた。
中にあるのは、鱗に覆われた緑の巨体。ココの持つ松明に照らされて緑色の体色が見える。
「あれは……」
竜だ。センザンコウやアルマジロのような丸っこい竜。甲竜がいる。腹を割かれて内蔵が取り出され、血抜きもされて、つまり解体されている。
「またダメなんだよ」
「固くて歯が折れるんだよ」
「レモン汁を試すんだよ」
そしてその周囲に、ハンマーを背負った小人たちが。
「竜をおいしく食べる」
ココが言う。
「そして西方辺境を人の住める土地にする。それがあたしらの目標なのさ」




